いいんです!~『インディ・ジョーンズ/クリスタル・スカルの王国』【吹き替え版】

INDIANA JONES AND
THE KINGDOM OF
THE CRYSTAL SKULL
たーたたたー、たーたたー♪ 心弾むインディ・マーチとともに、19年ぶりに
インディ・ジョーンズが帰って来た! とは言っても正直、このシリーズに思い
入れはさほどありません。前作『最後の聖戦』はスクリーンで観ていますが、
実はどんなストーリーだったか内容忘れてます(爆)。しかし、ジョン・ウィリア
ムズの音楽を予告で聴いてしまったら最後、吸い寄せられるように観に行っ
てしまいました。面白かった~。
思い入れがない分、新鮮な気持ちで鑑賞することができたような気がします。
インディ=ハリソンくんもそんなに「老けた~」なんて思わなかったし、見慣れた
ハリソン・フォードだな、という程度。アクションもそこそこで、その分マット(シャ
イア・ラブーフ)が頑張っていたし。それに私の一番のお目当てはやっぱり
ケイト・ブランシェット!彼女の成り切り演技、今回も堪能いたしました♪

時は東西冷戦たけなわの1957年。スパルコ(ケイト・ブランシェット)率いる
ソ連兵に拉致されたインディが、ネバダの空軍施設に連行されて来るところ
から物語は始まります。彼らは強力な磁力を持つ「クリスタル・スカル」=水晶
の髑髏を求めていた。クリスタル・スカルとは一体、何なのか? ソビエトの
手に渡ってしまうのか、それとも・・・?
本作のクレジットを改めて眺めてみると、やっぱり凄い面子ですね。スピル
バーグ、ルーカス、ジョン・ウィリアムズ、ヤヌス・カミンスキー辺りは当然と
して、キャラクター原案にフィリップ・カウフマンの名前があって驚きでした。
脚本の最終クレジットはデヴィッド・コープですが、フランク・ダラボンら多くの
脚本家も参加しているとか。撮影規模といいお金のかけ方といい、ハリウ
ッド屈指のビッグ・プロジェクトだなとつくづく感じます。いっそこの映画自体
をテーマパークだと思えば、難しいことや辻褄合わせを考えるよりも、素直
に楽しんだらそれでいいんじゃないかって。

「ありえねー」突っ込みどころも満載ですが、冒険活劇ですからよしとしまし
ょう。クリスタル・スカルの正体も、個人的には納得!でした。ナスカの地上絵
って、ホント「彼ら」の仕業だとしか思えないし・・・。しかし残念だったのは、
その肝心要のクリスタル・スカルが「ちゃち」かったこと。あれじゃどー見ても
プラスチックでしょ!あと、個人的にはシャイア・ラブーフね。天下のスピル
バーグが、どうして彼のこと、そんなに気に入っているのかなぁ・・・。
しかし今回は心ならずも吹き替え版での鑑賞でした。ケイトのドスの効いた
声と、インディの「ニエット」を聴きに、もう一度字幕版で観たいと思ってます!
追記:【字幕版】観てきました! 感想はこちら⇒
(『インディ・ジョーンズ/クリスタル・スカルの王国』2008・USA/
監督:スティーヴン・スピルバーグ/主演:ハリソン・フォード、
ケイト・ブランシェット、シャイア・ラブーフ)
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テーマ : インディ・ジョーンズ/クリスタル・スカルの王国
ジャンル : 映画
賢者の贈り物~『西の魔女が死んだ』

「おばあちゃん、大好き」 「I Know」
初夏。学校に行けなくなった中学生のまい(高橋真悠)は、山の家で一人暮らしを
している母方のおばあちゃん(サチ・パーカー)の元で過ごすことになった。英国人
のおばあちゃんが「魔女修行」と呼ぶ規則正しい生活を続けるうちに、生きる活力を
取り戻していくまいだったが・・・。
原作は、梨木香歩のロングセラー小説。映画化の話を知って初めて、この本の
存在を知った。読んでみようと図書館で調べてみると、なんと既に十数件の予約
が入っていた。映画化というイベントがあるとはいえ、初版から10年以上たつ
小説にこんなに人気があるとは・・・。きっと世代を超えて、確実に読み継がれて
いる名作なのだろう。ちなみに、予約リストの私の順番はまだ回ってきていない。
すべての子どもにとって「おばあちゃん」の存在は特別な意味を持つ。見返り
など何も求めず、存在自体を丸ごと受容し、ただそこにいるだけで無条件に愛し
てくれるひと。絶対的な味方。それでいて人生のお手本であり、師でもある。
本作でサチ・パーカーが51歳にして見事に演じたおばあちゃんも、やさしく、とき
に厳しく、孫を包み込む。
「おばあちゃん、人は死んだらどうなるの?」

そして、子どもにとって「死の恐怖」もまた、成長期に避けて通れない関所のよう
なもの。どうせ死ぬのに何故生まれてくるの? 魂って何? 自分が死んでも、
周りは何も変わらないの? 繊細で感受性豊かなまいの苦しさを理解したおばあ
ちゃんは、身をもって彼女の恐怖を取り除こうとする。いつか魔法は解けるとして
も、その頃には彼女はきっと、一人で乗り越えられるだろう。
まいは笑うと宮崎あおいちゃんのように愛くるしいのに、滅多に笑顔を見せな
い。自分に自信がなく、それでいて女子の付き合いに迎合もできず、痛ましいほ
ど痩せている。自分にも、魔女の血が流れているのだろうか? 私はまいの目線
になって、おばあちゃんから様々な「魔女の掟」を学んでいる気持ちになった。
丁寧で訥々とした、おばあちゃんの言葉の一つ一つが、胸に残る。
薪で焚くかまど、風の音、したたる緑、孤高に立つ大木、たらいで足踏みしな
がら洗うシーツ。それらはまるで『トトロ』の世界のようで、エコでロハスな田舎
暮らし。しかし自然の中で暮らすということは、孤独と不便さとの闘いでもある。
まいが両親との暮らしを選んだときの、おばあちゃんの複雑な表情。「ずっとい
てほしいくらい」というのは、きっと本音だったのではないかな。そんなおばあ
ちゃんと、幼さゆえの潔癖さで対立してしまうまい。彼女がその後、2年もあの
家を訪れなかったことが悲しい。私自身も、祖母との関係を思い出して涙が止
まらなかった。ただただ、やさしかった祖母。人生はいつも、少しだけ間に合わ
ない。
人は生まれ、両親や祖父母に守られながら成長し、やがて保護者から離れ
てゆく。年長者は順に去り、思い出だけが記憶としてこの世に留まる。それが
自然な摂理だとわかってはいても、巣立ちや旅立ちにはいつも、寂しさが伴う。
おばあちゃんの魂を胸に刻んで、私もしっかりと生きてゆこう。
(『西の魔女が死んだ』監督:長崎俊一/主演:サチ・パーカー、高橋真悠/
原作:梨木香歩『西の魔女が死んだ』/2008・日本)
神童現る~『奇跡のシンフォニー』

AUGUST RUSH
孤児院で育った11歳のエヴァン(フレディ・ハイモア)は、いつか両親に会える
と信じていた。風、光、草木、月、身の回りの全てに音楽を感じ、音の導く方へ
と耳を澄ます・・・。
「フレディ・ハイモアくんの成長を勝手に見守る会」会員としては、観逃せない作品。
予告で既に"I believe in music." と涙をこぼす彼に貰い泣き。音楽が繋ぐ運命
の絆を信じ、両親に届けとメロディを紡ぎ続けるエヴァンを好演している。しかし
『ネバーランド』以来出演作が目白押しで、ちゃんと学校には行っているのだろうか、
と思わず母目線で心配になったりして(笑)。

ストーリーそのものに目新しい何かは見つけられないけれど、基本的にこうい
った「運命の呼び声」的なお話は大好き。エヴァン=オーガストは、両親と繋がっ
ている、という感覚を信じている。今は側に居なくても、いつか必ず彼らを近くに
感じることができると。ライラ(ケリー・ラッセル)の何かに耳を澄ますような表情
や、ルイス(ジョナサン・リス=マイヤーズ)の唄う愛の歌には、とても心に響くも
のがあった。彼の歌だけでなく、教会のゴスペルやオーガストのギター、ニュー
ヨークの雑踏や地下鉄など、様々な音、音、音に溢れた映画だったと思う。
特に、オーガストとルイスのストリートセッション場面のギターはよかった。
しかし、演奏技術の拙さを誤魔化すためなのか、俳優のクローズアップがやた
らと多かったのが、ちょっと残念。しかしジョナサンはライブシーンなど吹き替え
なしで演奏したようで、大したものだと感心した。

ボノを真似たというロビン・ウィリアムズやテレンス・ハワードも出演していて
結構豪華キャストなのだけれど、彼らの使い方はちょっと勿体無い気がした。
そしてかなり突っ込みどころも多い。言わぬが花とはわかっていても、一つだけ
どうしても言わせて欲しい、オーガストよ、君、いつの間に着替えたん?
オーガストが作曲したのは狂詩曲のはずなのに、邦題が「シンフォニー」になっ
ているのも不思議だった。『八月の狂詩曲』っていう黒澤明監督の映画があった
からかな? 浸り切れなかったこんな私だけれど、フレディ・ハイモアくんの健や
かな成長を祈っています。
(『奇跡のシンフォニー』監督:カーステン・シェリダン/2007・USA/
主演:フレディ・ハイモア、ケリー・ラッセル、ジョナサン・リス=マイヤーズ)
決して逃げず、引き受け、愛し、寄り添う~『ぐるりのこと。』

法廷画家で甲斐性のないカナオ(リリー・フランキー)と、小さな出版社に勤める
しっかり者の翔子(木村多江)。学生時代からの腐れ縁の二人は、翔子の妊娠を
きっかけに入籍する。しかし、産まれたばかりの娘が亡くなってしまい・・・。
橋口亮輔監督による待望の新作は、何があっても別れない夫婦をやさしい視線
で見守る感動作。「ツレがウツ」になったとき、決して逃げず、引き受け、愛し、寄り
添う伴侶を自然体で描き、人間の生きるチカラと家族の絆、愛の強さを信じさせて
くれる。考えさせられたり、圧倒されたり、心が浮き立つような映画は数あれど、
作り手に「ありがとう」と伝えたくなるような映画は、そうあるものではない。
私はもう、号泣なんてものじゃありませんでした。予告を観るたびに涙が出たのだ
けれど、本編は本当に、いいんです。

カナオ役にリリーさんを起用したのは、大博打だったのかもしれない。しかし
結果的に、橋口監督の慧眼とリリーさんの勘のよさを証明したと思う。「自然な
演技」という言葉は、役者としての蓄積がゼロに等しいリリーさんに対しては
最高の賛辞だろう。翔子に「私が死んだら泣く?」と問われ、「泣いたらそれで
いいんかな」と問い返すカナオ。父が自殺した日から、ずっと抱えてきた心の
内を語るカナオ。報道記者の安田さん(柄本明)に、「どうして逃げないんです
か?」と尋ねるカナオ。
あなたも、ずっとずっと苦しかったんだよね。苦しくないワケがないよ。でも、
一番辛いのは鬱の闇の中でもがく翔子。それがわかっているからこそ、カナオ
はいつも少しだけ笑っているような顔で、翔子にただ、寄り添う。
橋口監督の長回しも健在。自然に見せながら、相当緻密に計算されたであろう
演出と、それに応える役者たちの演技が素晴らしい。翔子の母を演じた倍賞美津
子の、人間の業を感じさせる存在感が光っていた。法廷で被告を演じた片岡礼子、
加瀬亮、新井浩文の演技も忘れられない。法廷でスケッチするカナオは、彼らを
見つめ、写し取り、時にはデフォルメもするけれど、批判も同情もすることはない。
私たちは彼の目を通して、90年代という暗い時代を追体験することになる。

この映画を観て「結婚したくなった」という意見があるようだけれど、「離婚する
のを止めた」人も多いんじゃないかな。今の時代、夫や子どもの為に我慢するな
んてアホらしい、自分の為に生きよう、自己実現しよう!みたいな風潮があると
思う。もちろん、暴行を受けたり、法を犯す相手に我慢することはない。しかし家族
が苦しんでいるとき、岐路に立っているときに、自分の欲求は抑えてもう少しだけ
寄り添ってみよう、一緒に頑張ってみよう。そんな気持ちにさせてくれる映画だと
思う。スピリチュアルな癒しだとか、ソウルメイトだとかの今風な言葉とはかけ離れ
た、もっと古臭くて忘れかけられている言葉--「偕老同穴」だとか「共白髪まで」
とか。そんな言葉がしっくりくるような作品かもしれない。
そしてこの映画、音楽がほとんど流れていない。しかし、だからこそ翔子の再生
とともに流れ始めるAkeboshiの音楽は開放感でいっぱいだ。固く閉ざされていた
心が、音感とともに目覚めてゆくような・・・。力強いメロディに後押しされた、翔子
の笑顔が美しい。
(『ぐるりのこと。』監督・原作・脚本・編集:橋口亮輔/
主演:木村多江、リリー・フランキー/2008・日本)
拡大家族に幸あれ~『JUNO/ジュノ』

JUNO
始まりは秋。同級生のポーリーとした初めてのセックスで妊娠してしまうジュノ、
16歳。彼女は子どもを産み、「完璧な里親にあげる」決心をする・・・。
インディペンド映画でありながらアメリカで大ヒット。賞レースを席巻し、アカデミ
ー賞では4部門にノミネートされ、脚本賞を受賞した話題作。十代の妊娠をテーマ
にした本作が、一体どんな出来映えなのか興味津々だった。監督は『サンキュー
・スモーキング』のジェイソン・ライトマン、主演は『ハード・キャンディ』の猟奇的な
赤頭巾こと「超人的な」エレン・ペイジ。元ストリッパーにして時代の寵児となった
ディアブロ・コディによるスラング満載の脚本は、英語がわかったらもっと楽しめた
のだろうけれど・・・。クールで尊大ぶり、「普通じゃない」ことに価値を見出そうと
する生意気盛りなジュノとは裏腹に、大いなるやさしさに溢れた秀作。うーん、
なんだか涙が止まらないぞ。

時代設定は現代のアメリカなはずなのに、画面からはナゼだかものすごく「古き
良き時代」みたいな空気を感じる。軽薄で無駄に明るい80年代でもなく、「失われた」
90年代でもなく(アメリカの90年代ってよく知らないが)。じゃあこういう雰囲気って、
70年代なのかな? そういえばジュノも、「ロックの絶頂期は77年よ!」と力説してい
たっけ。ジュノとポーリーが持っているハンバーガー型フォンや、ポーリーのヘア
バンド、ジュノの自転車なんかがそう思わせるのかもしれない。秩序を保って散ら
かしている(散らかっているように見えるように片付けている?)部屋の様子がとって
もリアル。自分も十代の頃は、あんなおもちゃ箱みたいな部屋にいたなぁ、と懐か
しかった。
里親候補のヴァネッサ(ジェニファー・ガーナー)とは、ウマが合いそうになかった
ジュノ。だけど次第に彼女が心から子どもを欲していることを感じ取り、子どもだけ
でなく「ヴァネッサを幸せにしてあげたい」と思い始める。お腹に触れるヴァネッサ
を見つめる、ジュノのやさしい眼差しが印象的。しかし彼女は音楽や映画の趣味が
合う、ヴァネッサの夫マーク(ジェイソン・ベイトマン)と親しくなってゆき・・・。
高校生が大人の男性(中身は子どもでも)に憧れる、っていう図式もまた、リアルだ。

一番素敵だったのは、やっぱりジュノのパパ。演じるはピーター・パーカーを怒鳴
りつけてる印象が強いJ・K・シモンズ。娘に「滅茶苦茶美人だけど意地悪」な女神
の名前を付ける「ユーモアセンス抜群」で懐の大きな、ジュノの最大の理解者を演
じている。こんなお父さんだったら、子どもは絶対、間違った道に行くことはないだろ
うなぁ、とシミジミ、涙、涙・・・。
アメリカが「拡大家族」社会だとは知っていたけれど、離婚/再婚、養子について
こんなにも「簡単」でオープンだとは正直驚き。タウン誌で犬やイグアナと同じように
「赤ちゃん求む」と広告が打てるなんて・・・。実子がいても養子を迎える夫婦も多い
らしいから、血の繋がりや自分のDNAを残したいという願望よりも、誰かの親になる、
という実質的な選択が社会的に認知されているのだろうな、と感じる。
だから私はラスト、シングルマザーになるヴァネッサの今後を心配してしまった
のだけれど・・・。それって「お門違い」なおせっかいなのかもしれないな、と思うの
だった。ギターを背負ったジュノがポーリーの元へ向かい、二人でデュエットする
シーンは最高! 妊娠から始まった恋でも、家族の絆や人への思いやりをしみじ
みと感じさせてくれた、心やさしき16歳の妊婦に感謝。
(『JUNO/ジュノ』監督:ジェイソン・ライトマン/2007・米、カナダ/
主演:エレン・ペイジ、マイケル・セラ、ジェニファー・ガーナー)
人生、その終幕に~『アウェイ・フロム・ハー 君を想う』

AWAY FROM HER
カナダ・オンタリオの湖畔で、穏やかに暮らす老夫婦のフィオーナ(ジュリー・
クリスティ)とグラント(ゴードン・ピンセント)。結婚44年目のある日、妻のフィ
オーナにアルツハイマー型認知症の徴候が現れる・・・。
オスカーこそ逃したものの、ジュリー・クリスティが昨年度の主演女優賞を総
なめにしたドラマ。監督・脚色はご存知サラ・ポーリー、初長編にして、繊細で
複雑な人間の「生」をリアルに描き出している。20代の女性が、こんなにも深く
厳しく夫婦と結婚、老いと性について洞察できるとは・・・。感嘆。そして、見事
に「老い」を演じたジュリー・クリスティの美しさにも驚愕。悲しみを湛えたような、
彼女の深い碧の瞳から目が離せない。

認知症に襲われる妻とその夫の物語といえば、『きみに読む物語』や『アイリス』
が思い浮かぶ。どちらの作品も、献身的な夫の愛情と病の不条理を描いた、感動
的で美しい作品だった、と思う。しかし本作は、その2作とは少し、趣を異にする。
鑑賞前はもっと情感たっぷりに「美しき老夫婦の愛」を描いた、涙腺を刺激されまく
る物語なのかと思っていた。決して「愛」が描かれていない物語ではないのだけれ
ど、愛よりリアルな「生」を描いて、結末は皮肉ですらある。
「いい人生だったと言うのはいつも男性よ、女は違うわ」
一番印象に残ったのは、クロスカントリースキーをしていたフィオーナが自分を
見失う場面。真っ白な雪原に独り、自分が誰なのかも、帰り道もわからなくなっ
たフィオーナが佇む。スキーを投げ出し、雪原に大の字に寝転ぶ彼女の表情は、
どこか解放されたような、晴れ晴れとしたものに見える。夕暮れの空に光る月。
誰もが生まれ落ちた瞬間から老い始め、死に向かっているのは動かし難い
真実だ。でもせめて死ぬまで、自分は自分でいたいと思うのが人間だと思って
いた。記憶を失い、家族の顔さえわからなくなる--そんな状態が一番怖いと
思っていた。しかし、「自分」を失いつつあるフィオーナは、逆に解き放たれてい
るのかもしれない--過去の苦い記憶や、自分を縛る「愛」、もしくは結婚から。

妻のために、自らの「罪滅ぼし」のために、名前も憶えていないマリアン(オリ
ンピア・デュカキス)との余生を選択するグラント。人間の生とは、とことん「性」
と切り離せないものなのだと感じさせる反面、それは結局、心とは別物なのだと
解釈することもできる。そしてその「心」とは、一体何処から来て、何処へ行くの
だろう?
「ゴミみたいなアメリカ映画」、「ベトナムで失敗したのに」というセリフに、サラ・
ポーリーのリベラルな反骨精神が伺えて興味深い。そしてオスカー受賞式に、
グァンタナモ収容所閉鎖を訴えるオレンジリボンを着けて出席していたジュリー
・クリスティ。昔の自分と過去の記憶に向き合いながら、今をどう生きるのか。
そしてこれからの人生を誰と何処で暮らし、どう閉じるのか。強靭な志を持つ
女性たちからのこの問いかけを、しっかりと受け止めたい映画です。
(『アウェイ・フロム・ハー 君を想う』監督・脚本:サラ・ポーリー/
主演:ジュリー・クリスティ、ゴードン・ピンセント/2006・カナダ)
橋口監督のこと。~『無限の荒野で君と出会う日』

最新作『ぐるりのこと。』が公開中(大阪では21日から)の、橋口亮輔監督の
エッセイ集。生い立ちから現在に至る、監督自身の「心の風景」が綴られてい
る。数年前、『ハッシュ!』を観て監督のことがとても知りたくなり読んだ本。
待望の新作映画の公開を前に再読してみた。
『ハッシュ!』で一番好きだったのは、田辺誠一くん演じる弟が兄にカミング
アウトする場面。頑固で古風な兄を演じた光石研の演技が素晴らしく、なん
ともやさしい気持ちになる名シーンだったと思う。ちなみに、『ハッシュ!』は
私にとって、俳優・光石研を「発見」した映画でもあった。
「ひたむきに自分を信じて日々を重ねていく。些細な積み重ねの中に必ず
小さな奇跡は起こる」。『ぐるりのこと。』は、きっとそんな映画になっている
のだろうな。監督、ずっと待っていたんですよ。
(『無限の荒野で君と出会う日』橋口亮輔・著/情報センター出版局・2004)
密やかな闇~『イースタン・プロミス』

EASTERN PROMISES
クリスマス間近のロンドン。出産直後に死んだ少女を看取った助産師のアンナ
(ナオミ・ワッツ)は、ロシア語で書かれた少女の日記を見つける。日記に挟まれた
カードを手にロシアンレストランに向かったアンナは、運転手のニコライ(ヴィゴ・
モーテンセン)と出逢う・・・。
「俺はただの運転手だ」
『ヒストリー・オブ・バイオレンス』の監督・主演コンビが再びタッグ。残酷で凄惨
な、血染めの傑作ノワールを届けてくれた。噂には聞いていたが、ヴィゴ・モー
テンセンの圧倒的かつ抑制された熱演に感電、痺れまくってしまった。くぅ~、
カッコイイ!! 惜しくも受賞は逃したが、オスカーノミネートも納得の演技。
アンナとニコライのラストシーンでは、ナオミ・ワッツに成り切ってましたから、
アタクシ(笑)。惚れたゼ・・・、ヴィゴ!

東欧からの人身売買と売春組織については、『題名のない子守唄』でも触れられ
ていた。西欧諸国では、移民問題と絡まり合って闇の組織が暗躍しているのだろ
う。本作では、近年急激に増加したロシアからロンドンへの移民と、仕事を求めて
新天地へやってくる貧しい彼らを喰い物にする、ロシアンマフィアの存在が描かれる。
自分を捨て、感情を消し、運転手から組織の中枢へ登り詰めようとするニコライ。
マフィアのボスの跡取りでありながら気弱で酒浸り、情緒不安定なキリル(ヴァン
サン・カッセル)から向けられるホモセクシュアルな思慕をも上手くとりなし、利用
すらする冷徹さ。しかし、強面で剃刀のように鋭く、ムチのようにしなやかな彼から、
不思議と殺気は感じられない。アンナに向ける微かで穏やかな眼差し、娼婦に
つぶやく一言。彼は一体、何者なのか?

物語の舞台はロンドンの狭い地域に限られ、時間軸がずらされることも過去が
フラッシュバックされることもない。12月20日から新しい年が明けるまで、ほんの
10日ほどの出来事が、正攻法の語り口と黒光りするような映像で描かれてゆく。
100分という決して長くはない尺の中で展開する、新興マフィアの跡目の行方を
巡る物語のようでいて、語り手はその合間にほんの少しの「真実」を織り交ぜてい
るのだ。
サウナでの格闘シーンは噂通り圧巻で、映画史クラスの衝撃度。素っ裸で
危険なアクションに臨んだヴィゴ・モーテンセンは、ロシア語訛りの英語、その
佇まい、全身に施されたタトゥー、醸し出す雰囲気全てで、妖気さえ漂うアウト
ローにリアリティを与えている。マフィアの儀式で語った彼の生い立ちは、どこ
までが真実なのだろう? 虚実入り混じる人生を演じながら、彼が思いを馳せ
るのは故郷の地か、それとも無残に散った少女の命か。
ニコライはこれからも独り、茨の道をゆくのだろう。彼の虚無的な眼差しに潜
む色気とやさしさが、胸震わせる。「萌え」って、こういう感情を言うのだろうか。。
やられた。参りました。
(『イースタン・プロミス』監督:デヴィッド・クローネンバーグ/
主演:ヴィゴ・モーテンセン、ナオミ・ワッツ/2007・英、カナダ、米)
テーマ : この映画がすごい!!
ジャンル : 映画
悠久の流れ~『長江哀歌』

三峽好人
STILL LIFE
中国の巨大国家プロジェクト、三峡ダム建設。世界一の巨大ダムの底に沈み
行く運命にある古都・奉節を舞台に、変わりゆく中国と変わらない市井の人々
の「生」を描く。2006年、ヴェネチア国際映画祭金獅子賞受賞作。監督は中国
第六世代の旗手、ジャ・ジャンクー。キネマ旬報の外国語映画ベストワン、朝日
ベストテン映画祭でも外国語映画第一位など、日本でも高く評価された。個人
的には「一般受けはしない作品」というのが率直な感想。とても地味な映画です。
中国の第五世代の監督たち、陳凱歌チェン・カイコーや張芸謀チャン・イーモウ
らの映画のいくつかは観てきたが、第六世代と呼ばれる若手の作品は初鑑賞。
作為や装飾のないシンプルな映像が、貧しくも逞しく、淡々と生きる人々を温か
く見つめている。

原題の「三峽好人」とは「三峡の善い人」という意味、Yahoo!の中日翻訳
では「三峡善玉」となる。英語タイトルは「STILL LIFE」=静物。紙幣に印刷
されるほど美しい三峡の景観と、静かに、息を潜めるように生きる市井の人々
を表現しているのだろう。そして邦題は「長江哀歌(エレジー)」。ウェットで
感傷的な、日本的感性に訴える優れたタイトルだと思う。
主人公は山西省からやってきた男女。一人は16年前に別れた妻子を捜す
男。もう一人はダム建設の出稼ぎに行ったまま、2年も戻らない夫を捜す女。
二人のエピソードは同じ場所で同じ時間を過ごしながらも、交錯することは
ない。
男も女も、配偶者の「今」を知っても感情はほとんど動いていないように見
える。喜びも悲しみも、痛みも全て諦観したような表情。激することも号泣す
ることもなく、淡々と事実だけを受け入れ、自分に出来る最善の道を選択す
る二人。それは国家という大きな枠に取り込まれ、悠久の歴史を閉じる運命
を受け入れるしかない、三峡の風景そのもののようでもある。

いつもランニング姿か上半身裸で、着の身着のままのような男が、携帯電話
を持っているアンバランスさ。数年で番号の桁数が増えるほど、携帯は爆発的
に普及したのだろう。加速度がついて変わり行く中国を、人々は黙々と受け入
れているように見える。しかし、数千年の歴史が僅か数年で破壊される状況は、
いつかどこかで歪みを生むのではないだろうか。
2002年の映画『小さな中国のお針子』でも、三峡ダムの底に名もない村が沈む
描写があった。治水のため、発電のため、国家の繁栄のため・・・。どんな大義
名分があろうと、失った風景は二度と取り戻せない。大切なものを置き去りにし
て、底辺の労働者を犠牲にして、河は水かさを増してゆく。
緑が目に沁みるような美しい映像は、大きなスクリーンで観たかったと思わ
せる。男が再び三峡に戻ったとき、風景はどんな顔をして、彼を迎え入れるの
だろう。
(『長江哀歌』監督・脚本:賈樟柯ジャ・ジャンクー/2006・中国/
主演:チャオ・タオ、ハン・サンミン)
一期一会~『ONCE ダブリンの街角で』オリジナル・サウンドトラック

久々に、映画のサントラを買ってしまった。『ONCE ダブリンの街角で』
1. Falling Slowly
2. If You Want Me
3. Broken Hearted Hoover Fixer Sucker Guy
4. When Your Minds Made Up
5. Lies
6. Gold
7. The Hill
8. Fallen from the Sky
9. Leave
10. Trying to Pull Myself Away
11. All the Way Down
12. Once
13. Say It to Me Now
全て映画に使用された楽曲。3.なんかはバスの中の二人の雰囲気がそのまま
伝わってきて、思わず笑顔になる。一番好きなのはやっぱり1.だけど、どの曲
を聴いても映画の場面が浮かんでくる。浮かんでくる・・・。
ああ、もう一度観たい!
DVDも買おうかな・・・。本当に、奇跡のような作品です。
Falling slowly~『ONCE ダブリンの街角で』

ONCE
I don't know you
But I want you
All the more for that...
アイルランド、ダブリンの街。ギターを抱えて唄うストリートミュージシャン
の男(グレン・ハンサード)の前に、花売りの女の子(マルケタ・イルグロヴァ)
が足を止める。 「私が聴くわ」
チェコ移民の彼女がピアノを弾くことを知り、男はセッションをしようと持ちか
ける・・。
サンダンス映画祭で観客賞を受賞し全米でヒット、アカデミー賞ではオリジ
ナル歌曲賞を受賞。授賞式での、グレン・ハンサードとマルケタ・イルグロヴァ
の感動的なパフォーマンスと受賞スピーチも記憶に新しい。日本でも公開後、
アンコール上映されるなど話題になった本作は、昨年劇場公開を観逃して
最も悔しかった映画の一つ。女の子の行きつけの楽器店でのセッション場面
から何故か涙が止まらず、鑑賞後は迷わずサントラを購入。小さな小さな映画
だけれど、心に響くメロディと歌詞、朴訥な男女の出逢いと別れが、胸に沁みる。

そういえば、この二人の名前はなんというのだろう? そう思った矢先に流
れたエンドロールには"Guy"と"Girl"の文字。名前さえない二人の、ほんの
数日間の逢瀬。言葉少なな二人の間に、魂の触れ合った軌跡のような音楽
が生まれる。誰もいない楽器店にはたくさんのギターやドラムが、生命を吹き
込まれるのを待ち焦がれている。
二人の歌が、こんなにも心を打つのはどうしてだろう? どうしても忘れら
れない、昔の彼女のビデオを観ながら曲を作る彼。そこには、どうしても唄わ
なければならない、書かれなければならない想いがある。男も、女も、互い
に惹かれ合いつつも、遠い場所に心を残しているから。

僅か17日間、手持ちカメラ二台で撮影された本作のパワーの源は、監督と
主演二人の「音楽への強い思い」に他ならない。ダブリン在住の監督には、
実際にロンドンに住む彼女がいて、ビデオに映し出される美しい「昔の彼女」
その人なのだという。グレン・ハンサードとマルケタ・イルグロヴァも撮影後は
本当に恋に落ちたというし(18歳の年の差!)、それが本作を限りなくドキュ
メンタリーに近い、手作りの温かみを感じさせる作品にさせているのだろう。
ダブリンの湿潤な空気と、銀行の融資係までロック魂を弾けさせるような、
音楽を愛する国民性が伝わる素朴な映像も美しい。
主演の二人はボブ・ディランを描いた映画『アイム・ノット・ゼア』のサントラにも、
You Ain't Goin' Nowhere のカヴァーで参加している。
バイクに乗って海岸まで走った後、彼は彼女に問いかける。「まだ夫を愛して
いる?」チェコ語で答えた彼女の返事は彼にも、観客の我々にも知らされない。
結ばれることのない出逢いでも、二度と会うことはなくても、二人の間に音楽
が生まれ、新しい人生への扉を開いた。音楽という深い絆で結ばれた二人に
たとえ距離が生まれても、それは別れではないのかもしれない。ラストシーン、
開け放った窓からメロディは風に乗り--、彼の元に届くのだから。
Take this sinking boat and point it home
We've still got time
Raise your hopeful voice you had a choice
You've made it now
Falling slowly sing your melody
I'll sing along
(『ONCE ダブリンの街角で』監督・脚本:ジョン・カーニー/
主演:グレン・ハンサード、マルケタ・イルグロヴァ/2006・アイルランド)
暗黒王子、見参!~『幻影師アイゼンハイム』

THE ILLUSIONIST
19世紀末のウィーン。幻影師として熱狂的な人気を誇ったアイゼンハイム(エド
ワード・ノートン)は、皇太子レオポルド(ルーファス・シーウェル)の婚約者で公爵
令嬢のソフィ(ジェシカ・ビール)と再会する。二人は幼い日、身分の違いから引き
離された初恋の相手だった・・。
「好きな俳優は?」と尋ねられたら、「エドワード・ノートン!」と答えていた時期
があった。『真実の行方』、『アメリカン・ヒストリーX』、『ファイト・クラブ』! どれも
大好きな映画。善と悪、天使と悪魔、純真さと狡猾さが同居したような彼の演技
に痺れまくっていた。しかし「暗黒王子」も近年は元婚約者サルマ・ハエックに
全て吸い取られてしまったのか、精彩を欠く作品が続いたように思う。本作は
昨年公開された『プレステージ』と内容や時代背景が被るので、ひょっとしてDVD
ストレート?とヤキモキしていたが、無事公開されてよかった~。アメリカでも
評判を呼んだらしいけれど、これは久々にエド・ノートンのハマリ役じゃないだろ
うか。

19世紀の中欧を再現した衣装やプロダクション・デザインにまず魅了された。
撮影は『ヴェラ・ドレイク』と同じ人と知り、納得。深みのある、ソフトフォーカス
気味の映像が、思わず息を呑むほど美しい。フィリップ・グラスの音楽はたまに
耳障りな作品もあるが(笑)、今回はその昇りつめていくような旋律が心地良い。
主人公のアイゼンハイムは多くを語らず、物語は皇太子付きの警部ウール
(ポール・ジアマッティ)の視点から、彼が見た出来事として描かれていく。
しかし、ポール・ジアマッティのこの哀愁漂う容貌はどうよ?! この人がエドと
2歳しか年が違わないって、信じられます? 苦労したのねぇ、ポールさん。。
ルーファス・シーウェルも、腹に一物ある悪役、という典型的な役どころ。彼が
出てきた瞬間に「悪役やな」って思いますから。そして主要キャストの中で、
唯一不満だったのがジェシカ・ビール。貴族令嬢らしい繊細なところが私には
見えず、特に秀でた美貌でもなく。アイゼンハイムの「夢の女」にはちと、力不足
ではないだろうか?

エドワード・ノートンは全体的に抑えた演技で、セリフにも過剰な感情は込め
ない。しかしだからこそ幻影師の正体不明な佇まいに説得力があり、失った
愛を取り戻そうとする野心が見え隠れする。そして我々はスクリーンの中で行
われるアイゼンハイムのショーを、実際に観ているかのような錯覚に陥ってし
まうのだ。劇場全体が、彼の演じる「イリュージョン」に引き込まれていた。
観客の「気」が体感できることも、映画を劇場で観る醍醐味だと感じる。
アイゼンハイムが仕掛けた逃亡のトリックは予想通りだったけれど、彼が舞台
で行った「消滅」は何だったのだろう? そもそも、彼が呼び出していた「霊」たち
も、光と影の「まぼろし」だったわけで・・・。まぁ、そんな無粋なことをいうのは止
そう。「誰かをずっと忘れられない」人間の神秘に、心地良く身を委ねた109分
だった。
(『幻影師アイゼンハイム』監督・脚本:ニール・バーガー/2006・USA、チェコ/
主演:エドワード・ノートン、ポール・ジアマッティ、ジェシカ・ビール)
陽だまり~『シークレット・サンシャイン』

SECRET SUNSHINE
密陽
若くして未亡人となったシネ(チョン・ドヨン)は、ソウルから亡き夫の故郷・
密陽へ、一人息子のジュン(ソン・ジョンヨプ)と共に移り住む。ピアノ教室を開
いたシネが新しい街になんとか馴染み始めた頃、新たな悲劇が彼女を襲う・・・。
韓国の名匠、イ・チャンドン監督の新作。『オアシス』から5年、一番新作を待ち
望んだ監督かもしれない。文化庁長官という公職に就いていた監督よ、映画界
へウェルカム・バック!という気分で、鑑賞前から期待に満ちていた。しかし相変
わらず、俳優を追い詰める監督だなぁ、というのが率直な感想。観客に対しても、
安易な感情移入は許さない、という厳格な空気を感じる。胸が痛み、涙し、考え
させられる映画です。

全編出ずっぱり、チョン・ドヨンの演技が凄い。恐ろしいほど、役に憑依している。
熱演という言葉さえ、甘っちょろく感じるほどの「激演」。この役を演じるには相当
タフでないと、精神的にも肉体的にも持たなかっただろう。眉も整えない無防備な
素顔、細身の頼りなげな立ち姿で体現する、シネの薄幸とやり場のない哀しみ。
しかし、その役作りもカンヌ映画祭での主演女優賞と、母国での文化勲章授与
で十分、報われたのではないだろうか。
そしてもう一人の主役、ソン・ガンホ。シネを見守り続ける気のいい田舎の男、
キム・ジョンチャンをこれも見事に演じている。彼がいなければ、この映画は
絶対に成り立たなかっただろうと思わせる存在感。こんなにも自然に、俗物だけ
れども愛すべきキャラクターを演じられる俳優は、他にいないのではないか。
悲嘆にくれ、精神のバランスを崩していくまさに「こわれゆく女」シネを、どんな
ときも変わらない、温かな眼差しで支えるジョンチャン。しかしただの純朴な男
というわけでもなく、上下関係を上手く立ち回り、世渡り上手な雰囲気も漂わせ
る。点滴をするシネの側に座る彼の顔が大写しになったとき、理解した。「神」と
は、彼のことなのだと。

映画冒頭、車のフロントガラス越しの青空が映し出される。助手席に座る、父
を亡くしたジュン。同じように空を見上げた警察車両の中のシネは、あのときの
息子の不安や孤独を理解したのだろうか。
密陽を訪ねてきた弟との会話で、シネと父との間には確執があることがわかる。
シネは父から逃れるために、若くして結婚したのかもしれない。
教会で、集会で、繰り返される「天にまします我らが父(アボジ)よ」という祈りの
言葉。父を得たシネは、束の間心の平安を取り戻したかに見える。長年の溝を
埋めるかのように熱心に信心し、父に近付き、同化しようとするシネ。しかしそこ
でまた、新しい「父」も、自分を完全に理解してくれる存在ではないのだと思い知
らされる。ここから、彼女の真の苦難が始まる。
父とは、父性とは、子を教え導くものだ。「父性の喪失」故に、彷徨い続けるシネ
の魂を、救えるものは何なのか? 本作の主題を、悩み苦しむ者にとっての宗教
の意味、と捉えることもできるだろう。監督がその問いを投げかけていることは
疑いようがない。しかしラスト近く、ジョンチャンは生活の一部としての宗教を受け
入れている。そこに行けば心が落ち着くと。ここで監督は、信仰を持つこと自体を
決して否定はしていないと感じる。
「救い」は他者からもたらされ、「許し」は自らの心の内にある。どちらも目には
見えない。不完全な世界、不完全な人々。天を見上げ、父に反発するかのよう
に彷徨うシネが、地に足をつけて太陽の陽射しを感じる日は訪れるのだろうか?
その陽だまりは柔らかく、温かく、やさしい。
(『シークレット・サンシャイン』監督・脚本:イ・チャンドン/
主演:チョン・ドヨン、ソン・ガンホ/2007・韓国)
苦い人生に甘いパイを~『ウェイトレス ~おいしい人生のつくりかた』

WAITRESS
田舎町のパイ・ダイナーでウェイトレスとして働くジェナ(ケリー・ラッセル)は、
ワンマンな夫アール(ジェレミー・シスト)に支配される辛い日々を送っていた。
家出を決意した彼女だったが、予期せぬ妊娠が発覚して・・・。
不幸な境遇にあったウェイトレスが、妊娠という人生の一大事に直面。悩み、
葛藤しながらも自分の足で歩み始めるまでを描いた、心温まる人生賛歌。監督
のエイドリアン・シェリーが妊娠8ヶ月のときに書き上げたという脚本は、女性な
らではのリアルと、辛辣な本音が満載。ありふれた「母性神話」など吹き飛ばす
に足るユーモアと、心震わせる名セリフが散りばめられている。低予算で撮られ
たインディペンデント映画であり、主演のケリー・ラッセル以外は地味な顔ぶれ。
洗練された映画だとは言い難いが、しかしこれはもう、絶対、観て観て!と言い
たくなるくらい、素敵な映画です。映画って、やっぱり脚本なのかなぁ。
私はジェナに、思いっきり感情移入して観てしまった。彼女と一緒に泣き、笑
い、嘆き、恋をした。監督が映画の完成直後に亡くなったという話は知っていた
けれど、出演もしていたとは。。ジェナの同僚の一人、冴えないドーン。とって
も愛すべきキャラでした。合掌。。

ジェナの「アールに感情を殺されたの」と言うセリフは身につまされる。言葉の
暴力や無視を受けることは、肉体的な傷はなくとも、精神的に少しずつ殺されて
いくことだと思う。心を閉じて感情を殺さないと、自分が内側から壊れていく。
自分は幸せではない、と自覚しているジェナ。彼女を見て、あんなダメ亭主から
どうして早く逃げないの、とイラつく人も、もしかしたらいるのかもしれない。
そんなジェナにとって、パイ作りは特技であり、現実逃避の時間でもあった。
辛い現状を、パイの新しいレシピに変えてしまう才能。色とりどりのパイを焼き
ながら、あんなにもスリムなジェナが羨ましい!

妊娠し、行き詰ったジェナが、ポマター先生(ネイサン・フィリオン)を求めたの
はごく自然な成り行きだと思う。彼女には「黙って20分間抱き締めてくれる」相手
--話を聞いてくれて、自分を人間として扱ってくれる誰か--が必要だったのだ
ろう。でも、彼女はそれが「いけないこと」だと本当はわかっている。頭では理解し
ていても、心と身体は反応してしまう。。そんな彼女を、一体誰が責められるだろう?
この映画の一番好きなところは、妊娠を単純に「素晴らしい体験」だと謳っていな
いこと。超音波の胎児画像は「エイリアン」だし、変わっていく体型と重たいお腹は
ジェナを拘束する「憎きもの」でしかない。極めつけは「育児が地獄だなんて、誰も
教えてくれなかった」というセリフ! 地獄に仏も必ずいるのだけれどね。
コツコツ貯めた金はアールに見つかり、出産の覚悟もないままに破水してしま
うジェナ。妊娠期間中、結局一度もお腹の子どもに愛情を抱けなかった彼女が、
我が子を抱いた瞬間に母親になる場面は感動的だ。『サラエボの花』を思い出す。
生まれたての赤ん坊ほど、美しいものがこの世にあるだろうか? そして母親と
なった彼女は、もう怖いものなどない。本当は分娩時のハイテンションホルモン
が言わせた夫への啖呵を、ずっと彼女を見守ってきたダイナーのオーナー、ジョ
ー(アンディ・グリフィス)の厚意が後押しする。ジェナ、君はただのウェイトレス
じゃないんだよ、人生はやり直せるんだよ・・・。
女の子を産んだジェナは、娘と同志として、共に生きてゆくのだろう。母から
娘へと受け継がれてゆくパイの味。人生は苦い、だから甘いパイを食べよう!
社会的弱者である女性が直面する現実と、世知辛い人生をどっこい生き抜く
しぶとさをも描いた佳作。こういう映画に出逢うと、心からうれしくなる。
私にもし娘がいたら、見せたい映画だな。
(『ウェイトレス ~おいしい人生のつくりかた』
監督・脚本:エイドリアン・シェリー/主演:ケリー・ラッセル/2007・USA)
パラレルワールド~『運命じゃない人』

「電話番号をなめんなよ」
平凡で気弱なサラリーマンの宮田(中村靖日)は、同棲していたあゆみ(板谷由夏)
に振られて落ち込む日々。ある日、中学時代からの親友で探偵の神田(山中聡)から
連絡が入る。「今すぐ出てきてくれよ、あゆみちゃんのことで話がある」
『アフタースクール』内田けんじ監督のデビュー作。カンヌ映画祭の批評家週間に
出品され、国内外で絶賛された作品。たった12日の撮影期間、無名の俳優たち、
一台のカメラより安い予算でも、練り上げられた脚本があればいい映画は必ず作
ることができるという見本のような映画。人探し、探偵、中学の同級生、男同士の
友情、その筋の人たち・・・。『アフタースクール』との類似点が結構ある。もちろん
どちらも「すっごく面白い映画」っていうのが一番の共通点だ。
「早く地球に住みなさい!」「やだ」

映画は東京郊外の街のある夜を、5人の登場人物の視点で時間軸をずらしながら
三部構成で描く。宮田が惚れたあゆみは、実は年齢詐称した結婚詐欺師。彼女が
ヤクザの組長・浅井(山下規介)の金数千万を持ち逃げし、逃亡の手助けを神田に
依頼したところから全ては始まっていた。そこに婚約者に裏切られ、絶望した真紀
(霧島れいか)が絡んで・・・。
内田けんじ監督は、男同士の友情や義理を信じている人なんだな、と感じる。
逆に言えば、女性に過大な憧れや畏怖を抱いている人なのかも(笑)。いい加減
そうで口が上手くて世渡り上手な浮き草稼業の神田が、人間離れした人のよさと
誠実さゆえに、騙されやすい親友の宮田を真剣に心配しているのにジーーンと来る。
「30過ぎたら運命の出逢いなんてないんだよ。文化祭もクラス換えもないんだ、自分
で何とかしなきゃ」なんて、監督の人生観を激しく反映したセリフもいい(ちなみに、
私の人生観は監督とはちょっと異なる)。
同じ場所にいて同じ一日を過ごしても、人によって見える世界は全然違うんだ
な。自分は身の回りのことでさえ、きっと半分も見えていないしわかっていない
んだと思う。宮田のように人を疑うことを知らずに生きていけたら、ある意味、何度
裏切られようが傷つこうが幸せなのかもしれない。
しかし、こんなにも知らない役者さんばかり出ている映画を初めて観た。低予
算だからそれは必然なのだろうけれど、どうしても華やかさには欠ける。しかし
ノー・スター映画でも、適材適所で面白い作品はできるのだな、と再認識。特に
宮田と真紀ちゃんは、よくあんな薄幸顔(失礼!)の役者さん、探したなぁと感心
してしまう。中村靖日さんって、『もののけ姫』に出てくる「こだま」みたい。


運命だ、なんて思っていても、それは偶然じゃなく誰かが張り巡らせた必然な
のかもしれない。この作品の予告さえ観ることなく、予備知識ゼロで鑑賞できた
ことは本当に幸運だった。これってやっぱり運命、それとも必然?
(『運命じゃない人』監督・脚本:内田けんじ/2004・日本/
主演:中村靖日、霧島れいか、山中聡、山下規介、板谷由夏)
テーマ : この映画がすごい!!
ジャンル : 映画
数字の天才~『ラスベガスをぶっつぶせ』

21
Winner, winner, chicken dinner!
憧れのハーバード・メディカルスクールに合格したMIT4年生のベン(ジム・スター
ジェス)は、オールAの優等生。親友とロボット研究のサークルを作るオタク系学生
の彼は、スーツショップでバイトしながら、学費の捻出に頭を痛めていた。そんな
彼の頭脳に注目した教授(ケヴィン・スペイシー)から、ベンはある研究チームに
勧誘される・・・。
アメリカで実際に起こった事件の当事者が書き、ベストセラーになったノンフィク
ションを基にした作品。ここ数ヶ月、劇場に行くと必ずこの映画の予告が流れて
いた印象がある。それほど期待していたわけではないし、予告に食傷気味だった
ので鑑賞を見送ろうかとも思っていたのだけれど、案外楽しめた。やや長く感じた
し中だるみはあるけれども、気軽に楽しめるエンタメ作品だと思う。

予告の時から思っていたことだけど、学費(生活費も含めて)が30万ドル、って
高すぎませんか? 今、日本の大学で学費がどれ位かかるのか知らないけど
(もっと高かったりして)、勉強するのもお金次第なんだなぁ、と身につまされる。
日本では親が教育ローンを組むことも珍しくないけど、アメリカでは全く親掛かり、
ってことはないのだろう。特にベンのように母子家庭で育った孝行息子なら、親
の援助なんて端から期待していないはず。時給8ドルのスーツショップよりも、
自分の頭脳を活かして荒稼ぎできるカジノのほうが魅力的に決まっているでしょう。
だから私は、彼がしていることが悪いことだとは思わなかった。記憶力と度胸
のある貧しき若者よ、楽しみなさい!という感じで。しかし、薄灰色のボストンと
ネオン煌くベガスの二重生活を送るうちに、ベンの中で何かが狂い始める。
学費のために始めたはずだったブラックジャックの魔力にハマリ、進学ではなく
金儲けが彼の目的となってゆく。情熱を傾けてきたロボット研究も、親友も捨て
てしまうベン・・・。と、ここまでは定石通りの展開。そんなベンを待っているのは
当然、コースターの急降下なんですね。。

本作が初お目見えの主演、ジム・スタージェスくん、いいですね~。演技に深
みがあるとは言い難いけれど、細長い身体に乗る小さな顔が童顔でキュート。
仔犬系フェイスが母性本能をくすぐるタイプかな? これからブレイクするかも、
ジェイクとタイプが似てるよ~、キャラが被るんじゃないでしょうか。
プロデューサーも兼ねるケヴィン・スペイシー、腹黒い小悪党が実にハマって
ます。カジノの用心棒ローレンス・フィッシュバーン、怖いです。ベンの仲間の
太ってないほうの彼、誰だったかな~、どっかで観たな~、と思いつつ、途中で
わかって大笑い。『アメリカン・ドリームズ』で弾けてた彼でした。
ベンほどの頭脳があれば、これからどんなことだってできると思う。まだ21歳、
ガンバレ若人よ! でも、頭がいいだけじゃダメなのよ、スマートにね。
(『ラスベガスをぶっつぶせ』監督:ロバート・ルケティック/2008・USA/
主演:ジム・スタージェス、ケイト・ボスワース、ケヴィン・スペイシー)
花盛りの男たち~『蜷川妄想劇場』

mika's daydreaming theater
”妄想とは、眼を閉じて「脳を暴走させる」ことである” by 内田樹
月刊誌『MORE』において、2004年11月号から2006年12月号まで連載された、
写真家蜷川実花による「女子のための正しいグラビア」。登場する旬の男たち
は以下。
塚本高史 (青空のカウボーイ)
森山未來 (告白)
小栗旬 (好色一代男)
加瀬亮 (罠)
堺雅人 (斜陽)
成宮寛貴 (薔薇の詩)
伊藤淳史 (奇術師の光と影)
安藤政信 (恋の毒)
松田龍平 (隠世の男)
小出恵介 (挑戦者)
大森南朋 (放浪記)
大泉洋 (ココロの救命救急医)
劇団ひとり (文豪の恋)
松山ケンイチ (若き将校の憂鬱)
阿部サダヲ (後夜祭のヒーロー)
妻夫木聡 (愛の薫り)
カッコ内の妄想テーマにしたがってコスプレし、まぁ皆さん悩ましいの何の・・・。
巻末に、撮影時のエピソードなど著者によるエッセイ「蜷川実花的妄想のツボ」も
収録。私は当然、小栗旬くん目当てでしたが、彼の他には大森南朋さんなんか、
すっごい素敵!です。もちろん他の方々も、実花さんらしい極彩色のイメージの中
で、様々な顔を見せてくれています。ファンの方は必見よ~。
ちなみに実花さんによると、小栗くんは「ハワイみたいな男」なんだそうです。
メジャーだけど奥深さもあり、「ハワイなんて」と興味なさげにしていた人でも、
一度行けば大好きになる!「ハワイが最高!」ってなる、と。なるほど~。
欲を言えば、サイズ的にもう少し大きな版で見たかった、というのはあるかも。
大学ノートくらいの大きさの本にしてもよかったんじゃないかなぁ。
(『蜷川妄想劇場』蜷川実花・著/集英社・2008)
企て、もしくは迷走劇~『ブレス』

BREATH
カリカリと、壁を引っ掻く歯ブラシの耳障りな音。囚われ、死を待つ男たち。。
夫の浮気に苦しむ主婦(チア)は、死刑囚のチャン・ジン(チャン・チェン)が
獄中で自殺を図ったことを知る。チャンの面会に刑務所を訪れた彼女は、一面識
もなかったチャンに惹かれて・・・。
キム・ギドク14作目となる本作は、台湾のスター張震チャン・チェンを主演に、
またしても痛々しい愛の顛末を独自の感覚で描いている。ギドク作品は好んで
観るが、劇場鑑賞するのは今回が初めて。張震チャン・チェンとギドクのコラボ
ということで、随分前から楽しみにしていた作品だったのだが・・・。
今回初めて、ギドクに対して「引いた」。今までの作品ならどんな残酷描写でも、
突っ込みどころ満載でも受け入れられたし、自分の中で消化してきたつもりだっ
た。だけど、今回だけは首をひねってしまった。ちょっとショック・・・。

その「引き」は、あの人妻の行動があまりにも唐突で理解不能だったから。彼女
が場違いな服装とテンションで歌い出したとき、思いっきり爆笑できたらよかった
のかもしれない(間違いなく一人で観ていたら笑っていたと思う)。しかし、劇場
内のあまりに張り詰めた冷たい空気に、反応することができなかった。全く似合
わないミニのワンピースを着て、やけっぱち気味に唄う彼女の姿は痛い!
灰色の面会室に張り巡らされた極彩色の壁紙を、ビリビリとはがし焼却していた
のは、彼女自身の「過ぎ去った季節」を葬っていたのだろうか。
そして、気になるのは彼女を刑務所内に招き入れた保安課長の視線。監視モニ
ターに映る影、彼は一体、何者なのか? 我々の疑心が頂点に達したとき、電源
の落ちたモニターにくっきりと映し出されるそのサングラス姿は・・・。キム・ギドク!
全ては彼の企てであるという種明かしなのか、この映像世界を支配しているのは
自分なのだという威嚇なのか。その意図が量りかね、虚構と現実の折り合いをつ
けるべき接点が見つけられず、戸惑うばかりだった。人妻の迷走は、ギドク自身
の迷走なのか。それとも、彼が仕掛けた罠なのか・・・。
監獄の中、無言で繰り広げられる男同士の愛憎。人妻と死刑囚の関係よりも、
そちらの方がより「ギドクの世界」だったように思う。夫と娘という「戻るべき場所」
がある主婦よりも、死よりほかに行き場のない、若い囚人の嫉妬や欲望に、より
リアルを感じる。チャン・ジンを見つめる彼の瞳、流れる一筋の涙が切な過ぎる!
息の根を止める。それは愛が反転したところに生まれる殺意だ。
張震チャン・チェンは期待に違わぬ熱演。死刑囚の残酷さや孤独、生への執着
などを、セリフなしで表現する目力が凄い。撮影期間は僅か4日で、初めは凄い
プレッシャーを感じたという。
男を愛する女、もしくは男を愛する男の情念と、愛されるものの身勝手さを描
いていながら、こんなにも「わからない」と感じたギドク作品は初めてだ。次回作
は我らがオダギリジョー主演。さて、どうなりますか・・・。

(『ブレス』監督・製作・脚本:キム・ギドク/2007・韓国/
主演:チャン・チェン、チア、ハ・ジョンウ、カン・イニョン)
何処にも行けない~『大人は判ってくれない』

LES QUATRE CENTS COUPS
フランソワ・トリュフォーの長編デビュー作。パリの街で、親に見捨てられる
少年を描いたモノクロの傑作。カンヌ映画祭において監督賞を受賞し、彼は
弱冠27歳にして「ヌーベル・ヴァーグ」の寵児となった。本作には、トリュフォー
自身の実体験が投影されているという。
ケン・ローチの『SWEET SIXTEEN』の感想記事に、「ラストシーンで『大人は
判ってくれない』を思い出した」というコメントをいただいていた。気になりつ
つ、手持ちのDVDにてやっと鑑賞。コメントをいただいた方、ありがとうござい
ました。確かに、ケン・ローチも意識したのではと思わせる場面でした。
ヌーベルヴァーグやトリュフォーについて、私は語る言葉を持っていない。
だからこの映画を観て、感じたことを率直に書きたいと思う。邦題は意訳ら
しいけれど、名訳だと思った。

この映画に出てくる大人たちは、どうして揃いも揃ってこんなにもイラついて
いるのだろう? アントワーヌ(ジャン=ピエール・レオ)の母、継父、教師、看守
たち。皆彼を邪険に扱い、厄介者として忌み嫌う。街の女たちは出産時の体験を
殊更悲惨なものとして語り、4人目の子どもを産むという話を聞いて「ぞっとする」
と言い放つアントワーヌの母。
日本は特別子どもを可愛がる慣習の国だと聞いたことがあるが、かといって
欧米の子どもが皆、アントワーヌのような成育環境ではないだろう。彼はごく
普通の、いたずら好きな少年に見えるし、お手伝いも宿題もやろうとしている、
バルザックを読む本好きだ。学校をサボって回るローターに乗るアントワーヌ
が、遠心力で吹き飛ばされそうになっても無邪気に笑っている場面が物悲しい。
去り行くパリの街の灯に涙する彼に、胸がいっぱいになる。
「大人は誰でも昔は子どもだった。しかしそのことを憶えている大人は、いくら
もいない」と言ったのは『星の王子さま』のサン・テグジュペリ。そういえば彼は
フランス人で、ファーストネームは「アントワーヌ」だ・・・。

そしてラスト、海に向かって走りに走るアントワーヌ。あんなに見たかった
海なのに、そこは行き止まり、それ以上もう何処にも行けない。。カメラを見
据えるアントワーヌに「FIN」の文字が被さる幕引きは、忘れられない名場面だ。
自戒しよう。 忘れていないか? 子どもの頃のことを。
成っていないか? 子どもの気持ちを忘れた大人に。
(『大人は判ってくれない』監督・製作・脚本:フランソワ・トリュフォー/
撮影:アンリ・ドカエ/主演:ジャン=ピエール・レオ/1959・仏)
規格外の男~『越境者 松田優作』

萩原健一の『ショーケン』を読んだとき、松田優作についてこんな記述があった。
「あいつは俺の真似ばかりしていた」
松田優作といえば、没後20年たった今もその唯一無二の存在感と演技で伝説
的な俳優。その彼がショーケンの「真似」をしていただなんて、妄想じゃないの・・・?
しかしショーケン同様、松田優作のことも自分はあまり知らない。そう言えば、
つい最近も大阪駅の構内でグンゼのでっかいポスターを見かけた。今の10代、
20代の人たちは、彼をどう思っているのだろう?
ショーケンほどスキャンダラスなイメージは無いにしろ、松田優作もワイドショー
的話題には事欠かなかった人物だったような気がする。離婚・再婚報道は記憶
に残っているが、暴力沙汰で逮捕されたこともあったらしい。本作では出生の
秘密や生い立ち、国籍のこと、闘病や死についても詳細に語られている。
そして、「彼はいつも誰かの真似をする奴だった」ということも。自分を大きく
見せるために、空手の有段者だとか、血液型をAB型だと詐称していたことも。
ショーケンの言い分は、真っ当だったということなのか・・・。ちょっとショック。
しかし本作は彼の人格や素行を糾弾するような内容では決してなく、一番身近
な人間だけが触れることの出来た「伝説の素顔」を余すところなく伝えている。
そこには賛美も装飾もない、剥き身のヒーローがいる。
元妻である著者は、松田優作については愛憎半ばする思いがあると言う。
無名時代から苦楽を共にした同志に裏切られた悲しみよりも、松田優作と言う
稀有な才能を失ってしまった無念さが溢れる作品だ。『越境者』というタイトル
には、国境もジャンルも超越して、演技だけを突き詰めようとした彼の孤独が
滲んでいる。
(『越境者 松田優作』松田美智子・著/新潮社・2008)