ソウルメイト(魂の伴侶)~ブロークバック・マウンテン#12
BBMに関するヒース&ジェイクのインタビューを読んで、驚いたのが二人とも
「ソウルメイト」について言及していること。
ヒース「(ミシェルについて)彼女は俺のソウルメイトなんだ。もうこれ以上ない
くらい愛し合っているよ」
ジェイク「真のソウルメイトとは、ベストフレンドかつ性的な関係を持たずには
いられない間柄だと思う」
私が初めて「ソウルメイト」という言葉を知るきっかけとなったのは、今から
15年ほど前、シャーリー・マクレーンの世界的ベストセラー『アウト・オン・ア・リム』
を読んだこと。この本で語られている言葉、輪廻転生、前世、来世などは、当時は
あくまで精神世界という特殊なカテゴリの中の用語であり、日常会話で使われ
ることなどほとんどなかったと思う。しかしこの本をきっかけに精神世界、ニュー
エイジの大ブームが起こり、一般的にも少しづつ広がっていった。かく言う私も
元来の「ハマリ体質」ゆえすっぽりとハマってしまい、シャーリー・マクレーンか
ら青山圭秀、リチャード・バックなどの著作を読み漁った記憶がある。
まあ「ソウルメイト」は元々英語なので、この言葉が日本よりはアメリカで浸透
しているのは当然かもしれない(日本では「運命の赤い糸」という言い方のほうが
通りやすいだろう)。アメリカの男の子事情はよく知らないけれど、25、6歳の
「オニイチャン」であるヒース&ジェイクが、揃って「ソウルメイト」という言葉を
遣ったことが少し不思議に思えた。
日本ではまだ知名度はそう高くないと思っていた「ソウルメイト」だが、最近『「あの
ひと」と語った素敵な日本語』というタイトルの対談(インタビュー?)本を読んで、
そうでもないのかな?と思わされた。タイトルにもあり、語り手である「あのひと」と
は文中でYさんとされているが、実はフランツ・カフカ賞受賞作家村上春樹氏の妻、
陽子さんである。彼女が「ただの関係じゃない、大切なパートナー」との関係を「ソウル
メイトってこと?」と発言していたのだ。日常会話のレベルにまで「ソウルメイト」は
下りて来ているのか。私は観たことはないのだけれど、近頃は「スピリチュアルカウン
セラー」の方のTV番組があるそうなので、その影響も大きいのかもしれない。
と、BBMとは全然関係無いことを長々と書いてしまったが、今日のお題は
「イニスとジャックはソウル・メイトだったのか?」ということ。
ソウルメイトとは「魂の伴侶」と言われ、前世で縁があった二人が現世でも必然的
に出会い、生涯のパートナーとなることをさす。初めて会ったのに初めての気がし
ない、とても気が合う、どうしようもなく惹かれてしまう、といった状態だろう。
もちろん異性とは限らない。ジェイクの見解では「性的な関係」も含まれる。
イニスとジャックは20歳で出逢った1963年の夏から、ワイオミングとテキサスに
離れて暮らしながら20年近く逢瀬を重ねる。「彼らの魂が惹かれあった」「お互いの
the other halfである」という意見をよく目にするが、それは心身ともに、精神的に
も肉体的にも彼らが惹かれあったということだろう。一見全然違うことのように思え
るが、肉体的な関係(行為)というのは実はお互いの精神、魂の一番深いところに近
づくことなのではないかと思う。ジャックを失って初めてイニスは自分の半身を失った
ことに気付き、ラストで「永遠」を誓う。それは生も死をも超越した「魂」の誓いの
ように響いた。またいつかどこかで、二人はきっと逢えるだろう。
図らずもヒースとジェイクが同じように「ソウルメイト」という言葉を口にしたの
も、イニスとジャックが彼らの人生の一部になっていたことの証のように思えるのだ。
「ソウルメイト」について言及していること。
ヒース「(ミシェルについて)彼女は俺のソウルメイトなんだ。もうこれ以上ない
くらい愛し合っているよ」
ジェイク「真のソウルメイトとは、ベストフレンドかつ性的な関係を持たずには
いられない間柄だと思う」
私が初めて「ソウルメイト」という言葉を知るきっかけとなったのは、今から
15年ほど前、シャーリー・マクレーンの世界的ベストセラー『アウト・オン・ア・リム』
を読んだこと。この本で語られている言葉、輪廻転生、前世、来世などは、当時は
あくまで精神世界という特殊なカテゴリの中の用語であり、日常会話で使われ
ることなどほとんどなかったと思う。しかしこの本をきっかけに精神世界、ニュー
エイジの大ブームが起こり、一般的にも少しづつ広がっていった。かく言う私も
元来の「ハマリ体質」ゆえすっぽりとハマってしまい、シャーリー・マクレーンか
ら青山圭秀、リチャード・バックなどの著作を読み漁った記憶がある。
まあ「ソウルメイト」は元々英語なので、この言葉が日本よりはアメリカで浸透
しているのは当然かもしれない(日本では「運命の赤い糸」という言い方のほうが
通りやすいだろう)。アメリカの男の子事情はよく知らないけれど、25、6歳の
「オニイチャン」であるヒース&ジェイクが、揃って「ソウルメイト」という言葉を
遣ったことが少し不思議に思えた。
日本ではまだ知名度はそう高くないと思っていた「ソウルメイト」だが、最近『「あの
ひと」と語った素敵な日本語』というタイトルの対談(インタビュー?)本を読んで、
そうでもないのかな?と思わされた。タイトルにもあり、語り手である「あのひと」と
は文中でYさんとされているが、実はフランツ・カフカ賞受賞作家村上春樹氏の妻、
陽子さんである。彼女が「ただの関係じゃない、大切なパートナー」との関係を「ソウル
メイトってこと?」と発言していたのだ。日常会話のレベルにまで「ソウルメイト」は
下りて来ているのか。私は観たことはないのだけれど、近頃は「スピリチュアルカウン
セラー」の方のTV番組があるそうなので、その影響も大きいのかもしれない。
と、BBMとは全然関係無いことを長々と書いてしまったが、今日のお題は
「イニスとジャックはソウル・メイトだったのか?」ということ。
ソウルメイトとは「魂の伴侶」と言われ、前世で縁があった二人が現世でも必然的
に出会い、生涯のパートナーとなることをさす。初めて会ったのに初めての気がし
ない、とても気が合う、どうしようもなく惹かれてしまう、といった状態だろう。
もちろん異性とは限らない。ジェイクの見解では「性的な関係」も含まれる。
イニスとジャックは20歳で出逢った1963年の夏から、ワイオミングとテキサスに
離れて暮らしながら20年近く逢瀬を重ねる。「彼らの魂が惹かれあった」「お互いの
the other halfである」という意見をよく目にするが、それは心身ともに、精神的に
も肉体的にも彼らが惹かれあったということだろう。一見全然違うことのように思え
るが、肉体的な関係(行為)というのは実はお互いの精神、魂の一番深いところに近
づくことなのではないかと思う。ジャックを失って初めてイニスは自分の半身を失った
ことに気付き、ラストで「永遠」を誓う。それは生も死をも超越した「魂」の誓いの
ように響いた。またいつかどこかで、二人はきっと逢えるだろう。
図らずもヒースとジェイクが同じように「ソウルメイト」という言葉を口にしたの
も、イニスとジャックが彼らの人生の一部になっていたことの証のように思えるのだ。
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テーマ : ブロークバック・マウンテン
ジャンル : 映画
ジャックの瞳、ジェイクの「次」~ブロークバック・マウンテン#11
5回目鑑賞、続き。最初の夏、下山してピックアップの前での別れの場面。今回は
この場面から落涙してしまった。イニスを見つめるジャックの瞳のなんと切なく雄弁
なことか。これっきりなんて嘘だろう? 来年また会おうと言ってくれよ! それで
も忘れ形見にシャツを盗んでいたジャック。彼にはイニスの心の壁の高さがこの時
からわかっていたのかもしれない。
『シティ・スリッカーズ』を観たせいか、ジャックが亡くなった39歳という年齢が
妙に心に引っかかった。中年の危機という言葉があるが、ジャックも40代を目前に、
自分の今までの人生、イニスと出会う前と出会って後の人生、これからの後半生に
ついて考えていたのかな・・などと思う。実家の両親に語ったという「ラリーンと離婚
して(イニス以外の)男と牧場をやる」計画は、ジャックが本当に、本気で考えたもの
だったのだろうか? ラリーンと暮らす「偽りの人生」に別れを告げて、人生やり直す
ラストチャンス、という思いがあったのかもしれない。「どうして女房とは踊らないの?」
「考えたこともない」と言われた後のラリーンの寂しそうな表情。
考えたこともない。無関心。こちらまで胸が詰まる。
牧場主任ランドールとの出会いのパーティーシーンは、人物が多くなかなかじっ
くり演技を味わえないシーンであると思う。しかしこのシーンのジェイクの演技は
なかなか凄い。何かの「匂い」、或いは始まりを予感したかのようにランドールと
交わす視線、彼の目は本当に雄弁だと思う。その後ランドールと二人で奥方達を待
っている間、話題を探して彷徨うようなジャックの瞳、その後「釣り」に誘われたと
きの揺れ動くジャックの心、その瞳! BBMに対して様々なレビューを読んだが、
キャストの演技への不満を述べたものに当然ながら当たったことがない。主演の
ヒース&ジェイクは勿論のこと、脇役も皆素晴らしい。特にあまり語られることが
ないが、ジャックの母役、ロベルタ・マックスウェルの演技も助演女優賞並みの名演
ではないだろうか。
そして新たな疑問(と言っても大したことではないが)。ジェイクは髪を染めている
のか? 今まで当然のように観ていたが、ジェイクの素(?)の髪の色はもっと色素が
薄い気がする。BBM(若い頃)では黒に近いダークさ、徐々に色が薄く、白髪も見え
てくる。そう言えば『グッド・ガール』のコメンタリでも、監督と脚本家が「ジェイク
の髪は染めてる?」「いいや、染めてないんじゃない?」みたいな会話をしていた。
ジェイクの次回作(Zodiacの次)の話が全然聴こえてこないが、彼には彼の「今」し
かできない役にどんどん挑戦して欲しいと思う。個人的願望を言えば、ベルンハルト・
シュリンクの『朗読者』、ミヒャエルをジェイクに演じて欲しい。裁判所の傍聴席で、
ハンナを見つめているミヒャエル。その時のジェイクはどんな瞳をしているんだろう・・?
と、そんなことを考えてみる、ユダヤ系容貌のジェイクが、ドイツ人を演じることは
ほぼ不可能だとわかってはいても。
この小説をアンソニー・ミンゲラが映画化すると聞いて小躍りしたものだが、もう何年
も音沙汰がないような。このプロジェクト、一体どうなっているのだろう?
この場面から落涙してしまった。イニスを見つめるジャックの瞳のなんと切なく雄弁
なことか。これっきりなんて嘘だろう? 来年また会おうと言ってくれよ! それで
も忘れ形見にシャツを盗んでいたジャック。彼にはイニスの心の壁の高さがこの時
からわかっていたのかもしれない。
『シティ・スリッカーズ』を観たせいか、ジャックが亡くなった39歳という年齢が
妙に心に引っかかった。中年の危機という言葉があるが、ジャックも40代を目前に、
自分の今までの人生、イニスと出会う前と出会って後の人生、これからの後半生に
ついて考えていたのかな・・などと思う。実家の両親に語ったという「ラリーンと離婚
して(イニス以外の)男と牧場をやる」計画は、ジャックが本当に、本気で考えたもの
だったのだろうか? ラリーンと暮らす「偽りの人生」に別れを告げて、人生やり直す
ラストチャンス、という思いがあったのかもしれない。「どうして女房とは踊らないの?」
「考えたこともない」と言われた後のラリーンの寂しそうな表情。
考えたこともない。無関心。こちらまで胸が詰まる。
牧場主任ランドールとの出会いのパーティーシーンは、人物が多くなかなかじっ
くり演技を味わえないシーンであると思う。しかしこのシーンのジェイクの演技は
なかなか凄い。何かの「匂い」、或いは始まりを予感したかのようにランドールと
交わす視線、彼の目は本当に雄弁だと思う。その後ランドールと二人で奥方達を待
っている間、話題を探して彷徨うようなジャックの瞳、その後「釣り」に誘われたと
きの揺れ動くジャックの心、その瞳! BBMに対して様々なレビューを読んだが、
キャストの演技への不満を述べたものに当然ながら当たったことがない。主演の
ヒース&ジェイクは勿論のこと、脇役も皆素晴らしい。特にあまり語られることが
ないが、ジャックの母役、ロベルタ・マックスウェルの演技も助演女優賞並みの名演
ではないだろうか。
そして新たな疑問(と言っても大したことではないが)。ジェイクは髪を染めている
のか? 今まで当然のように観ていたが、ジェイクの素(?)の髪の色はもっと色素が
薄い気がする。BBM(若い頃)では黒に近いダークさ、徐々に色が薄く、白髪も見え
てくる。そう言えば『グッド・ガール』のコメンタリでも、監督と脚本家が「ジェイク
の髪は染めてる?」「いいや、染めてないんじゃない?」みたいな会話をしていた。
ジェイクの次回作(Zodiacの次)の話が全然聴こえてこないが、彼には彼の「今」し
かできない役にどんどん挑戦して欲しいと思う。個人的願望を言えば、ベルンハルト・
シュリンクの『朗読者』、ミヒャエルをジェイクに演じて欲しい。裁判所の傍聴席で、
ハンナを見つめているミヒャエル。その時のジェイクはどんな瞳をしているんだろう・・?
と、そんなことを考えてみる、ユダヤ系容貌のジェイクが、ドイツ人を演じることは
ほぼ不可能だとわかってはいても。
この小説をアンソニー・ミンゲラが映画化すると聞いて小躍りしたものだが、もう何年
も音沙汰がないような。このプロジェクト、一体どうなっているのだろう?
テーマ : ブロークバック・マウンテン
ジャンル : 映画
東洋的自然(世界)観で描かれる米映画の傑作~ブロークバック・マウンテン#10
最後の鑑賞になるかも、と思いつつ5回目の登山。映画の日でもレディースディ
でもない平日。なのにシネコンのチケットカウンターはまさしく「老若男女」の
長蛇の列! 世間のダ・ヴィンチブームを実感する。BBMは小さめのスクリーン
で、場内は7人。いつものように前方3列目真ん中をGET。
夜明け、ん? 風の音が聴こえにくい。トラックから降り立つ一人のカウボーイ、
ん? 画面が暗い!・・・嫌な予感。
残念ながら予感は的中、音響も悪く画面も暗く、テントシーンなんて暗くて何や
ってんのか??状態。BBM=「風の音を聴く、映画」だと思っている私としては、
この音響の悪さは非常に残念。やはりDTSはダテじゃない、と痛感。前回は聴き取れ
たジャックの「Come on」も全く聴こえなかったし、何より効果音(自然の音を含む)
もBGMもない状態では場内の空調の音が耳について仕方がなかった。まぁ、それも言
うなれば「風の音」には違いないのだけれど。。
イニスがアギーレの事務所前で独りタバコを吸っている場面。吸殻を指で弾いて
から丸め、ポケットにしまう仕草。ここが初見時から非常に気になっていた。1963年
のワイオミングで、吸殻を投げ捨てて踏み消さないカウボーイがいたとは・・・。
(イニスのアパート前でタバコを吸っていたジャックは思いっきり投げ捨てて踏み消
している)これはイニスの「繊細さ」を現すアン・リーの演出なのだろうか。
それともいわゆる「シケモク」、イニスの貧しさを現す演出なのかもしれない。
自然を使った表現。ジャック=風(の音)、はBBM#3で言及したが、一番印象的
な「風」の場面を忘れていた。下山して、最初の別れの場面。歩き始めたイニスが身
体に異変を感じて座り込むと、そこに強風が吹き荒ぶ。嘔吐を伴うほどの別れの辛さ、
ジャックへのイニスの強い想いが、この風に表現されているのだろう。
もう一つは、BBMでの嵐。アギーレが裸でじゃれあう二人を見て、ジャックのも
とに現れた直後、暗雲立ち込め雹が降る。この嵐はアギーレの怒りを現しているのだ
ろう、未見だが『アギーレ・神の怒り』という映画がある。
その嵐によって羊が他の群れと混ざってしまい、ようやく選別しての帰り道。ジャ
ックがハーモニカを吹く直前の、空も雲も薄ピンク色に染まった「マジック・アワー」。
この美しいシーンも初見から非常に印象的だった。一日のうち、ほんの数十分間しか
続かないけれど最も美しいこの「魔法の時間」で、二人のBBMでの時間が終わりを
告げようとしていることを暗示しているかのようだ。
BBMはセリフが非常に少なく、ストーリー展開や感情表現も言葉によるものは極力
抑えられている。にもかかわらず観るものに強く余韻を残すのは、この物語の第三の
主役である「自然」が、静謐でありながら壮大に雄弁に、主人公達の心情と運命を描き
出しているために他ならないのではないか。アン・リーの東洋的な自然(世界)観が
垣間見られる粛々とした演出に、改めて敬服してしまう。
場面のつなぎの巧みさも様々語られているが、面白いのは「Honey」の場面。ジャック
からのハガキを見つけたアルマがチラシの下にハガキを隠す(置く?)が、そのチラシ
の「Honey」の文字が大写しになった直後、ジャックがラリーンに「Honey,」と呼びか
ける。細かいところだけれど、本当に細部まで丁寧に作られているなと思わせるシーン
だ。
鑑賞も5回目ともなると、字幕もほとんど読まず、画面だけに集中できるため細かい
ところも見えてくる。アギーレの事務所でイニスとジャックが立っているとき、イニス
には窓からの日の光が当たり、ジャックは暗いところに立っている。これも何かの暗示
だろうか? そして今回、ついに気付いてしまった、最後の逢瀬の場面でイニスの顔に
止まっているという噂の「ハエ」に・・。
音響が悪い、画面が暗いと文句をたれたが、全国的にほとんど上映終了している中、
公開から2ヶ月以上もBBMを大きなスクリーンで観られたことに感謝したい。BBM
公式HPによると、6月、7月にかけても所々で上映される模様。DVD発売まで、日本の
どこかでBBMが上映されているといいな。私もまだBBMキャンプ継続中、#11に
続きます。
でもない平日。なのにシネコンのチケットカウンターはまさしく「老若男女」の
長蛇の列! 世間のダ・ヴィンチブームを実感する。BBMは小さめのスクリーン
で、場内は7人。いつものように前方3列目真ん中をGET。
夜明け、ん? 風の音が聴こえにくい。トラックから降り立つ一人のカウボーイ、
ん? 画面が暗い!・・・嫌な予感。
残念ながら予感は的中、音響も悪く画面も暗く、テントシーンなんて暗くて何や
ってんのか??状態。BBM=「風の音を聴く、映画」だと思っている私としては、
この音響の悪さは非常に残念。やはりDTSはダテじゃない、と痛感。前回は聴き取れ
たジャックの「Come on」も全く聴こえなかったし、何より効果音(自然の音を含む)
もBGMもない状態では場内の空調の音が耳について仕方がなかった。まぁ、それも言
うなれば「風の音」には違いないのだけれど。。
イニスがアギーレの事務所前で独りタバコを吸っている場面。吸殻を指で弾いて
から丸め、ポケットにしまう仕草。ここが初見時から非常に気になっていた。1963年
のワイオミングで、吸殻を投げ捨てて踏み消さないカウボーイがいたとは・・・。
(イニスのアパート前でタバコを吸っていたジャックは思いっきり投げ捨てて踏み消
している)これはイニスの「繊細さ」を現すアン・リーの演出なのだろうか。
それともいわゆる「シケモク」、イニスの貧しさを現す演出なのかもしれない。
自然を使った表現。ジャック=風(の音)、はBBM#3で言及したが、一番印象的
な「風」の場面を忘れていた。下山して、最初の別れの場面。歩き始めたイニスが身
体に異変を感じて座り込むと、そこに強風が吹き荒ぶ。嘔吐を伴うほどの別れの辛さ、
ジャックへのイニスの強い想いが、この風に表現されているのだろう。
もう一つは、BBMでの嵐。アギーレが裸でじゃれあう二人を見て、ジャックのも
とに現れた直後、暗雲立ち込め雹が降る。この嵐はアギーレの怒りを現しているのだ
ろう、未見だが『アギーレ・神の怒り』という映画がある。
その嵐によって羊が他の群れと混ざってしまい、ようやく選別しての帰り道。ジャ
ックがハーモニカを吹く直前の、空も雲も薄ピンク色に染まった「マジック・アワー」。
この美しいシーンも初見から非常に印象的だった。一日のうち、ほんの数十分間しか
続かないけれど最も美しいこの「魔法の時間」で、二人のBBMでの時間が終わりを
告げようとしていることを暗示しているかのようだ。
BBMはセリフが非常に少なく、ストーリー展開や感情表現も言葉によるものは極力
抑えられている。にもかかわらず観るものに強く余韻を残すのは、この物語の第三の
主役である「自然」が、静謐でありながら壮大に雄弁に、主人公達の心情と運命を描き
出しているために他ならないのではないか。アン・リーの東洋的な自然(世界)観が
垣間見られる粛々とした演出に、改めて敬服してしまう。
場面のつなぎの巧みさも様々語られているが、面白いのは「Honey」の場面。ジャック
からのハガキを見つけたアルマがチラシの下にハガキを隠す(置く?)が、そのチラシ
の「Honey」の文字が大写しになった直後、ジャックがラリーンに「Honey,」と呼びか
ける。細かいところだけれど、本当に細部まで丁寧に作られているなと思わせるシーン
だ。
鑑賞も5回目ともなると、字幕もほとんど読まず、画面だけに集中できるため細かい
ところも見えてくる。アギーレの事務所でイニスとジャックが立っているとき、イニス
には窓からの日の光が当たり、ジャックは暗いところに立っている。これも何かの暗示
だろうか? そして今回、ついに気付いてしまった、最後の逢瀬の場面でイニスの顔に
止まっているという噂の「ハエ」に・・。
音響が悪い、画面が暗いと文句をたれたが、全国的にほとんど上映終了している中、
公開から2ヶ月以上もBBMを大きなスクリーンで観られたことに感謝したい。BBM
公式HPによると、6月、7月にかけても所々で上映される模様。DVD発売まで、日本の
どこかでBBMが上映されているといいな。私もまだBBMキャンプ継続中、#11に
続きます。
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羊じゃなくて牛を追う、お得な娯楽作品~『シティ・スリッカーズ』
ジェイク10歳の映画デビュー作が観たい、というだけの不純な動機(?)で
手に取った本作。ところがこれが予想外に面白い。笑いあり、教訓あり、突っ込
みどころもありで、純粋に楽しめた。娯楽作品のお手本のような一作だ。
主人公ミッチ(ビリー・クリスタル)は、都会のラジオ局で働く平凡な男。
39歳の誕生日を迎え、仕事にも家族にも行き詰まりを感じている。彼が同じよう
な境遇の親友二人と2週間のカウボーイ・ツアー(ニューメキシコからコロラド
まで牛を追って行く、というツアー)に出かけ、そこで出会ったものは・・?という
ストーリー。
この39歳という主人公の年齢設定が肝である。誰しも年齢の10の位が一つ増え
る前には、なんとなく不安になったり、ナーバスになったりするものだと思う。
それは老いることへの恐怖だったり、10代、20代、あるいは30代でやり残した
ことへの後悔だったり。特に40代を迎える前には、「人生半分過ぎたな・・」→
「もうおっちゃんやなあ・・」→「俺の人生、ホンマにこれでええんか?!」と
なぜか関西弁で迷える中年になってしまう人も多いだろう(あくまで推測)。
老カウボーイや仔牛との出会いを通じて、主人公は少しづつ再生してゆく。
自分の心の赴くままに、信じたことをすればいいのだ。その気にさえなればいく
つになっても出会いはあるし、人生をやり直すことも、同じ場所からまた始める
ことだってできる。必要なのはほんの少しの勇気と、自分の頭で考えること。
それにしてもまあ、ミッチの息子ダニエルを演じるジェイク・10歳のかわいら
しいこと。この映画は本国で大ヒットしたらしいが、彼は一躍有名子役にはなら
なかったのだろうか?「Dad、寂しかったよぉ~」と抱きつかれるビリー・クリス
タルがまじでうらやましい。そしてこの映画にはちびっこジェイク以上にかわい
いキャラが!その名もノーマン、仔牛(笑)。仔牛ってあんなにつぶらな瞳をし
ているって、知らなかった。あれじゃ置いてけないよね。
都会のへなちょこ野郎(シティ・スリッカーズ)である彼らがどうしてあんな
に乗馬が上手いんだ?とか、三人で牛追いしたときの水と食料はどこに?などと
突っ込みどころもあるが、ちびっこジェイクも拝めるし、ビリー・クリスタルは
面白い(ラストの「シートベルトは?トイレ行った?」はアドリブでは?奥さん
役の人が素で笑っていたような気がする)し、BBMでもあったなぁ~みたいな
カウボーイの世界も堪能できる、満足の一作。すっごく得した気分。
(『シティ・スリッカーズ』監督/ ロン・アンダーウッド、
主演/ ビリー・クリスタル、ダニエル・スターン、1991・USA)
手に取った本作。ところがこれが予想外に面白い。笑いあり、教訓あり、突っ込
みどころもありで、純粋に楽しめた。娯楽作品のお手本のような一作だ。
主人公ミッチ(ビリー・クリスタル)は、都会のラジオ局で働く平凡な男。
39歳の誕生日を迎え、仕事にも家族にも行き詰まりを感じている。彼が同じよう
な境遇の親友二人と2週間のカウボーイ・ツアー(ニューメキシコからコロラド
まで牛を追って行く、というツアー)に出かけ、そこで出会ったものは・・?という
ストーリー。
この39歳という主人公の年齢設定が肝である。誰しも年齢の10の位が一つ増え
る前には、なんとなく不安になったり、ナーバスになったりするものだと思う。
それは老いることへの恐怖だったり、10代、20代、あるいは30代でやり残した
ことへの後悔だったり。特に40代を迎える前には、「人生半分過ぎたな・・」→
「もうおっちゃんやなあ・・」→「俺の人生、ホンマにこれでええんか?!」と
なぜか関西弁で迷える中年になってしまう人も多いだろう(あくまで推測)。
老カウボーイや仔牛との出会いを通じて、主人公は少しづつ再生してゆく。
自分の心の赴くままに、信じたことをすればいいのだ。その気にさえなればいく
つになっても出会いはあるし、人生をやり直すことも、同じ場所からまた始める
ことだってできる。必要なのはほんの少しの勇気と、自分の頭で考えること。
それにしてもまあ、ミッチの息子ダニエルを演じるジェイク・10歳のかわいら
しいこと。この映画は本国で大ヒットしたらしいが、彼は一躍有名子役にはなら
なかったのだろうか?「Dad、寂しかったよぉ~」と抱きつかれるビリー・クリス
タルがまじでうらやましい。そしてこの映画にはちびっこジェイク以上にかわい
いキャラが!その名もノーマン、仔牛(笑)。仔牛ってあんなにつぶらな瞳をし
ているって、知らなかった。あれじゃ置いてけないよね。
都会のへなちょこ野郎(シティ・スリッカーズ)である彼らがどうしてあんな
に乗馬が上手いんだ?とか、三人で牛追いしたときの水と食料はどこに?などと
突っ込みどころもあるが、ちびっこジェイクも拝めるし、ビリー・クリスタルは
面白い(ラストの「シートベルトは?トイレ行った?」はアドリブでは?奥さん
役の人が素で笑っていたような気がする)し、BBMでもあったなぁ~みたいな
カウボーイの世界も堪能できる、満足の一作。すっごく得した気分。
(『シティ・スリッカーズ』監督/ ロン・アンダーウッド、
主演/ ビリー・クリスタル、ダニエル・スターン、1991・USA)
終りなき愛憎と混沌の群像劇~ジェームズ・ボールドウィン『もう一つの国』
ジェイクが「災害時に持って逃げる一冊の本は?」と訊かれ、「僕にとっては
素晴らしい本」と言って挙げたというジェームズ・ボールドウィンの『もう一つ
の国』。残念ながらこの本は現在日本では絶版であり、入手困難なため図書館の
書庫からお借りする。私が読んだのは集英社版、世界文学全集83 ボールドウィ
ン『もう一つの国』1980年発行、野崎孝訳。
圧倒的な本である。舞台はニューヨーク、主要人物は8人。ルーファス、ヴィ
ヴァルド、アイダ、キャス、リチャード、エリック、イーヴ、レオナ。彼らは
黒人と白人というだけでなく、性別、階級、出自の異なる芸術家の卵たちだ。
冒頭から容赦なく彼らに浴びせられる愛憎、困窮、人種差別、暴力。一気に混沌
とした小説世界に引き込まれ、濃厚でヒリヒリした痛みを伴う人間関係から最後
まで目をそらすことができない。私は第一部第一章で早くも圧倒され、涙し、こ
の小説の虜になった。そして、登場人物たちもそうであったに違いない。この章
の最後に起こる「ある悲劇」に、彼らは最後まで取り憑かれ、混沌から抜け出そ
うともしないように見える。
この群像劇のテーマは、と訊かれたなら、私は「愛」と答える。彼らが人種や
性別、階級といった様々な「差別」にもがき苦しむのも、ヴィヴァルドの言葉を
借りればすべて「ただ、愛だけ、それだけなんだ」。男と女の間にあるもの、男
と男の間にあるもの。「愛することができなくて、どうやって生きられるんだろ
う?愛してる場合には、また、どうやれば生きられるんだ?」愛を求めて愛を得
ても、自分と相手の「差」からはどうあがいても自由になれず、愛すれば愛するほ
どに安息とはほど遠い嫉妬や暴力に苛まれてゆく主人公達。
ヴィヴァルドの言葉を胸の中で繰り返しているうちに、アン・リーのコメント
を思い出した。
「愛というのは普遍的なもの、誰もが恋に落ちるし、どんなに回り道をしても愛
の謎を解きたいと思っている、誰かと結びつくために」
ひょっとしたら、ジェイクがこの本を知ったのはアン・リーに薦められたんじゃ
ないだろうか?と考えてしまう。役作りのために、、などと考えるのは妄想し過
ぎだろうか。
翻訳もほとんど違和感なく読める。ただ一点、キャスの本名がクラリッサだと
明かされる部分の訳注が気になった。「(クラリッサとは)イギリスの小説
『クラリッサ・ハーロウ』の女主人公」とあるが、普通「クラリッサ」といえば
思い浮かぶのは『ダロウェイ夫人』ではないだろうか?しかもキャスの夫の名前
はリチャードである。クラリッサ・ダロウェイとリチャード・ダロウェイ。また
はクラリッサ・ヴォーンとリチャード・ブラウン。『クラリッサ・ハーロウ』は
未読ゆえ、断定はできない。しかしボールドウィンがキャスに与えた名前が上流
社会の貴婦人の象徴であり、後にマイケル・カニンガムによって『めぐりあう
時間たち(The Hours)』という傑作を生み出すに至る、という見方は飛躍し過ぎ
だろうか?
小説の最終章は、「もう一つの国」からやってくる希望を描いて終る。長く
苦しい主人公達の葛藤から何の救済も明確に示さぬまま、ラストだけは明るく
未来に歩き出すように見える。この希望もまたニューヨークという混沌に飲み込
まれ、苦悩と渇望へと変化していくのだと予想できたとしても。
同性愛を含む愛と性、人種差別の現実を、主人公達の魂の孤独として描き切っ
たこの作品が、出版時は賛否両論、物議を醸したことは想像に難くない。しかし
間違いなくとてつもない力を湛えた傑作。手元に置き、何度でもページを開いて
みたい本だ。そしてもしも、もしも映画化されるのならば・・・。ヴィヴァルド
はジェイクでお願いしたい。
(『Another Country』by James Baldwin・1962)
素晴らしい本」と言って挙げたというジェームズ・ボールドウィンの『もう一つ
の国』。残念ながらこの本は現在日本では絶版であり、入手困難なため図書館の
書庫からお借りする。私が読んだのは集英社版、世界文学全集83 ボールドウィ
ン『もう一つの国』1980年発行、野崎孝訳。
圧倒的な本である。舞台はニューヨーク、主要人物は8人。ルーファス、ヴィ
ヴァルド、アイダ、キャス、リチャード、エリック、イーヴ、レオナ。彼らは
黒人と白人というだけでなく、性別、階級、出自の異なる芸術家の卵たちだ。
冒頭から容赦なく彼らに浴びせられる愛憎、困窮、人種差別、暴力。一気に混沌
とした小説世界に引き込まれ、濃厚でヒリヒリした痛みを伴う人間関係から最後
まで目をそらすことができない。私は第一部第一章で早くも圧倒され、涙し、こ
の小説の虜になった。そして、登場人物たちもそうであったに違いない。この章
の最後に起こる「ある悲劇」に、彼らは最後まで取り憑かれ、混沌から抜け出そ
うともしないように見える。
この群像劇のテーマは、と訊かれたなら、私は「愛」と答える。彼らが人種や
性別、階級といった様々な「差別」にもがき苦しむのも、ヴィヴァルドの言葉を
借りればすべて「ただ、愛だけ、それだけなんだ」。男と女の間にあるもの、男
と男の間にあるもの。「愛することができなくて、どうやって生きられるんだろ
う?愛してる場合には、また、どうやれば生きられるんだ?」愛を求めて愛を得
ても、自分と相手の「差」からはどうあがいても自由になれず、愛すれば愛するほ
どに安息とはほど遠い嫉妬や暴力に苛まれてゆく主人公達。
ヴィヴァルドの言葉を胸の中で繰り返しているうちに、アン・リーのコメント
を思い出した。
「愛というのは普遍的なもの、誰もが恋に落ちるし、どんなに回り道をしても愛
の謎を解きたいと思っている、誰かと結びつくために」
ひょっとしたら、ジェイクがこの本を知ったのはアン・リーに薦められたんじゃ
ないだろうか?と考えてしまう。役作りのために、、などと考えるのは妄想し過
ぎだろうか。
翻訳もほとんど違和感なく読める。ただ一点、キャスの本名がクラリッサだと
明かされる部分の訳注が気になった。「(クラリッサとは)イギリスの小説
『クラリッサ・ハーロウ』の女主人公」とあるが、普通「クラリッサ」といえば
思い浮かぶのは『ダロウェイ夫人』ではないだろうか?しかもキャスの夫の名前
はリチャードである。クラリッサ・ダロウェイとリチャード・ダロウェイ。また
はクラリッサ・ヴォーンとリチャード・ブラウン。『クラリッサ・ハーロウ』は
未読ゆえ、断定はできない。しかしボールドウィンがキャスに与えた名前が上流
社会の貴婦人の象徴であり、後にマイケル・カニンガムによって『めぐりあう
時間たち(The Hours)』という傑作を生み出すに至る、という見方は飛躍し過ぎ
だろうか?
小説の最終章は、「もう一つの国」からやってくる希望を描いて終る。長く
苦しい主人公達の葛藤から何の救済も明確に示さぬまま、ラストだけは明るく
未来に歩き出すように見える。この希望もまたニューヨークという混沌に飲み込
まれ、苦悩と渇望へと変化していくのだと予想できたとしても。
同性愛を含む愛と性、人種差別の現実を、主人公達の魂の孤独として描き切っ
たこの作品が、出版時は賛否両論、物議を醸したことは想像に難くない。しかし
間違いなくとてつもない力を湛えた傑作。手元に置き、何度でもページを開いて
みたい本だ。そしてもしも、もしも映画化されるのならば・・・。ヴィヴァルド
はジェイクでお願いしたい。
(『Another Country』by James Baldwin・1962)
母の話、私の逡巡、ジェームズ・ディーン~ブロークバック・マウンテン#9
BBMにハマって何回も観ている、とメールしたときの母からの返信。
「ジョージ・クルーニーの『グッドナイト・アンド・グッドラック』放送記者
エド・マローと現場で共に戦う同僚の物語です。近頃珍しい地味な映画ですが
登山ばかりに気をとられないでこれも是非見てくださいね」
私の母は映画好きで、そこそこリベラルなひとだと娘ながら思う。映画や本の
話はよくするし、ミーハーの遺伝子は間違いなく母から受け継いだものだ。
そんな母に対して、BBMの話をするのにしばらく逡巡していた。評判は母も知
っているはずだけれど、拒絶されるかも?と思ってしまったのだ。
結局メールで話はしたのだが、自分が迷ったということ。これって自分の中に
も偏見があるってことなのかな・・と考えてちょっと落ち込んでしまった。自分
ではそんなことない、偏見なんか持ってないって思い込んでいたから。
私はBBMがすごく好きだし大切な映画だし、生涯ベスト1かも?と思ってい
る。少なくとも現時点では間違いなくベストだ。大切な映画だから胸の中に大事
にしまっておきたいという気持ちもあるけれど、自分の大切な人に観てほしいと
いう気持ちももちろんある。そこで逡巡するということは、私の中にも心の壁は
あるということなのだろう。でもそれを自覚することで、私も変われるのかもし
れない、曖昧な言い方だけれど・・・。
母に言われたからというわけではないが、BBM以外の映画を観た。近くのシ
ネコンでBBMは来週からの上映なのだ。そこで収穫が二つ!
まず、BBMのチラシをGET!チラシって公開が始まれば撤去される(と思う)
から、初めて手にした。うれし~い。記念に5枚ほどいただく(内緒)。
そしてもう一つは、なんとBBMの予告編が観られたのだ。ネットで何度も観て
いるはずなのに、大きなスクリーンで観るとやはり「おお~!」という感じ。
しかし本編を何度も観ている身にはいささか違和感が・・。
予告では本編に使われていないシーンが3つほど流れる。ジャックとイニスが
ジャックのピックアップに乗っているシーン、ジャックを狙う(からかう?)男
達、橋の上に上半身裸で佇むジャック(これはスタンドインらしいけど)。なぜ
これらのシーンを予告に入れたのか?「始まりは純粋な友情だった・・」という
ナレーションもなんかシラける。それでもイニスがシャツを抱きしめるところで
はグっときて、またもや涙のスイッチが・・。
直後に始まった『ナイロビの蜂』も、涙、ナミダの鑑賞となった。
そして母からメール、BBMを早速観に行ったと。
「さて『ブロークバック・マウンテン』昨日観ました。これは感動でしたね。
アン・リー監督すごいね!私ももう1度見ます。『エデンの東』のジミ-の主演
だったら・・・と思いました」
ジェームズ・ディーンかぁ。私から見るとイニス=ヒースは超ハマリ役、他の
キャストでは絶対考えられない!し、「この俳優が演じたら」みたいな意見もほ
とんど目にした記憶がない。でもそれは多分現役の俳優を基準に考えているから
で、世代が違うとまた別の見方もあるのだなあと改めて思った。
しかし、ジャック役は誰か思い浮かばなかったのかな? 今度母に聞いてみよう。
「ジョージ・クルーニーの『グッドナイト・アンド・グッドラック』放送記者
エド・マローと現場で共に戦う同僚の物語です。近頃珍しい地味な映画ですが
登山ばかりに気をとられないでこれも是非見てくださいね」
私の母は映画好きで、そこそこリベラルなひとだと娘ながら思う。映画や本の
話はよくするし、ミーハーの遺伝子は間違いなく母から受け継いだものだ。
そんな母に対して、BBMの話をするのにしばらく逡巡していた。評判は母も知
っているはずだけれど、拒絶されるかも?と思ってしまったのだ。
結局メールで話はしたのだが、自分が迷ったということ。これって自分の中に
も偏見があるってことなのかな・・と考えてちょっと落ち込んでしまった。自分
ではそんなことない、偏見なんか持ってないって思い込んでいたから。
私はBBMがすごく好きだし大切な映画だし、生涯ベスト1かも?と思ってい
る。少なくとも現時点では間違いなくベストだ。大切な映画だから胸の中に大事
にしまっておきたいという気持ちもあるけれど、自分の大切な人に観てほしいと
いう気持ちももちろんある。そこで逡巡するということは、私の中にも心の壁は
あるということなのだろう。でもそれを自覚することで、私も変われるのかもし
れない、曖昧な言い方だけれど・・・。
母に言われたからというわけではないが、BBM以外の映画を観た。近くのシ
ネコンでBBMは来週からの上映なのだ。そこで収穫が二つ!
まず、BBMのチラシをGET!チラシって公開が始まれば撤去される(と思う)
から、初めて手にした。うれし~い。記念に5枚ほどいただく(内緒)。
そしてもう一つは、なんとBBMの予告編が観られたのだ。ネットで何度も観て
いるはずなのに、大きなスクリーンで観るとやはり「おお~!」という感じ。
しかし本編を何度も観ている身にはいささか違和感が・・。
予告では本編に使われていないシーンが3つほど流れる。ジャックとイニスが
ジャックのピックアップに乗っているシーン、ジャックを狙う(からかう?)男
達、橋の上に上半身裸で佇むジャック(これはスタンドインらしいけど)。なぜ
これらのシーンを予告に入れたのか?「始まりは純粋な友情だった・・」という
ナレーションもなんかシラける。それでもイニスがシャツを抱きしめるところで
はグっときて、またもや涙のスイッチが・・。
直後に始まった『ナイロビの蜂』も、涙、ナミダの鑑賞となった。
そして母からメール、BBMを早速観に行ったと。
「さて『ブロークバック・マウンテン』昨日観ました。これは感動でしたね。
アン・リー監督すごいね!私ももう1度見ます。『エデンの東』のジミ-の主演
だったら・・・と思いました」
ジェームズ・ディーンかぁ。私から見るとイニス=ヒースは超ハマリ役、他の
キャストでは絶対考えられない!し、「この俳優が演じたら」みたいな意見もほ
とんど目にした記憶がない。でもそれは多分現役の俳優を基準に考えているから
で、世代が違うとまた別の見方もあるのだなあと改めて思った。
しかし、ジャック役は誰か思い浮かばなかったのかな? 今度母に聞いてみよう。
テーマ : ブロークバック・マウンテン
ジャンル : 映画
骨太のラブストーリーに涙~『ナイロビの蜂』
原作者ジョン・ル・カレの著作は未読だし、監督フェルナンド・メイレレス
の作品も未見。でもレイチェル・ワイズがアカデミー助演女優賞を受賞した本作
はどうしても観たかった。レディースデイに近くのシネコンまで足を運ぶ。
冒頭、「じゃあ、二日後に」と言って搭乗する妻テッサ(レイチェル・ワイズ)
を見送る外交官の夫ジャスティン(レイフ・ファインズ)。その後の映像が凄い。
人物にフォーカスすることなく、アフリカの空と地平とで悲劇を表現している。
政治活動家だった妻の死の謎を追い、夫が外交官の地位を捨て、命を賭して
アフリカの大地を走る。原題”The constant gardener”誠実な庭師、もう一つ
言えば個人主義で事なかれ主義な家庭人であった彼が、妻との絆を取り戻すため
に。
レイフ・ファインズといえば『レッド・ドラゴン』で見せた狂気の眼差しが記憶
に残るけれど、本作で初めてアップになった彼を見たとき「え、これがレイフ・
ファインズ?」と思ってしまったほど、やさしげで物静かな英国紳士だ。
片やレイチェル・ワイズは情熱的な妻テッサを熱演しているのだけど、どうも彼女
に感情移入できない。出会いから結婚→アフリカ行きまでがほとんど描かれていな
いため、夫婦の愛のはじまりと絆の強さのわけが見えない。気の弱い亭主と自己中
な妻(または押しかけ女房)と取れなくもない。
しかし夫ジャスティン(=正義)が、事件の真相と妻の愛を知る過程でどんどん
引き込まれ、ラストまで目が離せない。妻を知ることは妻に近づくことであり、共
に暮らしていたときには決して共有できなかった「秘密」を知ることでもある。
なぜ共有できなかったのか? なぜ話してくれなかったのか。
「一人を救っても意味が無い」と、ただ傍観者であった彼が当事者になったとき、
初めて「一人なら救える」と口にする。その時彼は最も妻に近づき、やがて同化し
てゆく。帰りたい家が妻であるなら、エンディングの彼の選択は悲劇とだけは言い
切れないだろう。
ただ「夫婦愛」を描いたのみならず、アフリカ(ケニア)の美しい自然と貧困、
エイズや結核の蔓延、政府ぐるみの大企業の癒着、その犠牲となる人々の現実も
描いた、骨太な力作。ケニアでは発禁本であるという原作を、ここまで映像化した
監督の勇気と力量に脱帽する。レイチェル・ワイズのオスカーは、彼女の演技と
いうよりもこの作品に贈られたもの、と考えたほうがいいかもしれない。
(『ナイロビの蜂』監督/フェルナンド・メイレレス、
主演/レイフ・ファインズ 、レイチェル・ワイズ/2005・UK)
の作品も未見。でもレイチェル・ワイズがアカデミー助演女優賞を受賞した本作
はどうしても観たかった。レディースデイに近くのシネコンまで足を運ぶ。
冒頭、「じゃあ、二日後に」と言って搭乗する妻テッサ(レイチェル・ワイズ)
を見送る外交官の夫ジャスティン(レイフ・ファインズ)。その後の映像が凄い。
人物にフォーカスすることなく、アフリカの空と地平とで悲劇を表現している。
政治活動家だった妻の死の謎を追い、夫が外交官の地位を捨て、命を賭して
アフリカの大地を走る。原題”The constant gardener”誠実な庭師、もう一つ
言えば個人主義で事なかれ主義な家庭人であった彼が、妻との絆を取り戻すため
に。
レイフ・ファインズといえば『レッド・ドラゴン』で見せた狂気の眼差しが記憶
に残るけれど、本作で初めてアップになった彼を見たとき「え、これがレイフ・
ファインズ?」と思ってしまったほど、やさしげで物静かな英国紳士だ。
片やレイチェル・ワイズは情熱的な妻テッサを熱演しているのだけど、どうも彼女
に感情移入できない。出会いから結婚→アフリカ行きまでがほとんど描かれていな
いため、夫婦の愛のはじまりと絆の強さのわけが見えない。気の弱い亭主と自己中
な妻(または押しかけ女房)と取れなくもない。
しかし夫ジャスティン(=正義)が、事件の真相と妻の愛を知る過程でどんどん
引き込まれ、ラストまで目が離せない。妻を知ることは妻に近づくことであり、共
に暮らしていたときには決して共有できなかった「秘密」を知ることでもある。
なぜ共有できなかったのか? なぜ話してくれなかったのか。
「一人を救っても意味が無い」と、ただ傍観者であった彼が当事者になったとき、
初めて「一人なら救える」と口にする。その時彼は最も妻に近づき、やがて同化し
てゆく。帰りたい家が妻であるなら、エンディングの彼の選択は悲劇とだけは言い
切れないだろう。
ただ「夫婦愛」を描いたのみならず、アフリカ(ケニア)の美しい自然と貧困、
エイズや結核の蔓延、政府ぐるみの大企業の癒着、その犠牲となる人々の現実も
描いた、骨太な力作。ケニアでは発禁本であるという原作を、ここまで映像化した
監督の勇気と力量に脱帽する。レイチェル・ワイズのオスカーは、彼女の演技と
いうよりもこの作品に贈られたもの、と考えたほうがいいかもしれない。
(『ナイロビの蜂』監督/フェルナンド・メイレレス、
主演/レイフ・ファインズ 、レイチェル・ワイズ/2005・UK)
ジェイクファンの皆さん、必見です~『グッド・ガール』
BBMでジェイクにはまって、彼の出演作品『遠い空の向こうに』『ドニー・
ダーコ』『ムーンライト・マイル』『デイ・アフター・トゥモロー』と観てきた
が、私はこの作品かなり好きかも・・『グッド・ガール』。
ディスカウントストアで働くジャスティン(ジェニファー・アニストン)は、
職場で読書する新顔のホールデン(ジェイク・ジレンホール)を見つけ、何故か
気になって話しかけに行く。二人の初めての会話、このシーンでネームカードに
注目。『HOLDEN』といえば、サリンジャーの『キャッチャー・イン・ザ・ライ』
の主人公ホールデン・コールフィールドだ。。片や『JUSTINE』=正義。
案の定ホールデンが読んでいるのは『キャッチャー』だ。
『キャッチャー・イン・ザ・ライ』と言えば、ジョン・レノン殺害犯やロナル
ド・レーガン狙撃犯がポケットに忍ばせていたことで有名で、『キャッチャー』=アブナイ奴、
というわかり易さなのだが、ジャスティンは全く意に介さず、と言うか逆にその
謎めいた?姿に惹かれ、彼に近づいていく。そのうち深みにハマって・・。
元『ミセス・ブラッド・ピット』、ジェニファー・アニストン主演作なのに、
物凄い低予算な雰囲気を醸し出している。ジェイクを始め、脇役の皆さんもちょ
っと不気味、というか変わり者が多くて目が離せない。特に警備員役のマイク・
ホワイト(脚本も手がけている、才人!)と、ジャスティンの夫の親友ババ役
ティム・ブレイク・ネルソン(最初、ロベルト・ベニーニが出てるかと思った。
パッと見そっくり)。
彼が出てくると、その表情一つで画面がコメディタッチにも見え、シリアスに
も見え、恐怖映画か?とさえ思わせる。ジャスティンに関係を迫り、「ジャステ
ィン、じゃすてぃぃーーんん!」と叫びながら果てるところなんて、もう大笑い。
おかげで直後のジェイクのシーン(「旦那以外は許さないぞ!」)まで、余韻で
笑ってしまった。
肝心の、というか私にとって本作最大の見所であるジェイクの演技はさすがの
一言。彼の演技力が一番堪能できる作品なんじゃないだろうか?もちろんBBM
以前の作品で、だけど。
彼の役どころは大学をドロップアウトした、作家志望とは言うものの現実逃避
してるだけのアブナイ22歳。『ドニー・ダーコ』の彼は自覚アリだったが、ホー
ルデンは自分がサイコ野郎なことを自覚せず、どんどん周囲を巻き込んで、最後
は自分さえ逃げ場のないところへ追い込んでしまう、最後まで無自覚なまま。
こういう「精神的にイカレた」演技はオーバーアクトになりがちだし、一歩間
違うと痛々しいだけの滑稽な芝居になってしまう。けれどジェイクはあの「目力」
と全身から発散する倦怠感で、不自然さは一切なくホールデンを演じ切っている。
しかもハンサムだし、どこか品があるからジャスティンと同じく観ているほうも
彼を嫌いになれない(これはジェイクファンの欲目か?)。
左手で、巻き込むように字を書くところなんて、すごい役作りだな~と感嘆して
しまう。
映画自体は救いの無い結末だけど、特典映像のNG集がまた必見。ベッドシー
ンのNGがあって、ジェイクが笑いを堪え切れないところが最高にカワイイ。
「あ~、僕は今ジェニファー・アニストンを抱っこしてるんだ!」と思って口角
が上がったに違いない。う~ん、私これDVD、欲しいです(笑)
(『グッド・ガール』監督/ミゲール・アテタ/主演/ジェニファー・アニストン、
ジェイク・ジレンホール/2002・USA)
ダーコ』『ムーンライト・マイル』『デイ・アフター・トゥモロー』と観てきた
が、私はこの作品かなり好きかも・・『グッド・ガール』。
ディスカウントストアで働くジャスティン(ジェニファー・アニストン)は、
職場で読書する新顔のホールデン(ジェイク・ジレンホール)を見つけ、何故か
気になって話しかけに行く。二人の初めての会話、このシーンでネームカードに
注目。『HOLDEN』といえば、サリンジャーの『キャッチャー・イン・ザ・ライ』
の主人公ホールデン・コールフィールドだ。。片や『JUSTINE』=正義。
案の定ホールデンが読んでいるのは『キャッチャー』だ。
『キャッチャー・イン・ザ・ライ』と言えば、ジョン・レノン殺害犯やロナル
ド・レーガン狙撃犯がポケットに忍ばせていたことで有名で、『キャッチャー』=アブナイ奴、
というわかり易さなのだが、ジャスティンは全く意に介さず、と言うか逆にその
謎めいた?姿に惹かれ、彼に近づいていく。そのうち深みにハマって・・。
元『ミセス・ブラッド・ピット』、ジェニファー・アニストン主演作なのに、
物凄い低予算な雰囲気を醸し出している。ジェイクを始め、脇役の皆さんもちょ
っと不気味、というか変わり者が多くて目が離せない。特に警備員役のマイク・
ホワイト(脚本も手がけている、才人!)と、ジャスティンの夫の親友ババ役
ティム・ブレイク・ネルソン(最初、ロベルト・ベニーニが出てるかと思った。
パッと見そっくり)。
彼が出てくると、その表情一つで画面がコメディタッチにも見え、シリアスに
も見え、恐怖映画か?とさえ思わせる。ジャスティンに関係を迫り、「ジャステ
ィン、じゃすてぃぃーーんん!」と叫びながら果てるところなんて、もう大笑い。
おかげで直後のジェイクのシーン(「旦那以外は許さないぞ!」)まで、余韻で
笑ってしまった。
肝心の、というか私にとって本作最大の見所であるジェイクの演技はさすがの
一言。彼の演技力が一番堪能できる作品なんじゃないだろうか?もちろんBBM
以前の作品で、だけど。
彼の役どころは大学をドロップアウトした、作家志望とは言うものの現実逃避
してるだけのアブナイ22歳。『ドニー・ダーコ』の彼は自覚アリだったが、ホー
ルデンは自分がサイコ野郎なことを自覚せず、どんどん周囲を巻き込んで、最後
は自分さえ逃げ場のないところへ追い込んでしまう、最後まで無自覚なまま。
こういう「精神的にイカレた」演技はオーバーアクトになりがちだし、一歩間
違うと痛々しいだけの滑稽な芝居になってしまう。けれどジェイクはあの「目力」
と全身から発散する倦怠感で、不自然さは一切なくホールデンを演じ切っている。
しかもハンサムだし、どこか品があるからジャスティンと同じく観ているほうも
彼を嫌いになれない(これはジェイクファンの欲目か?)。
左手で、巻き込むように字を書くところなんて、すごい役作りだな~と感嘆して
しまう。
映画自体は救いの無い結末だけど、特典映像のNG集がまた必見。ベッドシー
ンのNGがあって、ジェイクが笑いを堪え切れないところが最高にカワイイ。
「あ~、僕は今ジェニファー・アニストンを抱っこしてるんだ!」と思って口角
が上がったに違いない。う~ん、私これDVD、欲しいです(笑)
(『グッド・ガール』監督/ミゲール・アテタ/主演/ジェニファー・アニストン、
ジェイク・ジレンホール/2002・USA)
自戒;それを愛の物語と言う前に~ブロークバック・マウンテン#8
BBMに対する様々な意見や批評を目にするが、「簡単に言って不倫の話」
と片付けてしまうレビューにはどうしても納得行かない。雑誌『Cut』4月号、
BBM特集のレビューにもそういう意見があったので、一読者として巻末ハガ
キで抗議してみた。
確かに、主人公二人が妻を裏切り続けていたのは事実だし、彼女達を傷つけた
のも事実だろう。しかしそれを「不倫」と片付けて終わり、というのは違和感が
あるし、いささか乱暴な気がする。「男女の話に置き換えると」という枕詞にも
正直ウンザリしている。そんなこと何の意味もない。というかそもそも男女の話
では語れないテーマなのだから。
当時のアメリカを生きたわけではないので本当のところはわからないが、イニ
スが恐れていたホモフォビアは並大抵の激しさではなかったのだろう。同性愛=
虐殺と言っても過言ではない(実際イニスはそれを目の当たりにしている)状況
で、社会の一員として生きていくために、普通に結婚して家庭を持つという選択
は、二人にとって本意ではないにしても当然の成り行きだっただろう。
そう考えてみると、「あんなに好き合っていたのに一緒になれないなんて」と
か「ジャックに何か約束してあげて欲しかった」などと嘆いていた自分がちょっ
と恥ずかしくなった。センチメンタルに流れ過ぎてしまった気がして。
アン・リーは「これは普遍的で純粋なラブ・ストーリー」だと語り、私もそう
受け取った。でもその前に、同性愛者の置かれた厳しい状況に思いを馳せるべき
なんじゃないだろうか。実際、原作者アニー・プルーがこの物語に込めた思いは
それが一番大きいだろうし、アン・リーの発言も商業的見地から、と言えなくも
ない。オスカーの受賞スピーチで彼は「(イニスとジャックが)同性愛者が社会
的に差別されている現実と、愛の素晴らしさを教えてくれた」と語っている。
もちろん、映画を観てそれをどうとらえるか、何を感じるかは個人の自由だし、
価値観も判断基準も人それぞれだろう。特にBBMはいろんなテーマを内包して
いる一筋縄ではいかない映画であるゆえ、見方によって様々な解釈が可能だ。
それでもやはり、イニスとジャックの置かれたどうしようもない、逃げ場のな
い状況から目をそらして、「愛の物語」という視点からだけこの映画を語ること
は避けるべきではないか。
「不倫って言うな」と抗議するなら、少なくとも私たちが生きているこの社会が
いかに閉鎖的で、差別と偏見に満ちているかを自覚しておかねばならないだろう。
そんなことを考えていたら、ロッキング・オンから宅配便が届いた。なんと読者
プレゼントに当選! レビューアーを名指しで抗議したのに、ロッキング・オンさ
んなんて太っ腹なのかしら、感激。缶コーヒー1ケース、しかしコーヒー飲めない
のになんでまた缶コーヒー希望にしたかなぁ。「健康フラバン茶」にしとけばよか
った(うれしいけど)。
と片付けてしまうレビューにはどうしても納得行かない。雑誌『Cut』4月号、
BBM特集のレビューにもそういう意見があったので、一読者として巻末ハガ
キで抗議してみた。
確かに、主人公二人が妻を裏切り続けていたのは事実だし、彼女達を傷つけた
のも事実だろう。しかしそれを「不倫」と片付けて終わり、というのは違和感が
あるし、いささか乱暴な気がする。「男女の話に置き換えると」という枕詞にも
正直ウンザリしている。そんなこと何の意味もない。というかそもそも男女の話
では語れないテーマなのだから。
当時のアメリカを生きたわけではないので本当のところはわからないが、イニ
スが恐れていたホモフォビアは並大抵の激しさではなかったのだろう。同性愛=
虐殺と言っても過言ではない(実際イニスはそれを目の当たりにしている)状況
で、社会の一員として生きていくために、普通に結婚して家庭を持つという選択
は、二人にとって本意ではないにしても当然の成り行きだっただろう。
そう考えてみると、「あんなに好き合っていたのに一緒になれないなんて」と
か「ジャックに何か約束してあげて欲しかった」などと嘆いていた自分がちょっ
と恥ずかしくなった。センチメンタルに流れ過ぎてしまった気がして。
アン・リーは「これは普遍的で純粋なラブ・ストーリー」だと語り、私もそう
受け取った。でもその前に、同性愛者の置かれた厳しい状況に思いを馳せるべき
なんじゃないだろうか。実際、原作者アニー・プルーがこの物語に込めた思いは
それが一番大きいだろうし、アン・リーの発言も商業的見地から、と言えなくも
ない。オスカーの受賞スピーチで彼は「(イニスとジャックが)同性愛者が社会
的に差別されている現実と、愛の素晴らしさを教えてくれた」と語っている。
もちろん、映画を観てそれをどうとらえるか、何を感じるかは個人の自由だし、
価値観も判断基準も人それぞれだろう。特にBBMはいろんなテーマを内包して
いる一筋縄ではいかない映画であるゆえ、見方によって様々な解釈が可能だ。
それでもやはり、イニスとジャックの置かれたどうしようもない、逃げ場のな
い状況から目をそらして、「愛の物語」という視点からだけこの映画を語ること
は避けるべきではないか。
「不倫って言うな」と抗議するなら、少なくとも私たちが生きているこの社会が
いかに閉鎖的で、差別と偏見に満ちているかを自覚しておかねばならないだろう。
そんなことを考えていたら、ロッキング・オンから宅配便が届いた。なんと読者
プレゼントに当選! レビューアーを名指しで抗議したのに、ロッキング・オンさ
んなんて太っ腹なのかしら、感激。缶コーヒー1ケース、しかしコーヒー飲めない
のになんでまた缶コーヒー希望にしたかなぁ。「健康フラバン茶」にしとけばよか
った(うれしいけど)。
テーマ : ブロークバック・マウンテン
ジャンル : 映画
コメンタリ・マジック?~『ムーンライト・マイル』再見
中途半端だとか、ジェイクが山崎まさよしに似ていてイマイチだったとか、
散々なことを書いてしまった『ムーンライト・マイル』だが、一つ気になる
ことがあった。主人公、ジョーは何故徴兵されていないのか?
たまたま通知が来ない、と劇中で語っているが、そんなことってあるのだろ
うか? 映画の冒頭、ジョーが目覚めてすぐ足をストレッチ(?)するような
場面もある。ヒロイン・パーティが「足を引き摺ってるわよ」と指摘する場面
もある。「靴が合わないんだ」と返すジョー。足に何らかのハンディがあるの
かと思ったがよくわからない。
どうも気になるし、コメンタリが良い!と言ってらっしゃる方が多いような
ので、もう一度コメンタリで観てみることにした。
ブラッド・シルバリング監督、ダスティン・ホフマン、ジェイクのコメンタ
リ。すっごい豪華メンバー(笑)。コメンタリ字幕に気をとられているせいか、
あれれ、何だかいい流れに感じてしまう。「衣装が茶色ばっかり」とダスティ
ンが言うように、画面が茶系のトーンにまとめられていて、温かい雰囲気を醸
し出している。70年代のニュー・イングランド地方が舞台だけれど、この辺り
って本当に素敵なところだなぁといつも思う。『グッドウィル・ハンティング』
『サイダーハウス・ルール』など。ちなみに「風景がアンドリュー・ワイエス
の絵の世界のよう」というコメントがあったけど、『サイダーハウス・ルール』
もアンドリュー・ワイエスの絵の世界をイメージした映像になっているらしい
です。なるほど。
ダスティンやスーザン・サランドンの演技も、やっぱりうまいなぁと改めて
思う。きっと巧すぎてそれに気付かない域に達しているのだろう。もちろんジ
ェイクも。。「優れた演技には技術が必要、でも技術が見えたら芸術として不
完全」by ヒラリ-・スワンク
ジェイクの髪型は、「中途半端なビートルズ」ではなくて「モンキーズ風」
なのだそう。そういえば、『あの頃、ペニーレインと。』の主人公(あの全然
印象に残らない男の子)もこんな髪型してたなあ・・と思い出した。
しかしこの映画、ホントに説明しない。ジョーがどこから来て、どこへ行く
のか。ジョーの家族は? ダイアナの回想シーンも無い。パーティの入浴シー
ンはサービスカット(?)かと思ったがちゃんと意味はあるらしい。
そして肝心のジョーのハンディキャップ。結局わからずじまいだった。髪型
のせいかジェイクが幼く見えて、とても結婚するような男にみえないことを差
し引いても、そんなに悪い映画じゃない。コメンタリ・マジックかもしれない
けど。
散々なことを書いてしまった『ムーンライト・マイル』だが、一つ気になる
ことがあった。主人公、ジョーは何故徴兵されていないのか?
たまたま通知が来ない、と劇中で語っているが、そんなことってあるのだろ
うか? 映画の冒頭、ジョーが目覚めてすぐ足をストレッチ(?)するような
場面もある。ヒロイン・パーティが「足を引き摺ってるわよ」と指摘する場面
もある。「靴が合わないんだ」と返すジョー。足に何らかのハンディがあるの
かと思ったがよくわからない。
どうも気になるし、コメンタリが良い!と言ってらっしゃる方が多いような
ので、もう一度コメンタリで観てみることにした。
ブラッド・シルバリング監督、ダスティン・ホフマン、ジェイクのコメンタ
リ。すっごい豪華メンバー(笑)。コメンタリ字幕に気をとられているせいか、
あれれ、何だかいい流れに感じてしまう。「衣装が茶色ばっかり」とダスティ
ンが言うように、画面が茶系のトーンにまとめられていて、温かい雰囲気を醸
し出している。70年代のニュー・イングランド地方が舞台だけれど、この辺り
って本当に素敵なところだなぁといつも思う。『グッドウィル・ハンティング』
『サイダーハウス・ルール』など。ちなみに「風景がアンドリュー・ワイエス
の絵の世界のよう」というコメントがあったけど、『サイダーハウス・ルール』
もアンドリュー・ワイエスの絵の世界をイメージした映像になっているらしい
です。なるほど。
ダスティンやスーザン・サランドンの演技も、やっぱりうまいなぁと改めて
思う。きっと巧すぎてそれに気付かない域に達しているのだろう。もちろんジ
ェイクも。。「優れた演技には技術が必要、でも技術が見えたら芸術として不
完全」by ヒラリ-・スワンク
ジェイクの髪型は、「中途半端なビートルズ」ではなくて「モンキーズ風」
なのだそう。そういえば、『あの頃、ペニーレインと。』の主人公(あの全然
印象に残らない男の子)もこんな髪型してたなあ・・と思い出した。
しかしこの映画、ホントに説明しない。ジョーがどこから来て、どこへ行く
のか。ジョーの家族は? ダイアナの回想シーンも無い。パーティの入浴シー
ンはサービスカット(?)かと思ったがちゃんと意味はあるらしい。
そして肝心のジョーのハンディキャップ。結局わからずじまいだった。髪型
のせいかジェイクが幼く見えて、とても結婚するような男にみえないことを差
し引いても、そんなに悪い映画じゃない。コメンタリ・マジックかもしれない
けど。
4回目鑑賞、あれこれ~ブロークバック・マウンテン#7
5月も半ば、BBMの上映もいよいよ今週限り、という映画館も多い。4回
目の鑑賞、ミニシアターだけど半分以上は埋まっていて驚いた。「もう一回観
ておきたい!」っていうリピーターの人が多いのか? 男性のお一人様が目立
つ。整理番号一番、いつものように最前列中央をゲット。
今日は二人の再会後、山で話し合う場面から号泣モード。寝転がって月を仰
ぐイニスの穏やかな表情。どうしてこんなに好き合っているのに一緒になれな
いのか・・・。終盤まで鼻水垂らしながら大泣きしてしまった。というのも今、
ジェイムズ・ボールドウィンの『もう一つの国』を読んでいる。今四分の一く
らいまで進んでいるが、これが何と言うか・・行きの電車の中で読みながら、
既に泣いてしまっていたのです。泣きのスイッチが入ってしまっている状態だ
った。
初見時からずっと思っていること。ジェイクって睫毛が長過ぎる。特に下睫
毛。長過ぎて時々マルコム・マクドウェル@時計じかけのオレンジ、に見えて
しまうのは私だけだろうか? あの黒い帽子といい・・。
ついでにもう一つジェイク、もみ上げ&髭はいいけれど、もみ上げ髭ナシは
似合ってない! イニスの「離婚成立」にうれしくて鼻歌まじりのシーン、あ
のジャックだけはイケてない! あれだけは「コント仕様」と言われても逆ら
えない。大地真央主演の舞台『ローマの休日』で理髪師役だった時の井上順に
見える(すごくわかりにくい例え)。
そのせいか(いや違うと思うが)、ヒースってめっさカッコイイ~と思う。
トラックから降りてくるイニス初登場シーンは勿論(うわ、足長~)、ブロー
クバックでのイニス、馬に乗る姿が超決まっている! 背筋がピンと伸びて、
全盛期の中田ヒデみたい(これはわかりやすいか?)。対してジャックは馬に
乗るとき「どっこいしょッ」て感じのシーンがあっていつも笑ってしまう。
笑ってしまうけれど、私はジャックが大好き。おんぼろピックアップを蹴飛
ばす初登場シーン、心を開いて話すイニスに聴き入りながら、うれしくて口角
がググ~っと上がるところ、拗ねて体育座りするイニスを迎えに行くやさしさ、
シャツを盗んで、自分のと重ねて、20年間も大切にしまっていたけなげさ。
でもやっぱり一番好きなのは、テント二夜目のジャック。おずおずと入ってき
たイニスを包む、やさしさ、切なさ、悲しみ、欲望が入り混じった碧い瞳。
最高に美しいシーンだと思う。
最後にエンドロール。”In loving memory of Geraldine Peroni”これは
ゴールデン・グローブのスピーチでアン・リーが「ジェラルディン・ペローニ
の冥福を祈り・・」と言っていた、亡くなった編集担当の方のためのクレジッ
トなのですね。・・合掌。そして”for Sheen Lee”の文字。エントリBBM
#6で『父性』について書いたけれど、アン・リーはこの映画を「父のために
作った」と語っている。彼が(BBM完成前に亡くなった)お父様のために、
この映画に込めたメッセージとは何だったのだろう・・?
目の鑑賞、ミニシアターだけど半分以上は埋まっていて驚いた。「もう一回観
ておきたい!」っていうリピーターの人が多いのか? 男性のお一人様が目立
つ。整理番号一番、いつものように最前列中央をゲット。
今日は二人の再会後、山で話し合う場面から号泣モード。寝転がって月を仰
ぐイニスの穏やかな表情。どうしてこんなに好き合っているのに一緒になれな
いのか・・・。終盤まで鼻水垂らしながら大泣きしてしまった。というのも今、
ジェイムズ・ボールドウィンの『もう一つの国』を読んでいる。今四分の一く
らいまで進んでいるが、これが何と言うか・・行きの電車の中で読みながら、
既に泣いてしまっていたのです。泣きのスイッチが入ってしまっている状態だ
った。
初見時からずっと思っていること。ジェイクって睫毛が長過ぎる。特に下睫
毛。長過ぎて時々マルコム・マクドウェル@時計じかけのオレンジ、に見えて
しまうのは私だけだろうか? あの黒い帽子といい・・。
ついでにもう一つジェイク、もみ上げ&髭はいいけれど、もみ上げ髭ナシは
似合ってない! イニスの「離婚成立」にうれしくて鼻歌まじりのシーン、あ
のジャックだけはイケてない! あれだけは「コント仕様」と言われても逆ら
えない。大地真央主演の舞台『ローマの休日』で理髪師役だった時の井上順に
見える(すごくわかりにくい例え)。
そのせいか(いや違うと思うが)、ヒースってめっさカッコイイ~と思う。
トラックから降りてくるイニス初登場シーンは勿論(うわ、足長~)、ブロー
クバックでのイニス、馬に乗る姿が超決まっている! 背筋がピンと伸びて、
全盛期の中田ヒデみたい(これはわかりやすいか?)。対してジャックは馬に
乗るとき「どっこいしょッ」て感じのシーンがあっていつも笑ってしまう。
笑ってしまうけれど、私はジャックが大好き。おんぼろピックアップを蹴飛
ばす初登場シーン、心を開いて話すイニスに聴き入りながら、うれしくて口角
がググ~っと上がるところ、拗ねて体育座りするイニスを迎えに行くやさしさ、
シャツを盗んで、自分のと重ねて、20年間も大切にしまっていたけなげさ。
でもやっぱり一番好きなのは、テント二夜目のジャック。おずおずと入ってき
たイニスを包む、やさしさ、切なさ、悲しみ、欲望が入り混じった碧い瞳。
最高に美しいシーンだと思う。
最後にエンドロール。”In loving memory of Geraldine Peroni”これは
ゴールデン・グローブのスピーチでアン・リーが「ジェラルディン・ペローニ
の冥福を祈り・・」と言っていた、亡くなった編集担当の方のためのクレジッ
トなのですね。・・合掌。そして”for Sheen Lee”の文字。エントリBBM
#6で『父性』について書いたけれど、アン・リーはこの映画を「父のために
作った」と語っている。彼が(BBM完成前に亡くなった)お父様のために、
この映画に込めたメッセージとは何だったのだろう・・?
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ジャンル : 映画
BBMはなぜ普遍的な愛の物語なのか?~ブロークバック・マウンテン#6
4月19日に、「”Addiction”ハマる”ことについての一考察~『BBM』と
『冬ソナ』」というエントリをアップし、ずっと考え続けていた。
日参するブログに、「内田樹の研究室」がある。神戸女学院大学教授にして
武道家、映画評論家でもある内田先生のブログ。私は「おじさん的思考、おば
さん(または少女)的感性」の持ち主である内田先生の愛読者だ。先生、いつ
もありがとうございます。
5月2日の研究室のエントリは、「村上文学の世界性について」。先日フラン
ツ・カフカ賞を受賞した村上春樹の文学が、何故世界的ポピュラリティを獲得
しえたのか、について論じている。(私は村上春樹の愛読者でもあり、内田先
生は村上文学の数少ない理解者でもある)それによると、「父性」の不在ゆえ、
村上文学は世界的になったという。
父性、もしくは父の存在、父であることはBBMでも描かれているテーマだ。
考え続けていたところに、5月8日のエントリは「『冬ソナ』と村上春樹の世界
性」。あまりのタイミングのよさに小躍りしたくなる。
確かに冬ソナにおいて、『父(アボジ)の不在』は重要なキーワードである。
ここでは、冬ソナは「父の不在」という欠性態の上にかろうじて成り立つ物語
であり、それゆえ(村上文学と同じように)世界性を獲得しうる、ということ
らしい。
ちなみに、2005年04月28日のエントリでも冬ソナについて語られており、
「同一情景再帰の手法」=「予定調和的な宿命」に、観る者が「既視感の眩暈」
を覚えて泣けるのだとされている。つまり「『偶然の再会』を何回も観せられ
ていると、『お約束』とわかっていながら癖になって泣けてくる」という意味
だ。冬ソナの持つ中毒性、”Addiction”の正体は間違いなくこれだろう。
一方、BBMはどうか? BBMにおいても、『父の呪縛』は物語に大きな
影を落としている。(原作では、ジャックも父から幼少時に虐待を受けたこと
が描かれているが、映画ではイニスの体験のみが語られる)主人公たちが愛を
求め、お互いに恋焦がれながらもそれを失うのは、イニスが父の呪縛に囚われ
ていたことが大きいだろう。一見、この父性との関わりは普遍的なテーマに見
える。しかし、内田先生の説を採れば、「存在するものは存在することによっ
てすでに特殊であり、存在しないものだけが普遍的たりうる」つまり存在しな
い、あるいは「見て見ぬふり、無かったこと」にされていることがじつは普遍
的なことなのだ。BBMは「父性が存在することですでに特殊」であり、ロー
カルでドメスティックな物語にしかなりえないことになる。
ここでもう一度、村上春樹が何故世界性を獲得し得たのかについて思い出し
てみる。父性の不在。父という、世界をマップする存在なしで歩き出し、自分
なりの「手描きの地図」を作り上げる。これが村上春樹の「仕事」であり、こ
の「ささやかだけれど、たいせつな」「絶望的に困難」な仕事に共感する世界
中の人々が、村上文学を支持しているのだという。その勇気と孤高の精神は、
BBMの製作者たち(原作者アニー・プルー、監督アン・リー、そしてもちろ
んヒース&ジェイクら)に通じるものではないだろうか?
彼らは自分達で「手描きの地図」を創ろうとしていた。二人のカウボーイの
愛という、今まで語られなかった物語を、必ず語られるべき物語だと信じて、
我々に届けようとした。「父のいない世界において、地図もガイドラインも
革命綱領も『政治的に正しいふるまい方』のマニュアルも何もない状態に放置
された状態から、私たちはそれでも『何かよきもの』を達成できるか?」これ
が村上文学に伏流する「問い」であり、「挑戦」または「信念」でもあるだろ
う。BBMの製作現場にあったという独特の空気は、この物語が正しく語られ
るよう、それぞれがこの「問い」に対する解を模索し、信念を持って挑んだか
らこそ生まれたのではないだろうか。
8年間の紆余曲折を経て、手描きの地図は書き上がった。だからこそBBMは
「普遍的な(愛の)物語」として、多くの人々の胸に残る作品となったのだと
思う。
『冬ソナ』」というエントリをアップし、ずっと考え続けていた。
日参するブログに、「内田樹の研究室」がある。神戸女学院大学教授にして
武道家、映画評論家でもある内田先生のブログ。私は「おじさん的思考、おば
さん(または少女)的感性」の持ち主である内田先生の愛読者だ。先生、いつ
もありがとうございます。
5月2日の研究室のエントリは、「村上文学の世界性について」。先日フラン
ツ・カフカ賞を受賞した村上春樹の文学が、何故世界的ポピュラリティを獲得
しえたのか、について論じている。(私は村上春樹の愛読者でもあり、内田先
生は村上文学の数少ない理解者でもある)それによると、「父性」の不在ゆえ、
村上文学は世界的になったという。
父性、もしくは父の存在、父であることはBBMでも描かれているテーマだ。
考え続けていたところに、5月8日のエントリは「『冬ソナ』と村上春樹の世界
性」。あまりのタイミングのよさに小躍りしたくなる。
確かに冬ソナにおいて、『父(アボジ)の不在』は重要なキーワードである。
ここでは、冬ソナは「父の不在」という欠性態の上にかろうじて成り立つ物語
であり、それゆえ(村上文学と同じように)世界性を獲得しうる、ということ
らしい。
ちなみに、2005年04月28日のエントリでも冬ソナについて語られており、
「同一情景再帰の手法」=「予定調和的な宿命」に、観る者が「既視感の眩暈」
を覚えて泣けるのだとされている。つまり「『偶然の再会』を何回も観せられ
ていると、『お約束』とわかっていながら癖になって泣けてくる」という意味
だ。冬ソナの持つ中毒性、”Addiction”の正体は間違いなくこれだろう。
一方、BBMはどうか? BBMにおいても、『父の呪縛』は物語に大きな
影を落としている。(原作では、ジャックも父から幼少時に虐待を受けたこと
が描かれているが、映画ではイニスの体験のみが語られる)主人公たちが愛を
求め、お互いに恋焦がれながらもそれを失うのは、イニスが父の呪縛に囚われ
ていたことが大きいだろう。一見、この父性との関わりは普遍的なテーマに見
える。しかし、内田先生の説を採れば、「存在するものは存在することによっ
てすでに特殊であり、存在しないものだけが普遍的たりうる」つまり存在しな
い、あるいは「見て見ぬふり、無かったこと」にされていることがじつは普遍
的なことなのだ。BBMは「父性が存在することですでに特殊」であり、ロー
カルでドメスティックな物語にしかなりえないことになる。
ここでもう一度、村上春樹が何故世界性を獲得し得たのかについて思い出し
てみる。父性の不在。父という、世界をマップする存在なしで歩き出し、自分
なりの「手描きの地図」を作り上げる。これが村上春樹の「仕事」であり、こ
の「ささやかだけれど、たいせつな」「絶望的に困難」な仕事に共感する世界
中の人々が、村上文学を支持しているのだという。その勇気と孤高の精神は、
BBMの製作者たち(原作者アニー・プルー、監督アン・リー、そしてもちろ
んヒース&ジェイクら)に通じるものではないだろうか?
彼らは自分達で「手描きの地図」を創ろうとしていた。二人のカウボーイの
愛という、今まで語られなかった物語を、必ず語られるべき物語だと信じて、
我々に届けようとした。「父のいない世界において、地図もガイドラインも
革命綱領も『政治的に正しいふるまい方』のマニュアルも何もない状態に放置
された状態から、私たちはそれでも『何かよきもの』を達成できるか?」これ
が村上文学に伏流する「問い」であり、「挑戦」または「信念」でもあるだろ
う。BBMの製作現場にあったという独特の空気は、この物語が正しく語られ
るよう、それぞれがこの「問い」に対する解を模索し、信念を持って挑んだか
らこそ生まれたのではないだろうか。
8年間の紆余曲折を経て、手描きの地図は書き上がった。だからこそBBMは
「普遍的な(愛の)物語」として、多くの人々の胸に残る作品となったのだと
思う。
テーマ : ブロークバック・マウンテン
ジャンル : 映画
女優は結婚しちゃダメ!~『小泉今日子の半径100m』『私一人』
島村麻里さん@女はみんなミーハーです。には流石に負けるが、私はかなり
ミーハーだ。先日のキョンキョンの熱愛報道(なんとお相手は年齢差20歳の
亀梨クン)、友人から早速メールがきた。「キョンキョンうらやまし~、でも
私は小池徹平くんがいいわ」私も速攻返信「じゃあ私はウエンツくんいただく
わ」こういうのって結構楽しい。こんな私だから、タレント本はよく読む。
『小泉今日子の半径100m』は、雑誌『In Red』に連載されたフォトエッセイ
をまとめたものらしい。小泉今日子40歳、いまだバリバリの『なんてったって
アイドル』。字が意外と(?)綺麗で好感度アップ。引越し、夜遊び、旅行、
仕事などいろんなことが綴ってあるけど、実はこの本、本当のプライベートは
一切書かれていない。当たり前かもしれないけれど、「世間に見せてもいい」
程度の日常を綴っているだけ、可も無く不可も無く。例えばこの連載期間中に
別居、離婚という事件があったにもかかわらず、その件に関しては一切触れら
れていない。まるで「無かったこと」にされている元夫、永瀬正敏が気の毒な
くらい、完全無視。それで通るのもまた凄い。
彼女の見た目変わらなさは、もはやディズニーキャラクターの域に達している
と思う。キョンキョンはミッキーマウスなんだ。しかし、一度永瀬くんに聞い
てみたいものだ、永遠のアイドルとの結婚ってどんなん?って。彼は絶対暴露
本なんか出さないと思うけど。(布袋さんみたいに・・って彼の『秘密』も
読みましたとも!久美ちゃんの『ある愛の詩』も、もちろん)
対して『私一人』のほうは大竹しのぶ48歳が、自らの半生をセキララに綴っ
ていて、下手なワイドショーよりよっぽど面白い。ここまで書いていいの~?
というくらい、具体的に書いてある。さんまが嫉妬深くて束縛癖があること、
さんまのテニスにはアウトがないこと(笑)。野田秀樹が「子どもと遊ぶこと
以外、無趣味」な退屈な男であること。「同じ人をずっと好きでいられない」
自分のこと。彼女の舞台『欲望という名の電車』を観たことがあるが、そのと
き「さんまと別れて大正解!彼女は舞台にいるべき人、誰かの奥さんで家庭に
入ってるなんて大間違いだわ」と思った。まさしく、生まれついての女優さん。
ナチュラル・ボーン・アクトレス。
彼女たちは揃って結婚生活を窮屈に感じ、結果離婚に至っている。キョン
キョンは具体的には何も書いていないけれど、「30代(まさしく彼女が結婚
していた時期)は中途半端で、このままおばさんになっていくのか・・なんて
思っていた」とある。よっぽど結婚生活が苦しかったんだろうと推察する。
そうそう、女優さんたち、結婚なんかしなくていいの! 自分の力で、自由に
正直に生きてる姿を私に見せて下さいな。『ミセス』や『LEE』の表紙になれ
なくても、全然問題無いじゃない?
(『小泉今日子の半径100m』/小泉今日子/宝島社・2006、
『私一人』/大竹しのぶ/幻冬舎・2006)
ミーハーだ。先日のキョンキョンの熱愛報道(なんとお相手は年齢差20歳の
亀梨クン)、友人から早速メールがきた。「キョンキョンうらやまし~、でも
私は小池徹平くんがいいわ」私も速攻返信「じゃあ私はウエンツくんいただく
わ」こういうのって結構楽しい。こんな私だから、タレント本はよく読む。
『小泉今日子の半径100m』は、雑誌『In Red』に連載されたフォトエッセイ
をまとめたものらしい。小泉今日子40歳、いまだバリバリの『なんてったって
アイドル』。字が意外と(?)綺麗で好感度アップ。引越し、夜遊び、旅行、
仕事などいろんなことが綴ってあるけど、実はこの本、本当のプライベートは
一切書かれていない。当たり前かもしれないけれど、「世間に見せてもいい」
程度の日常を綴っているだけ、可も無く不可も無く。例えばこの連載期間中に
別居、離婚という事件があったにもかかわらず、その件に関しては一切触れら
れていない。まるで「無かったこと」にされている元夫、永瀬正敏が気の毒な
くらい、完全無視。それで通るのもまた凄い。
彼女の見た目変わらなさは、もはやディズニーキャラクターの域に達している
と思う。キョンキョンはミッキーマウスなんだ。しかし、一度永瀬くんに聞い
てみたいものだ、永遠のアイドルとの結婚ってどんなん?って。彼は絶対暴露
本なんか出さないと思うけど。(布袋さんみたいに・・って彼の『秘密』も
読みましたとも!久美ちゃんの『ある愛の詩』も、もちろん)
対して『私一人』のほうは大竹しのぶ48歳が、自らの半生をセキララに綴っ
ていて、下手なワイドショーよりよっぽど面白い。ここまで書いていいの~?
というくらい、具体的に書いてある。さんまが嫉妬深くて束縛癖があること、
さんまのテニスにはアウトがないこと(笑)。野田秀樹が「子どもと遊ぶこと
以外、無趣味」な退屈な男であること。「同じ人をずっと好きでいられない」
自分のこと。彼女の舞台『欲望という名の電車』を観たことがあるが、そのと
き「さんまと別れて大正解!彼女は舞台にいるべき人、誰かの奥さんで家庭に
入ってるなんて大間違いだわ」と思った。まさしく、生まれついての女優さん。
ナチュラル・ボーン・アクトレス。
彼女たちは揃って結婚生活を窮屈に感じ、結果離婚に至っている。キョン
キョンは具体的には何も書いていないけれど、「30代(まさしく彼女が結婚
していた時期)は中途半端で、このままおばさんになっていくのか・・なんて
思っていた」とある。よっぽど結婚生活が苦しかったんだろうと推察する。
そうそう、女優さんたち、結婚なんかしなくていいの! 自分の力で、自由に
正直に生きてる姿を私に見せて下さいな。『ミセス』や『LEE』の表紙になれ
なくても、全然問題無いじゃない?
(『小泉今日子の半径100m』/小泉今日子/宝島社・2006、
『私一人』/大竹しのぶ/幻冬舎・2006)
心の壁、愛の歌~『ブロークバック・マウンテン』#5
3月に大阪城ホールで行われ、先月NHKで放映された『忌野清志郎ライヴ
・新ナニワ・サリバン・ショー』を観た。
デビュー35周年、清志郎の変わらない歌声と人柄を感じさせるライヴ。
30周年ライヴの『RESPECT』にも感動したけど、5年なんてあっという間だ。
『トランジスタラジオ』『雨上がりの夜空に』など、日本人なら誰でも知って
いる(?)名曲が流れる。お約束「愛し合ってるかい?」の掛け合い。「こん
なに愛し合ってるみんなに、バリバリのラブソングを」と言って清志郎が唄い
始めた。『世界中の人に自慢したいよ』
君とふたり暮らせるのなら 他には何もいらない
毎朝君のすぐそばで 目を覚ますだけさ
あとは何も 何もいらない 何もかもうまく運ぶさ
僕とふたり暮らしておくれよ・・・
これって・・ジャックの気持ちじゃない? そう思ったら涙がボロボロこぼ
れてきた。巻き戻して何回も何回も聴いた。
愛し合ってるなら 他に何もいらない
たとえ空が落ちてきても
二人の力で受け止められるさ
毎日毎日 雲の上を歩いてる そんな気分さ
20年間、ジャックがたった一つ、願い続けたこと。イニスと一緒に暮らし
たい。それをわかっていながら、自分で張り巡らした心の壁から出られなかっ
たイニス。彼らはどうして一緒になれなかったのか? 愛の歌に触発されて、
しばしBBMに思いを馳せる。
最初の別れから4年後の再会までに、ジャックもイニスも結婚して、子ども
をもうけている。二人にとって子どもの存在が、全く違う方向に作用している
のが皮肉だ。ジャックは子ども(長男)が生まれたことで、跡取りはできた、
婿養子は出て行けとばかりに疎んじられる。対してイニスは天涯孤独の身から
二人の娘を得、家庭という居場所を作る。ジャックには帰ることができる実家
があったが、イニスには行くところがない。ジャックも息子を愛している様は
描かれているが、イニスほどの切実さはない。ジャックが「テキサスに来れば
?」と誘っても、「娘達を養子にして・・・」と、イニスは”Little girls”
を最優先する。
時代や環境が許さなかったこともある。同性愛=虐殺という父から受けたト
ラウマも大きかっただろう。それと同じくらい、娘達の存在もイニスを圧しと
どめたような気がする。
それでもイニス、ジャックに何か一つでも、約束してあげられなかったの?
ジャックの願いは愚かな夢物語だったのかもしれない、それでもあなたたちの
愛は本物だったよ。
ライヴでは清志郎の盟友、CHABOが登場。ふたりの醸し出す温かい雰囲気は、
彼らが過ごした長い長い年月を物語る。『君が僕を知ってる』
何から何まで君がわかっていてくれる
僕のことすべてわかっていてくれる
離れ離れになんかなれないさ
何一つ約束できなかった彼らだからこそ、ラストのセリフに万感がこもるの
だろう。死をもってしても、離れられなかったふたりだから。
・新ナニワ・サリバン・ショー』を観た。
デビュー35周年、清志郎の変わらない歌声と人柄を感じさせるライヴ。
30周年ライヴの『RESPECT』にも感動したけど、5年なんてあっという間だ。
『トランジスタラジオ』『雨上がりの夜空に』など、日本人なら誰でも知って
いる(?)名曲が流れる。お約束「愛し合ってるかい?」の掛け合い。「こん
なに愛し合ってるみんなに、バリバリのラブソングを」と言って清志郎が唄い
始めた。『世界中の人に自慢したいよ』
君とふたり暮らせるのなら 他には何もいらない
毎朝君のすぐそばで 目を覚ますだけさ
あとは何も 何もいらない 何もかもうまく運ぶさ
僕とふたり暮らしておくれよ・・・
これって・・ジャックの気持ちじゃない? そう思ったら涙がボロボロこぼ
れてきた。巻き戻して何回も何回も聴いた。
愛し合ってるなら 他に何もいらない
たとえ空が落ちてきても
二人の力で受け止められるさ
毎日毎日 雲の上を歩いてる そんな気分さ
20年間、ジャックがたった一つ、願い続けたこと。イニスと一緒に暮らし
たい。それをわかっていながら、自分で張り巡らした心の壁から出られなかっ
たイニス。彼らはどうして一緒になれなかったのか? 愛の歌に触発されて、
しばしBBMに思いを馳せる。
最初の別れから4年後の再会までに、ジャックもイニスも結婚して、子ども
をもうけている。二人にとって子どもの存在が、全く違う方向に作用している
のが皮肉だ。ジャックは子ども(長男)が生まれたことで、跡取りはできた、
婿養子は出て行けとばかりに疎んじられる。対してイニスは天涯孤独の身から
二人の娘を得、家庭という居場所を作る。ジャックには帰ることができる実家
があったが、イニスには行くところがない。ジャックも息子を愛している様は
描かれているが、イニスほどの切実さはない。ジャックが「テキサスに来れば
?」と誘っても、「娘達を養子にして・・・」と、イニスは”Little girls”
を最優先する。
時代や環境が許さなかったこともある。同性愛=虐殺という父から受けたト
ラウマも大きかっただろう。それと同じくらい、娘達の存在もイニスを圧しと
どめたような気がする。
それでもイニス、ジャックに何か一つでも、約束してあげられなかったの?
ジャックの願いは愚かな夢物語だったのかもしれない、それでもあなたたちの
愛は本物だったよ。
ライヴでは清志郎の盟友、CHABOが登場。ふたりの醸し出す温かい雰囲気は、
彼らが過ごした長い長い年月を物語る。『君が僕を知ってる』
何から何まで君がわかっていてくれる
僕のことすべてわかっていてくれる
離れ離れになんかなれないさ
何一つ約束できなかった彼らだからこそ、ラストのセリフに万感がこもるの
だろう。死をもってしても、離れられなかったふたりだから。
テーマ : ブロークバック・マウンテン
ジャンル : 映画
イニスを巡る女たち~『ブロークバック・マウンテン』#4
BBM初見時から、観ていて本能的に「ムカツク」シーンがある。
ケイシー(キャシー)登場シーンである。
バーで独りビールを飲むイニスの後ろのジュークボックスに、「いかにも」
な女が近づく。ブロンド、チューブトップ、ホットパンツ、コルクの編み上げ
ヒールサンダル。書いているだけでも嫌な感じ。
バスルームに行こうと席を立つイニス(注:これは私の想像。しかしあれ
だけビール飲んだらトイレ行きたくなると思う)に「踊って!カウボーイ」
・・・。なんて図々しい女なんだ。その上更に「鈍いわね、足を揉んで」
・・・。アンビリーバブル。。しかもイニスとアルマJr.の面会(?)に
もちゃっかりついて来るし。ジャックは追い返したのに、ケイシーは子ども
と同席させるイニスもイニスだけど。しかもくっついて踊ってるし。娘の
前でそれは無いんじゃない? アルマJr.の寂しそうな顔が印象に残る。
更に最後の逢瀬の後、イニスが独りダイナーでアップルパイを食べている
ところで三度(みたび)ケイシー登場。この場面は”Girls don't fall in
love with fun.”のセリフでホロリとくるかもしれないけど、ダイナーに
男連れで入ってきた時点で彼女には同情の余地無し。
あのね、イニスは今、ジャックのことで身も心もいっぱいいっぱいなの。
話しかけないでくれる? と言いたかった。
しかしあのアップルパイのシーンは辛い。なぜアルコールじゃなくてパイ
なんだろう? 素面で考えたかったのか? ジャックが言ったこと、自分が
言ってしまったこと、ジャックと自分に今まで起こったこと、これからのこ
とを。俯き加減で左手はテーブルの下、右手だけでボソボソとフォークを口
に運ぶイニス。ズタボロになった彼がそこにいる。
ヒース・レジャーはイニスに成り切ったと思っていたが、訂正したい。
ヒースはイニスを生き切ったのだ。ありがとうね、ヒース。
私はジャックに感情移入して観ているのでケイシーにムカツクのだろう。
では何故アルマにはムカツカないのか? 彼女がイニスを憎むのも、罵る
のも、無理は無いと思うから。アルマの辛さはイニス以上かもしれない。
ではケイシーはどうか? 彼女は一人で盛り上がって、一人で落ち込んでい
るように見える。まあ子どもに会わせてくれたんだから、結婚を意識するな
と言うほうが無理かもしれない。あれはイニスが無神経すぎるという意見も
あるだろう。そのことを差し引いても、それでもケイシーの存在は、イニス
の魂に何も語りかけてこなかったんじゃないだろうか? イニスの心の扉の
鍵は、ジャックだけが持っていたから。
ケイシー(キャシー)登場シーンである。
バーで独りビールを飲むイニスの後ろのジュークボックスに、「いかにも」
な女が近づく。ブロンド、チューブトップ、ホットパンツ、コルクの編み上げ
ヒールサンダル。書いているだけでも嫌な感じ。
バスルームに行こうと席を立つイニス(注:これは私の想像。しかしあれ
だけビール飲んだらトイレ行きたくなると思う)に「踊って!カウボーイ」
・・・。なんて図々しい女なんだ。その上更に「鈍いわね、足を揉んで」
・・・。アンビリーバブル。。しかもイニスとアルマJr.の面会(?)に
もちゃっかりついて来るし。ジャックは追い返したのに、ケイシーは子ども
と同席させるイニスもイニスだけど。しかもくっついて踊ってるし。娘の
前でそれは無いんじゃない? アルマJr.の寂しそうな顔が印象に残る。
更に最後の逢瀬の後、イニスが独りダイナーでアップルパイを食べている
ところで三度(みたび)ケイシー登場。この場面は”Girls don't fall in
love with fun.”のセリフでホロリとくるかもしれないけど、ダイナーに
男連れで入ってきた時点で彼女には同情の余地無し。
あのね、イニスは今、ジャックのことで身も心もいっぱいいっぱいなの。
話しかけないでくれる? と言いたかった。
しかしあのアップルパイのシーンは辛い。なぜアルコールじゃなくてパイ
なんだろう? 素面で考えたかったのか? ジャックが言ったこと、自分が
言ってしまったこと、ジャックと自分に今まで起こったこと、これからのこ
とを。俯き加減で左手はテーブルの下、右手だけでボソボソとフォークを口
に運ぶイニス。ズタボロになった彼がそこにいる。
ヒース・レジャーはイニスに成り切ったと思っていたが、訂正したい。
ヒースはイニスを生き切ったのだ。ありがとうね、ヒース。
私はジャックに感情移入して観ているのでケイシーにムカツクのだろう。
では何故アルマにはムカツカないのか? 彼女がイニスを憎むのも、罵る
のも、無理は無いと思うから。アルマの辛さはイニス以上かもしれない。
ではケイシーはどうか? 彼女は一人で盛り上がって、一人で落ち込んでい
るように見える。まあ子どもに会わせてくれたんだから、結婚を意識するな
と言うほうが無理かもしれない。あれはイニスが無神経すぎるという意見も
あるだろう。そのことを差し引いても、それでもケイシーの存在は、イニス
の魂に何も語りかけてこなかったんじゃないだろうか? イニスの心の扉の
鍵は、ジャックだけが持っていたから。
テーマ : ブロークバック・マウンテン
ジャンル : 映画