各方面大絶賛も納得の傑作~『わたしを離さないで』
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私の名前はキャシー・H」。「介護人」である31歳のキャシーの一人称で語られる、この
静かで切なくやるせなく、どうしようもなく愛おしい物語は、発売と同時に英米で
ベストセラーとなり、絶賛の嵐を巻き起こしたという。日系イギリス人作家である
カズオ・イシグロによるこの本の存在を知ったのは、村上春樹のHP(現在は閉鎖中)。
彼が本書を「本当に美しい文体」と絶賛していたのだ。他にもよしもとばななや、解説
を書いている柴田元幸らも「イシグロの最高傑作」と称賛を惜しまない。ヘールシャム
という施設で育ったキャシールーストミーの三人を主人公に、彼らの思春期から
数十年に及ぶ愛と絆永遠の別離までを描く物語だ。

 何故彼らは施設で生活しているのか。不思議な授業や「保護官」と呼ばれる先生たち、
提供者」とは、「介護人」とは何を意味するのか。物語は様々な謎をはらんでいくつ
もの伏線を張りながら、少しずつ真実を読者に提示していく。彼らはどのように生を受
け、何のために生き、どんな風に「使命」を終えるのか。彼らに与えられたあまりにも
残酷な運命と結末に息を呑みながらも、抑制された語り口美しい描写に引き込まれ、
この物語世界に完璧に取り込まれてしまうまでには、読み始めてからそう時間はかから
ないだろう。正直、読了しこうして感想を書きながらも、胸がいっぱいで涙が表面張力
になるのを抑えるのが難しい。しかしこの状態を「キャシーに感情移入してしまった」と
書くのが安易だとはばかられるほど、彼らに与えられた人生は厳しく、やるせない。

 キャシーとルースは、女同士の、一見どこにでもありがちな関係に描かれている。友情
のなかに潜む嫉妬、羨望、悪意、それらを覆い隠して二人を結び付けている深い愛情。
それでも、ルースの複雑な感情(キャシーとトミー、それぞれへの思い)から、「ずっと昔
からそうなるべきだった
」キャシーとトミーが共に過ごせた時間があまりにも短く、遅
すぎたことを思うと切なさで苦しくなる。老いることすら許されず、どうして感傷的に
ならずに過ごせるのかと不思議に思えるほど、運命を受け入れて淡々と生きていく主人公
たち。彼らに所有することが許されるものは唯一「記憶」であり、空想や感情の爆発や、
涙さえも「甘え」だと自分に許さないキャシー。どこまでも冷静で、常に自制しつつもやさ
しく繊細で、周囲の仲間を思いやる彼女の姿。失い続ける人生、行きたいところではなく、
行くべきところ」しかない人生。

 入念に、完璧に構成されたストーリーは驚嘆ものだ。主人公たちの心象も緻密に描か
れ、風景描写は映像が頭の中に立ち上がってくる。一章一章、読み進む毎に心に水が満
ちるような感覚
を憶え、読み終わるのが惜しいような気分で随分と時間をかけて読んだ。
文体の美しさは語り尽くされていると思うが、難しい語彙を排した平易な文章で、ここ
まで感動的な作品を成す作者の力量と、土屋政雄氏による流麗な翻訳には心から敬意を
表したい。かなり複雑で繊細なテーマであるが、それ故に、現代において必ず語られる
べき物語である本作の、映画化は困難だろうか?

 カセットテープがいっぱいに描かれ、本作中で最も感動的な場面を思い起こさせる
印象的なカバー。間違いなく後世に読み継がれる傑作であるし、残されるべき作品だ
と思う。是非、ぜひ、読んで下さい

(『わたしを離さないでカズオ・イシグロ著/土屋政雄・訳/早川書房・2006、
 『NEVER LET ME GO』by Kazuo Ishiguro/2005・UK)
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テーマ:海外小説・翻訳本 - ジャンル:小説・文学

[2006/09/14 06:01] | 読書 | トラックバック(3) | コメント(8) |
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コメント
真紅さん★『わたしを離さないで』を取り上げてくださってありがとうございます。『日の名残り』のところでもコメントさせていただきましたが、この本を「今年上半期に出版された全ての長編小説の中でベスト1」と褒め称える書評家の意見も納得のできばえですよね。そして、そういわれる理由のひとつは、真紅さんのおっしゃるとおり「翻訳の見事さ」があると思います。読み終えてからあらためてこの「カセットテープ」のイラストを眺めるとまた自然と涙があふれます。この読後感を真紅さんと共有できて嬉しいです!ありがとうございました★
[2006/09/14 12:01] URL | メグ #- [ 編集 ]
メグさま、こんにちは。コメントありがとうございます。
私も、この読後感をメグさまと共有できてうれしいです。
一人でも多くの方とこの本について語り合いたい!という気持ちです。
自分の胸にしまってじっくりと思い出したい気持ちも少しはあるのですが・・。
私は昔からあの独特の「翻訳文体」というのが苦手で、海外文学(特に世界名作全集の類)はほとんど読んでこなかったのですが、こんな素晴らしい翻訳される方もいらっしゃるのですね。
またオススメなどありましたら教えて下さいね、『日の名残り』も読みたいと思います。ありがとうございました。
[2006/09/14 13:44] URL | 真紅 #V5.g6cOI [ 編集 ]
お邪魔します。TBありがとうございました。
真紅さんの感想を読んであたためてこの
作品の良さをひしひしと感じました。
青春時代の思いは、私たちのそれとは
ほとんど変わらないのに、大きく異なっているのは彼らの置かれている状況だけなんですよね。
<行くべきところしかない人生>
せつなかったですね。
この題名の意味するところは読んだ人にしか
わかりませんよね。甘いだけを想像しがちですが、奥深いものを含んでいたように思います。
是非多くの人に読んでいただきたいですよね。
[2006/09/14 14:50] URL | みみこ #mQop/nM. [ 編集 ]
みみこさま、初めまして!拙ブログにお越しいただき、コメント&TBありがとうございます。
カズオ・イシグロは初めて読んだのですが、素晴らしかったです。なんだか同じ日本人(彼は英国籍ですが)として誇らしいです←筋違い?
タイトルとは裏腹な主人公たちの過酷な人生、泣けましたよね・・。
そんな運命を受け入れ、気高く生きたキャシーが大好きでした。
この物語について、お話できてうれしかったです。ありがとうございました。
[2006/09/14 16:18] URL | 真紅 #V5.g6cOI [ 編集 ]
真紅さま、こんばんは♪
TBとコメントいただき、ありがとうございました。
うわぁ、読み応えのあるレビューですね。拝読しながら、また感動が静かに甦りました。本当に、翻訳素晴らしかったですね。そして、おっしゃる通り、この緻密さは驚嘆もので・・・。律して律して、ああいう風にもっていくなんて。私、たまたまタイトルを見て衝動的に購入してしまったのですけど。本当に出会えてよかったです。
ちょっと私のはなぁ・・とTBのお返しさせていただくのが恥ずかしいのですけど、しちゃいました。
[2006/09/14 23:10] URL | 武田 #qs0owOX6 [ 編集 ]
武田さま、こんにちは。コメントとTBをありがとうございます。
この本、私は図書館で借りたのですが(本はほとんど借ります)、所有したいと思いました。文庫になったら(笑)
でも、ハードカバーでも我慢できず、欲しくなるかも・・。本当に、出逢えてよかったと思える本ですね。
最近、新訳ブームでいろんな古典の翻訳が出版されてますよね。昔ことごとく挫折した古典の数々、読んでみようかなと思ってます。
でも、まずは『未亡人の一年』ですよね。
またお話して下さいね。ありがとうございました。
[2006/09/15 08:09] URL | 真紅 #V5.g6cOI [ 編集 ]
こんにちは。はじめまして。
私もこの本は図書館で借りたのですが、
次の週に買ってしまいました。
本当に素晴らしい小説です。
流麗な訳も素晴らしく、今年読んだ小説のベストかもしれません。
[2006/09/24 21:39] URL | 木曽 #GHYvW2h6 [ 編集 ]
木曽さま、初めまして!拙ブログにお越し下さり、コメントありがとうございます。
ブログでなくホームページを運用されているのですね。感想も読ませていただきました。
(最近の出来事の「俺は『僕』やなぁ」には爆笑してしまいました)
私も、この本は間違いなく今年のマイベスト3に入ると思います。掛け値なしに素晴らしい小説でしたよね。
私も絶対買います、文庫になったら(笑)。文庫でもあのカバー、残して欲しいなぁ。
また是非いらして下さいね、ありがとうございました。ではでは。。
[2006/09/24 23:56] URL | 真紅 #V5.g6cOI [ 編集 ]
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