余りに理不尽な~『残虐記』

少女拉致監禁事件の被害者だった作家が、手記を残して失踪した。そこには、
事件の真実が綴られているのか? 実在の事件に触発されて書かれた、直木賞
作家桐野夏生による長編。柴田練三郎賞受賞作。
桐野夏生の小説は、生々しい描写、湿度の高い文章という印象がある。その
湿度を生むのは、血や汗という人間の体液だ。心の闇に分け入り、人間の行動
や感情、悪意や衝動を形作るものの正体を暴き、描き切ろうとする作家・桐野
夏生の意欲と覚悟に戦慄さえ覚える。人間の「関係性」という迷宮に挑むその
姿勢は、孤高な戦士のようでもある。
望まないままに極限状態に置かれた人間が、生きる希望として残されるはず
の「想像力」と「記憶」。『潜水服は蝶の夢を見る』の中で、ロックトイン・シンド
ロームに陥った主人公ジャン=ドミニク・ボビーはそれらを蝶の羽根として、
自由に羽ばたいた。しかし本作の主人公は彼とは逆に、「想像力」と「記憶」
の囚われ人となり、自由とも希望ともどんどん遠ざかってゆくかのようだ。
子どもであったり、女性であったりする「存在」それ自体が「欲望」の標的と
なり、悪意と邪念の中で汚される不条理。残虐と言うには余りにも理不尽な
弱者の運命に、読後しばし、言葉を失くす。
(『残虐記』桐野夏生・著/2007・新潮社)
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