紅白闇鍋合戦~『スキヤキ・ウエスタン ジャンゴ』

SUKIYAKI WESTERN DJANGO
♪ジャンゴ~。。サブちゃんの歌声とともに、ずっと前から予告を観て楽しみ
にしていた作品。すごい豪華キャストで全編英語の時代劇と西部劇のミックス、
しかも主演が伊藤英明くんですから!ちなみに三池崇史監督作品は初の鑑賞。
マカロニ・ウエスタンも『荒野の用心棒』もよく知らないので、的外れな感想かも
しれませんがご容赦下さい。「スキヤキには焼き豆腐」ってことだけは肝に命じて
おりますので・・・。ピリンゴ!
壇ノ浦の戦いから数百年後、埋蔵金伝説の残る平家の落人の集落に、さすらい
のガンマン(伊藤英明)がやってくる。源義経(伊勢谷友介)率いる源氏(白)軍と、
平清盛(佐藤浩市)率いる平家(赤)軍が火花を散らす集落で、ガンマンや保安官
(香川照之)を巻き込んだ戦いの火蓋が切って落とされた・・・。根畑に「NEVADA」
でつかみはオッケー!

前半はちょっとグダグダ感があって楽しめなかったのだけれど、後半、伝説の
血まみれ弁天(BLOODY BENTEN;BB)の正体が明かされてからは面白さ全開。
クライマックスのガンマンvs.義経の対決まで、一気に見せてくれた。西部劇へ
のオマージュだとか三池カラーみたいなものはわからなかったけれど、役者たち
の熱演、怪演は予想以上。特によかったのは伊勢谷友介!滅茶苦茶美しい~。。
元々狂気をまとった雰囲気の俳優さんだと思っていたけれど、顔立ちがとにかく
美しい!佐藤浩市、香川照之、「日本のハーヴェイ・カイテル」こと塩見三省といっ
たベテランはもちろん、安藤政信くんもキレッキレで怖いほど。これほど曲者揃
いの役者の中では、主演のはずの伊藤くんの存在感が薄まってしまったのも仕方
ないかもしれない。

紅二点の木村佳乃と桃井かおり。木村佳乃は汚れ役を身体を張って頑張ってい
たのだけれど、彼女の見せ場、肝心の踊りのシーンに官能やエロスが全く感じら
れなかったのが残念!対して桃井かおり姐さんは、ガンファイトやタランティーノ
とのコント(?)場面でもノリノリ、ババァとはまだまだ言わせないわよ!とばかり
のカッコよさ!前半と後半、静の死の前後で映画のノリが変わったように感じた
のは、この女優ふたりの対照的な印象のせいかもしれない。これは女目線だけど、
男性からすればやっぱり、若くて美しい静のほうがよかったのだろうか?
アニメが挿入されたり、雪の中の決闘場面だったりするところは『キル・ビル』を
思い出させる。B級テイスト満載の、狂気とエネルギーに満ちたパワフルな作品。
サブちゃんの主題歌を聴きつつ、「面白かった~」と満足して劇場を後にしました。
(『スキヤキ・ウェスタン ジャンゴ』監督・脚本:三池崇史/2007・日本/
主演:伊藤英明、佐藤浩市、伊勢谷友介、桃井かおり、木村佳乃、小栗旬
安藤政信、香川照之、クエンティン・タランティーノ)
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テーマ : スキヤキ・ウェスタン・ジャンゴ
ジャンル : 映画
美しい人の甘い人生~『マーサの幸せレシピ』

BELLA MARTHA
ドイツ、ある街のレストラン。固い意志と表情で自らの厨房を作り上げ、完璧
に料理を仕上げる女性シェフ、マーサ(マルティナ・ゲデック)。人付き合いが苦手
で仕事一筋に生きる彼女の前に現れたのは、事故死した姉の娘リナ(マクシメ・フェ
ルステ)と、イタリア人シェフのマリオ(セルジオ・カステリット)。心を開かない
リナと、全く違う流儀で厨房に新しい風を吹かせるマリオに戸惑うマーサだった
が・・・。
キャサリン・ゼタ=ジョーンズ主演でハリウッドリメイクされた『幸せのレシピ』
のオリジナルであるドイツ映画。軽い予習のつもりで観始めたのだけれど、実に
温かい素敵な映画だった。まさに佳作。
表情ひとつ変えず、微妙に眉を動かすだけの気難しそうなマーサ。しかしよく
見ると、彼女は物凄く美しい。きりりとまとめた黒髪、白い肌、女性らしい肉付
きの身体。女は、若くてやせていたら誰でもそれなりに綺麗だ。でもある程度年
を重ね、贅肉がなかなか落ちなくなってからも美しくい続けることは容易ではな
い。この美しい人、どこかで見たはず・・と思っているうちに『善き人のためのソナタ』
のクリスタだ!と思い至った。道理で、美しいはず。
「あなたを尊敬している」というマリオが、マーサをじっ・・と見つめる表情が好き。
ドイツ人とイタリア人。秩序と混沌、水と油のような二人が、厨房で、リナを介
して、少しずつ距離を詰めていく過程がいい。暖かくて、食べ物がおいしいイタ
リア。でも「迎えに来るわけがない」イタリア人。そんなドイツ人の複雑な気持ちも
上手く盛り込まれつつ、磁石が自然に引き合うように恋に落ちるマーサとマリオ。
目隠しをして食材を当てる二人の、なんと官能的なこと!

初めて夜を共にした朝、ずっとまとめられたままだったマーサの髪が下ろされ
たのが印象的。笑顔も、心なしか柔らかくなっているような。異質なものを受け
入れ、人生に必要なのはレシピではなく、人との温かい触れ合いだと気付かせて
くれる。粉雪の舞う寒々とした冬から、暖かい春へと季節が巡るようなハッピー・
エンディング。
この小さな心温まる映画を、ハリウッドがどう料理してくれたのかとても楽しみ。
キャサリン・ゼタ=ジョーンズ×アーロン・エッカート×アビゲイル・ブレスリン、
監督はスコット・ヒックス!期待してます。
(『マーサの幸せレシピ』監督:サンドラ・ネットルベック/
主演:マルティナ・ゲデック、セルジオ・カステリット、マクシメ・フェルステ
/2001・伊、独、オーストリア、スイス)
愛と追憶のひと~『ふたりの「雅子」』

先日、故夏目雅子さんの生涯を辿ったドラマが放映され、偶然後半だけ観ること
ができた。改めて「夏目雅子」という女優の偉大さ、素晴らしさに感じるところがあり、
彼女のお母さまが書かれたというドラマの原作を読んでみた。
夏目雅子さんのルーツや生まれてからのこと、芸能界入りしたいきさつや伊集院
静氏との恋、最後の闘病までが綴られている。タレント本が好きなミーハーな私が
今までこの本を読まなかったのは、伊集院静氏の書いた亡き妻がモデルと思われる
小説を読んでいたから。結構、衝撃的な内容だった。その短編小説『乳房』についても、
本書で改めて説明されている。以下引用します。
「一瞬の恋、一夜の恋が、すべて、ふしだらという言葉で決めつけられるものでは
ないと思う。一夜の恋ゆえに、人は生きる力をとり戻すことだってあると思う。
その一途さが妊娠につながったとしても、私は責める気にはなれない。そのとき、
いちばんの理解者は、母親でなくてはならない」
「夏目雅子」という女優である、「小達雅子」という娘を持った母。芸能界入りや結婚
にどんなに強く反対しても、その意志を貫き通した娘。激しい葛藤や深い愛情が、
母としてと言うよりも一人の女性として率直に描かれている。どんなに反発しても
決して切れることはないその絆は、シャーリー・マクレーン×デボラ・ウィンガー
の名作『愛と追憶の日々』を思い起こさせるほど。そして偶然にも、あの映画を母娘で
観に行ったエピソードも語られている。
私にとって夏目雅子という女優は、映画『時代屋の女房』や『鬼龍院花子の生涯』で
見せてくれた演技ももちろん印象的だけれど、結婚発表の時の幸せそうな笑顔や、
インタビューに照れながら応える「普通のお嬢さん」的な印象が強い。女優である前に
まず、「人間として」真っ当だった一人の女性。27年という短すぎる生涯を閉じてか
ら、20年以上の歳月が流れた。時の流れの速さを思う。それでも、記憶の中の
彼女の写真は、いつまでも色褪せないのかもしれない。

(『ふたりの「雅子」』小達スエ・著/講談社・1997)
欧州的異世界~『アーサーとミニモイの不思議な国』

ARTHUR ET LES MINIMOYS
冒険家のおじいちゃんが失踪し、おばあちゃん(ミア・ファロー)と二人暮らしの
アーサー(フレディ・ハイモア)は、おじいちゃんの残した書物や道具で遊ぶのが
大好きな10歳の少年。ある夏の日、アーサーは自宅が借金の抵当に入り、48時間
以内の立ち退きを迫られていることを知る。おじいちゃんが庭に隠したルビーを
見つけようと、アーサーはおじいちゃんの残した言葉と地図を手がかりに、地下
の不思議な国へと降りて行くのだが・・・。
リュック・ベッソン監督・製作・原作・脚本による、実写と3Dアニメーション
を融合したファンタジー。残念ながら吹き替え版にての鑑賞。

大好きなフレディ・ハイモアくん。彼は「薄幸系」の顔立ちなので、両親にかまわ
れず、寂しい暮らしを送る少年役がハマリ役。今作でも、そのつぶらな瞳から透明
な涙がポロポロこぼれると、もう堪りません!お久しぶりのミア・ファローも、
若作りだけどやさしい、素敵なおばあちゃんになっている。
舞台は60年代アメリカの田舎町。青い空や自然がとても美しく、アーサーの
家や庭も当時の雰囲気を上手く再現していると思った。しかし、アーサーが身長
2ミリの「ミニモイの国」に入った途端、全くかわいくなくなるのにはビックリ!
フレディ・ハイモアくんとは似ても似つかないその姿・・・。ミニモイ国の王女
セレニアや、王子ベタメッシュも同様。不気味と言ってしまいたいほどかわいく
ない!もちろん、3Dアニメは文句の付けようがないほど素晴らしい出来なのだが・・・。

しかし、観ているうちにその「不気味さ」にも慣れ、彼らの冒険に引き込まれる。
クラブの場面は蛇足だし(音楽を使いたかっただけ?)、アフリカの部族民がどうし
ていきなり現れるんだ?など突っ込み所もアリだが、これまたお約束、大団円の
ハッピーエンドには、素直によかったよかったと思える。
今回、吹き替え版での鑑賞だったのが残念。英語字幕版ではマドンナやデヴィッド
・ボウイ、ロバート・デ・ニーロやハーヴェイ・カイテルまでアフレコしていると
いうのに・・・。しかし、吹き替えの声優さん方に不満があったわけではない。
えなりかずきやGacktさんなど、とてもお上手でした。夏木マリさんがおばあ
ちゃん役というのはすっかり定着した感あり。湯婆婆とは全く違う声の演技、
お見事。
この作品、本国フランスでの大ヒットを受けてシリーズ化されるのだとか。
フレディ・ハイモアくんの成長ぶりを確認するために、次も観るかもしれま
せん(笑)。
(『アーサーとミニモイの不思議な国』監督・製作・原作・脚本:リュック・ベッソン/
主演:フレディ・ハイモア、ミア・ファロー/2006・仏)
自然と動物を愛した女性~『ミス・ポター』

MISS POTTER
世界で一番有名なウサギ、ピーター・ラビット。青い上着を羽織ったこの茶色い
ウサギの食器や絵本はいくつか持っているけれど、彼の生みの親である英国の女性
作家ビアトリクス・ポターについてはほとんど知りませんでした。
20世紀初頭のロンドンと湖水地方を舞台に、中産階級に生まれた一人の女性が人気
絵本作家として世に出、心の故郷である湖水地方の保存に半生を捧げる様を描いた
佳作。とっても素敵な作品でした、超オススメです(特に女性に、かな)。

裕福な家庭に生まれ、何不自由なく育ったであろうビアトリクス(レニー・ゼルウィ
ガー)は、「夫人」ではなく「アーティスト」として生きる道を選び、30歳を過ぎても
独身のまま。閉鎖的で階級社会であった当時の英国において、彼女はとてつもなく
強靭な意志の持ち主だったのでしょう。編集者ノーマン(ユアン・マクレガー)の姉、
ミリー(エミリー・ワトソン)の言う「女は独身の方が人生を楽しめる」という言葉も、
当時はとても突飛な考えだったと思われます。ミリーが新進の気風を持つ女性だっ
たことは、タイを締めたマニッシュな彼女の服装からも窺えました。
独身主義者だったビアトリクスの心を捉えた編集者ノーマン。彼を演じたユアン・
マクレガーが素敵!付け髭はちょっと似合ってなかったけれど、見張り役のおばあ
ちゃんミス・ウィギンを眠らせて、ビアトリクスの手を取ってダンス、そしてあの
声で唄うのですわ・・。
♪When You taught me how to Dance...

90分少々というすっきりした尺で気軽に楽しめる映画ですが、細やかなこだわり
は随所に見られます。衣装やプロダクションデザインはもちろん、20世紀初頭の馬車
や生活風俗など、完璧と思えるほど再現されていて素晴らしいです!英国ではお約束
のお茶が供される茶器も、ウェッジウッドのものが使用されていました。加えて、
湖水地方の風景のなんと美しいこと・・・。開発業者の愚行を制し、農地の保存に尽力
したビアトリクスは、真の意味で「新進の気風」の持ち主だったのでしょう。彼女の画
に語りかけるウィリアム(ロイド・オーウェン)とは、自然とそこに生きる動物を愛す
る「同志的友愛」関係だったように思います。ビアトリクスの描く画が動くアニメも
文句無しのかわいらしさ。そして登場人物たちがやたらと「エクストラオーディナリィ!」
「エクセレント!」と言うのが何か可笑しかった。
主演のレニー・ゼルウィガーは、製作総指揮も兼ねたはまり役。彼女は女優さん
としては地味な顔立ちなので、タイプキャストされることなく様々な役にフィット
しますね。テキサス生まれなのに、ブリジット・ジョーンズといい今回のミス・ポター
といい、英国女性の役もすっかりお馴染みです。
そしてエンドロール。ロールアップする文字に、ピーターラビットの絵本や食器
に書かれている字体と同じものが使われており感動モノです。ビアトリクスが絵本
の書体にまで言及する場面がありましたが、この映画の製作者がアーティストとし
ての彼女の精神をリスペクトしている事が窺え、それ故に、小品ながら心に沁みる
素晴らしい映画が出来上がったのだと感じました。
((『ミス・ポター』監督:クリス・ヌーナン/製作総指揮:レニー・ゼルウィガー/
主演:レニー・ゼルウィガー、ユアン・マクレガー/2006・英、米)
最後の夏の日~『スタンド・バイ・ミー』

STAND BY ME
1959年、オレゴン州の田舎町キャッスルロック。夏休み、新学期にはジュニア・
ハイへ進学する4人の少年が、死体探しの小旅行に出かける。ベン・E・キングの
名曲をテーマソングに、12歳の少年たちの子ども時代最後の夏の日を切り取った
永遠の名作。今回、デジタル処理されない、傷と雑音だらけの公開当時のフィルム
で20年ぶりに劇場にて再見。本当に、素晴らしい映画だと再認識した。
原作はスティーヴン・キング『The Body』、監督はロブ・ライナー。ジョン・
キューザックとキーファー『24』サザーランドも出演している。お二人とも、
今と顔が全く変わっていなくて笑ってしまった。
家族の中で唯一の理解者だった兄を亡くし、自己否定の念に苛まれている繊細
な少年ゴーディ(ウィル・ウィートン)。戦争神経症の父に虐待されながらも、父を
愛する眼鏡のテディ(コリー・フェルドマン)。太っちょでいじられキャラのバーン
(ジェリー・オコンネル)。そして、大人びた眼差しの中に傷ついた心を抱えるクリス
(リヴァー・フェニックス)。公開当時、そして今でもリヴァー・フェニックスの演技
が一番評価されている感があるけれど、他の三人の子役たちの演技の見事さにも
驚かされた。子犬のようにじゃれあい、ふざけ合いはしゃぎ合い、打算の欠片も
なく共に歩く彼ら。アメリカのカントリーサイド、雄大な森や川が美しい。

もちろん、リヴァーの演技や存在感が突出しているのは言うまでもない。信頼
していた教師に裏切られた辛さを誰にも打ち明けず、「この街を出たい」と泣くクリス。
父親に受け入れられず、自分は生きている価値のない人間だと思い込むゴーディ
に、「きっと書ける、俺が守る」と言う場面は胸に沁みる。子どもの心を忘れてしま
った大人から逃れ、自分たちだけの世界で素直になる少年たち(もしも生まれ変わ
れるなら、男の子になりたいと願ってしまう)。
そして、苦学の末社会的に成功しながらも、不慮の死を遂げたクリス。俳優とし
ての将来を嘱望されながら、若くして亡くなったリヴァー・フェニックス自身の
姿と、どうしても重ねて観てしまう。「永遠に彼を懐かしむだろう」ゴーディのこの
述懐も、そのままリヴァーへ捧げたいと思う。
公開当時まだ学生だった私は、幼い頃の親友が年を経るにつれて疎遠になって
しまうことが、実感としてよくわかった。しかし20年たった今、あの頃よりも
もっと、この映画に深く共感できたように思う。作家となったゴーディが、時間
を忘れてタイプした最後の文章を引用することを許して欲しい。全ての大人は昔
は子どもだった、そして大抵の子どもは傷ついている。そのことを忘れない大人
でいたい。
Although I hadn't seen him in more than 10 years,
I know I'll miss him forever.
I never had any friends later on like the ones
I had when I was twelve. Jesus, does anyone?

(『スタンド・バイ・ミー』監督:ロブ・ライナー/1986・USA/
主演:ウィル・ウィートン、リヴァー・フェニックス)
冷たい血~『ピアニスト』

LA PIANISTE
ピアノ一筋に生きてきた中年の音楽教師が、若く美しい青年との出会いにより、
封印してきた自身の性的欲望を解放しようと試みる。歪んだ親子関係、性の妄想
と現実の乖離、愛に傷つく者の苦痛を残酷なまでに描き切った意欲作。監督・脚本
は『隠された記憶』のミヒャエル・ハネケ。2001年のカンヌ国際映画祭において、
審査員特別グランプリ、主演女優賞(イザベル・ユペール)、男優賞(ブノワ・マジメル)
の三冠に輝いている。
ミヒャエル・ハネケの映画はこれでまだ2作しか観ていないが、なんとも言え
ない独特の後味を残す作品を撮る監督だと思う。普通の(と言う表現が適切かどうか
わからないけれど)映画なら、観終わった後にそれなりの満足感だったり、素晴ら
しい作品なら温かい気持ちに満たされたりするものだけれど、ハネケの映画を観
た後は何か落ち着かない気持ちになり、戸惑いを憶える。何とも言えない「嫌な感じ」。
それでいて観終わった後、取り憑かれたように作品について考えてしまう。
親が子を厳格過ぎる支配下に置いてピアノを強制し、子が精神を病むという話は
スコット・ヒックス×ジェフリー・ラッシュの『シャイン』でも描かれていた。どちら
も実話を元にしているところが興味深く、おぞましくもある。芸術を極めようとす
れば並大抵の努力や犠牲ではとても立ち行かないことは理解できるが、親が我が子
を「自己実現」の手段にしている様は見ていて辛いものがある。しかし『シャイン』は
主人公デイヴィッド・ヘルフゴットが愛によって再生し、深い感動と余韻を残す作品
だったのに対し、本作の主人公エリカ(イザベル・ユペール)は愛によって更に傷つき、
救われることはない。彼女に惹かれたワルター(ブノワ・マジメル)は言う、「愛に傷
ついても死ぬことはないよ」本当にそうだろうか? 肉体的には死せずとも、精神的
には死なないと言い切れるだろうか?

エリカを演じたイザベル・ユペールの存在感が凄い。顔中に散る雀斑を隠そうとも
せず、能面のように無表情な中に秘めた激情が、爆発寸前でかろうじてバランスを
取っている様が見事に表現されている。「見ないで」「私が決める」サディスティックに
言い放ったかと思えば「愛してる」「何でもするわ」とワルターにすがるエリカ。
「私に感情はない、あっても知性が勝る」と言いながらも、子どもじみた嫉妬から生徒を
傷つけ、ナイフで復讐を遂げる代わりに自らを刺すことしかできない彼女は哀れです
らある。分厚い手紙に書いた行為を、彼女は本当に望んでいたのだろうか? 実体験
を伴わない妄想に支配されていただけではないか。もしくは母への復讐、共依存関係
からの逃避願望だったのかもしれない。それでも私は彼女を「異常」だと切り捨てること
はしたくない。「シューベルトは醜かったのよ、あなたにはわからないわね」誰かが彼女
に「あなたは美しいし、素晴らしいんだ」と言ってあげられればよかったのに。ワルター
の「僕には二人がボルトとナットにしか思えない」という言葉は真実でも、彼は迷走する
エリカを受け入れる器ではなかった。それは彼の若さ故か、それとも彼自身の人格に
帰するのか。
二人が初めて触れ合ったトイレの白い壁や床のように、冷たく、作り手の体温が感
じられない作品である。流される血さえ、温度を持たない液体のようだ。
(『ピアニスト』監督・脚本:ミヒャエル・ハネケ/主演:イザベル・ユペール、
ブノワ・マジメル/2001・独、仏、ポーランド、オーストリア)
復讐の痛ましさ~『あなたの呼吸が止まるまで』

島本理生の小説に登場する男性は、「ダメな奴」である印象が強い。『ナラタージュ』
の葉山先生のように、繊細でどこか大人になり切れない男と、そんな男に惹かれて
しまう主人公。しかし、少なくとも葉山先生に悪意はなかった。最新作『あなたの呼吸
が止まるまで』では、やさしい顔をして近付いてくる「悪い奴」によって思春期の少女
がさらされる残酷な暴力を描き、苦く辛い読後感を残す。
主人公・野宮朔は、両親の離婚後舞踏家の父と二人で暮らしている。音信不通の
母への思いを抱えつつ、「物語を書く人になりたい」という密かな夢を持ち、退屈な
日々をなんとかやり過ごしている。同級生への淡い恋心や嫉妬、父の帰りを独りき
りで待つ寂しい生活の中で、朔は父の仕事仲間である佐倉と出会う。
朔は12歳の小学生でありながら、『ノルウェイの森』を学校に持って行って読むよう
な、大人びたところのある少女。当然クラスでは浮いた存在であり、同級生たちと
は馴染まない。15歳で作家デビューした島本理生も、朔のような少女だったのだろ
うかと思わせる人物造形だ。そして、静かで丁寧な主人公の語り口は、カズオ・イシ
グロの『わたしを離さないで』を意識したものなのだろうかと感じる。
女性ならば、誰しも成長過程で一度は遭遇しているかもしれない理不尽で残酷な
暴力。決して消せない過去を「書く」ことで、「復讐」という力に変えようとする朔が
痛ましく、大人の無責任さを嘆かずにはいられない。
(『あなたの呼吸が止まるまで』島本理生・著/新潮社・2007)
シネマよ永遠なれ~『ニュー・シネマ・パラダイス』

NUOVO CINEMA PARADISO
「30年、一度も戻らないのよ。兄さんらしいわ、もう忘れているわよ」
「忘れるもんか、私にはわかるんだ」
何年ぶりの再見だろう、この冒頭の会話はすっかり記憶から抜け落ちていた。
しかしこの老いた母の言葉を目にした瞬間、あのラストシーンが甦り涙がこぼれ
落ちる。あとは2時間、トトと共に「記憶の中の写真」のような映像を、泣きっ放しで
追い続けていた。
『ニュー・シネマ・パラダイス』。現在、最新作『題名のない子守唄』が公開中のイタ
リアの巨匠、ジュゼッペ・トルナトーレが弱冠33歳で撮った、映画への愛と憧れ、
故郷と青春の日々への思いが溢れる、問答無用の感動作。この映画を映画館で観ら
れる日が来ようとは・・。生きててよかった、まじで。
第二次大戦直後、イタリアはシチリア島の小さな村。トト(サルヴァトーレ・カシ
オ)は10歳、母と妹の三人暮し。父はロシア戦線から帰らない(この「ロシア戦線から
帰らない」という設定は、イタリア映画の名作『ひまわり』を想起させる。トトの母も、
ソフィア・ローレンに似たイタリア美人)。貧しい生活の中、村の娯楽は教会兼映画
館「シネマ・パラダイス」で上映される映画だけ。映画が大好きなトトは、映画を観る
だけでは飽き足らない。映画にもっと近づきたい!とばかりに、映写室に入り浸る。
最初は迷惑がっていた映写技師アルフレード(フィリップ・ノワレ)だったが、二人
の間には、次第に世代を超えた友情が育まれていく・・・。

初見時にも感じたが、トトの少年期・青春期・壮年期から成るこの物語、やはり
少年期のエピソードが一番心和む。少年トトを演じたサルヴァトーレ・カシオの愛
らしさの前では、どんな名優も霞んでしまうだろう。トトと奇妙な友情で結ばれ、
父性愛に満ちたまなざしでトトを導くアルフレード。学は無くとも、「人生で大切な
ことは全て映画から学んだ」ような彼の含蓄ある言葉は胸を打つ。故郷を捨てよ、
自分のすることを愛せよと、また愛ゆえにトトを突き放す彼。昨年、惜しくも世を
去った名優フィリップ・ノワレの一挙手一投足が胸に迫る。
シネマ・パラダイスで上映される、古い映画の数々。銀幕に釘付けになり、何度
も繰り返し、繰り返し観てセリフを暗記する人。赤ん坊を連れた人、授乳させる人、
「いい女」にクラクラする人。映画を観て泣き、笑い、心で映画を求める普通の人々。
映写室に貼られた『カサブランカ』のポスター、父を亡くしたトトに微笑みかけるクラ
ーク・ゲーブル。これは「映画」そのものだけでなく、映画が観客に届くまでの全ての
過程、全ての関わった人々をも愛し、慈しんだ映画なんだ。だからこんなにも温か
く、戻ることの叶わない場所にいるような、幸せな気持ちに満たされるのだろう。
二つの臨終に立ち会ったトトが受け取った形見。試写室で一人、スクリーンに釘
付けになるトトの表情。驚き、歓喜、感嘆、万感の思いが彼の瞳に満ちて、表面張力
になっている。言葉はなくとも全てを伝えるその横顔、ジャック・ペランの名演が
光る。そしてもちろん、美しい映像へ郷愁に満ちた旋律を与えた名匠、エンニオ・
モリコーネの熟練の技にも拍手を送りたい。

((『ニュー・シネマ・パラダイス』監督・脚本:ジュゼッペ・トルナトーレ/
音楽:エンニオ・モリコーネ/主演:フィリップ・ノワレ、ジャック・ペラン、
サルヴァトーレ・カシオ/1988・伊、仏)
寄り添って生きる~『花の回廊-流転の海・第五部』

宮本輝による、自らの父をモデルにした大河小説の第五部。第一部『流転の海』が
出版されたのが1984年であるから、20年以上に渡って書き継がれている物語。
富山から大阪に戻った松坂一家(松坂熊吾、妻房江、二人の一人息子伸仁)が、
喧騒の時代を様々な人々との関わりの中で生き抜いてゆく様を描く。久々に
宮本輝の新作を読んだ。
舞台は大阪と尼崎、時代は昭和32年から33年、『ALWAYS 三丁目の夕日』で
描かれた、戦後から高度成長期へと日本が沸き立っていた頃。宮本輝の小説か
ら受ける独特の説教臭さは今作ではかなり薄められており、人間ドラマは相変
わらず秀逸。松坂熊吾という主人公の、なんとも言えない不思議な魅力も健在。
今回、咲子というファム・ファタール的少女の出現で、今後の展開に意味あり
げなラストだったのが印象的。どうする、熊吾?
第一部から読み続けている読者(私)からすれば、この小説は一体、あと何部、
あと何年で完結するのか? 早く結末が知りたいところではある。しかしまぁ、
取り敢えずは第六部を楽しみに待つことにしよう。宮本先生、お身体に気をつ
けて、なるべく早く書き上げて下さいませ!
(『花の回廊-流転の海・第五部』宮本輝・著/新潮社・2007)
生への渇望~『マグダレンの祈り』

THE MAGDALENE SISTERS
1964年、アイルランド。三人の少女が、マグダレン修道院にやってくる。従兄弟
にレイプされたマーガレット(アンヌ=マリー・ダフ)、美貌の孤児バーナデット(ノラ
=ジェーン・ヌーン)、未婚で出産したローズ(ドロシー・ダフィ)。彼女たちは性的に
堕落した罪深い存在と貶められ、家族や保護者から疎まれ捨てられたのだ。アイル
ランドで実在し、1996年(!)に閉鎖されるまで、三万人以上の少女たちを収容した
マグダレン修道院の非人道的実態を描く力作。監督・脚本はスコットランドの名優、
『マイ・ネーム・イズ・ジョー』のピーター・ミュラン。2002年のヴェネチア国際映画祭
において、金獅子賞(最高賞)を受賞している。
ほんの10年ほど前までこのような「人権蹂躙施設」が欧州に実在していたこと自体に
驚かされるが、少女期を過ぎ、最早「老人」としか見えない女性らの働く姿が最も衝撃的
だった。彼女たちは一体どれくらいの期間、この修道院とは名ばかりの、刑務所より
も酷い「生き地獄」の中にいたのか。身体的にも精神的にも自由を奪われ、神の名の下に
過酷な労働(しかも無報酬!)を強いられた女性たち。息をするのも忘れてしまうほどの
怒りが、身体中に渦巻くのがわかる。

『ヴェラ・ドレイク』にしてもそうだけれど、こういう題材の映画を観るといつも「何故、
女だけが?」という思いに囚われてしまう。マーガレットをレイプした従兄弟にはお咎め
なしなのか?バーナデットをからかった男の子たちは罰を受けたのか?ローズの子の
父親は、一体何処で何をしているのだ!脱走したウーナを殴る父(ピーター・ミュラン
が演じている)にとって、娘とは一体、何なのだ。
しかしこの作品はただ単に、重い題材の実話を映画化しただけの告発映画ではない。
三人の少女たちをそれぞれ異なるキャラクターに設定し、彼女たちの微妙な心の揺れ
や外の世界への思いを、繊細に描いて飽きさせない。バーナデットの画策する逃亡は
成功するのか?ローズは子に再会できるのか。細かなエピソードを説得力のあるもの
に成し得た女優たちの熱演も素晴らしい。とりわけ「性悪女」バーナデットを演じたノラ
=ジェーン・ヌーンはシェリリン・フェンを彷彿させる美貌と目ヂカラで、映画初主演
とは思えない力演を見せてくれる。ラストの一瞬まで、彼女の眼光が衰えることはな
い。それは自由と生への、貪欲なまでの渇望にほかならないだろう。
修道院長を演じたジェラルディン・マクイーワン、神父の生贄にされる少女クリス
ピーナを演じたアイリーン・ウォルシュといった脇役も、それぞれ強烈な印象を残す。
クリスマスの夜、『聖メリーの鐘』のイングリッド・バーグマンを見つめるシスターを、
白け切ったまなざしで見つめる少女たち。聖なるものとは、悔悛とは、そもそも罪と
は、何なのだ?
DVDの特典映像には、、『マグダレン修道院の真実』というTVドキュメンタリーも収録
されている。実際にあの場所で生活を強いられた女性たちの言葉は重く、怒りに満ち
ている。それでも耳を傾けるべき告白であることに疑いはない。
(『マグダレンの祈り』監督・脚本:ピーター・ミュラン/2002・UK、アイルランド/
主演:ノラ=ジェーン・ヌーン、アンヌ=マリー・ダフ、ドロシー・ダフィ)
呼び合う魂~『愛より強く』

GEGEN DIE WAND
何かを得ようとしたり、何かから逃げようとしたり--例えばグリーンカード
だとか、家族だとかお見合いだとか。互いの思惑が一致して偽装結婚した男女が
いつの間にか恋に落ちる、そういうプロットは何度も映画化されているし、特に
目新しさも無い。本作もまさしくそういった「嘘から出た真」を描いているには違い
ないのだけれど、この作品には既視感や陳腐さの欠片もない。そこにあるのは圧倒
的な「愛よりも強い」何か。舞台はドイツ・ハンブルグとトルコ・イスタンブール。
運命的に出逢った男女の、魂が呼び合うような深い愛を描いた本作は、2004年、
ベルリン国際映画祭において金熊賞(最高賞)を受賞している。参りました。
「ものすごく」愛していた妻と死別し、酒とドラッグに溺れ、自暴自棄な生活を送る
中年男ジャイト(ビロル・ユーネル)。車で壁に激突し、自殺未遂を図ったとして収容
された病院で、彼は同じくトルコ系ドイツ人であるシベル(シベル・ケキリ)と出逢う。
「私と結婚して」
厳格なイスラム教徒である父と兄に干渉され、家庭から逃げ出すことだけを望
む彼女は「自由になりたいから」自殺未遂を繰り返していた。嫌々ながら結婚に同意
し、「ルームメイト」としてシベルと同居するジャイト。自由を謳歌する、23歳も
年下の美しい「妻」に、ジャイトはいつしか惹かれてゆく・・・。

「やめて。私たち、本当の夫婦になってしまう」
ジャイトを演じたビロル・ユーネルは、髭もじゃ、髪はボサボサの伸び放題、
部屋の中はゴミ溜めという「汚い中年男」に他ならないのだけれど、映画冒頭に彼が
登場してすぐ、どこか目を離せない、放ってはおけない魅力を感じる。物語の後半、
憑き物が落ちたかのようにすっきりした表情の中に彼の漆黒の瞳を見つけたとき、
その魅力の源を見つけた気がした。シベルを演じたシベル・ケキリも、なんとも
言えない独特の美しさを放つ、ファム・ファタールな魅力全開の女優。全てを投
げ出した演技が素晴らしい。
愛が始まったと悟ったその刹那、その激しさゆえに人生を暗転させてしまうジャ
イト。酒浸りでドラッグに溺れ、誇れるものなど何もない人生に、ただ愛だけが
魂を再生させるのだと理解したジャイト。何もかも失くし、祖国ではあっても見
知らぬ国でもある場所で、髪を切り女を捨て、ジャイトを待とうとするシベル。
しかし彼女は、待つにはあまりに若過ぎた。

「理性を失わないでね」「もう失っているわ」
彼らを見守り、助ける周囲の温かさにはトム・テクヴァの『ヘヴン』と通じるもの
を感じる。時を経てドラッグも酒も断ち、ミネラルウォーターを抱え下着を着け
て眠るジャイトの瞳には、シベルを待つこと、愛することに一点の翳りも疑いも
ない。最後にシベルが選んだ道は一見、愛を遠ざけるように映る。けれど、彼ら
の愛は永遠に終わらないと、彼らの絆は愛より強いと信じたい。彼らの魂は必ず
呼び合い、再び愛し合う日がやってくると信じたいのだ。
起承転結のように挿入される、トルコ音楽も印象的。愛より強い激情、愛より
強い血潮、愛より強い結びつきを描いた魂の再生の物語。虜になります。
(『愛より強く』監督・脚本:ファティ・アキン/2004・独、トルコ/
主演:ビロル・ユーネル、シベル・ケキリ)
奇妙な小島~『魚と寝る女』

THE ISLE
湖に浮かぶ小屋舟、桟橋で管理人をする一人の女。朝霧が立つ頃、一人の男が
やってくる。死に場所を求めて逃れてきた男と、口を閉ざし、世間から孤立した
女。出会い、求め、拒み、傷つけ、互いの痛みを身をもって知ることで初めて一
つになるふたり。その過程を時に残虐に、時に冷淡に、そしてあくまでも静かに
描いた、キム・ギドクの名を最初に世界に知らしめた作品。海外の映画祭では失神
者続出だとか、「痛い」描写が衝撃的だという評にビビッて今まで未見だった。しか
し先日、同じく過激だという評を聞いていた『受取人不明』を観ることができたので、
こちらも解禁。
キム・ギドクの作品はいつもそうだと思うけれど、これは受け入れられる人と
激しく拒絶する人が分かれる作品だと思う。私は、現時点でソフト化されている
キム・ギドク作品は全て観ることができたために免疫(?)がついたのか、ビデオの
パッケージにあった煽り文句ほどには強烈な「痛い」作品だとは思わなかった。
『コースト・ガード』の方が、女性として激しく痛みを感じたように思う。しかし、
もしもこの作品が「初ギドク」だったなら受け入れられただろうか?
ちなみに私の「初ギドク」は『悪い男』。徹底的にインモラルでありながら究極とも
言える純愛を描いたこの大傑作に、観終わった瞬間から虜になったことを憶えて
いる。
「痛み」よりもむしろ、ギドク作品のエッセンスをこの作品でも強く感じる。一言も
しゃべらない主人公、水辺、ブランコ、水浴びする女。朝霧、夕日に赤く染まる
湖、世間から隔絶された夢のような舞台。印象的な美しい風景とは裏腹に、登場
人物たちの愛憎、業は観ていて息苦しくなるほど激しい。言葉で説明しない代わ
りに、彼らは血を流し、痛みに身を委ね、身体を重ねる。闖入者は水の底深くに
沈め、辱めを受ければ制裁を加える。水を怖れず、半分水と同化したかのような
女の情念に圧倒されるしかない。
「コーヒーの出前」が売春行為とほとんどイコールであるということは『ユア・マイ・
サンシャイン』で知って驚いたのだが、本作でも女たちが原付バイクに乗り、小屋舟
の男たちにコーヒーを届けるシーンがある。桟橋の管理人をしながら夜は男たち
に売春している女も、彼らにコーヒーを届けているのは妙に義理堅いような、建前
を重んじているような不思議な印象を受けた。
それで思い出したのが、もう何年も前に観たイ・チャンドン監督のデビュー作
『グリーン・フィッシュ』。兵役を終えて実家に戻ってきたマクトン(ハン・ソッキュ)
が、手持ち無沙汰に街の喫茶店に入ると、そこで妹が働いているのを知る。激怒
したマクトンを恐れ、妹が店から逃げ出すシーンがあった。
その当時は「何で喫茶店で働いていたらダメなんだろう?」と不思議に思っただけだ
ったのだが、そういうことだったのか・・・。そう言えば、妹のスカートが妙に短
かったような。。
常識も、モラルも飛び越えたところにある、奇妙で不思議な物語。目を背けた
いと理性では思いながら、幻想的なラストまで目が離せない。この独特の世界観
に、すっかり囚われてしまった。
(『魚と寝る女』監督・脚本:キム・ギドク/主演:ソ・ジョン、キム・ユソク/
2000・韓国)
アン・リー監督、トニー、おめでとう!!~『色・戒/Lust, Caution』
2007年ヴェネツィア国際映画祭において、アン・リー監督最新作『色・戒/
Lust, Caution』が最高賞の金獅子賞を受賞しました!

色・戒Se, Jie/Lust, Caution
1940年、日本統治下の上海を舞台に、政府高官と彼を誘惑する女スパイとの
愛と葛藤を描いた作品。主演は我らがトニー・レオン。
アン・リー監督は2005年度にもご存知『ブロークバック・マウンテン』で金獅子賞
を受賞しています。2作品連続で金獅子賞受賞は快挙ではないでしょうか?!
アン・リー監督おめでとうございます!!

この作品、性愛描写が過激で、アメリカではNC-17(17歳以下の入場を制限)
のレイティングを受けたそうです。トニーも撮影はかなり辛いものだったと語って
いたようですが、この受賞でその苦労もいくらかは報われたのではないでしょうか?
おめでとうトニー!!
公開が楽しみですね♪ ★公開決定!『Lust, Caution/色・戒』★
ちなみに、ボブ・ディランを6人の俳優が演じたことで話題の『I'm not there』
も審査員特別賞と女優賞(ケイト・ブランシェット)を受賞した模様。こちらも楽
しみですね~、早く観たい~。。
Lust, Caution』が最高賞の金獅子賞を受賞しました!

色・戒Se, Jie/Lust, Caution
1940年、日本統治下の上海を舞台に、政府高官と彼を誘惑する女スパイとの
愛と葛藤を描いた作品。主演は我らがトニー・レオン。
アン・リー監督は2005年度にもご存知『ブロークバック・マウンテン』で金獅子賞
を受賞しています。2作品連続で金獅子賞受賞は快挙ではないでしょうか?!
アン・リー監督おめでとうございます!!

この作品、性愛描写が過激で、アメリカではNC-17(17歳以下の入場を制限)
のレイティングを受けたそうです。トニーも撮影はかなり辛いものだったと語って
いたようですが、この受賞でその苦労もいくらかは報われたのではないでしょうか?
おめでとうトニー!!
公開が楽しみですね♪ ★公開決定!『Lust, Caution/色・戒』★
ちなみに、ボブ・ディランを6人の俳優が演じたことで話題の『I'm not there』
も審査員特別賞と女優賞(ケイト・ブランシェット)を受賞した模様。こちらも楽
しみですね~、早く観たい~。。
映画見に行こうぜ~『映画篇』

発刊記念期間限定公式サイト
『GO』でデビュー作にして直木賞を受賞した、金城一紀の最新作。物語のチカラを
信じ、映画を愛する人々のための、勇気と希望溢れる物語。帯には「最高傑作」とあ
るが、正に看板に偽りなし。笑いと涙、切なさと愛しさが込み上げる、素晴らし
い小説です。読みながら涙が止まらなかった。私は『GO』以来金城さんの小説は全
て読んでいるけれど、初めて『GO』を越える小説が生み出された気がする。金城さ
ん、おめでとう!そしてありがとう。。
それぞれに名作映画の名を冠された五つの短編(『太陽がいっぱい』『ドラゴン怒りの
鉄拳』『恋のためらい/フランキートジョニー もしくは トゥルー・ロマンス』『ペイ
ルライダー』『愛の泉』)は、ある一つの映画と夏休み最後の日(8月31日、私が
読了したのは偶然にもその日だった)を介して繋がり合っている。五つの短編から
成る一冊の小説が、全体で一つの群像劇になるような仕掛けになっていて、そこ
にも作者の「映画愛」が感じられて心地よい。
とりわけ印象的だったのは、「映画を心で見る」という言葉。映画を観ること、それ
は映画を解釈するためでもなく、粗探しするためでもなく、理屈でもない。ただ
ただ心で映画を求める、という物凄くシンプルでいて実はとてつもなく深く熱い、
作者の映画への思いが伝わってくる。映画も小説も所詮は「作り事」だけれど、だか
らこそ映画や小説を求め、それらによって救われる人がいる。これって、奇跡み
たいに素晴らしいことじゃないだろうか?
この小説が、評論家や文壇にどう評価されるのか私にはわからないし、そんな
ことはどうでもいいことだろう。私自身の心がこの小説に感応し、周りのみんな
に「読んで!」と薦めたくなるような本に出会えたこと、それがただただうれしい。
そしてとても驚いたのだが、集英社が期間限定で『映画篇』公式サイトをオープン
してる模様。興味のある方は覗いてみて下さい。
(『映画篇』金城一紀・著/集英社・2007)
もし『14』があるなら・・・~『オーシャンズ13』

OCEAN'S THIRTEEN
ダニー・オーシャン率いる犯罪仲間がスマートに盗み、騙し、大金をせしめる
遊び心たっぷりの人気シリーズ第三作。今回は、メンバーの一人を裏切り、病床
送りにしたホテル王への復讐劇。ジョージ・クルーニー、ブラッド・ピットらお
馴染みのレギュラーキャストに加え、今回はアル・パチーノ御大がゲスト。物凄
く期待していたし、それなりに面白かったのだけれど・・・。やはり第一作の痛快
さには届かなかった感じでした。
『11』の細かいストーリーはほとんど憶えていないのだけれど、「すっごい、面白
かった!」と感じたことだけはよく憶えている。『12』の感想にも書いたのだけれ
ど、妻テス(ジュリア・ロバーツ)を取り戻すために立ち回るオーシャン(ジョージ
・クルーニー)がとにかくかっこよくて、もう惚れ惚れ。しかし今回、オープニング
から「テスには関係ない」と厳しい表情のオーシャン。彼には金より、妻より名誉よ
り、何より大切な「仲間」がいるのです。。
物語は中盤以降、ベネディクト(アンディ・ガルシア)が登場し、オーシャンたち
がダイヤを盗む計画を立てる辺りから俄然、テンポよく展開します。ダイヤと聞
いてニヤリとするラスティ(ブラッド・ピット)の表情に、「ああ、この人たち根っか
らの泥棒なんだ!」と感じて何故かこちらまでうれしくなる。ホテル王バンク(アル・
パチーノ)へのこれでもか!の復讐も、古い仲間への愛情の裏返しということなら
許せてしまう。割を食ったホテル批評家への落とし前もキッチリつける辺り、さす
がオーシャンズ、ぬかりはありません。

個人的には、ジュリアやキャサリン・ゼタ=ジョーンズという「華」が登場しなく
てちょっと残念。代わりにバンクの右腕として、エレン・バーキンが参上。ちょ
っとお年は召していらっしゃるのだけれど(劇中でもネタにされていた)、スタイル
抜群でまだまだ十分、イケてます。
ライナス(マット・デイモン)のパパ、ママネタ、ラスティの食べ物ネタも相変わ
らず。ベネディクト、元妻テスのことはどうでもいいのか?という疑問も相変わらず。
ドン・チードルの鼻の穴も、今回大フィーチャーされています、ドアップです。。
そして何故か(?)、欧州一の大泥棒ナイトフォックス(ヴァンサン・カッセル)まで
再登場!しかしこれは『12』を観ていないに人は絶対わからないネタですね。エンド
ロールでは曙と武蔵丸の名前を見つけてビックリ!うっそー、出てたんだ・・。
製作総指揮も兼ねているジョージは「14はない」と明言しているようですが、是非
作っていただきたい!そして次こそアンジー、カメオ出演でいいのでご登場願いた
いです(ブラピと続いていたら・・・)。
(『オーシャンズ13』監督:スティーヴン・ソダーバーグ/2007・USA/
製作総指揮:スティーヴン・ソダーバーグ、ジョージ・クルーニー/
主演:ジョージ・クルーニー、ブラッド・ピット、マット・デイモン)
愛ノカタチ~『ショートバス』

SHORTBUS
公式サイト
魂の大傑作『ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ』のジョン・キャメロン・ミッチェル
(JCM)が、5年の歳月をかけて撮った最新作。9・11後のNYに暮らす7人の男女が、
満たされない思いを抱えてアンダーグラウンドサロン『ショートバス』に集まる。
本作で描かれるセックスシーンは全て本物、100箇所以上のボカシを監督である
JCM自身が入れた、などのスキャンダラスな話題も耳にしたけれど、「『ヘドウィグ』に
おける音楽の役割が、この作品ではセックスになっただけ」というJCMの言葉を信じて
いたから、何も不安に思うことはなかった。ただただ純粋に、公開を楽しみに大阪
での公開初日に鑑賞。小さな劇場だけれど、立ち見も出る盛況ぶり。JCMにまた
会えるんだ!
コバルト、エメラルド、青磁が混ざったようなオープニング。映し出されるのは
自由の女神像、舞台はグラウンド・ゼロを抱くNY。箱庭のようなNYの景観が、
ハンドメイド感に溢れたCGアニメーションとなり、温かくてPOPでかわいくて
引き込まれてしまう。そしていきなり始まるのは・・・・。

確かに、男×女、男×男、女×女、男×男×男、たくさんのセックスが描かれて
いるけれど、なんだかアクロバティックな新種のスポーツを観ている感覚だった。
この映画を観て興奮したり、エロティックな気分になる人は少ないんじゃないだろ
うか? ボカシも相当、入っていたけれど、ボカシのせいでこの映画のメッセージ
が損なわれたということは決してなかったと思う。逆に、ボカシがなかったら落ち
着いて観られなかったかもしれない。
カップルカウンセラーでありながら自らの性生活に満たされないものを感じてい
るソフィア、その夫ロブ、近頃いまいち呼吸が合わないゲイカップルのジェイミー
とジェイムズ。彼らを覗くストーカーのカレブ、SM女王のセヴェリン。妙に赤い
唇がかわいいゲイのセス。それぞれに生き難さを感じながら、誰かと心も身体も繋
がりたいと願う彼らは、決して異形でも特別な人々でもないと感じた。そういう感情
って、どんな人間でも心のどこかに抱えていると思うから。
登場人物の中で一番魅力的なのは、彼らが集うサロン『ショートバス』の「女主人」
ジャスティン・ボンド。『トーチソング・トリロジー』のアーノルドのような風貌の
彼(彼女?)が唄う『In the End』は、出口のない暗闇の中に放り出されたときに
灯るろうそくの炎のように、感動と共感をもたらしてくれる。NYの元市長が語る
「NYは柔軟な考えの人々が、罪の救済を求めて集まる場所」という言葉は、そのまま
『ショートバス』そのものを表しているようだ。
鬱屈した心を抱えたジェイムズが、『マイ・プライベート・アイダホ』について、リヴァー
・フェニックスのように話す場面には涙、涙。「12歳のときから、ずっと同じものを探し
続けている」ジェイムズは、実在する映画監督がモデルだという。
人生たった一回きり、老人も若者も、男も女も、みんな好きなカタチで愛し合おう
よ!っていうのが、私がこの映画から受け取ったメッセージだった。「セックスを、映画
の中できちんと描きたかった」というJCMの心意気、しかと受け止めました。
『ショートバス』の中で蠢く人々の中に一瞬、JCMの姿を見つけたよ。
(『ショートバス』監督・製作・脚本:ジョン・キャメロン・ミッチェル/
主演:スックイン・リー、ポール・ドーソン、ラファエル・バーガー/2006・USA)
迷子の大人たち~『リトル・チルドレン』

LITTLE CHILDREN
小さな駅に「ダンキンドーナツ」のロゴが見えるボストン郊外。静観な住宅街に夫と
三歳の娘と暮らす主婦サラ(ケイト・ウィンスレット)。公園で井戸端会議に明け暮れ
る主婦仲間に馴染めず苦しんでいた彼女は、息子と公園に現れた司法試験浪人中の
主夫ブラッド(パトリック・ウィルソン)と恋に堕ちる。
同じくニュー・イングランド地方を舞台に、一人息子を亡くした夫婦の葛藤を描
いた『イン・ザ・ベッドルーム』で監督デビューし、絶賛を浴びた俳優出身のトッド・
フィールド監督の長編第二作。「リトル・チルドレン」=大人になりきれない大人たち
が、もがき傷つきながらも一歩前に進もうとする様をリアルに描く。本作もオスカ
ーノミネートはじめ、数々の映画賞で高く評価された。
言わずもがなのケイト・ウィンスレット、『ハード・キャンディ』のパトリック・ウィ
ルソン、そして『オール・ザ・キングスメン』のシュガーボーイ役で異彩を放ち、強烈な
印象を残したジャッキー・アール・ヘイリー共演ということで、とても楽しみにして
いた本作。今月21日で営業を終了するOS名画座にて鑑賞。

鑑賞前は、ケイト扮する主婦サラに感情移入しまくるのではないかと思っていた。
確かに、公園で噂話に花を咲かせる主婦仲間に入り込めないサラの姿は痛ましく
共感できたけれど、ブラッドに惹かれ、情事に堕ちてしまう彼女には距離を置いて
観てしまった。ブラッドがあまりにも情けない男に見えてしまったから。私だった
ら、年に一度の司法試験をサボって私とお泊りするような男、「絶対に」イヤだなぁ。
本作に登場するのは、皆不完全な大人たち。皆、どこか不安定で、「ここではない
どこか」を夢見ているように見える。しかし、そもそも「完全な」人間なんているの
だろうか?キャリアを築いて家族を養い、「完璧な」美貌を持つブラッドの妻キャシー
(ジェニファー・コネリー)。彼女もまたその「完璧さ」で夫を傷つけ遠ざけているし、
夫婦の問題に「実家の母」を介入させるように、彼女もまた大人になりきれない「リトル
・チルドレン」なのだ。

サラが「ボヴァリー夫人」になぞらえて、自分を語る場面がいい。ボヴァリー夫人が
したことを「淫乱」だと言う主婦仲間に対し、「別の人生への渇望」だと肯定するサラ。
それはただの言い換えではなく、心の底からの真摯な言葉に聞こえた。サラとブラッ
ドとの関係を肯定するつもりはないけれど、「ひと夏の経験」でサラはそれまでの人生
では得られなかった柔軟な物事の捉え方を獲得したように見えて、あの場面の彼女
はとてもやわらかくて、やさしく魅力的な女性に映る。
そしてこの作品のもう一つの軸は、幼児への性犯罪で服役していたロニー(ジャッキ
ー・アール・ヘイリー)と、元警察官でロニーを糾弾するラリー(ノア・エメリッヒ)。
ロニーを攻撃することで自分を保とうとし、傍から見れば滑稽なのにそのことに気
付けない、暴走するラリーが恐ろしかった。悪魔のように忌み嫌われる息子を愛し、
命がけで守ろうとするロニーの母の愛。彼女を過保護だと非難することもできるだ
ろう、でも私は彼女を否定したくないし、彼女の絶筆に涙した。「ママだけが僕を愛し
てくれたのに」と言うロニーの言葉でサラが自らの過ちに気付き、娘を抱き締めて謝罪
するシーンに、心から安堵。。
ボイスオーバーのある映画は『アダプテーション』のセリフ「ボイスオーバーはバカ
のすることだ!」を思い出して引いてしまうことが多いのだけれど、本作は割と聴き
易かったように思う。登場人物誰の声でもなかったから、ナレーションに余計な感情
が入り込まなかったからだろうか? ちなみにナレーターはウィル・ライマンが務め
ている(ノンクレジット)。
完璧な人生、完全な大人などどこにもいない。みんな迷いながら、傷つきながら、
手探りで自分の人生を探している。目の前にある愛しいものや、誰かの痛みに気付く
ことができたのなら、それが成長の証なのかもしれない。
(『リトル・チルドレン』監督・製作・脚本:トッド・フィールド/
主演:ケイト・ウィンスレット、パトリック・ウィルソン/2006・USA)
Love goes on...~『ひかりのまち』

WONDERLAND
ロンドン、ある木曜日の夜。カフェで働く27歳のナディア(ジーナ・マッキー)は、
出会いを求めて伝言dialにメッセージを吹き込む。姉デビー(シャーリー・ヘンダー
ソン)は9歳の息子ジャックと二人暮らしのシングルマザー。妹のモリー(モリー・
パーカー)は臨月のお腹を抱え、その夫エディは転職を思案中。。
英国労働者階級に生きる三姉妹を軸に、彼女たちの親、家出した弟、それぞれの
家族の生き方を、ある週末に沿って描いたアンサンブル劇。監督は英国の俊英(と
言われて久しい)マイケル・ウィンターボトム、音楽は『ピアノ・レッスン』のスコア
で一世を風靡したマイケル・ナイマン。大スターは登場しないけれど、英国映画で
はお馴染みのキャストが数多く出演している。
この温かく、キラキラ煌くような珠玉の小品に出逢えてとっても幸せ。もちろん、
オープニングからラストまで目が離せない、と言った類の作品ではないし、途中や
や散漫な印象も受ける。それでも、観終わったときの胸に迫る感動は忘れ難い。
ロンドンの光り輝く美しい夜の顔を見せてくれるこの映画、『ひかりのまち』という
邦題も名意訳だと思う。マイケル・ウィンターボトムの監督作品は『ウェルカム・トゥ
・サラエボ』くらいしか観ていなかったのだけれど、ブラピ製作、アンジー主演の
公開待機作『マイティ・ハート』がとても楽しみになった。

登場人物全ての造形がとてもリアルで、一人として不自然なキャラクターが登場
しない。誰かと繋がっていたい、でも誰でもいいわけじゃない。身近な、手の届く
距離にある幸福に気付かないナディア。奔放で夜遊びを止めないデビー、それでも
一人息子への愛情はストレートで強靭。元教師でスクエアな性格のモリーは、妊娠
中で精神的に不安定なためか、夫についキツく当たってしまう・・。
三人三様、どこにでもありそうで誰でも持っている強さと弱さ。退職後「濡れ落ち葉」
となった父、その父にイラつく母。家出しても、家族との絆を捨てきれない弟。内
にこもり、ナディアへの恋心を告げられない青年フランクリン。「普通」の市井の人々
をリアルに描いて、やさしさも失わない演出が心地良い。

わざとフィルムに傷を施したような、ざらついたドキュメンタリータチの映像も、
この映画の「リアルさ」に一役買っている。そこに被さるマイケル・ナイマンの美
しくやさしいスコア。映画における音楽の偉大なるチカラを改めて感じさせてくれ
て感動的だ。
この映画の白眉は、ナディアが一人、雨の中を走るロンドン・バスで涙するシーン
だろう。都会の無機質な明るさが、抱き合っても心はひとつになれない孤独を浮か
び上がらせてどうしようもなく切ない。誰かと繋がりたい、その誰かはどこにいる
のだろう・・・。
出産、事故、襲撃、何らかのイニシエーションを経て、再び繋がろうとする家族。
願った幸福がすぐ側にあったことをナディアが悟るであろう、希望に満ちたラスト
シーンが素晴らしい。愛も、人生も、続いていくんだ。。
Life goes on...
(『ひかりのまち』監督:マイケル・ウィンターボトム/音楽:マイケル・ナイマン/
主演:ジーナ・マッキー、シャーリー・ヘンダーソン、モリー・パーカー/1999・UK)