仏作って魂入れず~『親切なクムジャさん』
パク・チャヌク監督のリベンジ・トリロジー第二作『オールド・ボーイ』を観たとき、
言葉もなく、「なんて凄い作品なんだ!」と思うしかなかった。
ストーリーやオチに対する細かい批判などどうでもよくなるような、とにかく
圧倒的な作品。
「グレイト!」の一言でカンヌグランプリに決めたタランティーノの気持ちがわかる。
同時に「どうして映画館で観なかったんだ」と激しく後悔もした。
対してトリロジー第一作『復讐者に憐れみを』を観たときには、映画館で観なくて
よかったと思った。
いい作品だとは思ったけれど、あまりにも救いがなく、川の中での復讐シーンなど
怖すぎる。
絶対顔を覆ってしまったと思う。ただ、シン・ハギュン&ペ・ドゥナは非常に
よかった。
ハギュンは常に脇役路線ゆえにそれまで気付かなかったけど、男前なのだと再認識。
メイキングで、上手く演技できなくて泣き出すペ・ドゥナもいい感じである。
そしてトリロジーの最後を飾る、大好きなイ・ヨンエ姐さん主演の本作はどうしても
映画館に駆け付けたかった。しかし・・・。
期待外れ。
青龍映画祭主演女優賞受賞のイ・ヨンエには悪いけれど、どうしても
「無理してる」感がありあり。
特にパク先生(チェ・ミンシク)をいたぶるシーンなどは痛々しくて観ていられない。
ヨンエ姐さんはあくまで「きれいなおねえさん」であり、汚れちまった哀しみを背負う
役は似合わない。
「酸素のような女」という固定イメージを壊したかったのだろうけれど・・・。
監督の映画製作技術の高さ、素晴らしさは十分わかっているし、独立した作品
だと思って観ればいいのだろうが、この映画からは監督の世界観のようなものが
今ひとつ伝わってこなかった。
映画自体の完成度は高いのだろうけれど、心にガツンと訴えてくるものがない。
前2作にはそれがあったのに。残念至極。次回作に期待。
(『親切なクムジャさん』監督/パク・チャヌク、主演/イ・ヨンエ、2005・韓国)
言葉もなく、「なんて凄い作品なんだ!」と思うしかなかった。
ストーリーやオチに対する細かい批判などどうでもよくなるような、とにかく
圧倒的な作品。
「グレイト!」の一言でカンヌグランプリに決めたタランティーノの気持ちがわかる。
同時に「どうして映画館で観なかったんだ」と激しく後悔もした。
対してトリロジー第一作『復讐者に憐れみを』を観たときには、映画館で観なくて
よかったと思った。
いい作品だとは思ったけれど、あまりにも救いがなく、川の中での復讐シーンなど
怖すぎる。
絶対顔を覆ってしまったと思う。ただ、シン・ハギュン&ペ・ドゥナは非常に
よかった。
ハギュンは常に脇役路線ゆえにそれまで気付かなかったけど、男前なのだと再認識。
メイキングで、上手く演技できなくて泣き出すペ・ドゥナもいい感じである。
そしてトリロジーの最後を飾る、大好きなイ・ヨンエ姐さん主演の本作はどうしても
映画館に駆け付けたかった。しかし・・・。
期待外れ。
青龍映画祭主演女優賞受賞のイ・ヨンエには悪いけれど、どうしても
「無理してる」感がありあり。
特にパク先生(チェ・ミンシク)をいたぶるシーンなどは痛々しくて観ていられない。
ヨンエ姐さんはあくまで「きれいなおねえさん」であり、汚れちまった哀しみを背負う
役は似合わない。
「酸素のような女」という固定イメージを壊したかったのだろうけれど・・・。
監督の映画製作技術の高さ、素晴らしさは十分わかっているし、独立した作品
だと思って観ればいいのだろうが、この映画からは監督の世界観のようなものが
今ひとつ伝わってこなかった。
映画自体の完成度は高いのだろうけれど、心にガツンと訴えてくるものがない。
前2作にはそれがあったのに。残念至極。次回作に期待。
(『親切なクムジャさん』監督/パク・チャヌク、主演/イ・ヨンエ、2005・韓国)
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祖母と去るもの、残るもの
父方の祖母が亡くなった。93歳、眠るような最期だったという。
祖母が得た15人の孫の中で、自分が特にかわいがられたという意識はない。
しかし、すべての子どもにとって「おばあちゃん」の存在が特別な意味を持つように、
私の子ども時代の記憶も祖母と分かちがたく結びついている。
母の留守中に蜂に刺されたとき、薬を塗ってくれたこと。
「むすんでひらいて」を一緒に唄ったこと。
成人して随分長い時間がたつが、「おばあちゃん」と呼べる存在を失ったことで、
私の子ども時代も本当に終わったのだと感じている。
孫は無条件にかわいいと言うが、見返りなど何も求めず、存在自体を丸ごと受容し、
ただそこにいるだけで愛してくれた祖母。葬儀の挨拶で父は言った。
「母は子を6人、孫を15人、曾孫を12人、合わせて33人の子孫を残しました。母は亡くなり
ましたが、私たちの中に母はいるのです」
それはただ遺伝子レベルの話ではなく、祖母の愛情が私たちの中に生きているということ
でもあるだろう。
子どもがいつかは大人になるように、愛もいつかは、思い出に変わる。
しかし祖母の愛は変わることなく、私の中に生き続ける。
そして祖母もまた、愛を胸に抱いて旅立ったのだと信じたい。
おばあちゃんありがとう。また会おうね。
祖母が得た15人の孫の中で、自分が特にかわいがられたという意識はない。
しかし、すべての子どもにとって「おばあちゃん」の存在が特別な意味を持つように、
私の子ども時代の記憶も祖母と分かちがたく結びついている。
母の留守中に蜂に刺されたとき、薬を塗ってくれたこと。
「むすんでひらいて」を一緒に唄ったこと。
成人して随分長い時間がたつが、「おばあちゃん」と呼べる存在を失ったことで、
私の子ども時代も本当に終わったのだと感じている。
孫は無条件にかわいいと言うが、見返りなど何も求めず、存在自体を丸ごと受容し、
ただそこにいるだけで愛してくれた祖母。葬儀の挨拶で父は言った。
「母は子を6人、孫を15人、曾孫を12人、合わせて33人の子孫を残しました。母は亡くなり
ましたが、私たちの中に母はいるのです」
それはただ遺伝子レベルの話ではなく、祖母の愛情が私たちの中に生きているということ
でもあるだろう。
子どもがいつかは大人になるように、愛もいつかは、思い出に変わる。
しかし祖母の愛は変わることなく、私の中に生き続ける。
そして祖母もまた、愛を胸に抱いて旅立ったのだと信じたい。
おばあちゃんありがとう。また会おうね。