軽くて楽しいロマンティック・ラブコメディ~『カサノバ』
う~ん、困った・・・。待ちに待った『カサノバ』、鑑賞中も、観終わった今も、
出てくるのは「ヒース・・。ヒースかっこいぃぃ!」それだけ。
映画を観て「主役の人カッコよかったね~、サイコー!」それだけが感想でも別に
いいとは思うのだけれど、このめっちゃ楽しいロマンティック・ラブコメディを
語らず終るのはあまりにももったいない。
時は18世紀半ば、水の都ヴェネチアで、稀代のプレイボーイが実在した。その
名はジャコモ・カサノバ。彼を演じるのが『ブロークバック・マウンテン』のヒース・
レジャー。ヒースは「典型的な二枚目とはいえない」とか「強烈な個性に欠ける」など
と言われているが、そのスタイルのよさ(特に足の長さ!)はどうだ。歴史上最高の
色男を軽々と演じていて、無口で不器用だったイニスとはまさに別人。彼が「本当に」
笑ったときの笑顔は最高で、女が堕ちないはずがない。
カサノバの運命の人、フランチェスカを演じたのはシエナ・ミラー。彼女は初見
だったが、男勝りの剣の腕前を持ち、知性と美しさをも兼ね備えた役を無難に演じ
ている。しかし彼女よりも印象的だったのが、カサノバが自らの保身のために婚約
を申し出る、良家の箱入り娘ヴィクトリアを演じたナタリー・ドーマー。彼女も初見
だったが、碧く澄んだ瞳の眼力が強烈。誰かに似てると思いつつ観ていて気付いた、
田中麗奈だ。あの眉の上がりかた、口元もそっくり。
その他、カサノバを追い詰めるプッチ司教のジェレミー・アイアンズ、フランチェ
スカの許婚パプリッツィオのオリヴァー・プラット、フランチェスカの母のレナ・
オリンら、脇役陣も多彩でそれぞれ楽しめたし、ヴィヴァルディなどのバロック
音楽も映像とマッチして物語を盛り上げる。
そしてやはり見所は、水の都ヴェネチアの街並み。10年以上前に一度行ったこと
があるけれど、あの狭い(自動車は皆無)迷路のような街で、一体どうやってロケ
したのだろう?5ヶ月間のオール・ロケだったと聞くが、あの街にならあの衣装、
あの鬘の俳優達も違和感なく溶け込んでいたのだろうと思う。
監督のラッセ・ハルストレムは、『マイ・ライフ・アズ・ア・ドッグ』以来の「好き
な映画監督」の一人。本作では特に「ラッセ風味」は感じなかったけれど、2時間
近くを全く飽きさせることなくスピーディに描き、ラストは大団円のハッピー・
エンディングにまとめ上げたのはやはり監督の手腕だろう。また雑誌『Cut』に、彼の
空間表現について言及した記事があった。彼の映画の中で、登場人物たちは上下に
向かって自己主張するが、彼らを救うものは水平移動してくる、という。
『ギルバート・グレイプ』で給水塔に登るアーニー、キャンピングカーで現れるベッキー。
『カサノバ』で熱気球に乗るカサノバとフランチェスカ、馬車に乗ってやってくるカサ
ノバの母、海をゆく帆船。納得はするけれど、これはさすが、評論家の見方だなと
いう感じ。私は私、やっぱりこの映画は「ヒース、カッコイイ!」それに尽きる。
(『カサノバ』監督:ラッセ・ハルストレム/主演:ヒース・レジャー、
シエナ・ミラー/2005・USA)
出てくるのは「ヒース・・。ヒースかっこいぃぃ!」それだけ。
映画を観て「主役の人カッコよかったね~、サイコー!」それだけが感想でも別に
いいとは思うのだけれど、このめっちゃ楽しいロマンティック・ラブコメディを
語らず終るのはあまりにももったいない。
時は18世紀半ば、水の都ヴェネチアで、稀代のプレイボーイが実在した。その
名はジャコモ・カサノバ。彼を演じるのが『ブロークバック・マウンテン』のヒース・
レジャー。ヒースは「典型的な二枚目とはいえない」とか「強烈な個性に欠ける」など
と言われているが、そのスタイルのよさ(特に足の長さ!)はどうだ。歴史上最高の
色男を軽々と演じていて、無口で不器用だったイニスとはまさに別人。彼が「本当に」
笑ったときの笑顔は最高で、女が堕ちないはずがない。
カサノバの運命の人、フランチェスカを演じたのはシエナ・ミラー。彼女は初見
だったが、男勝りの剣の腕前を持ち、知性と美しさをも兼ね備えた役を無難に演じ
ている。しかし彼女よりも印象的だったのが、カサノバが自らの保身のために婚約
を申し出る、良家の箱入り娘ヴィクトリアを演じたナタリー・ドーマー。彼女も初見
だったが、碧く澄んだ瞳の眼力が強烈。誰かに似てると思いつつ観ていて気付いた、
田中麗奈だ。あの眉の上がりかた、口元もそっくり。
その他、カサノバを追い詰めるプッチ司教のジェレミー・アイアンズ、フランチェ
スカの許婚パプリッツィオのオリヴァー・プラット、フランチェスカの母のレナ・
オリンら、脇役陣も多彩でそれぞれ楽しめたし、ヴィヴァルディなどのバロック
音楽も映像とマッチして物語を盛り上げる。
そしてやはり見所は、水の都ヴェネチアの街並み。10年以上前に一度行ったこと
があるけれど、あの狭い(自動車は皆無)迷路のような街で、一体どうやってロケ
したのだろう?5ヶ月間のオール・ロケだったと聞くが、あの街にならあの衣装、
あの鬘の俳優達も違和感なく溶け込んでいたのだろうと思う。
監督のラッセ・ハルストレムは、『マイ・ライフ・アズ・ア・ドッグ』以来の「好き
な映画監督」の一人。本作では特に「ラッセ風味」は感じなかったけれど、2時間
近くを全く飽きさせることなくスピーディに描き、ラストは大団円のハッピー・
エンディングにまとめ上げたのはやはり監督の手腕だろう。また雑誌『Cut』に、彼の
空間表現について言及した記事があった。彼の映画の中で、登場人物たちは上下に
向かって自己主張するが、彼らを救うものは水平移動してくる、という。
『ギルバート・グレイプ』で給水塔に登るアーニー、キャンピングカーで現れるベッキー。
『カサノバ』で熱気球に乗るカサノバとフランチェスカ、馬車に乗ってやってくるカサ
ノバの母、海をゆく帆船。納得はするけれど、これはさすが、評論家の見方だなと
いう感じ。私は私、やっぱりこの映画は「ヒース、カッコイイ!」それに尽きる。
(『カサノバ』監督:ラッセ・ハルストレム/主演:ヒース・レジャー、
シエナ・ミラー/2005・USA)
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君の心へつづく長い一本道は・・・~『ウォーク・ザ・ライン/君につづく道』
アメリカの国民的ミュージシャン、ジョニー・キャッシュ(ホアキン・フェニックス)
と、その二度目の妻となるジューン・カーター(リーズ・ウィザースプーン)の物語。
本作で、ホアキンはゴールデン・グローブ主演男優賞を、リースはゴールデン・グロ
ーブ、アカデミー主演女優賞をW受賞している。
私は全く知らなかったのだが、ジョニー・キャッシュといえばエルビス・プレスリー
らと共に一時代を築いたスーパー・スターであり、ビートルズやブルース・スプリング
スティーンらに影響を与えた先駆的アーティストらしい。日本ではカントリー・ミュー
ジックはポピュラーとは言い難いため、きっと「知る人ぞ知る」存在なのだろう。
ホアキン・フェニックスといえば、最早「リバーの弟」というポジションからは完全
に抜けた感がある。元々似てない兄弟だったし、リバー・フェニックスが亡くなっ
てからもう10年以上たつのだ。そして何より、ホアキン自身がそのレッテルを、自
らの演技で剥がしてみせたのだと思う。最愛の兄を幼い頃の事故で亡くし、そのト
ラウマを抱えながらショービズの世界でもがき、ドラッグに溺れてしまうジョニー・
キャッシュという役は、ホアキン自身を投影していると言えるかもしれない(リバー
の死因はドラッグのオーバードーズである)。
片やジューン・カーターを演じたリーズ・ウィザースプーンも、トレードマーク
のブロンドをブラウンに染めて、自立したシングル・マザーを力強く演じている。
結婚後も実家を恋しがり、次第に夫と擦れ違ってゆくジョニーの最初の妻ヴィヴィ
アンとは対照的だ。
そして何より素晴らしいのは主演二人のライヴ。「ロックンロール合宿」に参加して
鍛え上げたというその歌声は、作り物であるはずの映画に真実の力を与えている。
エンドロールとともにジョニー・キャッシュとジューン・カーター本人たちのデュ
エットが流れ、ホアキンとリーズの歌声がいかに本人たちに似ているかに驚いた。
本物のジューンはうなるような「コブシ」が凄かった。都はるみのような(アメリカ
におけるカントリーの位置づけって、日本の演歌みたいなものか?とふと思う)。
ジョニー・キャッシュのような才能あるアーティストでも、悩んだり挫折したり、
叶わぬ恋に焦がれたりする等身大の一人の人間なのだ。兄の死にまつわる父との
確執、アルコールとドラッグ、幼い頃から憧れ続けたジューンへの愛。ドラッグに
アディクトする自分を「俺はクズだ(I'm nothing.)」と言うジョニー。このセリフは、
80年代初頭のワイオミングで、若さと愛を喪いつつある名も無いカウボーイがもら
す言葉と同じ。それでもジョニーにはジューンという最愛の「親友」が、側にいてくれ
たのだけれど。
ステージの上でジョニーとジューンが結ばれるところでエンディングとなるが、
もう少し、この後の二人が見てみたかった気もする。ジョニーがジューンを思い続
けた長い長い道のり。そしてそれからも続く二人の人生。『青春の影』って唄を思い出
してしまった。ベタだけど、泣ける。
(『ウォーク・ザ・ライン/君につづく道』監督:ジェームズ・マンゴールド、
主演:ホアキン・フェニックス、リーズ・ウィザースプーン)
と、その二度目の妻となるジューン・カーター(リーズ・ウィザースプーン)の物語。
本作で、ホアキンはゴールデン・グローブ主演男優賞を、リースはゴールデン・グロ
ーブ、アカデミー主演女優賞をW受賞している。
私は全く知らなかったのだが、ジョニー・キャッシュといえばエルビス・プレスリー
らと共に一時代を築いたスーパー・スターであり、ビートルズやブルース・スプリング
スティーンらに影響を与えた先駆的アーティストらしい。日本ではカントリー・ミュー
ジックはポピュラーとは言い難いため、きっと「知る人ぞ知る」存在なのだろう。
ホアキン・フェニックスといえば、最早「リバーの弟」というポジションからは完全
に抜けた感がある。元々似てない兄弟だったし、リバー・フェニックスが亡くなっ
てからもう10年以上たつのだ。そして何より、ホアキン自身がそのレッテルを、自
らの演技で剥がしてみせたのだと思う。最愛の兄を幼い頃の事故で亡くし、そのト
ラウマを抱えながらショービズの世界でもがき、ドラッグに溺れてしまうジョニー・
キャッシュという役は、ホアキン自身を投影していると言えるかもしれない(リバー
の死因はドラッグのオーバードーズである)。
片やジューン・カーターを演じたリーズ・ウィザースプーンも、トレードマーク
のブロンドをブラウンに染めて、自立したシングル・マザーを力強く演じている。
結婚後も実家を恋しがり、次第に夫と擦れ違ってゆくジョニーの最初の妻ヴィヴィ
アンとは対照的だ。
そして何より素晴らしいのは主演二人のライヴ。「ロックンロール合宿」に参加して
鍛え上げたというその歌声は、作り物であるはずの映画に真実の力を与えている。
エンドロールとともにジョニー・キャッシュとジューン・カーター本人たちのデュ
エットが流れ、ホアキンとリーズの歌声がいかに本人たちに似ているかに驚いた。
本物のジューンはうなるような「コブシ」が凄かった。都はるみのような(アメリカ
におけるカントリーの位置づけって、日本の演歌みたいなものか?とふと思う)。
ジョニー・キャッシュのような才能あるアーティストでも、悩んだり挫折したり、
叶わぬ恋に焦がれたりする等身大の一人の人間なのだ。兄の死にまつわる父との
確執、アルコールとドラッグ、幼い頃から憧れ続けたジューンへの愛。ドラッグに
アディクトする自分を「俺はクズだ(I'm nothing.)」と言うジョニー。このセリフは、
80年代初頭のワイオミングで、若さと愛を喪いつつある名も無いカウボーイがもら
す言葉と同じ。それでもジョニーにはジューンという最愛の「親友」が、側にいてくれ
たのだけれど。
ステージの上でジョニーとジューンが結ばれるところでエンディングとなるが、
もう少し、この後の二人が見てみたかった気もする。ジョニーがジューンを思い続
けた長い長い道のり。そしてそれからも続く二人の人生。『青春の影』って唄を思い出
してしまった。ベタだけど、泣ける。
(『ウォーク・ザ・ライン/君につづく道』監督:ジェームズ・マンゴールド、
主演:ホアキン・フェニックス、リーズ・ウィザースプーン)
ミシェル・ウィリアムズの魅力とは?~『ランド・オブ・プレンティ』
『ブロークバック・マウンテン』を語るとき、どうしても主演の二人に話題が偏ってしま
うのは仕方ないことだ。それにしても、イニス(ヒース・レジャー)の妻アルマを
演じ、アカデミー助演女優賞にもノミネートされたミシェル・ウィリアムズの演技
に感銘を受けた方も多いのではないだろうか。
今やバネッサ・パラディと並び、世界中の女子から羨望の眼差しを浴びている
ミシェル。今週は『カサノヴァ』待ちということで、ヒースのパートナーである彼女
の主演作を観てみることにする。
2001年9月11日から2年と1日後、少女ラナ(ミシェル・ウィリアムズ)は10年ぶりに
故郷であるアメリカに帰ってくる。亡き母の手紙を伯父に手渡すために。伯父ポール
(ジョン・ディール)はベトナム帰還兵で、バンで生活しながら一人、アメリカを
テロリストから守るために活動している。
ラナとポールは9・11以降、故国アメリカへの新しい、複雑な思いを抱いている。ラナ
はその思いを宗教と貧困層への支援で形にし、ポールは偏執的とも言える愛国心で
形にする。二人の思いが交差したとき、ポールのバンはラナを乗せ、ニューヨークへ
と向かう・・。
監督・脚本のヴィム・ヴェンダースは、『アメリカ、家族のいる風景』の撮影が資金面
から頓挫し、撮影延期を余儀なくされた際、「前を向いていくために」ミシェルを念頭に
置いてこの作品の脚本を書いたという。彼はミシェルを「誠実で、にじみ出る美しさがあ
る」と評している。確かに、真面目そうではあるがスクエア過ぎず、大きな瞳とアン
バランスな口元が、白い肌と相まって不思議な魅力を醸し出している。小柄なわりに
長い手足、薄く細い身体は中性的であると言えなくもない。BBMの撮影で身も心も
「カラカラになった」ヒースが彼女と恋に落ちたように、映画製作に難渋していたヴェン
ダースも、彼女と共に新しい作品を撮ることで意識の転換を図ろうとした。ミシェル
はハリウッド的正統派美人女優ではないけれど、聖母のような安らぎをも感じさせる
「something」の持ち主なのだ。本作ではその彼女の魅力~少女でもあり、母性もあり、
守護天使のようでもある~が十二分に発揮されている。ラナが屋上でipodを聴きながら
踊る素晴らしいシーンだけを観ても、それがわかっていただけると思う。
ヴィム・ヴェンダースといえば言わずと知れた世界的名匠だが、その重厚で静謐な
映像世界は今までちょっと苦手だった。しかし本作では、アメリカ在住のドイツ人と
して、「自由と民主主義の国」アメリカが9・11以降、どう変化したかを真摯に描こうとし
ている。対テロリストの大義名分の下、戦争と人種(民族)差別が肯定され、国内の
貧困問題が無視されるという現状を声高にではなく、愛情を込めて静かに批判する。
エンディングで流れるレナード・コーエンの『The Land of Plenty』の歌詞にメッセージ
を託すその姿勢には、共感せずにはいられない。
May the lights in the land of plenty,shine on the truth some day.
(この豊かなる国の光が いつの日か真実を照らしますように)
グラウンド・ゼロで二人が眼を閉じ、風の歌に耳を澄ませるラストは、鎮魂と平和
への祈りのように映る。願わくば、真実が光の下に導かれることを。
(『ランド・オブ・プレンティ』監督:ヴィム・ヴェンダース/
主演:ミシェル・ウィリアムズ、ジョン・ディール)
うのは仕方ないことだ。それにしても、イニス(ヒース・レジャー)の妻アルマを
演じ、アカデミー助演女優賞にもノミネートされたミシェル・ウィリアムズの演技
に感銘を受けた方も多いのではないだろうか。
今やバネッサ・パラディと並び、世界中の女子から羨望の眼差しを浴びている
ミシェル。今週は『カサノヴァ』待ちということで、ヒースのパートナーである彼女
の主演作を観てみることにする。
2001年9月11日から2年と1日後、少女ラナ(ミシェル・ウィリアムズ)は10年ぶりに
故郷であるアメリカに帰ってくる。亡き母の手紙を伯父に手渡すために。伯父ポール
(ジョン・ディール)はベトナム帰還兵で、バンで生活しながら一人、アメリカを
テロリストから守るために活動している。
ラナとポールは9・11以降、故国アメリカへの新しい、複雑な思いを抱いている。ラナ
はその思いを宗教と貧困層への支援で形にし、ポールは偏執的とも言える愛国心で
形にする。二人の思いが交差したとき、ポールのバンはラナを乗せ、ニューヨークへ
と向かう・・。
監督・脚本のヴィム・ヴェンダースは、『アメリカ、家族のいる風景』の撮影が資金面
から頓挫し、撮影延期を余儀なくされた際、「前を向いていくために」ミシェルを念頭に
置いてこの作品の脚本を書いたという。彼はミシェルを「誠実で、にじみ出る美しさがあ
る」と評している。確かに、真面目そうではあるがスクエア過ぎず、大きな瞳とアン
バランスな口元が、白い肌と相まって不思議な魅力を醸し出している。小柄なわりに
長い手足、薄く細い身体は中性的であると言えなくもない。BBMの撮影で身も心も
「カラカラになった」ヒースが彼女と恋に落ちたように、映画製作に難渋していたヴェン
ダースも、彼女と共に新しい作品を撮ることで意識の転換を図ろうとした。ミシェル
はハリウッド的正統派美人女優ではないけれど、聖母のような安らぎをも感じさせる
「something」の持ち主なのだ。本作ではその彼女の魅力~少女でもあり、母性もあり、
守護天使のようでもある~が十二分に発揮されている。ラナが屋上でipodを聴きながら
踊る素晴らしいシーンだけを観ても、それがわかっていただけると思う。
ヴィム・ヴェンダースといえば言わずと知れた世界的名匠だが、その重厚で静謐な
映像世界は今までちょっと苦手だった。しかし本作では、アメリカ在住のドイツ人と
して、「自由と民主主義の国」アメリカが9・11以降、どう変化したかを真摯に描こうとし
ている。対テロリストの大義名分の下、戦争と人種(民族)差別が肯定され、国内の
貧困問題が無視されるという現状を声高にではなく、愛情を込めて静かに批判する。
エンディングで流れるレナード・コーエンの『The Land of Plenty』の歌詞にメッセージ
を託すその姿勢には、共感せずにはいられない。
May the lights in the land of plenty,shine on the truth some day.
(この豊かなる国の光が いつの日か真実を照らしますように)
グラウンド・ゼロで二人が眼を閉じ、風の歌に耳を澄ませるラストは、鎮魂と平和
への祈りのように映る。願わくば、真実が光の下に導かれることを。
(『ランド・オブ・プレンティ』監督:ヴィム・ヴェンダース/
主演:ミシェル・ウィリアムズ、ジョン・ディール)
名セリフ考~ブロークバック・マウンテン#14
シネマライズでの『ブロークバック・マウンテン』ロングランも、遂に先週末で終了
した。最終上映には、自然発生的に拍手が沸き起こったという。その場に居合わ
せることは叶わなかったけれど、この素晴らしい映画に出逢えた幸せを今、改め
て感じている。
セリフの少ないBBMではあるが、少ないからこそ印象に残るセリフがある。
一番有名で、ジョークのネタにもなったというのが
"I wish I knew how to quit you."
今更説明も不要だと思うが、最後の逢瀬での諍いで、ジャックが発した言葉だ。
アン・リー監督もオスカー像を手にして開口一番、ジョークのつもり(?)でこの
セリフを言って、思いっきりすべっていた。しかも字幕は「絶好調だね」・・。超訳
にもほどがあるだろう。
この場面、ジャックは私達観客にもイニスにも背を向けて、彼の表情は見えない。
それでも、彼の声は潤んでいる。もうそれだけで十分だ。
個人的に、一番好きなセリフを挙げるなら。
"Truth is, sometimes I miss you so much I can hardly stand it..."
これも最後の逢瀬でのジャックのセリフ。脚本では"so bad"とされている。英語に明
るくないのでこのニュアンスの違いは判りかねるが、"sometimes"が本当は"always"
なのだということはわかる。20年間、ジャックがどれだけイニスに恋焦がれ続けたか。
このセリフで涙は表面張力となり、涙腺決壊に至る。あのジャックの瞳に気付いた時、
どうしたら泣かずにいられるのだろう?
そして、名セリフといえば真紅的映画史に残るこの名セリフ、ラストのイニス。
"Jack, I swear..."
どんな愛の言葉よりも胸に響くこの言葉を、万感込めてつぶやいたイニス。彼は何を
誓ったのか? クローゼットとしての自分を受け入れること、ジャックへの愛を胸に
生きていくこと、ブロークバックでの思い出を忘れないこと。いつか自分も灰になっ
た時、その時こそは一緒にいような、絶対に・・。
字幕では「ジャック、永遠に一緒だよ」と意訳されている。この訳があったからこそ感動
した、字幕翻訳者の感性が素晴らしい、という意見もあるが、私は敢えてここは直訳
するべきだと考える。原作と同じく、「ジャック、俺は誓う・・・」と。
それは「何を誓うかは観た者に委ねるべきだ」とか、「想像の余地を残しておくべきだ」
という考えからではない。
"Jack, I swear..."の後に続いたであろう言葉。その言葉をイニスは言い表すことが
できなかった。しかし、何かを深く感じた時に、それを言葉ではうまく言い表せない
のは、無口で愛情表現が苦手だったイニスに限らず、ごく自然なことではないだろうか?
そしてむしろ大事なのは、その言葉にならない「何か」をずっと抱え続けるための、心の
強さと魂の深さを持つことではないだろうか。
ジャックを愛しつつも、同性愛者を嫌悪するという自己矛盾の塊だったイニス。
若さとイノセンスのみならず、たった一つの愛と、自らの半身をも喪ったイニス。
クローゼットの中の重なり合ったシャツを前にしてもなお、何を誓うのかうまく
言葉にできなかったイニス。
それでも、言葉にならない思いをずっと抱えて生きてゆくための「強さ」と「深さ」を、
ラストシーンの彼は獲得したと思うのだ。
待望の日本版DVDが9月にリリースされるという。ラストシーンは日本語字幕でどう
訳されているだろう。楽しみに待ちながら、翼を得たイニスの魂に思いを馳せたい。
した。最終上映には、自然発生的に拍手が沸き起こったという。その場に居合わ
せることは叶わなかったけれど、この素晴らしい映画に出逢えた幸せを今、改め
て感じている。
セリフの少ないBBMではあるが、少ないからこそ印象に残るセリフがある。
一番有名で、ジョークのネタにもなったというのが
"I wish I knew how to quit you."
今更説明も不要だと思うが、最後の逢瀬での諍いで、ジャックが発した言葉だ。
アン・リー監督もオスカー像を手にして開口一番、ジョークのつもり(?)でこの
セリフを言って、思いっきりすべっていた。しかも字幕は「絶好調だね」・・。超訳
にもほどがあるだろう。
この場面、ジャックは私達観客にもイニスにも背を向けて、彼の表情は見えない。
それでも、彼の声は潤んでいる。もうそれだけで十分だ。
個人的に、一番好きなセリフを挙げるなら。
"Truth is, sometimes I miss you so much I can hardly stand it..."
これも最後の逢瀬でのジャックのセリフ。脚本では"so bad"とされている。英語に明
るくないのでこのニュアンスの違いは判りかねるが、"sometimes"が本当は"always"
なのだということはわかる。20年間、ジャックがどれだけイニスに恋焦がれ続けたか。
このセリフで涙は表面張力となり、涙腺決壊に至る。あのジャックの瞳に気付いた時、
どうしたら泣かずにいられるのだろう?
そして、名セリフといえば真紅的映画史に残るこの名セリフ、ラストのイニス。
"Jack, I swear..."
どんな愛の言葉よりも胸に響くこの言葉を、万感込めてつぶやいたイニス。彼は何を
誓ったのか? クローゼットとしての自分を受け入れること、ジャックへの愛を胸に
生きていくこと、ブロークバックでの思い出を忘れないこと。いつか自分も灰になっ
た時、その時こそは一緒にいような、絶対に・・。
字幕では「ジャック、永遠に一緒だよ」と意訳されている。この訳があったからこそ感動
した、字幕翻訳者の感性が素晴らしい、という意見もあるが、私は敢えてここは直訳
するべきだと考える。原作と同じく、「ジャック、俺は誓う・・・」と。
それは「何を誓うかは観た者に委ねるべきだ」とか、「想像の余地を残しておくべきだ」
という考えからではない。
"Jack, I swear..."の後に続いたであろう言葉。その言葉をイニスは言い表すことが
できなかった。しかし、何かを深く感じた時に、それを言葉ではうまく言い表せない
のは、無口で愛情表現が苦手だったイニスに限らず、ごく自然なことではないだろうか?
そしてむしろ大事なのは、その言葉にならない「何か」をずっと抱え続けるための、心の
強さと魂の深さを持つことではないだろうか。
ジャックを愛しつつも、同性愛者を嫌悪するという自己矛盾の塊だったイニス。
若さとイノセンスのみならず、たった一つの愛と、自らの半身をも喪ったイニス。
クローゼットの中の重なり合ったシャツを前にしてもなお、何を誓うのかうまく
言葉にできなかったイニス。
それでも、言葉にならない思いをずっと抱えて生きてゆくための「強さ」と「深さ」を、
ラストシーンの彼は獲得したと思うのだ。
待望の日本版DVDが9月にリリースされるという。ラストシーンは日本語字幕でどう
訳されているだろう。楽しみに待ちながら、翼を得たイニスの魂に思いを馳せたい。
決して逃げず、引き受け、愛し、立ち去る~『この世の果ての家』
また一つ、忘れられない本に出逢った。『めぐりあう時間たち』の著者、マイケル・
カニンガムの長編第二作『この世の果ての家』。流れるような美しい文体の中に主人公
達の数十年間を包み込んだ、心に深くやさしく沁み入るような物語だ。
ジョナサンとボビー。この二人の主人公が出会い、離れ、再び出会い生活を共に
し、紆余曲折を経て最後には自分達の居場所を見つける。物語はこの二人とジョナ
サンの母アリス、二人のパートナーである年上の女性クレアのそれぞれ四つの視点
から語られ、オハイオ州クリーブランドからニューヨーク、アリゾナそしてウッドストック
近郊へと舞台を移しながら進んでいく。
読み進むうち、着ていたTシャツの胸に大きなシミができるほど泣いた。著者の
カニンガムは同性愛者であることをカミングアウトしているゲイ男性であるが、
よくぞここまでと思えるほど、女性-若さを失いつつある、母親として妻としての
自分にリアリティが持てない-の感情を描写しているし、ゲイであるジョナサンの
苦悩もセクシャリティに去来するものというよりは、自分の人生が生きられないと
悩む全ての者に普遍的な苦悩に映る。私が一番泣いたのも、同性であるクレアや
アリスよりもジョナサンにシンクロしてしまった箇所だ。
ジョナサンとボビー。さやの中の豆のような二人。お互いを半身だと感じ、愛よ
りも強いなにかで結びついている二人。子どもの頃、一人は兄を、もう一人は生ま
れてくるはずだった赤ん坊を失うというトラウマを背負ったこの二人は、生者の外
の世界に強い愛着を感じ、少年のような大人に成長する。この二人にクレアを加え
た三人で一旦は家族と言う形態を作り上げ、レベッカという娘まで成したにもかか
わらず、それは崩壊する。クレアがレベッカにしたことは、母親の本能からという
よりも、利己的な遺伝子のなせる業のようにも映るし、結局はジョナサンとボビー、
二人以外は何も誰も入り込めない関係からの逃避とも言えるだろう。
そしてやはり既読の傑作『めぐりあう時間たち』に言及しないわけにはいかないだろ
う。『めぐりあう時間たち』の三人の主人公のうち、ローラとクラリッサのキャラクタ
ーはアリスの対極として描かれているように思える。二人目の子どもの母親になる
ことを望まず、夫との結婚生活に疑問を感じつつもそこから逃れられないアリスに
対し、「自分の人生は自分のもの」という心の声に従ったローラ。一人息子に病の兆候
を感じつつ、別れ際「軽く、だがちゃんと唇に」キスをするアリス、エイズに冒された
友人リチャードの唇にキスできなかったクラリッサ。しかしカニンガムはどちらが
より正しく、どちらが間違っていると主張するわけではない。どちらにもいくばく
かの後悔と失われたものへの執着があり、「ふつう」の日々、「ふつう」の女性など実は
あり得ないのだ、という静かなメッセージを置くにとどめている。
物語を彩る音楽も、洋楽好きな読者にはたまらないだろう。アーティスト名、曲名
を聴いてピンと来ない自分が本当にうらめしかった。『海辺のカフカ』(村上春樹著)を
読んだ時にも強く感じたことだが、映画のサントラのように、本にもコンピレーション
アルバムがあればいいのに。
少年の頃、四月の冷たい水に飛び込むことで自らのセクシャリティを自覚し、同時に
人生に迷い続けたジョナサン。彼が少年の頃と同じようにまだ冷たい四月の湖に浸る
ことで、自分の人生が何であったかを悟るラストには、潮が満ちるような感動を覚え
る。そして、この物語を読んでいる間中どうしても頭から離れないのが、ブローク
バックでのもう一つのさやの中の豆たち、イニスとジャックだ。
声に出して朗読したいほど(そして実際に朗読したほど)美しい文体、それを違和感
なく訳出した翻訳文が素晴らしい。単行本の初版発行から14年もの時を経て今この
時期、『ブロークバック・マウンテン』に出逢った後にこの名作を手に取れたことに、
心から感謝したい。
★追記:マイケル・カニンガム脚本によって、2004年本作が映画化された。
コリン・ファレル主演、邦題『イノセント・ラブ』感想はこちら⇒
(『この世の果ての家』マイケル・カニンガム著/飛田野裕子・訳/角川書店H4年・初版、
『A Home At The End Of The World』by Michael Cunningham/1990/USA)
カニンガムの長編第二作『この世の果ての家』。流れるような美しい文体の中に主人公
達の数十年間を包み込んだ、心に深くやさしく沁み入るような物語だ。
ジョナサンとボビー。この二人の主人公が出会い、離れ、再び出会い生活を共に
し、紆余曲折を経て最後には自分達の居場所を見つける。物語はこの二人とジョナ
サンの母アリス、二人のパートナーである年上の女性クレアのそれぞれ四つの視点
から語られ、オハイオ州クリーブランドからニューヨーク、アリゾナそしてウッドストック
近郊へと舞台を移しながら進んでいく。
読み進むうち、着ていたTシャツの胸に大きなシミができるほど泣いた。著者の
カニンガムは同性愛者であることをカミングアウトしているゲイ男性であるが、
よくぞここまでと思えるほど、女性-若さを失いつつある、母親として妻としての
自分にリアリティが持てない-の感情を描写しているし、ゲイであるジョナサンの
苦悩もセクシャリティに去来するものというよりは、自分の人生が生きられないと
悩む全ての者に普遍的な苦悩に映る。私が一番泣いたのも、同性であるクレアや
アリスよりもジョナサンにシンクロしてしまった箇所だ。
ジョナサンとボビー。さやの中の豆のような二人。お互いを半身だと感じ、愛よ
りも強いなにかで結びついている二人。子どもの頃、一人は兄を、もう一人は生ま
れてくるはずだった赤ん坊を失うというトラウマを背負ったこの二人は、生者の外
の世界に強い愛着を感じ、少年のような大人に成長する。この二人にクレアを加え
た三人で一旦は家族と言う形態を作り上げ、レベッカという娘まで成したにもかか
わらず、それは崩壊する。クレアがレベッカにしたことは、母親の本能からという
よりも、利己的な遺伝子のなせる業のようにも映るし、結局はジョナサンとボビー、
二人以外は何も誰も入り込めない関係からの逃避とも言えるだろう。
そしてやはり既読の傑作『めぐりあう時間たち』に言及しないわけにはいかないだろ
う。『めぐりあう時間たち』の三人の主人公のうち、ローラとクラリッサのキャラクタ
ーはアリスの対極として描かれているように思える。二人目の子どもの母親になる
ことを望まず、夫との結婚生活に疑問を感じつつもそこから逃れられないアリスに
対し、「自分の人生は自分のもの」という心の声に従ったローラ。一人息子に病の兆候
を感じつつ、別れ際「軽く、だがちゃんと唇に」キスをするアリス、エイズに冒された
友人リチャードの唇にキスできなかったクラリッサ。しかしカニンガムはどちらが
より正しく、どちらが間違っていると主張するわけではない。どちらにもいくばく
かの後悔と失われたものへの執着があり、「ふつう」の日々、「ふつう」の女性など実は
あり得ないのだ、という静かなメッセージを置くにとどめている。
物語を彩る音楽も、洋楽好きな読者にはたまらないだろう。アーティスト名、曲名
を聴いてピンと来ない自分が本当にうらめしかった。『海辺のカフカ』(村上春樹著)を
読んだ時にも強く感じたことだが、映画のサントラのように、本にもコンピレーション
アルバムがあればいいのに。
少年の頃、四月の冷たい水に飛び込むことで自らのセクシャリティを自覚し、同時に
人生に迷い続けたジョナサン。彼が少年の頃と同じようにまだ冷たい四月の湖に浸る
ことで、自分の人生が何であったかを悟るラストには、潮が満ちるような感動を覚え
る。そして、この物語を読んでいる間中どうしても頭から離れないのが、ブローク
バックでのもう一つのさやの中の豆たち、イニスとジャックだ。
声に出して朗読したいほど(そして実際に朗読したほど)美しい文体、それを違和感
なく訳出した翻訳文が素晴らしい。単行本の初版発行から14年もの時を経て今この
時期、『ブロークバック・マウンテン』に出逢った後にこの名作を手に取れたことに、
心から感謝したい。
★追記:マイケル・カニンガム脚本によって、2004年本作が映画化された。
コリン・ファレル主演、邦題『イノセント・ラブ』感想はこちら⇒
(『この世の果ての家』マイケル・カニンガム著/飛田野裕子・訳/角川書店H4年・初版、
『A Home At The End Of The World』by Michael Cunningham/1990/USA)
「中島ワールド」炸裂!~『嫌われ松子の一生』
母からメール。「先日の朝日の映画評を読んで、今朝『嫌われ松子の一生』を観て
来ました。これは面白い!!邦画をみて久しぶりに感動、是非お勧めです」
「了解。次のレディースディに行ってみます」と返信した。寺脇研氏の映画評は私も
読んで気になっていたし、『ブロークン・フラワーズ』に行けなかった腹いせ(?)に、
久々の邦画を観るのも悪くないだろう。
山田宗樹氏のベストセラー小説を映画化した本作は、主人公・川尻松子(中谷美紀)
の甥・笙(瑛太)を狂言回しに、男達に翻弄され続けた松子の波乱万丈な人生を描く。
原作は未読だが、典型的な「男運の悪い女」のかなり悲惨な話だ。にもかかわらず、CG
を多様した独特の色彩の映像と、明るいミュージカル仕立ての作劇で2時間余りを
疾走し、全く飽きさせない。もちろん、映像と音楽だけで観るものを引っ張るわけ
ではない。主演の中谷美紀を始め、宮藤官九郎、伊勢谷友介、柄本明、谷原章介ら
豪華なキャストの生身の熱い演技があってこそ、高い技術が生かされていると言う
べきだろう。
メディア向けのインタビューで、中谷美紀が監督に対する「恨み辛み」を語っている
ことが少し気になっていた。女性の一生を描く作品においては、主演女優の演技に
ほとんど全てがかかっている、と言っても過言ではない。監督の「シゴキ」は、中谷の
最高の演技を引き出すための意図的なものだったのだろうと思われるし、その試みは
成功していると言っていいと思う。中谷=松子の何かが、監督の劣情を刺激したの
かもしれない、などと思ってみたりもするけれど。
不幸な女の一生、ミュージカル仕立て、監督と主演女優の相克、とくれば思い出
してしまうのが『ダンサー・イン・ザ・ダーク』。女性が不幸になる悲劇が世界で一番
好きな監督ラース・フォン・トリアーと、中島哲也監督がダブって見えてしまうのは
私だけだろうか?中島監督が眼鏡を取ったら、容貌もなんとなく似ている。しかし
救いようのない後味の悪さが残る『ダンサー・・』に比べて、『松子』のラストには
爽快感すら漂うカタルシスがある。幼い頃から父の愛が得られないと感じ、終生「愛を
乞うひと」だった松子。天国への階段を昇り切ったそこに、得られなかったはずの
愛が彼女を待っていた。松子の弟・紀夫(香川照之)の「つまらん人生たい」という言葉
で始まるこの物語が、決して彼女の人生を否定せず、神の愛だとすら言ってしまう
ところに監督の慈しみを感じてしまった。
中島哲也監督の前作『下妻物語』は大好きな作品だった。深キョンと土屋アンナが役に
ドンピシャはまり、笑いのツボも押さえまくり。『松子』はこの『下妻』以上に絢爛豪華
な「中島ワールド」全開といったところ。中谷美紀の全編体当たりの力演は言うまでもなく、
女囚役の土屋アンナ(深キョンもいたら最高!だったのに)、着物姿の黒沢あすか、ポロ
シャツの下に透けるランニングがツボの劇団ひとりなど、脇役陣の個性も素晴らしい。
これはキャスティングの勝利。映像と音楽が渾然一体となった、凝りに凝ったファンタジー。
映画と言う「嘘」をエンターテインメントに昇華する美学。どこまでもそれを貫く中島
哲也監督、あなたは凄い。文句なし。
(『嫌われ松子の一生』監督・中島哲也/主演・中谷美紀/2006・日本)
来ました。これは面白い!!邦画をみて久しぶりに感動、是非お勧めです」
「了解。次のレディースディに行ってみます」と返信した。寺脇研氏の映画評は私も
読んで気になっていたし、『ブロークン・フラワーズ』に行けなかった腹いせ(?)に、
久々の邦画を観るのも悪くないだろう。
山田宗樹氏のベストセラー小説を映画化した本作は、主人公・川尻松子(中谷美紀)
の甥・笙(瑛太)を狂言回しに、男達に翻弄され続けた松子の波乱万丈な人生を描く。
原作は未読だが、典型的な「男運の悪い女」のかなり悲惨な話だ。にもかかわらず、CG
を多様した独特の色彩の映像と、明るいミュージカル仕立ての作劇で2時間余りを
疾走し、全く飽きさせない。もちろん、映像と音楽だけで観るものを引っ張るわけ
ではない。主演の中谷美紀を始め、宮藤官九郎、伊勢谷友介、柄本明、谷原章介ら
豪華なキャストの生身の熱い演技があってこそ、高い技術が生かされていると言う
べきだろう。
メディア向けのインタビューで、中谷美紀が監督に対する「恨み辛み」を語っている
ことが少し気になっていた。女性の一生を描く作品においては、主演女優の演技に
ほとんど全てがかかっている、と言っても過言ではない。監督の「シゴキ」は、中谷の
最高の演技を引き出すための意図的なものだったのだろうと思われるし、その試みは
成功していると言っていいと思う。中谷=松子の何かが、監督の劣情を刺激したの
かもしれない、などと思ってみたりもするけれど。
不幸な女の一生、ミュージカル仕立て、監督と主演女優の相克、とくれば思い出
してしまうのが『ダンサー・イン・ザ・ダーク』。女性が不幸になる悲劇が世界で一番
好きな監督ラース・フォン・トリアーと、中島哲也監督がダブって見えてしまうのは
私だけだろうか?中島監督が眼鏡を取ったら、容貌もなんとなく似ている。しかし
救いようのない後味の悪さが残る『ダンサー・・』に比べて、『松子』のラストには
爽快感すら漂うカタルシスがある。幼い頃から父の愛が得られないと感じ、終生「愛を
乞うひと」だった松子。天国への階段を昇り切ったそこに、得られなかったはずの
愛が彼女を待っていた。松子の弟・紀夫(香川照之)の「つまらん人生たい」という言葉
で始まるこの物語が、決して彼女の人生を否定せず、神の愛だとすら言ってしまう
ところに監督の慈しみを感じてしまった。
中島哲也監督の前作『下妻物語』は大好きな作品だった。深キョンと土屋アンナが役に
ドンピシャはまり、笑いのツボも押さえまくり。『松子』はこの『下妻』以上に絢爛豪華
な「中島ワールド」全開といったところ。中谷美紀の全編体当たりの力演は言うまでもなく、
女囚役の土屋アンナ(深キョンもいたら最高!だったのに)、着物姿の黒沢あすか、ポロ
シャツの下に透けるランニングがツボの劇団ひとりなど、脇役陣の個性も素晴らしい。
これはキャスティングの勝利。映像と音楽が渾然一体となった、凝りに凝ったファンタジー。
映画と言う「嘘」をエンターテインメントに昇華する美学。どこまでもそれを貫く中島
哲也監督、あなたは凄い。文句なし。
(『嫌われ松子の一生』監督・中島哲也/主演・中谷美紀/2006・日本)
デジタル・リマスターの誘惑~王家衛ウォン・カーウァイDVDコレクション
「発売予定日は2006/06/23です。ただいま予約受付中です。」
ああ・・。これを読んで何度溜め息をつき、何度「ぽちっと」してしまおうと思って
いるか。ブツは『王家衛ウォン・カーウァイDVDコレクション・デジタルリマスター版』。
『いますぐ抱きしめたい』『欲望の翼』『恋する惑星』『天使の涙』の四作品プラス
『特典ディスク』(これが曲者)、という豪華な内容!ファン必携、垂涎のお宝という
ところだろうか。
『恋する惑星』を初めて観たのは何年前だろう?当時、例によってミーハー的に金城
武くんにハマっていた。続けて観た『天使の涙』は大好きな作品とはいえないけれど、
その頃にはウォン・カーウァイの「世界」にすっかり魅せられていた。
その後『花様年華』を観て梁朝偉(トニー・レオン)に感電し、『恋する惑星』を再見
したらまぁ、トニーの素敵なこと(笑)。『恋する惑星』は前後半二つのパートに分か
れている作品なのだけれど、金城くんにハマっていた頃は前半が、そしてトニーに
痺れてからは後半パートが大好きで、『夢のカリフォルニア』は今に至るまで私の携帯
着メロのひとつだ。
「どこ行く?」「君の好きなところへ」この最高なラストは、昨年のキネ旬邦画ベスト1
作品『パッチギ!』でもほとんど同じセリフが使われている(井筒監督が「パクッた」わけ
では決してないと思うが)。
『欲望の翼』は何となく見逃していて、観たのは数年前。レスリーの死後だったように
思う。ショックだった。もしもこの映画を10年前に観ていたら、自分は違う人生を
歩んでいたのではないか?と思ったほど衝撃だった。『シネマ突貫娘』こと篠原弘子氏は
この映画を「愛し過ぎた」と語っておられるが、その愛が後に名作『ブエノスアイレス』の
製作・配給に結実するのだから凄い。
60年代の香港、豪華すぎる、そして二度と叶うことのないキャスト達が繰り広げる
群像劇。張國榮(レスリー・チャン)、劉徳華(アンディ・ラウ)、張曼玉(マギー・
チャン)、劉嘉玲(カリーナ・ラウ)、張學友(ジャッキー・チュン)、そして最後に
唐突に出てきて「完璧」な演技を見せる梁朝偉(トニー・レオン)。
灰色がかった緑色のくすんだ画面、ラテン・ミュージック、レスリーの気障なセリフ、
息苦しくなるほどの湿気を含んだ空気感。映画を彩る全てが主人公達の感情を呑み込ん
で、爆発寸前でかろうじて成り立っているような危うさ。そして極めつけはやはり、
「脚の無い鳥」を体現した、レスリー・チャンという不世出の俳優の演技だろう。
この作品がデジタルリマスターでどんな風に蘇るのか、確認したくてたまらない。
『特典ディスク』には、ウォン・カーウァイ自ら「俺の目」と語ってはばからない撮影
監督、杜可風(クリストファー・ドイル)のインタビューなども含まれているらしい。
ここのところ『ジャーヘッド』『グッド・ガール』など欲しいDVDはたくさんあるし、
『ブロークバック・マウンテン』はいつ出るか気が気でないし。
「発売予定日は2006/06/23です。ただいま予約受付中です。」あと10日か・・・。
しかも「初回限定生産」の文字。ちょっと焦る。どうしよう・・・。
(王家衛ウォン・カーウァイDVDコレクション デジタル・リマスター版/
監督:王家衛(ウォン・カーウァイ)、
出演:劉徳華(アンディ・ラウ)、張曼玉(マギー・チャン)他)
ああ・・。これを読んで何度溜め息をつき、何度「ぽちっと」してしまおうと思って
いるか。ブツは『王家衛ウォン・カーウァイDVDコレクション・デジタルリマスター版』。
『いますぐ抱きしめたい』『欲望の翼』『恋する惑星』『天使の涙』の四作品プラス
『特典ディスク』(これが曲者)、という豪華な内容!ファン必携、垂涎のお宝という
ところだろうか。
『恋する惑星』を初めて観たのは何年前だろう?当時、例によってミーハー的に金城
武くんにハマっていた。続けて観た『天使の涙』は大好きな作品とはいえないけれど、
その頃にはウォン・カーウァイの「世界」にすっかり魅せられていた。
その後『花様年華』を観て梁朝偉(トニー・レオン)に感電し、『恋する惑星』を再見
したらまぁ、トニーの素敵なこと(笑)。『恋する惑星』は前後半二つのパートに分か
れている作品なのだけれど、金城くんにハマっていた頃は前半が、そしてトニーに
痺れてからは後半パートが大好きで、『夢のカリフォルニア』は今に至るまで私の携帯
着メロのひとつだ。
「どこ行く?」「君の好きなところへ」この最高なラストは、昨年のキネ旬邦画ベスト1
作品『パッチギ!』でもほとんど同じセリフが使われている(井筒監督が「パクッた」わけ
では決してないと思うが)。
『欲望の翼』は何となく見逃していて、観たのは数年前。レスリーの死後だったように
思う。ショックだった。もしもこの映画を10年前に観ていたら、自分は違う人生を
歩んでいたのではないか?と思ったほど衝撃だった。『シネマ突貫娘』こと篠原弘子氏は
この映画を「愛し過ぎた」と語っておられるが、その愛が後に名作『ブエノスアイレス』の
製作・配給に結実するのだから凄い。
60年代の香港、豪華すぎる、そして二度と叶うことのないキャスト達が繰り広げる
群像劇。張國榮(レスリー・チャン)、劉徳華(アンディ・ラウ)、張曼玉(マギー・
チャン)、劉嘉玲(カリーナ・ラウ)、張學友(ジャッキー・チュン)、そして最後に
唐突に出てきて「完璧」な演技を見せる梁朝偉(トニー・レオン)。
灰色がかった緑色のくすんだ画面、ラテン・ミュージック、レスリーの気障なセリフ、
息苦しくなるほどの湿気を含んだ空気感。映画を彩る全てが主人公達の感情を呑み込ん
で、爆発寸前でかろうじて成り立っているような危うさ。そして極めつけはやはり、
「脚の無い鳥」を体現した、レスリー・チャンという不世出の俳優の演技だろう。
この作品がデジタルリマスターでどんな風に蘇るのか、確認したくてたまらない。
『特典ディスク』には、ウォン・カーウァイ自ら「俺の目」と語ってはばからない撮影
監督、杜可風(クリストファー・ドイル)のインタビューなども含まれているらしい。
ここのところ『ジャーヘッド』『グッド・ガール』など欲しいDVDはたくさんあるし、
『ブロークバック・マウンテン』はいつ出るか気が気でないし。
「発売予定日は2006/06/23です。ただいま予約受付中です。」あと10日か・・・。
しかも「初回限定生産」の文字。ちょっと焦る。どうしよう・・・。
(王家衛ウォン・カーウァイDVDコレクション デジタル・リマスター版/
監督:王家衛(ウォン・カーウァイ)、
出演:劉徳華(アンディ・ラウ)、張曼玉(マギー・チャン)他)
「Ture」でなく壮絶な「REAL」~『シティ・オブ・ゴッド』
『ナイロビの蜂』のフェルナンド・メイレレス監督の前作で、世界をアッと驚かせた
というこの作品。普段は観ないジャンルの映画だが、監督に敬意を表して鑑賞する。
ブラジル映画といえば、ウォルター・サレスの『セントラル・ステーション』しか
観た記憶がない。これはちょっと地味だけれど、カサヴェテスの『グロリア』が元ネタ
か?とも思われる大好きな作品。すると『シティ・オブ・ゴッド』のオープニング・
クレジットでウォルター・サレスの名前が出てきて驚いた(製作総指揮であるらしい)。
「シティ・オブ・ゴッド」とは、物語の舞台となるブラジルの貧民街。そこで育った
幼いギャングスター達によって繰り広げられる、終わりなき暴力、強盗、殺人。
写真家を夢見る少年ブスカペを語り部に、綿密に組まれたストーリーを、時間軸を
バラバラにしながらスピーディな展開で描いてゆく。主な登場人物は、ギャングの
ボスにのし上がるリトル・ゼ、その相棒ベネ、彼らに対抗するセヌーラ一派。
基本的には、果てしない暴力の連鎖と憎悪の再生産を描いているのだが、少年達
の友情や恋への憧憬、喪失感なども描かれ、「ギャング映画」でありながら「青春群像」
の側面も併せ持ち、僅かな救いとなっている。
冷酷に殺人を繰り返すリトル・ゼに対し、相棒のベネが「お前も恋人を作れ」と言う
場面が心に残る。他人を蹴落とし、のし上がることでしか生きられないリトル・ゼ
には、他人を「愛する」という意味が終生わからなかったのだろう。敵か、味方か。
やるか、やられるか、それだけだ。迷子のようなリトル・ゼの表情。そこには相棒を
失う寂寥感と、愛への飢餓感が滲んでいる。
打ちのめされるように画面を凝視しつづけていたら、ラストで「BASED ON REAL STORY」
とクレジットが出る。これはただの「実話」でなく、「REAL」=「現実」なんだ。
感動したわけではない。共感などできるわけがない。涙も出ない。ただただ、凄い
映画。凄まじい現実。
悲惨で正視できないような現実を描きつつも、乾いた空気感と美しく凝った映像、
そしてあまりに完璧な構成とで、不思議と後味は悪くない。いや、悪くないなどという
中途半端な言葉ではなく、監督の志と力量にただ脱帽、と言うべきかもしれない。
ブラジルといえば、サンバ、ボサノヴァ、セレソン、アイルトン・セナくらいの
イメージしかなかった。地球の裏側で、今この時も起こり続けているだろう惨劇。
僅か2時間余りでその現実を世界に知らしめるこの作品を、傑作という以外にどう
形容すればいいのだろう。フェルナンド・メイレレス監督の次回作が待ち遠しい。
(『シティ・オブ・ゴッド』監督/フェルナンド・メイレレス、
主演/アレクサンドル・ロドリゲス、レアンドロ・フィルミノ/2002・BRASIL)
というこの作品。普段は観ないジャンルの映画だが、監督に敬意を表して鑑賞する。
ブラジル映画といえば、ウォルター・サレスの『セントラル・ステーション』しか
観た記憶がない。これはちょっと地味だけれど、カサヴェテスの『グロリア』が元ネタ
か?とも思われる大好きな作品。すると『シティ・オブ・ゴッド』のオープニング・
クレジットでウォルター・サレスの名前が出てきて驚いた(製作総指揮であるらしい)。
「シティ・オブ・ゴッド」とは、物語の舞台となるブラジルの貧民街。そこで育った
幼いギャングスター達によって繰り広げられる、終わりなき暴力、強盗、殺人。
写真家を夢見る少年ブスカペを語り部に、綿密に組まれたストーリーを、時間軸を
バラバラにしながらスピーディな展開で描いてゆく。主な登場人物は、ギャングの
ボスにのし上がるリトル・ゼ、その相棒ベネ、彼らに対抗するセヌーラ一派。
基本的には、果てしない暴力の連鎖と憎悪の再生産を描いているのだが、少年達
の友情や恋への憧憬、喪失感なども描かれ、「ギャング映画」でありながら「青春群像」
の側面も併せ持ち、僅かな救いとなっている。
冷酷に殺人を繰り返すリトル・ゼに対し、相棒のベネが「お前も恋人を作れ」と言う
場面が心に残る。他人を蹴落とし、のし上がることでしか生きられないリトル・ゼ
には、他人を「愛する」という意味が終生わからなかったのだろう。敵か、味方か。
やるか、やられるか、それだけだ。迷子のようなリトル・ゼの表情。そこには相棒を
失う寂寥感と、愛への飢餓感が滲んでいる。
打ちのめされるように画面を凝視しつづけていたら、ラストで「BASED ON REAL STORY」
とクレジットが出る。これはただの「実話」でなく、「REAL」=「現実」なんだ。
感動したわけではない。共感などできるわけがない。涙も出ない。ただただ、凄い
映画。凄まじい現実。
悲惨で正視できないような現実を描きつつも、乾いた空気感と美しく凝った映像、
そしてあまりに完璧な構成とで、不思議と後味は悪くない。いや、悪くないなどという
中途半端な言葉ではなく、監督の志と力量にただ脱帽、と言うべきかもしれない。
ブラジルといえば、サンバ、ボサノヴァ、セレソン、アイルトン・セナくらいの
イメージしかなかった。地球の裏側で、今この時も起こり続けているだろう惨劇。
僅か2時間余りでその現実を世界に知らしめるこの作品を、傑作という以外にどう
形容すればいいのだろう。フェルナンド・メイレレス監督の次回作が待ち遠しい。
(『シティ・オブ・ゴッド』監督/フェルナンド・メイレレス、
主演/アレクサンドル・ロドリゲス、レアンドロ・フィルミノ/2002・BRASIL)
皆様、いつもありがとうございます~『これだけは、村上さんに言っておこう』
今日読了した本にあった言葉。なんだかとても励まされた。
「 本当のことを書くのがしんどかったら、適当なことを書きなさい
(なんて言っていいのかあ。でもいいです)。
「哀しい」なんて言っている暇があったら、素敵な文章を考えなさい。
自分の良いところをみつけて、それをかたっぱしから書いて行きなさい。
自分の好きなものをみつけて、それについて語りなさい。
きっとうまくいきます。チャオ。 」
このブログをはじめたきっかけは、昨年末祖母が亡くなったこと。葬儀の後、
自然に湧き起こってきた気持ちを文章にして、どこかに載せたいなと思った。
投稿しても掲載されるとは限らないし、それなら自分のブログを作ってそこに
書こうと思った。エントリが一個じゃ寂しいなとも思い、とりあえず映画の感想
も一本書いて。
最初は祖母のことが書ければそれでよかったから、しばらくは開店休業状態。
月に一本しかエントリしなかったり、やる気ゼロ。それが先月は気付いたら15本
もエントリしていた。2日に一本ペース。自分でもビックリ。
これも一つのBBM効果、または高山病の症状の一環なのだろうけれど、好き
なもののためなら一生懸命になれるのだなあ・・とつくづく思う。そしてそれ
以上に、このブログを読んで下さった方からのコメントやTBのやりとりに、
ある意味「やりがい」以上の「生きがい」を感じてしまったのかもしれない。
記録を見返すと、ブログのエントリに熱心でなかった頃も今と同じか、それ
以上に映画も観ているし、本も読んでいる。今も自己満足のために書いている
ことには変わりはないのだけれど、主にBBMという一本の映画を通して交流
できたブロガーの方々や、コメントをいただいた方々から、物凄く大きなエネ
ルギー、パワーをいただいたのだと思う。
それでも落ち込むこともある。エラーではじかれて大好きなブロガーさんに
コメントできなかったり、これは!と思う記事にTBできなかったり。自分の
知識のなさに凹むこともある。そんな時は、上の言葉を思い出すことにしよう。
いつもコメントを下さる方、TBを送って下さる方、このような過疎ブログ
にお越しいただき、ありがとうございます。これからもぼちぼち更新していき
ます、どうぞ気軽にお立ち寄り下さいね。そして時間があればお話しましょう。
お待ちしております。
(「これだけは、村上さんに言っておこう」と世間の人々がとりあえずぶつける
330の質問に果たして村上さんはちゃんと答えられるのか?
/村上春樹/朝日新聞社・2006)
「 本当のことを書くのがしんどかったら、適当なことを書きなさい
(なんて言っていいのかあ。でもいいです)。
「哀しい」なんて言っている暇があったら、素敵な文章を考えなさい。
自分の良いところをみつけて、それをかたっぱしから書いて行きなさい。
自分の好きなものをみつけて、それについて語りなさい。
きっとうまくいきます。チャオ。 」
このブログをはじめたきっかけは、昨年末祖母が亡くなったこと。葬儀の後、
自然に湧き起こってきた気持ちを文章にして、どこかに載せたいなと思った。
投稿しても掲載されるとは限らないし、それなら自分のブログを作ってそこに
書こうと思った。エントリが一個じゃ寂しいなとも思い、とりあえず映画の感想
も一本書いて。
最初は祖母のことが書ければそれでよかったから、しばらくは開店休業状態。
月に一本しかエントリしなかったり、やる気ゼロ。それが先月は気付いたら15本
もエントリしていた。2日に一本ペース。自分でもビックリ。
これも一つのBBM効果、または高山病の症状の一環なのだろうけれど、好き
なもののためなら一生懸命になれるのだなあ・・とつくづく思う。そしてそれ
以上に、このブログを読んで下さった方からのコメントやTBのやりとりに、
ある意味「やりがい」以上の「生きがい」を感じてしまったのかもしれない。
記録を見返すと、ブログのエントリに熱心でなかった頃も今と同じか、それ
以上に映画も観ているし、本も読んでいる。今も自己満足のために書いている
ことには変わりはないのだけれど、主にBBMという一本の映画を通して交流
できたブロガーの方々や、コメントをいただいた方々から、物凄く大きなエネ
ルギー、パワーをいただいたのだと思う。
それでも落ち込むこともある。エラーではじかれて大好きなブロガーさんに
コメントできなかったり、これは!と思う記事にTBできなかったり。自分の
知識のなさに凹むこともある。そんな時は、上の言葉を思い出すことにしよう。
いつもコメントを下さる方、TBを送って下さる方、このような過疎ブログ
にお越しいただき、ありがとうございます。これからもぼちぼち更新していき
ます、どうぞ気軽にお立ち寄り下さいね。そして時間があればお話しましょう。
お待ちしております。
(「これだけは、村上さんに言っておこう」と世間の人々がとりあえずぶつける
330の質問に果たして村上さんはちゃんと答えられるのか?
/村上春樹/朝日新聞社・2006)
感情と記憶の永遠~『エターナル・サンシャイン』
「人は、一度巡りあった人と二度と別れることはできない」。これは大好きな小説
『パイロットフィッシュ』(大崎善生著)の冒頭。人間は記憶の集合体であり、過去の
記憶はすべて心の中の湖の底に沈んでいる・・。その記憶を消し去ることが出来る
としたら?
怪作『マルコヴィッチの穴』の脚本家チャーリー・カウフマンと、映像作家ミシェル・
ゴンドリーが組んだ『エターナル・サンシャイン』は、人間が持つ記憶と感情の永遠
を謳い上げた心に沁み入るラブストーリーだ。
或る朝、目覚めたジョエル(ジム・キャリー)は衝動的に会社をサボリ、反対方向
行きの電車に飛び乗って海辺の町モントークへ向かう。浜辺で出逢ったのは青い髪に
オレンジのパーカを来た、綺麗だけどちょっとイカれたクレメンタイン(ケイト・ウィ
ンスレット)。偶然同じ街に住んでいた二人は・・・。というところでいきなり画面
が切り替わってクレジットが始まるので、狐につままれたような気分になる。それで
も主演二人と、豪華な脇役たち(イライジャ・ウッド、キルスティン・ダンスト、マーク
・ラファロ、トム・ウィルキンソン!)の演技に引きつけられ、過去と現在が交錯し
ながら進んでいくストーリーに引き込まれる。そしてある時点で「あ!」とばかりに
プロローグの仕掛けに気付かされるのだ。なんともニクイ創り。ヤラレタ。ちょっと
『シックス・センス』みたい。(ちなみに最後までブルース・ウィルスが○○だとわから
なかった自分は、バカなのかなぁ・・としばらく落ち込んだものです)
ジム・キャリーは、「(イニスほどではないにしろ)退屈で面白くない男」ジョエルを
演じて魅力たっぷり。背が高くてハンサムで、ジム・キャリーってこんなにカッコ
よかったんだ・・・と惚れそうだった。得意の「顔芸」も、ちょっとだけ見せてくれる。
「いつ観てもギリシャ彫刻」なケイト・ウィンスレットも、彼女のイメージとはちょっと
かけ離れた、衝動的で気まぐれな女の子クレメンタインを違和感なく演じている。この
演技でオスカー候補にもなったらしい。
彼女とのナイスバディ・対決が素晴らしい(?)キルスティン・ダンストも、この作品
ではエロかわいさ爆発。そして「ケイト以上にギリシャ彫刻」なイライジャ、私はちょっと
苦手なマーク・ラファロ(彼は”Zodiac”でジェイクと競演している模様)もいい味
出している。この三人は記憶除去を専門とするラクーナ医院のスタッフという役どころ。
中でもケイト演じるクレメンタインのキャラクターに凄く共感した。二十歳前後の
自分も、彼女のように衝動的で気まぐれで、安らぎを求めては不安定になっていたも
のだ。ラストでは、「ジョエルを離したらダメよ~~~!」と叫び出したくなった。
彼女にと言うよりは、あの頃の自分に向かって。
ハッピーエンドというよりも、余韻の残るラスト。感動させようとか、泣かせよう
とかいう製作側の意図は微塵も感じられない。でも心に沁みる沁みるラスト。
”Everybody's got to learn sometime・・・”
観終わった時、絶対にもう一度始めから観直したくなる作品。オススメです。
★追記:2007年2月17日:DVDを買って再見、感想はコチラ⇒★
(『エターナル・サンシャイン』監督/ミシェル・ゴンドリー、
主演/ジム・キャリー、ケイト・ウィンスレット/2004・USA)
『パイロットフィッシュ』(大崎善生著)の冒頭。人間は記憶の集合体であり、過去の
記憶はすべて心の中の湖の底に沈んでいる・・。その記憶を消し去ることが出来る
としたら?
怪作『マルコヴィッチの穴』の脚本家チャーリー・カウフマンと、映像作家ミシェル・
ゴンドリーが組んだ『エターナル・サンシャイン』は、人間が持つ記憶と感情の永遠
を謳い上げた心に沁み入るラブストーリーだ。
或る朝、目覚めたジョエル(ジム・キャリー)は衝動的に会社をサボリ、反対方向
行きの電車に飛び乗って海辺の町モントークへ向かう。浜辺で出逢ったのは青い髪に
オレンジのパーカを来た、綺麗だけどちょっとイカれたクレメンタイン(ケイト・ウィ
ンスレット)。偶然同じ街に住んでいた二人は・・・。というところでいきなり画面
が切り替わってクレジットが始まるので、狐につままれたような気分になる。それで
も主演二人と、豪華な脇役たち(イライジャ・ウッド、キルスティン・ダンスト、マーク
・ラファロ、トム・ウィルキンソン!)の演技に引きつけられ、過去と現在が交錯し
ながら進んでいくストーリーに引き込まれる。そしてある時点で「あ!」とばかりに
プロローグの仕掛けに気付かされるのだ。なんともニクイ創り。ヤラレタ。ちょっと
『シックス・センス』みたい。(ちなみに最後までブルース・ウィルスが○○だとわから
なかった自分は、バカなのかなぁ・・としばらく落ち込んだものです)
ジム・キャリーは、「(イニスほどではないにしろ)退屈で面白くない男」ジョエルを
演じて魅力たっぷり。背が高くてハンサムで、ジム・キャリーってこんなにカッコ
よかったんだ・・・と惚れそうだった。得意の「顔芸」も、ちょっとだけ見せてくれる。
「いつ観てもギリシャ彫刻」なケイト・ウィンスレットも、彼女のイメージとはちょっと
かけ離れた、衝動的で気まぐれな女の子クレメンタインを違和感なく演じている。この
演技でオスカー候補にもなったらしい。
彼女とのナイスバディ・対決が素晴らしい(?)キルスティン・ダンストも、この作品
ではエロかわいさ爆発。そして「ケイト以上にギリシャ彫刻」なイライジャ、私はちょっと
苦手なマーク・ラファロ(彼は”Zodiac”でジェイクと競演している模様)もいい味
出している。この三人は記憶除去を専門とするラクーナ医院のスタッフという役どころ。
中でもケイト演じるクレメンタインのキャラクターに凄く共感した。二十歳前後の
自分も、彼女のように衝動的で気まぐれで、安らぎを求めては不安定になっていたも
のだ。ラストでは、「ジョエルを離したらダメよ~~~!」と叫び出したくなった。
彼女にと言うよりは、あの頃の自分に向かって。
ハッピーエンドというよりも、余韻の残るラスト。感動させようとか、泣かせよう
とかいう製作側の意図は微塵も感じられない。でも心に沁みる沁みるラスト。
”Everybody's got to learn sometime・・・”
観終わった時、絶対にもう一度始めから観直したくなる作品。オススメです。
★追記:2007年2月17日:DVDを買って再見、感想はコチラ⇒★
(『エターナル・サンシャイン』監督/ミシェル・ゴンドリー、
主演/ジム・キャリー、ケイト・ウィンスレット/2004・USA)
「山」を想起させる悲劇~ジョヴァンニの部屋
ジェームズ・ボールドウィン、二作目は『ジョヴァンニの部屋』。『もう一つの国』
より6年ほど前に発表された作品である。
パリ遊学中のアメリカ人青年ディヴィッドが回想する、イタリア人ウェイター
ジョヴァンニとの日々。一夜にして恋に落ちた二人は「ジョヴァンニの部屋」で同棲
を始めるが、あまりに脆かった二人の関係は悲劇的な結末へと舵を取ってゆく。
正直に言うと、ちょっと期待外れだったかもしれない。訳文は古臭くて違和感が
あったし、特に序盤の句読点の多さには閉口した。『もう一つの国』のような圧倒的な
力を湛えた作品ではないと思う。この作品が版を重ねて入手可能であるのに、『もう
一つの国』が絶版、というのはやはり納得行かないところだ。
『もう一つの国』には、過剰なまでに「愛」が溢れていた。濃厚で激しく、読んでいる
こちらまで息苦しくなるほどに。対して『ジョヴァンニの部屋』、この物語にはあまり
にも「愛」がない。そしてその欠落感は主人公ディヴィッドのパーソナリティそのもの
でもある。しかしこの作品はBBMを想起させる(またはBBMを観てこの作品を思い
出す)ものであり、私が手に取ったのもそのためだ。
ディヴィッドはジョヴァンニを愛しながらも、封印したはずの自分の中の「獣」を呼び
覚ましたジョヴァンニを憎み、同性愛者である自分自身をも受容できない。そんな
ディヴィッドを滅びにも似た激情を持って一途に愛するジョヴァンニと、迷いながら
もディヴィッドの愛を求めた婚約者ヘラ。ディヴィッド=イニス、ジョヴァンニ
=ジャック、ヘラ=アルマ(またはキャシー)と読み替えることもできるだろう。
更にはギヨーム=アギーレ、という見方もありかもしれない。そしてジョヴァンニの
「部屋」はブロークバック「マウンテン」だ。
ディヴィッドは、結局何を求めていたのか。自分自身を受容できず、同性愛者で
ありつつ同性愛者を嫌悪する、という自己矛盾はイニスと重なる。しかしぎりぎり
まで自己を抑制しながらも、終生ジャックから離れられなかったイニスに対し、ディ
ヴィッドはジョヴァンニを棄てる、それが最初から定められた道であるかのように。
イニスは間違いなくジャックを愛していたが、ディヴィッドはジョヴァンニを愛して
いたのか?否。そして彼は「誰も」愛してはいない。ジョヴァンニも、ヘラも、そして
自分自身をも。彼は愛を恐れている。その「恐れ」は、幼い頃の母の死や家庭不和、
さらには10代の夏、少年と一夜だけの関係を結んだことに根付くのだろうか。
イニスは自らの意思とは裏腹にブロークバック・マウンテンを後にし、それを恋
焦がれ求め続けた。対してディヴィッドは自らの意思でジョヴァンニの部屋を後に
し、結局心底からは何も求めることなく同時に全てを失う。これも一つの「若さと
イノセンスの喪失」を巡る物語だと言えるだろう。
ラスト、歩き出すディヴィッドに向かって吹き戻ってくる「風」は、ジョヴァンニ
の魂のように思える。BBMでも「風」はジャックの魂の象徴だったように。
(『Giovanni's Room』by James Baldwin・1956)
より6年ほど前に発表された作品である。
パリ遊学中のアメリカ人青年ディヴィッドが回想する、イタリア人ウェイター
ジョヴァンニとの日々。一夜にして恋に落ちた二人は「ジョヴァンニの部屋」で同棲
を始めるが、あまりに脆かった二人の関係は悲劇的な結末へと舵を取ってゆく。
正直に言うと、ちょっと期待外れだったかもしれない。訳文は古臭くて違和感が
あったし、特に序盤の句読点の多さには閉口した。『もう一つの国』のような圧倒的な
力を湛えた作品ではないと思う。この作品が版を重ねて入手可能であるのに、『もう
一つの国』が絶版、というのはやはり納得行かないところだ。
『もう一つの国』には、過剰なまでに「愛」が溢れていた。濃厚で激しく、読んでいる
こちらまで息苦しくなるほどに。対して『ジョヴァンニの部屋』、この物語にはあまり
にも「愛」がない。そしてその欠落感は主人公ディヴィッドのパーソナリティそのもの
でもある。しかしこの作品はBBMを想起させる(またはBBMを観てこの作品を思い
出す)ものであり、私が手に取ったのもそのためだ。
ディヴィッドはジョヴァンニを愛しながらも、封印したはずの自分の中の「獣」を呼び
覚ましたジョヴァンニを憎み、同性愛者である自分自身をも受容できない。そんな
ディヴィッドを滅びにも似た激情を持って一途に愛するジョヴァンニと、迷いながら
もディヴィッドの愛を求めた婚約者ヘラ。ディヴィッド=イニス、ジョヴァンニ
=ジャック、ヘラ=アルマ(またはキャシー)と読み替えることもできるだろう。
更にはギヨーム=アギーレ、という見方もありかもしれない。そしてジョヴァンニの
「部屋」はブロークバック「マウンテン」だ。
ディヴィッドは、結局何を求めていたのか。自分自身を受容できず、同性愛者で
ありつつ同性愛者を嫌悪する、という自己矛盾はイニスと重なる。しかしぎりぎり
まで自己を抑制しながらも、終生ジャックから離れられなかったイニスに対し、ディ
ヴィッドはジョヴァンニを棄てる、それが最初から定められた道であるかのように。
イニスは間違いなくジャックを愛していたが、ディヴィッドはジョヴァンニを愛して
いたのか?否。そして彼は「誰も」愛してはいない。ジョヴァンニも、ヘラも、そして
自分自身をも。彼は愛を恐れている。その「恐れ」は、幼い頃の母の死や家庭不和、
さらには10代の夏、少年と一夜だけの関係を結んだことに根付くのだろうか。
イニスは自らの意思とは裏腹にブロークバック・マウンテンを後にし、それを恋
焦がれ求め続けた。対してディヴィッドは自らの意思でジョヴァンニの部屋を後に
し、結局心底からは何も求めることなく同時に全てを失う。これも一つの「若さと
イノセンスの喪失」を巡る物語だと言えるだろう。
ラスト、歩き出すディヴィッドに向かって吹き戻ってくる「風」は、ジョヴァンニ
の魂のように思える。BBMでも「風」はジャックの魂の象徴だったように。
(『Giovanni's Room』by James Baldwin・1956)
その男、イニス;私たちが失うもの~ブロークバック・マウンテン#13
ジェイクが2006 MTV Movie Awardsのbest performance & best kiss賞
を受賞した模様。彼は"This is a real honor,"と語ったらしい。
MTV Movie Awardsはファン投票に基づいた賞なので、今やジェイクは人気・実力ともに
トップ俳優の一人として認知されたと言っていいのだろうか。
best performanceは男優・女優の区別なく一人だけ選ばれる(Comedic performance
枠は別にあるが)。オスカー受賞したリース・ウィザースプーンを退けての受賞!
ジェイク、本当におめでとう。
動画ではグレーのシャツに相変わらずの「もじゃらんこ」状態で、ラフな感じのジェイクだった。
(かなり画面がボケボケで、細かい表情などは確認できず)
イニスという人について、私も自分なりに考えてみた。初見からジャックに感情移入
し、ジャック=ジェイクが大好きな私であるが、やっぱりイニスも嫌いになれない。
(ヒースはもちろん大好き)いや、むしろ、私にとっては好き/嫌い、許す/許さない、
悪い/悪くないといった「評価」を超越したところにイニスはいるような気がする。
イニスとジャックの辿った時間を考えるとき、いつも浮かぶのはイニスが初めて打
ち解けて、ジャックに自分の生い立ちを語るシーン。ロデオの話になり、ジャックが
ふざけてすっ転び、イニスは言う。「親父は正しかった」
このセリフがジャックの末路を暗示しているようでもあり、イニスは自分の発したこ
の言葉に縛られ続けたようでもある。幼いイニスに同性愛=死という恐怖を植え付け、
彼を抑圧し続けた父。父が死んでも、大人になってもイニスはその呪縛から解き放た
れることなく、自己矛盾の無限ループが終ることはなかった、ジャックを喪うまで。
そして何度も書いているようだが、あの時代、中西部ワイオミングという土地柄で、
結婚して家庭を持ち、家族と暮らすという以外の選択肢が果たして現実的であったの
かどうか。勇気を持って、ジャックとの愛を信じて行動すれば出来たはず、という
意見ももちろんあるだろう。確かにイニスは現状維持しかできない、怖がりで神経質
な「ヘタレ」野郎かもしれない。それでも私はイニスを責められない。彼がカッコイイ
から?そうじゃない。彼はジャックが愛した人だから?それもある。本当の理由は、
自分の中にもイニスはいるから。自分自身にも、イニス的な部分を感じているから。
これも以前に書いたことだが、私は自分の母にさえBBMにアディクトしていると
言うのを躊躇するくらいのヘタレだ。私だってヒースが言い切ったように「自分なら
ジャックと一緒に行くよ!」と言いたいと思う。でも実際は、そうはできないだろう。
恋愛期間中のことを考えても、ついつい相手に甘えてしまうところはよくわかる。
ラリーンが言うように「不公平」だと頭ではわかってはいても、相手が来てくれるの
なら甘えてしまおう、という自分勝手さ。本当に好きな、大切な相手だとわかってい
ながら離れてしまい、気が付いたらお互いに子持ちの家庭人になっていた、というの
もよくある話かもしれない。そこで家庭を捨てられるのか?私だったらやっぱりノー、
だろう。そして一生悔やみ続けるのかもしれない、手にすることができなかった愛を。
「時々無性にお前に会いたくて堪らなくなる」と、泣きそうな声で言うジャックを観る
のは確かに辛すぎる。しかし最後の逢瀬の後、ダイナーで独りアップルパイをぐじゃ
ぐじゃと食べるイニスの侘しさはどうだ。彼もまたジャックへの愛と、ジャックを愛
してしまった自分への憎悪に引き裂かれ続けている。「身から出た錆」と言われても
仕方がないかもしれない。ズタボロになっても、「もうこれ以上耐えられない」と泣き
つつも、それでも「11月に会おう」とハガキを出さずにいられないイニス。彼には、
結局ジャックが人生のすべてだったのだろう。
若さとともにイニスが失ったもの、それは私たちが失っていくものとイコールである。
純粋さ、夢、たったひとつの愛。それらを時に懐かしく、時に苦々しく思い出すよう
に、この物語はいつまでも胸に残るのだろう。張り裂けそうな痛みを伴いながら・・。
を受賞した模様。彼は"This is a real honor,"と語ったらしい。
MTV Movie Awardsはファン投票に基づいた賞なので、今やジェイクは人気・実力ともに
トップ俳優の一人として認知されたと言っていいのだろうか。
best performanceは男優・女優の区別なく一人だけ選ばれる(Comedic performance
枠は別にあるが)。オスカー受賞したリース・ウィザースプーンを退けての受賞!
ジェイク、本当におめでとう。
動画ではグレーのシャツに相変わらずの「もじゃらんこ」状態で、ラフな感じのジェイクだった。
(かなり画面がボケボケで、細かい表情などは確認できず)
イニスという人について、私も自分なりに考えてみた。初見からジャックに感情移入
し、ジャック=ジェイクが大好きな私であるが、やっぱりイニスも嫌いになれない。
(ヒースはもちろん大好き)いや、むしろ、私にとっては好き/嫌い、許す/許さない、
悪い/悪くないといった「評価」を超越したところにイニスはいるような気がする。
イニスとジャックの辿った時間を考えるとき、いつも浮かぶのはイニスが初めて打
ち解けて、ジャックに自分の生い立ちを語るシーン。ロデオの話になり、ジャックが
ふざけてすっ転び、イニスは言う。「親父は正しかった」
このセリフがジャックの末路を暗示しているようでもあり、イニスは自分の発したこ
の言葉に縛られ続けたようでもある。幼いイニスに同性愛=死という恐怖を植え付け、
彼を抑圧し続けた父。父が死んでも、大人になってもイニスはその呪縛から解き放た
れることなく、自己矛盾の無限ループが終ることはなかった、ジャックを喪うまで。
そして何度も書いているようだが、あの時代、中西部ワイオミングという土地柄で、
結婚して家庭を持ち、家族と暮らすという以外の選択肢が果たして現実的であったの
かどうか。勇気を持って、ジャックとの愛を信じて行動すれば出来たはず、という
意見ももちろんあるだろう。確かにイニスは現状維持しかできない、怖がりで神経質
な「ヘタレ」野郎かもしれない。それでも私はイニスを責められない。彼がカッコイイ
から?そうじゃない。彼はジャックが愛した人だから?それもある。本当の理由は、
自分の中にもイニスはいるから。自分自身にも、イニス的な部分を感じているから。
これも以前に書いたことだが、私は自分の母にさえBBMにアディクトしていると
言うのを躊躇するくらいのヘタレだ。私だってヒースが言い切ったように「自分なら
ジャックと一緒に行くよ!」と言いたいと思う。でも実際は、そうはできないだろう。
恋愛期間中のことを考えても、ついつい相手に甘えてしまうところはよくわかる。
ラリーンが言うように「不公平」だと頭ではわかってはいても、相手が来てくれるの
なら甘えてしまおう、という自分勝手さ。本当に好きな、大切な相手だとわかってい
ながら離れてしまい、気が付いたらお互いに子持ちの家庭人になっていた、というの
もよくある話かもしれない。そこで家庭を捨てられるのか?私だったらやっぱりノー、
だろう。そして一生悔やみ続けるのかもしれない、手にすることができなかった愛を。
「時々無性にお前に会いたくて堪らなくなる」と、泣きそうな声で言うジャックを観る
のは確かに辛すぎる。しかし最後の逢瀬の後、ダイナーで独りアップルパイをぐじゃ
ぐじゃと食べるイニスの侘しさはどうだ。彼もまたジャックへの愛と、ジャックを愛
してしまった自分への憎悪に引き裂かれ続けている。「身から出た錆」と言われても
仕方がないかもしれない。ズタボロになっても、「もうこれ以上耐えられない」と泣き
つつも、それでも「11月に会おう」とハガキを出さずにいられないイニス。彼には、
結局ジャックが人生のすべてだったのだろう。
若さとともにイニスが失ったもの、それは私たちが失っていくものとイコールである。
純粋さ、夢、たったひとつの愛。それらを時に懐かしく、時に苦々しく思い出すよう
に、この物語はいつまでも胸に残るのだろう。張り裂けそうな痛みを伴いながら・・。
テーマ : ブロークバック・マウンテン
ジャンル : 映画
自分の「靴」で歩くこと~『イン・ハー・シューズ』
キャメロン・ディアスを初めて観たのは、確かジュリア・ロバーツ主演『ベスト・
フレンズ・ウエディング』だったと記憶している。ブロンドのショート・ヘア、碧い
瞳、大きくてキュートな口元、真っ直ぐで長い長い手足。主演のジュリアを完全に
喰ったその美しさは強烈な印象だった。その後の順調なキャリアはご存知の通り。
そのキャメロンが、自分自身の投影ともいえる役柄に挑戦し、見事な成功を収めて
いるのが本作だ。
マギー(キャメロン・ディアス)とローズ(トニ・コレット)は、幼い頃に実母を
亡くし、父と継母に育てられた姉妹。妹マギーは抜群の容姿で寝る相手には不自由し
ていないが、高卒後10年たっても難読症ゆえ定職にも就けず、自分に自信が持てない。
対する姉のローズは優秀な弁護士だが容姿にコンプレックスを抱え、これまた自分に
自信がない。つまり一見正反対の凸凹姉妹だが、中身は似た者同士なのだ。
そんな彼女達が自身の内面に向き合い、葛藤しながらもそれぞれの「道」を見つけ、
成長し自立してゆく、というストーリー。
居候の身で姉の彼氏と関係し、アパートを叩き出されたマギーは、マイアミに祖母
エラ(シャーリー・マクレーン!)がいることを知り、訪ねて行く。姉妹の住んでい
たフィラデルフィアのグレーな雰囲気と、陽光輝くマイアミとの対比が活きている。
嫌々ながらも祖母の暮らす高級老人ホームで働き始めたマギーは、盲目の元大学教授
や祖母の友人達との関わりの中で、自分が抱える問題に初めて向き合い、克服しよう
とする。この元教授とマギーとのやりとりが、本作で一番感動的な場面だ。
一方傷心の姉ローズは弁護士事務所を辞し、犬の散歩屋として悶々と暮らすが、彼女
もまた元同僚との「リハビリ」のような温かい交流を通して再生していく。ローズがフィ
ラデルフィア美術館の階段を犬達とともに駆け上がり、ロッキー・バルボアよろしく
快哉を叫ぶ場面も印象的だ。
この姉妹の描かれ方も素晴らしいが、何と言っても祖母を演じたシャーリー・マク
レーン。彼女も実の娘、つまり姉妹の母親を喪ったことで自責の念を抱えて生きてい
るのだが、その誇り高く自信に満ちた立ち姿は大女優の貫禄そのもの。キャメロン・
ディアスにも全く引けをとらない。孫達への慈愛のこもった眼差し、さりげない助言。
姉妹との交流の中で彼女もまた過去と向き合い、悲しみを乗り越えてゆく。
終盤、マギーがローズのために朗読するE.E.カミングスの詩がまた効いている。
詩を「朗読」することでマギーは自らのコンプレックスを克服したことを伝え、旅立つ
姉へのはなむけとする。私はもう大丈夫、自分の靴で歩いていける。ずっと愛してるよ、
今までも、これからも。涙ぐみながらも満面の笑顔となるローズ。よかったね。
この詩の日本語字幕が少し硬い(と思われた)ので、英語字幕にして自分なりに解釈
するのも、字幕オフにしてキャメロンの声をじっくり聴くのもいいかもしれない。
詩がリフレインされる中、車のヘッドライトが姉を見送るマギーに後光のように射し、
足元も軽やかに踊りの輪に加わるラストシーンは見事なハッピー・エンディング。
実際に姉妹がいて、確執があって、「こんな綺麗事じゃない」と思う人もいるかもしれ
ない。それでも自分の靴を見つけ、自分で歩き出す=自立するという本作のテーマは、
誰の心にも自然に響いてくるんじゃないだろうか。あなたが男でも、女でも。
(『イン・ハー・シューズ』監督/カーティス・ハンソン、
主演/キャメロン・ディアス、トニ・コレット、2005・USA)
フレンズ・ウエディング』だったと記憶している。ブロンドのショート・ヘア、碧い
瞳、大きくてキュートな口元、真っ直ぐで長い長い手足。主演のジュリアを完全に
喰ったその美しさは強烈な印象だった。その後の順調なキャリアはご存知の通り。
そのキャメロンが、自分自身の投影ともいえる役柄に挑戦し、見事な成功を収めて
いるのが本作だ。
マギー(キャメロン・ディアス)とローズ(トニ・コレット)は、幼い頃に実母を
亡くし、父と継母に育てられた姉妹。妹マギーは抜群の容姿で寝る相手には不自由し
ていないが、高卒後10年たっても難読症ゆえ定職にも就けず、自分に自信が持てない。
対する姉のローズは優秀な弁護士だが容姿にコンプレックスを抱え、これまた自分に
自信がない。つまり一見正反対の凸凹姉妹だが、中身は似た者同士なのだ。
そんな彼女達が自身の内面に向き合い、葛藤しながらもそれぞれの「道」を見つけ、
成長し自立してゆく、というストーリー。
居候の身で姉の彼氏と関係し、アパートを叩き出されたマギーは、マイアミに祖母
エラ(シャーリー・マクレーン!)がいることを知り、訪ねて行く。姉妹の住んでい
たフィラデルフィアのグレーな雰囲気と、陽光輝くマイアミとの対比が活きている。
嫌々ながらも祖母の暮らす高級老人ホームで働き始めたマギーは、盲目の元大学教授
や祖母の友人達との関わりの中で、自分が抱える問題に初めて向き合い、克服しよう
とする。この元教授とマギーとのやりとりが、本作で一番感動的な場面だ。
一方傷心の姉ローズは弁護士事務所を辞し、犬の散歩屋として悶々と暮らすが、彼女
もまた元同僚との「リハビリ」のような温かい交流を通して再生していく。ローズがフィ
ラデルフィア美術館の階段を犬達とともに駆け上がり、ロッキー・バルボアよろしく
快哉を叫ぶ場面も印象的だ。
この姉妹の描かれ方も素晴らしいが、何と言っても祖母を演じたシャーリー・マク
レーン。彼女も実の娘、つまり姉妹の母親を喪ったことで自責の念を抱えて生きてい
るのだが、その誇り高く自信に満ちた立ち姿は大女優の貫禄そのもの。キャメロン・
ディアスにも全く引けをとらない。孫達への慈愛のこもった眼差し、さりげない助言。
姉妹との交流の中で彼女もまた過去と向き合い、悲しみを乗り越えてゆく。
終盤、マギーがローズのために朗読するE.E.カミングスの詩がまた効いている。
詩を「朗読」することでマギーは自らのコンプレックスを克服したことを伝え、旅立つ
姉へのはなむけとする。私はもう大丈夫、自分の靴で歩いていける。ずっと愛してるよ、
今までも、これからも。涙ぐみながらも満面の笑顔となるローズ。よかったね。
この詩の日本語字幕が少し硬い(と思われた)ので、英語字幕にして自分なりに解釈
するのも、字幕オフにしてキャメロンの声をじっくり聴くのもいいかもしれない。
詩がリフレインされる中、車のヘッドライトが姉を見送るマギーに後光のように射し、
足元も軽やかに踊りの輪に加わるラストシーンは見事なハッピー・エンディング。
実際に姉妹がいて、確執があって、「こんな綺麗事じゃない」と思う人もいるかもしれ
ない。それでも自分の靴を見つけ、自分で歩き出す=自立するという本作のテーマは、
誰の心にも自然に響いてくるんじゃないだろうか。あなたが男でも、女でも。
(『イン・ハー・シューズ』監督/カーティス・ハンソン、
主演/キャメロン・ディアス、トニ・コレット、2005・USA)
パート3は映画館で観たい!~スパイダーマン2
『もう一つの国』を読んで、エリックはジェームズ・フランコがいいなぁなど
と妄想していたら、「動く」彼が観たくなった。未見だった本作を借りてみる。
前作から2年、大学生となった「スパイダーマン」ピーター(トビー・マグワイア)、
念願の女優デビューを果たしたMJ(キルスティン・ダンスト)を中心に、本当の
自分とは何か?真実の愛はどこにある?といった青春モノ王道ストーリーに、新た
なる敵ドック・オク(アルフレッド・モリーナ)との戦いや、ピーターの親友であり
父の死後スパイダーマンへの憎悪を募らせるハリー(ジェームズ・フランコ)との
エピソードが絡むアクション活劇。
VFXによる映像展開は凄いの一言!前作『スパイダーマン』より数倍パワーア
ップした感がある。ニューヨークの摩天楼をスパーダーマンが自由自在に飛び回る
様の浮遊感、核融合場面の迫力。これは映画館の大きなスクリーンで観たかったと
思わせる。今度USJに行ったら、「スパイダーマン・ザ・ライド」がもっと楽し
めそう。
「スパイダーマン」ピーターを演じるトビー・マグワイアは、相変わらずのやさ
しげ~な半笑いの表情と声、上手いやら下手やら判別しかねる演技。ハリウッドの
吉岡秀隆と命名したい。字幕に「・・・と思われ」って出ても違和感なさそう。
公開当時、世間では散々「ブサ○ク」「なんでヒロインがこの人?」と好き放題
言われていたキルスティン・ダンストは、前作での似合わね~赤毛から金髪に戻し、
まぁ役どころが女優さんでもあり、ちょっとは「ブサイ○」度が下がった気もする
が、気のせいかもしれない。しかしヒロインのMJよりも、メイおばさん(ローズ
マリー・ハリス)のほうがよっぽど綺麗に見えたことだけははっきりしておきたい。
このMJがウェディングドレスのまま教会から逃走するシーンは、ドラマ『やまと
なでしこ』(主演:松嶋菜々子、堤真一、2000年)と画が同じで大ウケ。サム・ライミ
が日本のテレビドラマをパクるわけもなく、ランアウェイ・ブライドはフジテレビ
でもハリウッドでもああいう撮り方になるのだなあ、、と一人頷く。
キルスティン・ダンストって、本国ではどういうポジションなんだろう?こんな
大作シリーズのヒロインを射止めるくらいだから、やっぱり美人女優の範疇なんだ
ろうか。若いからまだアイドル? スタイルはいいと思うんだけどなぁ、スタイル
はね・・。
そしてお目当てのジェームズ・フランコは相変わらずカッコイイ・・男前です。
特に演技が上手いとは思わないのだけど、彼のような美形俳優は頑張ってもなかなか
「演技派」とは認められにくいのがちょっと気の毒。それこそ「アイドル」扱いで。
彼がラスト近くに父の秘密を知り、パート3ではこうなるのでは?と思わせる展開
にワクワク、そうなると次はジェームズ・フランコのシーンが増えるのかもしれない。
わ~い、パート3は絶対、大きなスクリーンで観なければ!でも次もやっぱりMJは
キルスティン・ダンストなんだよね?それだけがちょっと(笑)
(『スパイダーマン2』監督/サム・ライミ、主演/トビー・マグワイア、
キルスティン・ダンスト/2004・USA)
と妄想していたら、「動く」彼が観たくなった。未見だった本作を借りてみる。
前作から2年、大学生となった「スパイダーマン」ピーター(トビー・マグワイア)、
念願の女優デビューを果たしたMJ(キルスティン・ダンスト)を中心に、本当の
自分とは何か?真実の愛はどこにある?といった青春モノ王道ストーリーに、新た
なる敵ドック・オク(アルフレッド・モリーナ)との戦いや、ピーターの親友であり
父の死後スパイダーマンへの憎悪を募らせるハリー(ジェームズ・フランコ)との
エピソードが絡むアクション活劇。
VFXによる映像展開は凄いの一言!前作『スパイダーマン』より数倍パワーア
ップした感がある。ニューヨークの摩天楼をスパーダーマンが自由自在に飛び回る
様の浮遊感、核融合場面の迫力。これは映画館の大きなスクリーンで観たかったと
思わせる。今度USJに行ったら、「スパイダーマン・ザ・ライド」がもっと楽し
めそう。
「スパイダーマン」ピーターを演じるトビー・マグワイアは、相変わらずのやさ
しげ~な半笑いの表情と声、上手いやら下手やら判別しかねる演技。ハリウッドの
吉岡秀隆と命名したい。字幕に「・・・と思われ」って出ても違和感なさそう。
公開当時、世間では散々「ブサ○ク」「なんでヒロインがこの人?」と好き放題
言われていたキルスティン・ダンストは、前作での似合わね~赤毛から金髪に戻し、
まぁ役どころが女優さんでもあり、ちょっとは「ブサイ○」度が下がった気もする
が、気のせいかもしれない。しかしヒロインのMJよりも、メイおばさん(ローズ
マリー・ハリス)のほうがよっぽど綺麗に見えたことだけははっきりしておきたい。
このMJがウェディングドレスのまま教会から逃走するシーンは、ドラマ『やまと
なでしこ』(主演:松嶋菜々子、堤真一、2000年)と画が同じで大ウケ。サム・ライミ
が日本のテレビドラマをパクるわけもなく、ランアウェイ・ブライドはフジテレビ
でもハリウッドでもああいう撮り方になるのだなあ、、と一人頷く。
キルスティン・ダンストって、本国ではどういうポジションなんだろう?こんな
大作シリーズのヒロインを射止めるくらいだから、やっぱり美人女優の範疇なんだ
ろうか。若いからまだアイドル? スタイルはいいと思うんだけどなぁ、スタイル
はね・・。
そしてお目当てのジェームズ・フランコは相変わらずカッコイイ・・男前です。
特に演技が上手いとは思わないのだけど、彼のような美形俳優は頑張ってもなかなか
「演技派」とは認められにくいのがちょっと気の毒。それこそ「アイドル」扱いで。
彼がラスト近くに父の秘密を知り、パート3ではこうなるのでは?と思わせる展開
にワクワク、そうなると次はジェームズ・フランコのシーンが増えるのかもしれない。
わ~い、パート3は絶対、大きなスクリーンで観なければ!でも次もやっぱりMJは
キルスティン・ダンストなんだよね?それだけがちょっと(笑)
(『スパイダーマン2』監督/サム・ライミ、主演/トビー・マグワイア、
キルスティン・ダンスト/2004・USA)