because he's more myself than I am. ~『君の名前で僕を呼んで』#9

先のエントリで、映画のいいところは時を経て観返すことができること、と書いた。けれど、好きな映画は時を経なくても繰り返し映画館に観に行くことができる(どこかで上映してくれている限りは)。何度も何度でも観たい、それを登場人物たちに 「会いに行く」 と表現することもある。
『君の名前で僕を呼んで』 が大阪ミナミに帰って来た。アメリカ村(シネマート心斎橋)まで、エリオとオリヴァーに会いに行く。5回目。実は前日に 『レディ・バード』 を観たばかり。髪型のせいもあって、ティミーがすごく幼く見える。カイル(レディ・バードの役名)とエリオは年齢設定が同じなのに、全くの別人。ただし、美し過ぎることだけは同じ。長過ぎる睫毛にクラクラする。
オリヴァーは3度振り返る。一度目はエリオの 「秘密の場所」 へ向かう時。二度目は二人で滝へ向かう前に。最後は、ミラノへ向かう列車の汽笛を聞いた時。そして三度目だけ、振り返る方向が違う。
アメリカではストレートの男性として生きているオリヴァーは、北イタリアのどこかでほんの数週間、「本当の自分」 として生きた。更にエリオと二人だけで過ごしたベルガモでの数日間が、最も自分らしくいられた時間だっただろう。彼は自分の属する世界を振り返り、その世界に戻っていく。駅に一人取り残されたエリオの表情を、私たちは見ることができない。それはオリヴァーだけが知っている。オリヴァーだけが知るべきだから。
“Call me by your name(and I'll call you by mine.)” 「君の名前で僕を呼んで(僕の名前で君を呼ぶ)」。これは原作でエリオが思い浮かべる “because he's more myself than I am.” 「彼は私以上に私そのものだから」--エミリー・ブロンテ 『嵐が丘』 より--という意味なのだと思う。互いの中に自分を見い出すこと。そこには本来、苦悩や呪縛などなく、自由と解放があるはず。オリヴァーは24歳で、それなりに経験もあっただろう。しかし、彼はエリオの中に初めて自分を見たのではないか? それは多分、生涯でたった一度。
最後の電話を切った後、暖炉の前でエリオが涙を流したように、オリヴァーも泣いていたのではないか? そう私は思うのです。葛藤は、彼の中に確実にある。声高に語られないだけで。
(続く)
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