『静かなる叫び』

1989年12月6日、カナダ・モントリオール理工大学で起きた女子学生銃殺事件。モノクロームの映像で、事件の当事者たちを描く。衝撃的な史実に基づいた物語。監督・脚本はドゥニ・ヴィルヌーヴ。2009年の作品。
この映画を観て、初めてこの事件のことを知った。あまりにも悲惨な事件で、犯人が許せなくて、頭がおかしくなりそうだった。
私は女だけれど、フェミニズムという言葉が好きではない。マイオールタイムベストの一作 『マッドマックス 怒りのデス・ロード』 はフェミニズムの映画と言われていたが、私自身は感想にフェミニズムという言葉は使いたくなかった。だから敢えて 「ヒューマニズム」 と書いた。どうして好きではないのか、うまく説明はできないのだけれど・・・。この映画の犯人のように、フェミニズム自体に反対していたり、嫌悪しているわけではない。むしろ自分はフェミニストだと思っている。何だか矛盾しているようだけど。
この世界で女であること。それは 「産む性」 を担うということ。
「男の子なら愛を教え、女の子なら世界に羽ばたけと教える」
人間が、ただ人間としてフラットに、差別することもされることもなく公平に生きていける世界ならいいのに。男であろうと、女であろうと。そういう世界になれた時、「フェミニズム」 という言葉は消えてなくなっているのかもしれない。
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Polytechnique(viewing film) 「未体験ゾーンの映画たち
2018-09-12 14:11 :
Days of Books, Films
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こんにちは
こういう女性憎悪が世界中にはびこっているような気がします。憎悪に対し愛でなく批判で答えるとフェミニズムになり、どこかイデオロギーの匂いがしてきて、真紅さんはそれが気になるのかも。おっしゃるように、フェミニズムという言葉がなくなる世の中が来るといいのですが。
感覚的なもの?
雄さんこんにちは。コメント&TBありがとうございます。
フェミニズム、という言葉自体がアレルゲンのようなところがあるような気がします。
だったらもうヒューマニズムでいいんちゃうの? と思ってしまうんですよね。
この映画の犯人も母親から生まれてきているのに、どうしてあそこまで女性を憎めるのか。。。憎悪ってどこから生まれてくるのでしょうね。
劣等感とか、自分だけが損をしているとか、尊重されていないと感じるところなのかな。。。
フェミニズム、という言葉自体がアレルゲンのようなところがあるような気がします。
だったらもうヒューマニズムでいいんちゃうの? と思ってしまうんですよね。
この映画の犯人も母親から生まれてきているのに、どうしてあそこまで女性を憎めるのか。。。憎悪ってどこから生まれてくるのでしょうね。
劣等感とか、自分だけが損をしているとか、尊重されていないと感じるところなのかな。。。