『スモーク』

SMOKE
映画(DVD)のいいところは、時間を経て観返すことができること。新しい発見や解釈が出来て、より深く作品を知ることができる。そういう時、歳をとるのも悪くないと思える。
原作は 『オーギー・レンのクリスマス・ストーリー』。原作者であるポール・オースターが脚本も書いているとは知らなかった。彼が投影されているのであろうスランプ中の作家はウィリアム・ハート。オーギーはもちろんハーヴェイ・カイテル。ウェイン・ワンによるこの名作、一体何年ぶりの再見だろう? デジタルリマスター版がリバイバル公開され、WOWOWで放映してくれたのだ。ミラマックス、ワインスタインの名前に、ちょっとギョッとする。Time goes by.
これは自分の身体の一部(文字通りの意味でも、精神的な意味でも)を無くしてしまった人々の物語だった。何かが欠けている、それでも生きている人々の。そう、私たちみんなの物語。正直、クリスマスストーリーの部分しか記憶には残っていなかったから、アフリカ系の少年のエピソードなどすっかり忘れていた。自分の記憶って本当に当てにならない。
しかし、ハーヴェイ・カイテルよ・・・。オーギーと盲目の老女とのふたりきりのクリスマスは、映像として記憶に残っていた。まさかそれが、彼の語りによってもたらされていたとは・・・! 14年前の出来事を語るハーヴェイ・カイテルの演技は、演技を超えて私を物語へと引き込んでいく。小汚いカフェのテーブルに座って、身振りを交えながら掠れた声で語るオーギーから、目が離せない。これは演技なのか? そうだとしたら神! 神演技と言うしかない。くわえ煙草のウィリアム・ハートも素敵だけれど、ハーヴェイ・カイテルの凄さを改めて感じたひと時だった。




( 『スモーク』 監督:ウェイン・ワン
/主演:ハーヴェイ・カイテル、ウィリアム・ハート/1995・独、日本、米)
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テーマ : WOWOW/スカパーで観た映画の感想
ジャンル : 映画
『マイ・マザー』

J'AI TUE MA MERE
I KILLED MY MOTHER
16歳の高校生ユベール(グザヴィエ・ドラン)は、母(アンヌ・ドルヴァル)と二人暮らし。多感な彼は母の挙動のいちいちに苛立ちを覚え反発し、勝気な母もまたユベールにキツく当たるのだった。
“ 「母親は息子の友だちにはなれない」。 ジャン・コクトー”
X・ドランのドキュメンタリー 『グザヴィエ・ドラン バウンド・トゥ・インポッシブル』 と、カンヌでグランプリを受賞した 『たかが世界の終わり』 をWOWOWで観た。そういえば、彼のデビュー作をまだ観ていなかったことに気づく。会員証の期限が2013年のままのTSUTAYAへ。旧作レンタルって今、100円なんですね。思わずWOWOWを解約してしまった(笑)。
この映画、原題は 「僕は母を殺した」。自分、よく今まで観なかったなぁ、観てなくてよかった、今観てよかったと心底思った。子育て現在進行形の自分が観るには、辛過ぎる作品だった。
『タイタニック』 への愛はドキュメンタリーでX・ドラン自らが語っているし、ほぼ彼自身が投影された作品なのだろう。十代でこれほどの作品を作り上げたX・ドラン。正に 「規格外の天才」。後の 『Mommy/マミー』 といい、家族、特に母親との関係は彼にとって切実かつ最重要なテーマなのだろう。セクシャリティを含め自分自身をさらけ出し、決して逃げない彼を尊敬する。
「僕は息子に向いてない」 「母親に向いてない母親もいるわ」。ユベールの母が 「15年間、毎日5時半に起きて必死で働いてきたわ!」 と絶叫する場面がある。そのことを 「当たり前」 だと感じるか、犠牲を払ったと感じるかの違いなのだと思う。「僕が今日、死んだらどうする?」 「私も明日死ぬわ」。それは疑いようもない本心なのだけれど、どうして母と息子の愛はいつも、互い違いにボタンを掛け違えるのだろう?

( 『マイ・マザー』 監督・製作・脚本・主演:グザヴィエ・ドラン/2009・カナダ)
Oliver! 『君の名前で僕を呼んで』#8

オリヴァーがケルアックを読んでいる・・・!(違います)
↑25歳くらいのアーミー・ハマーだと思います。彼が 「オリヴァー役には老けている」 と感じた方はこの画像で脳内補正してご覧下さい(笑)。
しかしねぇ。。こんなアメリカーノが北イタリアの村に突然現れたら、そりゃあもう村中大騒ぎでしょうよ。
「なぁなぁ、この前パールマンさんとこに来たアメリカ人見た?」
「えー、知らんわ」 「マジで?! もうなぁ、映画スターみたいやで!」
「え~、そんなカッコええの?」 「うん、アーミー・ハマーみたい」
アーミ・ハマーって23歳という若さで結婚していて、既に2児の父なのです。先日は結婚記念日だったようで、彼がインスタに結婚8周年のポストしていたんですが、、、結婚式当日の写真でね、、なんかちょっとショックだった。傷ついた(爆)。すっかりエリオに感情移入してしまっています。そろそろ寝る前に原作を読んで泣く、というのを止めないと、廃人になりそうな今日この頃ですが。
6月1日公開の 『レディ・バード』 超楽しみ♪ 初日に観たいなぁ。
(続く)
2018-05-27 :
CALL ME BY YOUR NAME :
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“I’m sick,aren’t I?” 『君の名前で僕を呼んで』#7

先日神戸まで4回目を観に行ってきました。
大阪は意外と上映館が少なく、私の好きな映画館では上映していない(それでも3回は観ましたが)。この映画、ミニシアター案件だと思うのだけど・・・。それならいっそ、シネ・リーブルで上映している神戸まで観に行こうと。久しぶりの神戸。上映前に通常版のパンフも(記念に)ゲット。
しかし・・・シネ・リーブル神戸で昨年の秋からシアター4として上映が開始されたホールにはがっかりでした。大きさ(550席)のわりにスクリーンが小さい。スクリーンカーテンもない。おまけにスクリーンに十字形の傷?があって、気になって仕方がない! ああ、あの美しい映像が。。しょぼん。地下で観たかったなぁ。
今回、日本版の発売が待ち切れずに、外国版のBDを買われる方の気持ちが初めてわかりました。もう、私もBDが欲しい。BDで観たい。家でじっくり、観たい、観た~い! いや、今は我慢だ。。来月京都のミニシアターで上映するらしいから、それまで待とうか。病膏肓に入る。
原作を繰り返し読むうち、やはり原語で読みたくなり、英語版のペーパーバックも購入してしまいました。翻訳が頭に入っているので、「ああ、ここはこういう言い回しなんだな」 とか思いながら(また泣きながら)読んでいます。
4回目鑑賞の感想は。。。原作を読んだ後だけに、エリオ/オリヴァーの心情がよくわかる。実は私、エリオがオリヴァーの赤いパンツをかぶる意味がわからなかったんですよね(爆)。初夜の後のエリオの冷たい態度も、「オリヴァーが帰国する現実に気付いて寂しくなったのかな」 くらいに思っていたのですが、実は別の意味があったのです。あと、エリオの両親が結構細かい芝居をしているな、と。サントラの謎の曲も、流れる場面をしっかりチェック。二人が滝を見に行くシーンは、『ブエノスアイレス』 のオマージュだと思いましたね。
(続く)
2018-05-21 :
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是枝監督、おめでとうございます☆The 71st Festival de Cannes Palme d'Or

今年のカンヌは審査委員長がケイト様、張震くんが審査員のひとりということで注目していました。「あれから20年」 ですよ!
ああ~、いつも思うことですがこんなにカッコイイひとになってくれて感激です。本当にうれしい。ありがとうありがとう。
是枝監督は、正直あまり好きな映画監督ではありません(爆弾発言?)。実は 『海よりもまだ深く』 がダメで・・・。感想を書いてはいるのですが、未だにアップはしていません(何年前よ? 一体)。
でも 『万引き家族』 は楽しみにしていますよー! 日本の映画界全体のために、今回の受賞は本当に素晴らしいことだと思います。ありがとう、そしてこれからも映画たくさん撮ってください。必ず映画館に観に行きます!
Parce que c'etait lui. Parce que c'etait moi. ~『君の名前で僕を呼んで』#6

この作品に関して、何よりもまず惹かれるのは原題 “Call Me By Your Name” における、その語感の素晴らしさ。妙な邦題やトンチンカンな副題が付くのを何よりも恐れていたけれど、それが杞憂に終わり、心底ほっとしたのを憶えている。
そのタイトルのために、ポスターや原作の表紙に使われている手書き風のフォントがまた印象的。黒板にチョークで書いたような素朴さ、青空に浮かぶ太陽の様な黄色。エリオとオリヴァー、ふたりの若さと、そこから生まれる奔放で健全な欲望の表出のようで、心に残る。
※ここから原作のネタバレを含みます
原作小説は、全てエリオの一人称で語られる。「あの夏」 を追想し、それから20年後の 「去年の夏」 まで。もちろん、主な舞台は映画で描かれた 「1983年、夏。北イタリアのどこか」 なのだけれど、映画では描かれなかった 「その後」 のほうにむしろ、私は心を奪われてしまった。278ページ目、第三部のラストシーンから第四部「ゴーストスポット」。ここを夜、寝る前に何度も何度も読み返している。そしてその度に泣き過ぎて、頭が痛くなるのだけれど。
ルカ・グァダニーノ監督がこの映画の続編(リンクレイターのビフォアシリーズのような?)を構想していると知ったときは驚いた。けれど原作を読んでしまった今では、そう考えるのが当たり前だと思える。映画で描かれた 「あの夏」 に人生の煌めきと歓びと美しさが凝縮されているとしても、描かれなかった 「その後」 の部分にもまた、この物語の核心が宿っていると思えるから。
エリオは、17歳という年齢にはあり得ないほどの知識と語学力を有する 「世界一恵まれた(byオリヴァー)」 少年だけれど、「大事なことは何も知らない」。だから彼の頭の中は妄想と青い欲望と自意識でパンク寸前で、ジェットコースターのように感情が起伏する。それが奔流のように溢れ出る語り口は、正直少々読み辛い。だからこそ 「あの夏」 から歳月を経て、多少は自らを客観視している大人になったエリオが語る最終章は、心にすっと入ってくる。(それは私もまた、少し哀しい大人だからかもしれない)
エリオとオリヴァーの別離は、原作では映画の数段、残酷な形でもたらされる。時間、距離、社会通念、常識と呼ばれるもの。そして何より自らの 「弱さ」。様々な困難によって成就しえなかった関係。そしてそれが、長い長い年月を経ても、互いの多世界解釈、 「パラレルな人生」 (byオリヴァー)の中でずっとずっと、息づいているとしたら?
・・・それは単なる自己憐憫なのかもしれない、しかしエリオはそれでも信じたいのだ、「何ひとつ忘れない」 という言葉を。
家庭を持ち、順調に大学で地位を築いているオリヴァーに対し、エリオのプロフィールは明かされない。アカデミックな仕事に就いていること以外は、結婚しているのか、子どもはいるのか、どこに住んでいるのかもわからない。だからこそ、エリオのオリヴァーへの思慕が純化されているとも言えるのだけれど。
何度も読み返すうち、この小説の中では 「愛」 という言葉がほとんど使われていないことに気付く。そして、その言葉を使わずして、一冊丸ごとで 「愛」 というものを描写していることにも。オリヴァーの視点から、同じ物語を読んでみたいと思う。
「それは君だったから。それは僕だったから」
映画を観て映画を観て原作を読み、また映画を観てスクリプトを拾って、サントラを聞きながらパンフレットを眺める。原作を読み返しまた読み返し、次は英語版のペーパーバック。日本版のBDが出て、続編の製作発表がアナウンスされる頃までは、この情熱の時間を黙認しよう。
( 『君の名前で僕を呼んで』 アンドレ・アシマン著/高岡 香訳/オークラ出版)
(続く)
2018-05-17 :
CALL ME BY YOUR NAME :
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Later! ~『君の名前で僕を呼んで』#5

今、北イタリアの沼にハマっています。探さないでください(笑)。
左が原作本(翻訳文庫)、右上からスクリプト、サントラ、パンフレット(豪華版!)です。
スクリプトはネットで拾いました。A4で94ページ。両面コピーして2リングファイルに綴じています。
パンフレットは、1回目は呆然として気が回らず、2回目、3回目では売り切れ。再入荷するとの情報を得て、その日は土曜日だったので朝から走って買いに行きました。帰りの電車の中で、こんなにも好きになれるものに出逢えて、自分幸せだなぁ~って涙が出てきた(笑)。だって行きの電車の中でも走りたいくらいだったから。通常版もありましたが迷わず豪華版をゲット!
サントラは、一曲目がオープニングで流れていたジョン・アダムズのハレルヤ・ジャンクション! 2台のピアノの掛け合いが意味深で、めちゃ上がります。映画と同じく、美しく繊細なサウンドトラックですよ。ラテン民謡(?)みたいな謎の曲が入っていたり、ムード歌謡(?)みたいな曲もあったりしますが、ま、80年代ってことで。
そして原作。Amazon始めネット書店では軒並み売り切れで、大阪市内の大きな書店をいくつか廻っても無くて。あきらめかけていたところ、なんと自宅最寄りの書店で在庫あり! いや~、これってまさに 「青い鳥」 ですね。寝る間も惜しんで読了しました。原作の感想は次のエントリで。
(続きます)
2018-05-14 :
CALL ME BY YOUR NAME :
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I remember everything. ~『君の名前で僕を呼んで』#4

アカデミー賞脚色賞を受賞した本作、もちろん字幕版にて鑑賞。字幕翻訳はあの松浦美奈さん。『ブロークバック・マウンテン』(BBM) を訳した方です。
BBMではイニス最後のセリフが意訳され興醒めだったけれど、本作ではオリヴァー最後のセリフが名訳だと話題になっている。 「何ひとつ忘れない」。 まぁ、「全て思い出した」 だとジェイソン・ボーンになるので(笑)。
エリオの家庭はイタリア語、英語、フランス語、ドイツ語はもちろん、ヘブライ語も解するマルチリンガルな環境。一人っ子のエリオは本を読んでクラシックを編曲して、ピアノを弾く。理解のあり過ぎる両親のもと、何でも知っていて早熟だけれど、反抗というものをしない。親は 「何でも話しなさい」 と読み聞かせ&膝枕。17歳でこれ? と驚く。しかしくるくる回ったり、泣きながら 「迎えに来て」 と電話したり、まだまだ子どもだな、とも感じる。
この物語に、私は 「パールマン教授黒幕説」 という仮説(?)を立てていた。オリヴァーを招き息子に引き合わせ( 「エリオ/オリヴァー、オリヴァー/エリオ」 )、湖から引き揚げられた彫刻をオリヴァーに刷り込む(彫刻をなでるオリヴァーの指の動きと、秘密の場所でエリオに触れる彼の指のうごき!)。彫刻のスライドを見ながら 「欲望を喚起する」 とまたまたオリヴァーをけしかける(その時のオリヴァーの表情、いいですね)。そして、、、夏の終わり。傷ついた息子に向けた、あの言葉。穏やかに。敬意を払って。眼鏡を外して。一言一言が沁みて、沁みて・・・。
涙が溢れる。このセリフが聴きたくて、私は何度も劇場に通ったのかもしれない。やっぱり黒幕ですか(笑)。
彼は父親として、自分が逃してしまった歓喜を息子に与えたかったのだろう。「ママは知ってる?」 と聞かれ、少しの逡巡ののち 「知らないと思うよ」 と答える。その母も、エンディングの 「エリオ、、、エリオ?」 が素晴らしかった! その呼びかけ方が、傷ついた息子をさりげなく気遣っていて。やさしく、やさしく響いて。自分もあんな母親になりたかったと思う。
映像や音楽の美しさで観過ごしてしまいがちだけれど、エリオとオリヴァー、ふたりの表情はとても雄弁で細やか。レイバンでは隠しきれない、互いへの渇望。そして、文字通り絶対に忘れられないあのエンドロール。” I remember everything.” 何ひとつ忘れない。私も、何ひとつ忘れたくない。奇跡のような傑作だと思う。
(続く。 Later!)
2018-05-12 :
CALL ME BY YOUR NAME :
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Love My Way ~『君の名前で僕を呼んで』#3

初見では全く思い至らなかったけれど、2度目の鑑賞時、ふと思った。 「これは、もしや女の子(マルシア)が可哀想な案件なのでは?」
エリオがマルシアを誘ったのは、「裏切り者」 オリヴァーへの対抗心、「仕返し」 のため。「昨日の夜、あとちょっとでマルシアとできたのに」 わざと無関心を装って、気を引こうとする。愚かな若者がよく陥るパターン。
でも、最初からマルシアはわかっている。「キアラに怒って私といるの?」 「あなたは私を苦しめるから」。エリオは、オリヴァーに恋焦がれている。そのことを、エリオが自覚するよりも早くマルシアは気付いていたのだと思う。好きな男の子の視線の先に誰がいるのか、気付かない女の子がいるだろうか?
マルシアは、見かけよりもずっとずっと聡明な女の子なのだろう。自分は(その聡明さを) 「隠す人間だ」 と彼女自身が語っている。傷つけられても、友情という名のもとにエリオに許しを与えた彼女を、私は 「都合のいい女」 と呼びたくはない。
エリオのオリヴァーへの思慕は、それほどまでに 「わかりやすい恋」 だった。昼日中、夜通し彼の姿を追い求めるエリオ。「真夜中に会おう」 その瞬間から時間に囚われてしまうエリオ。腕時計を見て、溜息。また見て、見て、見て、見て・・・。そして視界の先にオリヴァーの姿を捕えた瞬間、時間(腕時計)を忘れる。
この映画は 「初恋」 を描いていると言われる。けれどこの初恋は淡いレモンのようなものではなく、エリオが自らを慰めるために手に取る濃厚なピーチ/アプリコットそのもの。美しい映像、木々、光、音楽、雨や風、羽音。この映画を彩る全てが、それを祝福している。
(続く)
2018-05-12 :
CALL ME BY YOUR NAME :
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"In moonlight, Jewish boys look blue". ~『君の名前で僕を呼んで』#2

この空の色。どこかで観たことがあると思ったら、アズーリだ。イタリア代表のユニフォームの色。
やっぱり、「青」 なんだなぁ、と思う。
アカデミー作品賞受賞作 『ムーンライト』 の台詞 「月あかりで黒人の少年たちは青く見える」。ユダヤ人である彼らも、私には青く見えた。
どうしていつも 「青」 なんだろう?
『アデル ブルーは熱い色』。 『藍宇』。 (オリヴァーが “Can I kiss you?” と言ったとき、“Yes,Please!” と喰い気味に言うエリオが藍宇みたいだった)
初めて会った時、オリヴァーが着ていた青いシャツ。そのシャツが欲しいとねだるエリオ。”For Oliver, from Elio” ジャックは黙ってイニスのシャツを盗んだのにね。
アーミー・ハマーがミスキャストだ、という人(某町山さんとか週刊文春のシネマチャートのひとたちとか)に言いたい。 「ヒース・レジャーはもういないんですよ」
エリオの母は、オリヴァーを何度も 「アメリカーノ」 と言う。大柄で開放的で、不遜なほど自信たっぷりで親しみやすい。「映画スターみたい」。彼のイメージはアメリカそのものだと、私は思うのだけれど。いいじゃない、ダンスが少々ダサくったって。
この映画を観た大抵の人々は、ギリシャ彫刻になぞらえられたティモシー・シャラメの稀有なる美しさと、その演技に魅了される。私ももちろんそのひとりだけれど、2度、3度と観るうち、いつしかエリオ目線になり、気がつくとオリヴァーに恋しているのだ。
視線の先に彼がいる。目に見えるもの全てが、彼に染まっていく。彼の一挙手一投足を全身全霊で感じ、ひとつになることを欲望し、ふたりの境界が曖昧になっていく。
“Call me by your name and I'll call you by mine.”
それはまるで・・・空と海。
空の青。 海の青。
だから 「青」 なんだ。ユリイカ!
(続く)
2018-05-12 :
CALL ME BY YOUR NAME :
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『君の名前で僕を呼んで』

CALL ME BY YOUR NAME
1983年、夏。北イタリアのどこか。17歳のエリオ(ティモシー・シャラメ)が両親とともに過ごす別荘に、一人のアメリカ人青年がやってくる。彼の名はオリヴァー(アーミー・ハマー)。大学教授であるエリオの父パールマン(マイケル・スタールバーグ)の助手として、6週間滞在するのだ。
オープンリー・ゲイであるルカ・グァダニーノ監督の作品は初見。ジェームズ・アイヴォリーのアカデミー賞脚色賞をはじめ、数多くの映画賞を受賞した話題作。この映画のことを知った瞬間から、楽しみで楽しみで。早く観たくて待ち切れなかった。終業ダッシュで初日に鑑賞後、今日までに3回観ました。
初見の感想は 「これは夢? それとも奇跡?」。桃源郷とはこういう場所のことなのだろうか。天国。貴族の生活。起きて庭で朝食、泳ぐかピアノ弾くかおしゃべりするか、喉が乾いたらもぎたての果物をかじる。ランチしてまどろみ、お客様が来てディナー、またピアノ弾いて寝る、のループ。これちょっと庶民の反感買いますよ(笑)。
あれ? お父様(パールマン教授)、この前までアメリカの軍事秘密基地で研究&スパイ活動してなかったっけ? イタリア人のお母様(アミラ・カサール)、タバコ吸い過ぎ、息子とスキンシップ多過ぎ、とか。何だかいろいろ些細なことが引っかかる。
中でも、「ダビデの星」。オリヴァーがIDとして身に付けるネックレスに、エリオ同様強烈なビームを喰らう。これはそういう映画なんだ、と。だからハリウッドでも大絶賛されたのでは? と穿った観方をしてしまう。
3回観た今なら、ラストシークエンスに向けて集約するための、敢えて感傷的になり過ぎないカットだったとわかるのに 「ジェームズ・アイヴォリーの演出で観たかったな」 なんて不遜なことを思ったりもした。それなのに観終わった瞬間、呆然自失。「次、いつ観よう」 「絶対にBDが欲しい」 と思ったのだった。結局私は、ティモシー・シャラメの貴いまでの美しさ、萩尾望都の描く少女漫画の主人公そのもののような彼に魅了され、この瞬間を、この作品世界を永遠に手にしたいと願ったのだった。
(続く)
( 『君の名前で僕を呼んで』 監督:ルカ・グァダニーノ/2017・伊、仏、伯、米/
主演:アーミー・ハマー、ティモシー・シャラメ、マイケル・スタールバーグ)
~ネタバレ&ラストシーンに言及します~CMBYN

こんばんは。
映画 『君の名前で僕を呼んで』 について、記事を連投します。
すべてネタバレを含み、ラストシーンに言及しています。
未見の方は、、、すみません!!
なお (承前) は略します。悪しからず。
よろしければお付き合いください。
真紅拝
2018-05-11 :
CALL ME BY YOUR NAME :
そして、私たちは本屋に帰る~ 一色文庫

初めて一色文庫さんへ。
ここは 「大阪から古本屋がすべて無くなるとして、最後に残る店」 と言われる方もいらっしゃるらしい、知る人ぞ知る場所。
一色文庫さんを知ったのは、もう10年以上前じゃないかな。日本橋にお店があった頃から、行きたくて行きたくて・・・。でも移転されて、私も日々の生活で手一杯で(映画観るのに忙しかったんやろ!というツッコミはなしで)、ご縁がなかったのですが。
先月、新聞の紹介記事を発見。なんと、再移転された先は私の生活圏内ではないですか! これは・・・運命ですね(笑)。
仕事終わりの夕暮れ。辿り着いたお店には看板もなく、ガラスの引き戸をガラガラっと開けて入店します。中に入ると、森の香り、木の匂いが。魔法にかけられたように時間を忘れ、本たちの背表紙を追ってしまいました。
ツィートがとっても面白いご主人とはレジで対面したのですが、何だか初めて会った気がしなかった。少しだけお話して、閉店時間も近かったのでお暇しました。
本はもう増やせないと思いながら、積ん読になるとわかっていてもつい買ってしまう。結局、私の帰る場所は本のあるところなのかな、と思ったり。
次は手持ちの本を持って伺おうかな。