郷愁~『小さな中国のお針子』

BALZAC ET LA PETITE TAILLEUSE CHINOISE
「何がお前を変えた?」 「バルザック」
1971年、文化大革命下の中国。知識階層は「反革命分子」とされ、山奥の貧村
へ「再教育」の名の下に下放されていた時代。医者の息子であるルオ(チェン・クン)
とマー(リィウ・イエ)も、その過酷な試練にさらされていた。そんな二人の前に、
山向こうの村からやってきた美しいお針子(ジョウ・シュン)が現れる・・・。
在仏中国人作家ダイ・シージエの原作『バルザックと小さな中国のお針子』を、
著者自身が脚色・監督した作品。瑞々しい自然を美しく捉えた映像、琴線に触れ
る恋、若さゆえの痛みと芸術への憧憬が、柔らかなヴァイオリンの調べとともに
情感込めて描き出される珠玉の佳編。この映画大好きです!
文革の時代の物語は悲惨で重いものが多く、あまり好んでは手に取らない。
本作も、ルオとマーが苦役に従事させられる冒頭は胸が痛む。しかし、お針子が
登場した途端、物語は活き活きと、軽快に動き始める。

電気もなく、時計すら存在しないような山奥の村。都会っ子のルオとマーには、
世界の果てに置き去りにされた気分だったことだろう。唯一の救いはマーが奏で
るヴァイオリンと、お針子に読み聞かせる西洋小説だった。
リィウ・イエとチェン・クンの二人がとてもいい。長身で控えめなマーと、虚弱だ
が小賢しいルオ。お針子への思いを真正面からぶつけるルオ、恋心を内に秘め、
何十年も抱き続けるマー。特に監督の実体験が投影されたリィウ・イエの繊細な
演技、低音のナレーション、何度か繰り返される「ぶっかっち」(結構ですよ、お構
いなく)が快く響く。
二人の青年に囲まれたお針子も、天秤にかけるような真似はしない。ルオと結
ばれ、バルザックを好きになり、マリンルックが僻村に溢れる場面は微笑ましい。
文盲で無学な村長たちも、映画の話を聞きたがり、モーツァルトのメヌエットを
美しいと感じることができる、愛すべき温かいキャラクターだ。悲惨な時代であ
っても、人々の良心的な感情やユーモアを損なうことなく描き出しているところ
にも好感する。

お針子を助けたいと産婦人科を訪ね、医師の朗読する小説の一節に涙するマー。
あの時代、どんなに求めても得られなかった「自由」への渇望。「生まれ変わった」
お針子のために、悲しい記憶を甦らせる音楽を封印するため、身体の一部以上の
存在であるヴァイオリンを売ったマー。お針子を変えたのはバルザックではなく、
友情と愛情のために、自らを犠牲にすることも厭わないマーの思いやりだったの
かもしれない。
三峡ダム建設のために、沈み行く再教育の村。パリのマー、上海のルオ、そし
て香港に去ったというお針子の思いは、永遠に湖底に留まる。辛い記憶、封印し
てきた過去は去り、ノスタルジーだけが恋の輪郭をなぞり続ける。。
そして、彼女なくしてはこの映画の成功はなかったとさえ思える、ハマリ役の
ジョウ・シュン。永作博美に似ているといつも思うけれど、長い髪を切り、前髪
を縛った彼女は「千秋」に見えてしまった。
(『小さな中国のお針子』監督・原作・脚本:ダイ・シージエ/
主演:ジョウ・シュン、リィウ・イエ、チェン・クン/2002・仏、中国)
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正義は死なず~『フィクサー』

MICHAEL CLAYTON
真っ暗なスクリーンに白く、小さく浮かび上がるタイトルロール。聞こえてくる
のはトム・ウィルキンソンの声。"Michael. Dear Michael."
異様なテンションの、闇からの呼び声のような長い、長いモノローグが始まる。
NY最大の弁護士事務所でトラブル処理専門の「掃除屋」を請け負うマイケル・
クレイトン(ジョージ・クルーニー)。「フィクサー」という邦題から、重大事件の裏で
暗躍し、顧客を救うスーパーマンのような主人公をイメージしていたのだが、その
予想は軽く裏切られる。法廷弁護士を目指して検事から弁護士に転身するも、
裏稼業に埋没し、副業のつもりのレストラン経営も破綻。借金まみれの一文無し、
心の安らぎは離れて暮らす一人息子だけ。そんな「負け組」寸前、いやだからこそ
人間味溢れる主人公マイケルを、ハリウッド随一の「勝ち組」ジョージ・クルーニー
が陰影深い表情で演じている。
2007年度のアカデミー賞において、作品、主演男優、助演男優、助演女優、
監督、脚本、作曲の7部門で候補となり、ティルダ・スウィントンが助演女優賞を
獲得。英国アカデミー賞とダブル受賞した。監督・脚本は本作が初メガホンであ
るトニー・ギルロイ。彼が長年温めてきた企画であるというだけに、ほとんど瑕の
ない見事な完成度の作品。熟練の技さえ感じさせる。しかし、考え抜かれた緻密
な脚本・演出であるが故に、観客にも前のめりな集中力を要する、気楽な娯楽
作品とは一線を画す作品となっている。

巨大農薬企業による汚染と訴訟という軸になるストーリーは『エリン・ブロコビッチ』
を彷彿させるが、本作が描こうとするのは巨悪VS.被害者というわかり易い図式で
はない。被害者の視点は最小限に留まり、巨悪が作り出す闇の中で、それぞれの
光を求めてもがく三人の弁護士の生き様が、人間の弱さ、不完全さを浮かび上が
らせながら描かれて行く。
この映画に深みを与えているのは、登場人物たちの立体的なキャラクター設定と、
彼らに文字通り命を吹き込んだ俳優たちの演技だろう。本作の悪役、企業弁護士
のカレン(ティルダ・スウィントン)は、邪魔者を冷徹に「始末」しながら、腋汗をかき
スピーチのリハーサルを繰り返す。上り詰めたら最後、梯子を外されたような重圧。
人間が悪に飲み込まれる恐ろしさがじんわりと伝わってくる。良心の呵責から精神
のバランスを崩壊させるエリート弁護士アーサーも、トム・ウィルキンソンが演じた
からこそ、狂気と正義感と生命力を兼ね備えたキャラクターになり得たと思う。
そしてジョージ・クルーニーを加えた主役三人のトライアングルに引けを取らない、
弁護士事務所経営者マーティを演じるシドニー・ポラックの存在感。彼は製作も兼
ね、クルーニーとともにこの作品の影の立役者と言えるだろう。製作総指揮には、
故アンソニー・ミンゲラも名を連ねている。

アルコール依存だったり、ギャンブル中毒だったり、ひき逃げをもみ消そうとした
り、人間は皆、不完全だ。志を持って選んだ職業でも、自らが夢見、描いた未来
予想図とは程遠い。それでも、息子に人生を諦めるなと諭すマイケルの真摯な表情
が心に残る。
ラスト、「破壊の神」が自らに許した、50ドル分の感傷。安堵、不安、希望、諦観、
そして少しの後悔。NYという街、アメリカという国の混沌が消し去ろうとしても、
正義はきっと死なない。
"Give me fifty dollars worth. Just drive."
(『フィクサー』監督・脚本:トニー・ギルロイ/2007・USA/
主演:ジョージ・クルーニー、トム・ウィルキンソン、ティルダ・スウィントン)
アメリカよ、何処へ行く~『大いなる陰謀』

LIONS FOR LAMBS
9・11同時多発テロから6年、出口の見えない対テロ戦争に疲弊するアメリカ。
ワシントンでは野心家の上院議員アーヴィング(トム・クルーズ)がベテランジャ
ーナリスト、ジャニーン・ロス(メリル・ストリープ)との単独インタビューに臨んで
いた。同じ頃、ロサンゼルスの大学教授マレー(ロバート・レッドフォード)は、
才能に恵まれながらも無気力なゼミ生トッド(アンドリュー・ガーフィールド)と面談、
自ら志願して入隊した教え子たちの話を聞かせていた。彼らが赴いたアフガニス
タンでは、アーヴィングの指示した新たな作戦が始まろうとしていた・・・。
ロバート・レッドフォードが監督、製作し、自ら主演したリベラル系社会派ドラマ。
決して派手さはないが、観るものに「あなたならどうする?」「君はどう生きる?」
と問いかけてくるような、じっくりと、セリフの一つ一つを噛み締めながら鑑賞し
たい作品。邦題から連想するようなサスペンス色はさほどない。

少し前に、『ルポ 貧困大国アメリカ』(堤未果・著)という新書を読んだ。感想
は書けなかったのだけれど、そこに記されていたアメリカの現実が、登場人物
たちのセリフに投影されているように思った。同時多発テロの後、アメリカのジャ
ーナリズムがどう変質したか。巨大資本による三大ネットワークの買収により、
広告や視聴率最優先の報道がなされてきたこと。貧困が生み出す教育環境の
破壊と、学費免除に惹かれて志願兵となる若者たち。しかし運よく帰還できた
彼らを待ち構えている厳しい現実、など、など・・・。今、まさに起ころうとしている
危機から目を逸らさず、現実に立ち向かおうとする愚直なまでの映画人・レッド
フォードの志には敬意を表したいと思う。
上昇志向の塊のような男・アーヴィングを演じたトム・クルーズはまさしくハマリ
役。彼に利用されようとしている瀬戸際ジャーナリスト・ジャニーンを演じたメリル
・ストリープもさすが! 彼女がベトナム戦争の話を持ち出す度に、『ディア・ハン
ター』を思い出す。ワシントン、ロサンゼルス、アフガニスタン、三つの異なる場所
の同じ時間に起こる出来事を描いた作品であるが、ロスのパートが少し、もたつ
いている印象を受けてしまった。レッドフォードは「本人」役のような大学教授を
演じて、それはそれで納得の演技なのだけれど、ちょっと「しゃべり過ぎ」感が
あったような気がする。「しゃべくり」はトムとメリルに任せてもよかったのでは?
しかしそれでは希望を託すべき若い世代、トッドの存在が生きてこないし、悩ま
しいところではあるが・・・。
ラストシーンの後、トッドの答えは「オールB」だったのだろうか?

最前線で行動しようとする者、犯してしまった過去の過ちに苛まれながら、自
らの信念を貫こうともがく者。若さの上にあぐらをかき、無関心に生きる者。そ
れぞれの運命が、アメリカという国と共にある。彼らは、アメリカは、どこへ行
こうとしているのだろう?
この映画をアメリカの人々はどう観たのだろうか? エンディングのグラフィ
ックに「VOTE」と出たのはあまりに直裁過ぎる気がしたけれど、大統領選の
行方が、やはり気になる。
(『大いなる陰謀』監督・製作兼:ロバート・レッドフォード/2007・USA/
主演:ロバート・レッドフォード、トム・クルーズ、メリル・ストリープ)
豪華絢爛黄金王朝大芝居~『王妃の紋章』

CURSE OF THE GOLDEN FLOWER
満城尽帯黄金甲
10世紀の中国。黄金の巨大な城に住む王家一族の、陰謀渦巻く愛憎劇。監督
はチャン・イーモウ(張藝謀)、製作は『ラスト、コーション』のビル・コン。チョウ・ユン
ファ(周潤發)、コン・リー(鞏俐)、ジェイ・チョウ(周杰倫)、リウ・イエ(劉)という
中華圏オールスターキャストにミーハー心を刺激され、予告で観た黄金一色の映像
にも惹かれて楽しみにしていた作品。歴代の中国映画で最も巨大だというセットや、
金襴豪華な美術にも注目。ちなみに衣装はアカデミー賞衣装デザイン賞にノミネート
された。
とにかく、キンキラキンぶりが半端じゃないんです! 映像のベースカラーが
ゴールドか!っていうくらい、黄金な印象。王妃コン・リーのメイクも、紅の唇に
金粉を重ねるという凝りよう。スクリーンが光り輝いて見えた、眩しい・・・。

先妻を亡くした国王(チョウ・ユンファ)と、その後妻である王妃(コン・リー)とは、
先妻の子である皇太子祥(リウ・イエ)、第二王子傑(ジェイ・チョウ)、第三王子
成(チン・ジュンジエ)に恵まれながらも、夫婦関係は冷え切っていた。
王妃は皇太子と関係し、それを知った国王は王妃にトリカブト入りの毒薬を飲ま
せる。国王の侍医の娘と恋仲でもある皇太子は、王家を離れ国外に出ることを望
んでいる。
わかり易いストーリーで説明的セリフも多く、王家のドロドロとそれぞれの
陰謀や確執もストレートに描かれている。物語に深みや感動を求めるよりも、
大スターたちの競演、映画的スケールの映像やアクションに焦点を当てて観る
べき作品なのだと思う。上映時間(114分)よりも長く感じてしまった。。

チョウ・ユンファは存在自体が国王の貫禄十分なのだけれど、彼の孤独や策略
を、もう少し丁寧に描いてもよかったような気がする。『山の郵便配達』のリウ・イエ
は、本作ではかなりの自己中キャラ。『小さな中国のお針子』『ジャスミンの花開く』
など、観たいと思いつつ未見の作品を早く観たい、と思わせてくれる。片や台湾
の大スター、ジェイ・チョウは『頭文字D』を観ていないので初見。母上のため・・・、
と勝ち目のない戦いに自らを捧げる王子キャラがカッコイイ! そしてアジアの
華、コン・リー姐さん。相変わらず滴り落ちそうな色香はあるも、冷や汗と身震
いの大味な演技に終始してしまった感あり、ちょっと残念。しかし恩讐を超えて
チャン・イーモウの大作に出演するという、その潔さが好きです!
チャン・イーモウには、オリンピックが終わったらまた映画製作に専念して、
大作にしろ小品にしろいい映画撮って下さい! とエールを送りたい。
(『王妃の紋章』監督(脚本兼):チャン・イーモウ/製作:ビル・コン/
主演:チョウ・ユンファ、コン・リー、ジェイ・チョウ、リウ・イエ/
2006・香港、中国)
テーマ : ☆.。.:*・゚中国・香港・台湾映画゚・*:.。.☆
ジャンル : 映画
勝つのはどっちだ~『スルース』

SLEUTH
ロンドン郊外の村、そこに立つ豪邸に一台の車が滑り込んでくる。世界的推理
小説家アンドリュー・ワイク(マイケル・ケイン)の元を訪れた自称俳優マイロ・ティ
ンドル(ジュード・ロウ)は、ワイクの妻マギーと同棲中。マイロはワイクに離婚を
迫るのだが・・・。
英国を代表する俳優、サー・マイケル・ケインとジュード・ロウの共演。人気舞台
劇をノーベル賞作家であるハロルド・ピンターが脚色、ケネス・ブラナーが監督し、
新旧の色男がガチンコ対決する密室スリラーに仕上げている。原作戯曲は72年
にも『探偵スルース』として映画化(未見)されており、マイケル・ケインはマイロ役
を演じている。脚本のハロルド・ピンターもTV画面に映る男性として一瞬カメオ出演
していて、なんだかオーソン・ウェルズのような風貌に見えた。バリバリ英国印の
贅沢布陣映画なのに、何故か製作国がアメリカになっているのが不思議。

製作も兼ねているジュード、自らがかつて敵対した役柄を演じるケイン爺や、
ともに大熱演。89分出ずっぱりの二人だけれど、ケイン爺やの年齢を感じさせな
いセリフ回し、軽やかな身のこなしに感嘆する。一方のジュードは、改めて変幻
自在な名優であると確信。その美し過ぎるルックから立ち昇る妖気にクラクラす
る。
老作家ワイクは若いマイロに同居を持ちかけるけれど、そこにはどことなく
男色の匂いがした。マイロもまた、男も女も狂わせる自分の魅力を知っていた
のだと思う、それが悲劇の引き金になるのだけれど・・・。主演の二人は、文句
なしのハマリ役だ。
物語は全てワイク邸で進行し、虚実入り混じった密室でのセリフの応酬は『ハード
・キャンディ』を思い出させる。赤いイメージカラーで猟奇的な印象の『ハード~』
に対し、本作は青いイメージで、心理的な葛藤と駆け引きが作劇の全て。リモコン
で遠隔操作される無機質なデザインの室内は、照明が回る舞台装置のような作り。
監視カメラによる「視線」がラストでどんな効果をもたらすのかと期待していたのだけ
れど、そこは何も無くて残念。
全編を通して舞台劇のような作品であるため、映画ならではの仕掛けや奥行き
のある映像というのは今ひとつだったかも。そこがこの映画の評価を分けるよう
な気がするけれど、私的にはジュードの色気が堪能できただけで、十分満足だっ
たりする。

(『スルース』監督・製作兼:ケネス・ブラナー/脚本:ハロルド・ピンター/
原作戯曲:アンソニー・シェイファー/
主演:ジュード・ロウ(製作兼)、マイケル・ケイン/2007・USA)
~2008・夏アニメ Xデー~

Ponyo on the cliff by the sea
昨日(19日)、『クレヨンしんちゃん ちょー嵐を呼ぶ 金矛(キンポコ)の勇者』
初日に観てきました。主題歌のときにクレイアニメが使われていて、かわいかっ
た~。「オラ、野原しんのすけ、5歳!」
お話は・・・、途中、意識を失っていたので略(爆)。

そして上映前の予告で、この夏話題のジブリの新作『崖の上のポニョ』を観ました!
なんでも、この日から予告編解禁だったらしく・・・。ラッキー♪

♪ポーニョ ポーニョ ポニョ おんなのこ♪
7月19日(土)公開! 宮崎アニメのあの「浮遊感」をまた劇場体験できるのかと
思うと、、、。ドキドキ☆ワクワク☆ ん? でも海辺のお話みたいですね~。
フライングシーン、あるのでしょうか?!
しかしその日は『劇場版ポケットモンスター/ダイヤモンド&パール ギラティナ
と氷空(そら)の花束 シェイミ』(長!)も公開なんですね~。初日にはそっちを
観ている可能性大だわ(泣笑)。
アフター・フューネラル~『悲しみが乾くまで』

THINGS WE LOST IN THE FIRE
やさしい夫とかわいい二人の子どもに恵まれ、何不自由ない生活を送る美しい
主婦オードリー(ハル・ベリー)。しかし突然の事故で夫ブライアン(デヴィッド・
ドゥカヴニー)を失った彼女は、夫の親友で元弁護士、しかし今は麻薬中毒の
ジェリー(ベニチオ・デル・トロ)に、一緒に暮らそうと持ちかける・・・。
「デンマークの恐るべき才能」スサンネ・ビアのハリウッド進出作。アメリカ映画を
撮ることで彼女のユニークな個性が変質してしまうんじゃないかと危惧していた
のだけれど、それは杞憂に終わったようでうれしく思う。波紋を描くプールの水が
映し出された瞬間から、この映画に裏切られることはないという確信が持てた。
本作のプロデューサーがサム・メンデスであることをエンドロールで知り、納得、
という感じ。

毛穴や瞳孔が見えるほどの極端なクローズアップや、風に揺れ、雨に濡れる
草花、羽を休める昆虫など、スサンネ・ビアおなじみの映像も健在。またそこ
に、『ある愛の風景』『アフター・ウェディング』に似たテイストの音楽が流れる。
音楽担当は前2作と同じヨハン・セーデルクヴィスト。テーマ曲は名匠グスタ
ーボ・サンタオラヤが手がけている。
前2作とは、「家族の愛と再生」三部作と言ってもいいほど近い作品だと思う。
いずれの映画も、何不自由ない幸せな日常が「死」という突然の出来事によって
破壊され、苦しみ、もがきながらもそこから再生しようとする家族を描いている。
特に本作と『ある愛の風景』はリメイクかと見まがうほど似ている。全く同じ
ショット(妻が亡き夫の衣服に顔を埋める)があるし、夫の居場所に妻が嫌って
いた人物がいつの間にかフィットしている状況も同じ。
自分を包んでくれていた深い愛情を失ったとき、人はどう生きていくのか。
代償を求めること、乗り越えること、許すこと。そして最後に、死を受け入れ
ること。妻が夫を、自分の身体の一部のように求める気持ち、父を亡くした子
どもたちの喪失感。決して容易ではない「再生」への道のりが、繊細かつ
力強いタッチで描かれてゆく。

物語前半に夫ブライアンの「満点パパ」ぶりがたっぷりと描かれているため、
彼を亡くしたオードリーの悲嘆には説得力がある。ブライアンとジェリーの長く
厚い友情も、短いシーンで十二分に伝わってくる。ジェリーがヘロインの禁断
症状で苦しむ場面は『キャンディ』を思い出してしまって、涙、涙・・・。ベニチオ
・デル・トロの廃人寸前、破滅的演技が圧巻! いかに「依存」から抜け出るか。
彼の役者魂がこもっていたと思う。一方のハル・ベリー、美しさは際立つけれど、
「依存」からの脱却にもう一つ説得力が欲しかった。
「善は受け入れろ」というメッセージを残して映画は終わる。監督が描きたかった
のは、気付かないうちに私たちが包まれている、途轍もなく大きな愛なんじゃ
ないかと思った。形や手触りは消えても遺された愛、それは決して失われるこ
となく、暗いところで輝く。
とても期待していた作品だけに、完成度の高さに大満足。ただ、不満は邦題。
原題(THINGS WE LOST IN THE FIRE)のニュアンスを活かして欲しかった
と思う。
(『悲しみが乾くまで』監督:スサンネ・ビア/製作:サム・メンデス/
主演:ハル・ベリー、ベニチオ・デル・トロ/2007・USA、UK)
奇跡のマスターピース~『ペット・サウンズ』

PET SOUNDS
Jim Fusilli
translated by
Haruki Murakami
思うに、書評、映画評、音楽評のうちで一番難しいのは音楽評ではないだろうか。
この場合、目に見えない「音楽」という意味で。ライヴ評は演劇評に近いものがある
と思うので音楽評には含まない。耳から頭の中に入ってきて、心に降りてくる音たち
-アーティストが独自の感性で創り上げた、夢のような、幻のような世界-を、言葉
でどう表現すればいいのか。私は途方に暮れる。
本書は、ロックの歴史的名盤とされるザ・ビーチボーイズの『ペット・サウンズ』につ
いて、著者が丸々一冊語りつくした「音楽評」だ。著者ジム・フジーリと同じく、この
CDとその製作者であるブライアン・ウィルソンに格別の思い入れがある村上春樹に
よって訳出されている。
私は村上春樹の影響で何年か前にこのCDを手にしたのだけれど、聴いた時かな
り驚いた。同じくロック史上の名盤と誉れ高い、ビートルズの『サージェント・ペパーズ
・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』。サージェント・ペパーズって、このCDの「真似」
だったのか、と。しかし、『ペット・サウンズ』もビートルズの『ラバー・ソウル』の影響
を受けているとブライアン・ウィルソン自身が発言しているから、この二つのバンドは
互いに刺激し合う関係だったわけで、どちらのアルバムも名盤であることに疑いの
余地はない。
ブライアン・ウィルソンについてのエピソード、精神的な脆さ、実父との確執、ドラ
ッグ依存、引きこもり、肥満、、などなどについては特に目新しい記述があるわけ
ではない。著者自身の生い立ちと重ね合わせて語られている部分もあるけれど、
全編を通してこの「奇跡のマスターピース」への愛と憧憬に満ちた文章は、読み手
によっては疎外感や満腹感を憶えるものかもしれない。私が持っているCDには
山下達郎氏のライナー・ノーツが付いていて、そちらの方が簡潔で的確だと言える
かもしれない。
しかし、この美し過ぎる音楽-著者が「哀しみについての幸福な歌の集まり」と
表現する-を聴いて、語っても語っても尽きない思いが溢れてくるのは実感として
よくわかる。そして、そろそろ村上春樹の新作長編が読みたいな、とも思う。
昨年来、翻訳モノばっかり。村上さん、待たせ過ぎですよ。
(『ペット・サウンズ』ジム・フジーリ・著/村上春樹・訳/新潮社・2008)
女だから。~『4ヶ月、3週と2日』

4 LUNI, 3 SAPTAMANI SI 2 ZILE
1987年、チャウシェスク独裁政権末期のルーマニア。法で禁じられた堕胎手術
を受けるルームメイトを手助けする、一人の女学生の一日。カンヌ映画祭パルム
ドール受賞を皮切りに、ヨーロッパ映画際など各国で数々の受賞を果たした作品。
長回しを多用し、当時のルーマニアの風景や俳優たちのセリフに徹底的なリアリ
ズムを貫く力作。ドキュメンタリー風でもあり、後半はサスペンスの要素も見られる。
傑作であることに疑いはないのだろうけれど、私にとっては観るのが辛い映画
だった。正直、吐き気を催すような嫌悪感と言ってもいいかもしれない。

1987年といえば、日本ではバブル経済に国中が沸き返っていた頃ではないだろ
うか? そんな時代に、豊かさとは程遠い、暗く冷たい時代を耐え忍ぶ国々があ
った。当時のルーマニアの社会状況を知ると、言葉もない。国民は飢え、物資は
不足(避妊具さえなかったという)、自由も希望もない。そんな状況でささくれ立つ
人々の心を、誰も責められはしないだろう。
望まない妊娠をしたガビツァ(ローラ・ヴァシリウ)のために、当事者以上に献身
するオティリア(アナマリア・マリンカ)。ガビツァとオティリアが、どれ程の友情で
結びついているのかはわからない。たまたま同室になったルームメイトなのか、
それとも古くからの親友なのか。友情の深さや長さがどの程度なら、危険を冒し
て金策に奔走し、身体まで差し出すことができるのだろう。私ならどうしただろう、
私がオティリアなら、ガビツァなら・・・。
ボーイフレンドのアディの家で、オティリアが感じる居心地の悪さ。電話が鳴っ
ているんじゃないかな、ガビツァの具合はどうかな、ケントが吸いたい、早くホテル
に戻りたい!「ポテトを作る人生なんてイヤよ!」自分にとってアディの存在とは
何なのか、その彼がようやく口にした「愛してる」という言葉がどれほど虚しい
ものなのか。それを知ってしまったオティリアの悲痛な叫び。女として生きてい
くとは何を意味するのか。逃れられない枠組みを全身で否定し、拒絶し、嘔吐す
るオティリア。
そうか、そうなんだ・・・。女だから、同じ女だから、オティリアはガビツァを助け
ようとしたんだ。ただ、女だから。

バスルームに無造作に置かれ、最初はただの「肉塊」にしか見えなかったもの。
それはすぐに視界の中で像を結び、とても正視できなかった。「正論」をかざすなら
ば、彼女たちがしたことは決して許されることではないのだろう。しかし、正論って
何なんだ? ただ人間らしく生きていくために彼女たちがしなければならなかった
ことを、一体誰が責められるというのだろう。
オティリアが着るグリーンのカットソーが目に焼きついて、映像も緑がかっていた
ように思う。グリーンは青春を表す、瑞々しく生気に満ちた色だと思っていた。
なのにこんなにも苦く、張り詰めた青春もあるんだ。。
(『4ヶ月、3週と2日』監督・製作・脚本:クリスティアン・ムンジウ/
主演:アナマリア・マリンカ、ローラ・ヴァシリウ/2007・ルーマニア)
神話的英雄譚~『モンゴル』

MONGOL
モンゴルといえば何を連想するか・・・。朝青龍、大草原、絵本『スーホの白い馬』。
チンギス・ハーンは、そういえばモンゴルの人だったのか、というくらいの知識の私。
部族間の紛争や略奪の絶えない12世紀のモンゴルにおいて、そのカリスマ性で
遊牧民族を束ね、世界の半分を支配する大帝国を築いたテムジン、後のチンギス
・ハーンの物語。冒頭に出てくる「1192年」という年号に、そういえば源義経=チン
ギス・ハーン説というのを聞いたことがあるな、と思い出した。
ロシアのセルゲイ・ボドロフがメガホンを取り、日本人である浅野忠信が主役
のテムジンを演じている本作は、カザフスタン代表として第80回アカデミー賞
外国語映画賞にノミネートされた(受賞はオーストリア代表『ヒトラーの贋札』)。

大スクリーンに映し出されるモンゴルの草原や夕日、乾いた大地と山々、一面
の雪景色。躍動するように走る馬たち。壮大な風景を切り取った撮影現場は過酷
を極めただろうけれど、映画館で体感するに値する素晴らしい映像美だ。
主役を張る浅野忠信は、低くよく通る声で、聴きなれない言葉をしゃべってい
る。外国語ならなんでもカタカナ表記し、はっきりくっきり発音したがる日本人の
彼が、息が抜けるような発音のモンゴル語を操ることは決して容易ではなかっ
ただろう。彼の発音が完璧かどうかはわからない。しかし、舞台は非英語圏なが
ら、役者たちは平気で英語をしゃべっているような作品がまかり通る映画界で、
彼がやってのけようとしたこのリアリズムは称賛に値すると思う。
浅野忠信って地味顔だけど、こんなに誠実そうでカッコイイ人だったのか。。
スクリーンを眺めながら何度も溜息をついた。「来ると信じていた」「お前がいなけ
れば生きられない」9歳で出逢い、契りを交わし、何年も顔を合わせることもなく、
生きるために他の男と暮らそうとも、決して切れないテムジンとボルテの絆に涙
する。敵の子を身ごもった妻のお腹を「俺の息子だ」と言ってなでるテムジン。
そんな彼が選んだボルテの胆力に、憧れに似た思いを抱いてしまう。

テムジンの盟友ジャムカとの、雌雄を決する戦いがこの映画のハイライト。
ちょっと一本調子の映像のような気もしたけれど、『300』を思い出させる戦闘シ
ーンの迫力は凄まじい。耳飾りがおしゃれなジャムカを演じたスン・ホンレイも、
静謐ささえ感じさせる浅野テムジンとは対照的なエキセントリック・キャラを演
じて、強烈な存在感だったと思う。数年単位でジャンプするストーリーは少し分
かり難い部分もあったけれど、100%映画的スケールの雄大な映像を堪能でき
ただけでも大満足。
そういえば浅野くんって「CHARAの旦那さん」っていうイメージばっかりで、
今まで「これ」という作品を観た記憶がない。反省。。これから少しずつ、彼の
過去作を観てみたいと思った。
(『モンゴル』監督・製作・脚本:セルゲイ・ボドロフ/
主演:浅野忠信/2007・独、カザフスタン、露、モンゴル)
とことん笑える!~『ブルース・オールマイティ』

Bruce Almighty
ニューヨークのバッファローでローカルテレビ局のレポーターを勤めるブルース
(ジム・キャリー)は、アンカーマンになる夢を持っていた。ある日、彼のポケベルに
見知らぬ番号が表示される。番号の主はなんと、神(モーガン・フリーマン)だった・・・。
なんとも奇想天外なプロットのこの作品は、ジム・キャリーが超A級コメディアン
であることをつくづく思い知らせてくれる、抱腹絶倒のコメディ。文字通りお腹を
抱えて笑いました、まじで。面白かった~。

ブルースはワガママで自己中でお子ちゃまな男なんだけど、すること成すこと
大袈裟(オーバーアクト気味なジム♪)でいちいち笑える。そんな彼が期間限定
とはいえ、神に「全知全能」を授けられたんだからさあ大変! 世界中が大騒ぎに
なるのは必至でしょう。
ジム・キャリーも面白いんだけど、彼のライバルキャスター、エヴァンを演じたスティ
ーヴ・カレルも超面白い! 彼がブルースに操られて壊れる場面が一番笑った。今
思い出しても笑える。真面目な顔しておかしなことするから、もう最高!に面白いん
ですから・・・。彼はこの映画の続編『エヴァン・オールマイティ』(未見)では主役を
演じています。

そしてまた驚いたことに、昨年のマイベスト作のひとつ『主人公は僕だった』に
ちょっと似ています、この映画。観た当時、「ジム・キャリーが主演だったらな・・・」
と思ったものだけど、こんなに似た映画に出ていたとは・・・。ストーリーは全く違う
し、『主人公~』はコメディではない。しかし神と小説家のカレン(エマ・トンプソン)
の部屋の無機質っぷりはソックリだし、ラストで主人公が交通事故に遭って、見舞
いに来た彼女のセリフ「ベイビ~!」も一緒だし(笑)。う~ん、ちょっと無理矢理っ
ぽいけど、確かに似てるんですって! まぁ考えてみれば、主人公が特殊な能力
や天使に出会って、自分の「普通の」人生がいかに素晴らしいものだったかを思い
知る、という映画はたくさんあるわけで。。
本作にチラリと出てくる『素晴らしき哉、人生!』もその一つですよね。
しかし、モーガン・フリーマンの役名「神」って凄くないですか?(笑)しかもその
正体は・・・。あなたの街にもいるかもよ。
(『ブルース・オールマイティ』監督:トム・シャドヤック(製作兼)/
主演:ジム・キャリー(製作兼)、モーガン・フリーマン/2003・USA)
声を探して~『ヴォイス・オブ・ヘドウィグ』

FOLLOW MY VOICE:
WITH THE MUSIC OF HEDWIG
名作ロックミュージカル『ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ』のトリビュート
アルバムを製作し、その売り上げをニューヨークにある性的マイノリティのため
の高校「ハーヴェイ・ミルク・ハイスクール」に寄付するというプロジェクトを追っ
たドキュメンタリー。製作過程と並行して、スクールに通う4人の生徒たちにも
焦点を当て、彼らのありのままの姿を映し出す。
アルバムの参加ミュージシャンは、『ヘドウィグ』の立役者ジョン・キャメロン・
ミッチェルとスティーヴン・トラスクをはじめ、ヨーコ・オノ、ルーファス・ウェイン
ライト、ジョナサン・リッチマンなど多彩な面々。名曲のオンパレードである『ヘド
ウィグ』のナンバーが、新しいアレンジやハーモニーで聴けること自体、感動モノ。
そしてその音楽が、ハーヴェイ・ミルク・ハイスクールに通う4人の子どもたち-
生き辛さを抱え、様々な困難に直面しながらも自分らしく生きようともがいてい
る-とリンクすることで、観るものに更なる衝撃を与えている。
そのチャリティーアルバム『Wig in a Box』の記事はこちら⇒

カンボジア移民のメイはレズビアン。両親に存在を否定され、自傷行為を繰り
返していたトランスジェンダーのエンジェル。ラテン家庭の一人息子で、父親と
気まずい関係にあるゲイのラルフィ。保守的な土地に生まれ、家族や故郷から
逃げ出し、断絶しているレズビアンのテナジャ。彼らが語る自らのストーリーに、
『ヘドウィグ』のナンバーがオーバーラップする。私にとって『ヘドウィグ』は一番
好きな映画の一つだと断言できるけれど、自分は今まで一体あの映画の何を
観て、何を聴いていたのだろうと愕然としてしまった。
何故、あの映画の物語と音楽たちに、あれほど心を揺さぶられるのか。そこに
は男でも女でもない「人間」として生きることの真実、全ての魂の崇高さを信じて
生きていこうというメッセージが込められているのだと初めてわかった気がして、
涙が自然に、止めどなく溢れてくる。
ドキュメンタリー撮影中に公立高校として認可された「ハーヴェイ・ミルク・ハイ
スクール」は、アメリカで初めて同性愛者であることを公表してサンフランシスコ
市議に当選するも、凶弾に倒れた活動家ハーヴェイ・ミルクに因んでいる。その
ハーヴェイ・ミルクにショーン・ペンが扮し、ガス・ヴァン・サントがメガホンを取る
伝記映画『Milk』も製作中。日本での公開が待たれる。

国際的なモデルとして、ミッソーニはじめ世界で活躍しながらも、「家族や友人と
離れているのが辛い」「過去にも未来にも馴染めない」と涙を流すメイ。彼女は自分
と周囲の間に、深くて広い溝があると感じている。その溝を埋めてくれる理解者たる
家族や友人と離れることは、世界と自分との架け橋を失ったような、たった独りで
見知らぬ場所に取り残されたような気分なのだろう。
どうかこの世界が、彼女や全ての子どもたちにとって幸せを感じられる場所で
あって欲しい。このドキュメンタリーを観て感じることはそれに尽きる。マイノリティ
の人々が生き易いと感じられる世界は、誰にでもやさしく、温かい場所に違いな
いから。
素顔のジョン・キャメロン・ミッチェルは穏やかで温和で、繊細な雰囲気。こんな
にも静かな人が、エキセントリックの極みのようなヘドウィグを演じたとは信じ難い
ほど。しかし、彼が生み出した映画『ヘドウィグ』は間違いなくマスターピースとして、
後世に残るだろう。そして、道にはぐれたはみ出し者や、迷子の大人たちをその
「ヴォイス」で導き続けるに違いない。
たとえ性的マイノリティであろうとなかろうと、誰もが生き辛さを感じている現代。
彼の歌声に、少し耳を傾けてみよう。そうすればきっと、「自分自身の声」も見つ
けられるから。
(『ヴォイス・オブ・ヘドウィグ』監督:キャサリン・リントン/2006・USA)
破壊者~『クローバーフィールド/HAKAISHA』

CLOVERFIELD
かつてセントラルパークNYと呼ばれた場所で発見された、一本のビデオテープ。
そこには衝撃的な映像が残されていた・・・。
「サプライズパーティ」から「自由の女神」の頭部、謎めいた馬車が登場する予告編
から興味を引かれていた本作。ほぼ予備知識なしで観たのだけれど、凄く、すご~
く、怖かったです・・・。酔いはしませんでしたが。以下ほぼネタバレ。
もっとSFしている映画なのだろうと思い込んでいたのだが、こんなにも思いっきり
「モンスターパニック」映画だとは・・・。ニューヨークを舞台に9・11を彷彿させるよう
な映画を撮り、それがまた大ヒットする。アメリカという国の懐の大きさを感じるかも
しれない。実際、「またテロ攻撃かしら」というセリフもあるし。

素人のホームビデオ映像が再生される形で、物語は進行していく。いつかは視点
が切り替わるのかな、と思っていたらラストまでそのままだったので、ここはその
潔さを買いたい。よくバッテリーが保つな、とか、あんな状況でカメラを手放さない
なんてありえん、とかいうツッコミはこの際、ナシで。逃げ惑う人々が、崩落した
自由の女神の頭部を携帯で撮影しているところが、いかにも現代だなと感じさせる。
登場人物たちは知らない顔の俳優さんばかりだけれど、それなりに美男・美女
揃い。特にあの若さで日本に副社長として栄転するというロブ(マイケル・スタール
=ディヴィッド)はかなり素敵だった。

ホームビデオ映像の採用は、怪物を「見せない」ことで恐怖を煽る手法らしいけれ
ど、そこはまぁ成功しているんじゃないかと思う。肝心の怪物はそこそこのインパクト。
『グエムル』や『エイリアン』っぽくて、クリーチャー自体に特に目新しさはない。逆に、
あっと驚くビジュアルの新しい怪物を生み出せなかったから、こういう手法を採用した
のかな、なんて穿った見方をしてみたり。
しかし、映画冒頭で「セントラルパークで発見されたビデオテープ」とクレジットされ
てしまうので、逃げ惑う主人公たちが最後にどうなるのか、というハラハラ感は半減
してしまっているのが残念。愛し合う二人の最期の言葉はロマンチックで、ほんの
数週間前の幸せそうな映像との対比が切ないのだけれど。
監督よりもプロデューサーJ・J・エイブラムスの名前がメインでプロモーションされ
ていて、彼ってビッグネームなんだなと再認識。海外ドラマを観ないので、彼のこと
は『M:I:Ⅲ』の監督というイメージしかなかった。しかし今やハリウッドで一番注目
されているクリエイターなんだとか。
エンドロールの音楽は、いかにも「怪獣映画風」でよかった。85分という尺も、
緊張感と臨場感を維持するのに効果的だったと思う。男の子にオススメかな。
(『クローバーフィールド/HAKAISHA』監督:マット・リーヴス/2008・USA/
製作:J・J・エイブラムス/主演:マイケル・スタール=ディヴィッド)
テーマ : クローバーフィールド/HAKAISHA
ジャンル : 映画
母の祈りを~『マイ・レフトフット』

My Left Foot: The Story of Christy Brown
重度の脳性小児麻痺により左足しか動かせない主人公が、強靭な意志と家族の
愛情、周囲の支えによってその才能を開花させてゆく。アイルランドの作家・芸術家、
クリスティ・ブラウン。その生涯を自伝に基づいて描いたドラマ。主人公クリスティを
演じたダニエル・デイ=ルイスはアカデミー賞主演男優賞を受賞、クリスティの母を
演じたブレンダ・フリッカーも助演女優賞を受賞している。「ダニエル・デイ=ルイスの
若き日」鑑賞シリーズ第三弾。いやこれは必見の映画だと思います。
Entertainment Weekly誌が、今までに唯一A+の評価をした作品、らしい。
脳性麻痺の主人公といえばまず、イ・チャンドン監督の『オアシス』が思い浮かぶ。
主人公コンジュを演じたムン・ソリの迫真の演技と「姫と将軍の恋」は驚きを超えて
私たちの涙腺を破壊したけれど、元祖「メソッド・アクター」ダニエル・デイ=ルイスも
負けてはいない。彼は撮影中車椅子を降りず、肋骨を二本骨折したという。
言葉を発することも、左足以外は動かすこともできなかったクリスティが、初めて
「MOTER」と書き記す場面は涙が滲む。彼を「オレの息子、天才だ」と酒場に連れ
出す父、声のトーンでこれから息子に何が起こるか察する母。しかし、この映画の
素晴らしいところは、この実話をただの「涙の感動作」として綺麗にまとめてしまわ
ず、クリスティの挫折や煩悩、身勝手さゆえの人間臭さも隠さず描いているところ
だと思う。だからこそ、彼の芸術的才能が花開いたのは自身の努力だけでなく、
周囲のサポートあってのものだというごく当たり前の真実が、まっすぐに伝わって
くるのだ。

そして、映画全体のトーンも驚くほど明るい。太陽の恵み少ないアイルランド
・ダブリンが舞台、典型的カソリックの子沢山(22人兄弟!)家庭、ハンディキャ
ップを持つ主人公とくれば、貧困と生活苦で暗いイメージの映画になりそうなも
の。ところがクリスティの兄弟は皆明るく小奇麗で、ひねたところがない。彼を
手押し車に乗せてどこへでも連れ出し、草サッカーではプレースキッカーを任せ、
石炭泥棒まで共謀する。ユーモアを忘れず、時に自虐的なブラックジョークを
披露するクリスティの突き抜けた聡明さと相まって、家族の雰囲気は決して悲観
的なものではない。もちろん、現実はもっと大変だったのだろうけれど・・・。
リハビリによってより明瞭な発声を授け、クリスティの可能性を拡げてくれた
女医アイリーン(フィオナ・ショウ)への思慕と手痛い失恋。「心しか愛されない
のは愛じゃない、心も体も愛してほしい」彼の魂の叫びが胸を打つ。荒れて落ち
込むクリスティに「がっかりしたよ。お前の足をおくれ」と言い放つ母。その手で
ツルハシを握り、猫の額ほどの庭にクリスティの部屋を作ろうとする強さ、逞しさ。
そこには自己憐憫や甘い感傷は微塵もなく、子の可能性を信じる強い光にも似た
「祈り」だけがある。
ラストシーン、生涯の伴侶と共に丘の上で開けるドンペリ。弾けるような最高
の笑顔のクリスティに、私も思わず駆け寄りたくなる。

(『マイ・レフトフット』監督・脚本:ジム・シェリダン/1989・アイルランド、英
/主演:ダニエル・デイ=ルイス、ブレンダ・フリッカー)
テーマ : この映画がすごい!!
ジャンル : 映画
僕の美しい人だから~『マイ・ビューティフル・ランドレット』

MY BEAUTIFUL LAUNDRETTE
パキスタン移民の青年オマール(ゴードン・ウォーネック)は、アル中で廃人同然
の父(ロシャン・セス)の世話に明け暮れる毎日。事業家の叔父(サイード・ジャフ
リー)の元で働くことになったある日、幼馴染のジョニー(ダニエル・デイ=ルイス)
と再会する・・・。
サッチャー政権下のサウスロンドンを舞台に、移民、人種、階級、職業など、様々
な差別の中で生き方を模索する若者と、異郷で事業を興し、一族の固い結束の
元で逞しく生きるパキスタン移民たちの姿を描く。監督はスティーヴン・フリアーズ。
「ダニエル・デイ=ルイスの若き日」鑑賞シリーズ第二弾。
英国の白人が移民たちに向かって「Paki!」という蔑称を使うことは『やさしく
キスをして』などでも描かれていたが、この映画に描かれる差別は白人から移民
たちへの一方通行ではない。ジョニーが属しているような、労働者階級の中でも
下層な階級の白人は、成功した移民たちからも蔑まれることがある。オマールの
叔父の愛人は白人女性であるが、自分の愛人の娘タニアから蔑まれる。そして、
新聞記者であったオマールの父は、ランドリー経営を「アンダーパンツを洗うよう
な仕事」と蔑む。知的職業に従事する者が肉体労働者を下に見る、職業差別も
存在することがはっきりと描かれている。
ジョニーとオマールは幼馴染で、オマールの父は幼いジョニーたちを可愛がっ
た。しかしジョニーたちは移民排斥デモに加わり、オマールの父はそのショック
からアル中となり、母は電車に飛び込む。そしてオマールは大学進学の夢を断た
れてしまう。しかし、このオマールという青年が全く屈託の無いキャラクターに
描かれていることで、この映画は設定ほどには暗い印象を受けない。ポコポコと
いう水の中の空気が弾けるような効果音も、不思議な浮遊感を生んでいる。

ジョニーとの久々の再会に、心躍らせるオマール。タニアの肉感的なアプローチ
にも全くなびかなかった彼の心には、ジョニーだけが住んでいたのだろう。一緒に
叔父のランドリーを再建しようと持ちかけ、ジョニーの差し出す腕の中に自然に抱
かれるオマール。唐突な展開に一瞬たじろぐが、あまりにも自然な若い二人のキス
に、ああ、彼らはずっと昔から愛し合っていたのだな・・・と腑に落ちた。
ランドリーの完成の日、愛し合う二人。しかしそこには「移民と白人」「同性愛」と
いう二重のタブーがある。オーナーである叔父がランドリーを訪れ、愛人と愛を交
わすさらに内側に、ジョニーとオマールの姿が映し出される。「移民と白人」であり、
「不貞」の関係である叔父たち以上に、同性同士で愛し合う彼らは身を隠さねばな
らない存在であるということなのだろう。
しかし、労働者階級の「ゴロツキ」を演じたダニエル・デイ=ルイスの美しさ、しな
やかさはどうだ・・・!スノッブな英国貴族を演じた『眺めのいい部屋』と同年の作品
だとはにわかには信じ難いほど、屈託のある貧困層の青年を自然体で演じている。
不良仲間への絆とオマールへの愛に引き裂かれながら、恩人を裏切った罪の意識
にも苛まれ続けているジョニー。階級や人種が混じり合い、ねじれた差別を描きなが
らも、全てを水に流そうとするかのような明るいラストシーンに安堵する。
そしてジョニー、いやダニエル・デイ=ルイス。彼がたまらなく、愛おしい。
(『マイ・ビューティフル・ランドレット』監督:スティーヴン・フリアーズ/
主演:ダニエル・デイ・ルイス、ゴードン・ウォーネック/1985・UK)
英国名画ここに在り~『眺めのいい部屋』

A ROOM WITH A VIEW
20世紀初頭。英国中産階級の令嬢ルーシー(ヘレナ・ボナム=カーター)は、年長
の従姉シャーロット(マギー・スミス)とともにイタリアのフィレンツェを旅行中、父と
休暇を楽しむジョージ(ジュリアン・サンズ)と出逢う・・・。
マーチャント/アイヴォリーフィルム、原作は『モーリス』のE・M・フォスター。
1986年のアカデミー賞にて美術賞、衣装デザイン賞などを受賞した英国映画の
名作。恋愛映画として観ることも、上質な絵画のような美術品として観ることも
できる。物語の切れ目に挿入される、紙芝居のような扉画も美しい。
ずっと観たくて、でも観逃していた本作、アカデミー賞授賞式でのダニエル・デイ
=ルイスがあまりにも素敵だったので、彼の若き日のお姿が観たくて鑑賞。いつも
お世話になっている、viva jijiさまのお宅の推奨記事にも惹かれた。

中産階級に生まれた女性の英国における恋愛結婚事情は、ジェーン・オースティン
の小説世界が特に有名。女子には相続権がなく、良家の子息との結婚だけが生きる
術という、封建制度バリバリの『高慢と偏見』の時代。それに比べれば、この映画では
ルーシーの「来年は信託財産が入るわ」という台詞に、少しは女性も生き易い時代に
なっていることが伺える。馬車と車が行きかうところにも、時代の変わり目だったことが
よく現れている。
そんな時代だったからこそ、ルーシーは「無職」のセシル(ダニエル・デイ=ルイス)
を振り、労働者階級のジョージの元に走れたのだろうと思う。セシルは読書と芸術に
造詣が深く、自分の価値観の範疇のものでなければ受け入れられない。しかし決して
彼の性格に問題があるわけではなく、生育環境によってそうならざるを得なかっただ
けの事だ。背中に物差しでも入っているかのように伸びた姿勢や独特の笑い声、女性
にオクテな様がなんとも上流階級紳士然としていて面白い。この怪演ぶりは、ウィリー
・ウォンカ@チョコレート工場のジョニデも参考にしたのでは?と思ってしまった。

もう一つ興味を惹かれたのが女性たちの衣装。20世紀初頭、女性たちにはパンツ
ルックは許されていなかった。そこで男性のスーツのボトムをマキシスカートに変え、
新進の気風ある女性たちはメンズライクな着こなしを楽しんでいたのだ。好奇心旺盛
な、ジュディ・デンチ演じる小説家の衣装に注目。この着こなしは、同時代の芸術家
ビアトリクス・ポターを描いた映画『ミス・ポター』でも観ることができた。
上の写真、『ラヴェンダーの咲く庭で』を思い出します。まさに英国が誇る二大女優
です(ヴァネッサ・レッドグレイヴを入れて三大女優ですね?)。
天然キャラ・シャーロットを演じたマギー・スミス、ルーシーの天真爛漫な弟フ
レディを演じたルパート・グレイヴスなど、驚きの豪華キャストにうっとりの本作。
しかしあの、川遊びの場面のホットケーキ(@viva jiji姐さん)だけはいただけ
ない。思わず笑ってしまった、残念。
(『眺めのいい部屋』監督:ジェームズ・アイヴォリー/原作:E・M・フォスター/
製作:イスマイル・マーチャント/主演:ヘレナ・ボナム=カーター、
ジュリアン・サンズ、マギー・スミス、ダニエル・デイ=ルイス/1985・UK)
いとしのホリー~『ティファニーで朝食を』

BREAKFAST
AT TIFFANY'S
Audrey Hepburn
ニューヨーク五番街の夜明け。滑るようにやってきたイエロー・キャブから、一人
の妖精が降り立つ。黒いジバンシーのドレス、チョココルネのような髪。大きすぎる
サングラスから彼女が覗くウィンドウはティファニー本店。少し首を傾げ、紙袋から
コーヒーとデニッシュを取り出し、ジュエリーを眺めながら摂る朝食。短いけれど
至福の時間に、流れるのはヘンリー・マンシーニの『ムーン・リヴァー』・・・。
♪ Moon River, wider than a mile
I'm crossing you in style some day...
原作を読了後、即座に以前から録画してあったDVDを観る。初見。このオープニン
グ・・・!「心震える」とはこのこと。なんと美しく洗練された、夢のようなシーンなの
だろう。これは映画史上に残る名シーンではないだろうか。『ムーン・リヴァー』の
旋律がまた、幻想的なまでに美しい・・・。オープニングだけ、何回も何回も繰り返し
て観てしまう。
しかし、ニューヨークの太陽が昇るとともに、映画も平凡なものになってしまって
いるような気がする。冒頭と、ラストの土砂降りの中のキスシーンだけは名場面
だと思うけれど。

村上春樹が言うように、確かに原作と映画は「違う話」になってしまっている。しかし
当初「全然イメージと違う」ことに驚いたポール役のジョージ・ペパードも、観ている
うちに違和感が薄れてくる。映像のチカラって、やっぱり凄い。
同じく、輝くばかりの美しさのオードリー・ヘップバーンも、原作のホリーのイメージ
ではない。少しトウが立ち過ぎているような気もするし、少し品があり過ぎる。
・・・なんて言ったら、世界中のシネフィルから非難ゴウゴウだろうか。

しかし、原作にあったティファニーへの敬意と憧憬だけは、映画の中でも全く損な
われることなく保たれている。ブルーはティファニーの色だから、ホリーは憂鬱を
「アカな気分」と表現したんだな・・。公開から50年近く経っても、色褪せない映画
ではあると思う。
(『ティファニーで朝食を』監督:ブレイク・エドワーズ/1961・USA/
主演:オードリー・ヘップバーン、ジョージ・ペパード)
ちょっと考えてみました~『ティファニーで朝食を』

BREAKFAST AT TIFFANY'S
Truman Capote
translated by
Haruki Murakami
とにかく、この「ティファニー・ブルー」の装丁を見て下さい!ゴールドの縁取り
に、主人公ホリーの飼っている名無しの猫のイラスト。すっきりとしたソフトカ
バーのこの本は、1950年代のニューヨークを風のように軽やかに生きたホリー・
ゴライトリーそのもののようです。
トルーマン・カポーティの中編小説と言うよりは、オードリー・ヘップバーン
の主演映画としてのほうが(多分)有名な『ティファニーで朝食を』。村上春樹の
新訳により、装いも新たに登場です。私は小説は初めて、映画も未見。ホリーを
演じたオードリーのポートレイトや、テーマ曲『ムーン・リヴァー』はもちろん知っ
ていますが、物語としての『ティファニー』に触れるのは初めてです。
タイトルを知ったのは子どもの頃で、てっきりティファニーとはレストランだ
と思っていました。でも、ある時某国のプリンスが、「プリンセスには、ティファ
ニーで買い物しまくるような方にはご遠慮いただきたい」と発言なさったのです。
「ティファニーで買い物? ジャムとか?」そう思った私が、そこが世界一有名な
ジュエリーショップだと知るのに、そう長い時間はかかりませんでした。
この本には、表題作のほかに3つの短編が含まれています。いづれも、イノセ
ンスとその終焉を描いたもので、決して心温まるハッピーエンドの物語ばかりで
はありません。どこかに毒や哀しみが潜ませてある、しかし心に沁みる物語だと
言えるでしょう。特に、ブラッシュアップの後に再録された『クリスマスの思い出』
は、忘れられない余韻を残す物語です。
さて。「あとがき」にて訳者も「どんな女優がホリーにふさわしいか、ちょっと
考えてみて下さい」とコメントされていますので、恒例のキャスティングをしたい
と思います。今回は監督&キャストの組み合わせで。
★勝手にキャスティング★
その1:監督:ウッディ・アレン
ホリー:スカーレット・ヨハンソン
ポール:ライアン・ゴズリング
ニューヨークといえばこの人。ホリーには監督の新ミューズ、スカ嬢。原作者
のカポーティはマリリン・モンローをイメージしていたらしいので、適役かも。
その2:監督:マーティン・スコセッシ
ホリー:ナタリー・ポートマン
ポール:ポール・ダノ
同じくニューヨーク派の巨匠。麻薬王サリーのエピソードを膨らませそうです
ね。原作とは全く違う、ハードボイルドな作品にしていただきましょう。
その3:監督:ソフィア・コッポラ
ホリー:キルスティン・ダンスト
ポール:ジェイソン・シュワルツマン
実は原作を読んで、最初に思い浮かんだホリーのイメージは意外にもキキちゃん
でした。大ブーイングかしら(笑)。
ポールは暗黒王子系俳優で。ジェイソンは『ダージリン急行』でも自称作家を
演じていたので。そしてどの監督が撮る場合でも、日本人ユニヨシ役は香川照之
さんでお願いします!
(『ティファニーで朝食を』トルーマン・カポーティ:著/
村上春樹:訳/新潮社・2008)