![]() 三峽好人 STILL LIFE 中国の巨大国家プロジェクト、三峡ダム建設。世界一の巨大ダムの底に沈み 行く運命にある古都・奉節を舞台に、変わりゆく中国と変わらない市井の人々 の「生」を描く。2006年、ヴェネチア国際映画祭金獅子賞受賞作。監督は中国 第六世代の旗手、ジャ・ジャンクー。キネマ旬報の外国語映画ベストワン、朝日 ベストテン映画祭でも外国語映画第一位など、日本でも高く評価された。個人 的には「一般受けはしない作品」というのが率直な感想。とても地味な映画です。 中国の第五世代の監督たち、陳凱歌チェン・カイコーや張芸謀チャン・イーモウ らの映画のいくつかは観てきたが、第六世代と呼ばれる若手の作品は初鑑賞。 作為や装飾のないシンプルな映像が、貧しくも逞しく、淡々と生きる人々を温か く見つめている。 ![]() 原題の「三峽好人」とは「三峡の善い人」という意味、Yahoo!の中日翻訳 では「三峡善玉」となる。英語タイトルは「STILL LIFE」=静物。紙幣に印刷 されるほど美しい三峡の景観と、静かに、息を潜めるように生きる市井の人々 を表現しているのだろう。そして邦題は「長江哀歌(エレジー)」。ウェットで 感傷的な、日本的感性に訴える優れたタイトルだと思う。 主人公は山西省からやってきた男女。一人は16年前に別れた妻子を捜す 男。もう一人はダム建設の出稼ぎに行ったまま、2年も戻らない夫を捜す女。 二人のエピソードは同じ場所で同じ時間を過ごしながらも、交錯することは ない。 男も女も、配偶者の「今」を知っても感情はほとんど動いていないように見 える。喜びも悲しみも、痛みも全て諦観したような表情。激することも号泣す ることもなく、淡々と事実だけを受け入れ、自分に出来る最善の道を選択す る二人。それは国家という大きな枠に取り込まれ、悠久の歴史を閉じる運命 を受け入れるしかない、三峡の風景そのもののようでもある。 ![]() いつもランニング姿か上半身裸で、着の身着のままのような男が、携帯電話 を持っているアンバランスさ。数年で番号の桁数が増えるほど、携帯は爆発的 に普及したのだろう。加速度がついて変わり行く中国を、人々は黙々と受け入 れているように見える。しかし、数千年の歴史が僅か数年で破壊される状況は、 いつかどこかで歪みを生むのではないだろうか。 2002年の映画『小さな中国のお針子』でも、三峡ダムの底に名もない村が沈む 描写があった。治水のため、発電のため、国家の繁栄のため・・・。どんな大義 名分があろうと、失った風景は二度と取り戻せない。大切なものを置き去りにし て、底辺の労働者を犠牲にして、河は水かさを増してゆく。 緑が目に沁みるような美しい映像は、大きなスクリーンで観たかったと思わ せる。男が再び三峡に戻ったとき、風景はどんな顔をして、彼を迎え入れるの だろう。 (『長江哀歌』監督・脚本:賈樟柯ジャ・ジャンクー/2006・中国/ 主演:チャオ・タオ、ハン・サンミン) ![]() |
![]() ONCE I don't know you But I want you All the more for that... アイルランド、ダブリンの街。ギターを抱えて唄うストリートミュージシャン の男(グレン・ハンサード)の前に、花売りの女の子(マルケタ・イルグロヴァ) が足を止める。 「私が聴くわ」 チェコ移民の彼女がピアノを弾くことを知り、男はセッションをしようと持ちか ける・・。 サンダンス映画祭で観客賞を受賞し全米でヒット、アカデミー賞ではオリジ ナル歌曲賞を受賞。授賞式での、グレン・ハンサードとマルケタ・イルグロヴァ の感動的なパフォーマンスと受賞スピーチも記憶に新しい。日本でも公開後、 アンコール上映されるなど話題になった本作は、昨年劇場公開を観逃して 最も悔しかった映画の一つ。女の子の行きつけの楽器店でのセッション場面 から何故か涙が止まらず、鑑賞後は迷わずサントラを購入。小さな小さな映画 だけれど、心に響くメロディと歌詞、朴訥な男女の出逢いと別れが、胸に沁みる。 ![]() そういえば、この二人の名前はなんというのだろう? そう思った矢先に流 れたエンドロールには"Guy"と"Girl"の文字。名前さえない二人の、ほんの 数日間の逢瀬。言葉少なな二人の間に、魂の触れ合った軌跡のような音楽 が生まれる。誰もいない楽器店にはたくさんのギターやドラムが、生命を吹き 込まれるのを待ち焦がれている。 二人の歌が、こんなにも心を打つのはどうしてだろう? どうしても忘れら れない、昔の彼女のビデオを観ながら曲を作る彼。そこには、どうしても唄わ なければならない、書かれなければならない想いがある。男も、女も、互い に惹かれ合いつつも、遠い場所に心を残しているから。 ![]() 僅か17日間、手持ちカメラ二台で撮影された本作のパワーの源は、監督と 主演二人の「音楽への強い思い」に他ならない。ダブリン在住の監督には、 実際にロンドンに住む彼女がいて、ビデオに映し出される美しい「昔の彼女」 その人なのだという。グレン・ハンサードとマルケタ・イルグロヴァも撮影後は 本当に恋に落ちたというし(18歳の年の差!)、それが本作を限りなくドキュ メンタリーに近い、手作りの温かみを感じさせる作品にさせているのだろう。 ダブリンの湿潤な空気と、銀行の融資係までロック魂を弾けさせるような、 音楽を愛する国民性が伝わる素朴な映像も美しい。 主演の二人はボブ・ディランを描いた映画『アイム・ノット・ゼア』のサントラにも、 You Ain't Goin' Nowhere のカヴァーで参加している。 バイクに乗って海岸まで走った後、彼は彼女に問いかける。「まだ夫を愛して いる?」チェコ語で答えた彼女の返事は彼にも、観客の我々にも知らされない。 結ばれることのない出逢いでも、二度と会うことはなくても、二人の間に音楽 が生まれ、新しい人生への扉を開いた。音楽という深い絆で結ばれた二人に たとえ距離が生まれても、それは別れではないのかもしれない。ラストシーン、 開け放った窓からメロディは風に乗り−−、彼の元に届くのだから。 Take this sinking boat and point it home We've still got time Raise your hopeful voice you had a choice You've made it now Falling slowly sing your melody I'll sing along (『ONCE ダブリンの街角で』監督・脚本:ジョン・カーニー/ 主演:グレン・ハンサード、マルケタ・イルグロヴァ/2006・アイルランド) ![]() |
![]() WAITRESS 田舎町のパイ・ダイナーでウェイトレスとして働くジェナ(ケリー・ラッセル)は、 ワンマンな夫アール(ジェレミー・シスト)に支配される辛い日々を送っていた。 家出を決意した彼女だったが、予期せぬ妊娠が発覚して・・・。 不幸な境遇にあったウェイトレスが、妊娠という人生の一大事に直面。悩み、 葛藤しながらも自分の足で歩み始めるまでを描いた、心温まる人生賛歌。監督 のエイドリアン・シェリーが妊娠8ヶ月のときに書き上げたという脚本は、女性な らではのリアルと、辛辣な本音が満載。ありふれた「母性神話」など吹き飛ばす に足るユーモアと、心震わせる名セリフが散りばめられている。低予算で撮られ たインディペンデント映画であり、主演のケリー・ラッセル以外は地味な顔ぶれ。 洗練された映画だとは言い難いが、しかしこれはもう、絶対、観て観て!と言い たくなるくらい、素敵な映画です。映画って、やっぱり脚本なのかなぁ。 私はジェナに、思いっきり感情移入して観てしまった。彼女と一緒に泣き、笑 い、嘆き、恋をした。監督が映画の完成直後に亡くなったという話は知っていた けれど、出演もしていたとは。。ジェナの同僚の一人、冴えないドーン。とって も愛すべきキャラでした。合掌。。 ![]() ジェナの「アールに感情を殺されたの」と言うセリフは身につまされる。言葉の 暴力や無視を受けることは、肉体的な傷はなくとも、精神的に少しずつ殺されて いくことだと思う。心を閉じて感情を殺さないと、自分が内側から壊れていく。 自分は幸せではない、と自覚しているジェナ。彼女を見て、あんなダメ亭主から どうして早く逃げないの、とイラつく人も、もしかしたらいるのかもしれない。 そんなジェナにとって、パイ作りは特技であり、現実逃避の時間でもあった。 辛い現状を、パイの新しいレシピに変えてしまう才能。色とりどりのパイを焼き ながら、あんなにもスリムなジェナが羨ましい! ![]() 妊娠し、行き詰ったジェナが、ポマター先生(ネイサン・フィリオン)を求めたの はごく自然な成り行きだと思う。彼女には「黙って20分間抱き締めてくれる」相手 −−話を聞いてくれて、自分を人間として扱ってくれる誰か−−が必要だったのだ ろう。でも、彼女はそれが「いけないこと」だと本当はわかっている。頭では理解し ていても、心と身体は反応してしまう。。そんな彼女を、一体誰が責められるだろう? この映画の一番好きなところは、妊娠を単純に「素晴らしい体験」だと謳っていな いこと。超音波の胎児画像は「エイリアン」だし、変わっていく体型と重たいお腹は ジェナを拘束する「憎きもの」でしかない。極めつけは「育児が地獄だなんて、誰も 教えてくれなかった」というセリフ! 地獄に仏も必ずいるのだけれどね。 コツコツ貯めた金はアールに見つかり、出産の覚悟もないままに破水してしま うジェナ。妊娠期間中、結局一度もお腹の子どもに愛情を抱けなかった彼女が、 我が子を抱いた瞬間に母親になる場面は感動的だ。『サラエボの花』を思い出す。 生まれたての赤ん坊ほど、美しいものがこの世にあるだろうか? そして母親と なった彼女は、もう怖いものなどない。本当は分娩時のハイテンションホルモン が言わせた夫への啖呵を、ずっと彼女を見守ってきたダイナーのオーナー、ジョ ー(アンディ・グリフィス)の厚意が後押しする。ジェナ、君はただのウェイトレス じゃないんだよ、人生はやり直せるんだよ・・・。 女の子を産んだジェナは、娘と同志として、共に生きてゆくのだろう。母から 娘へと受け継がれてゆくパイの味。人生は苦い、だから甘いパイを食べよう! 社会的弱者である女性が直面する現実と、世知辛い人生をどっこい生き抜く しぶとさをも描いた佳作。こういう映画に出逢うと、心からうれしくなる。 私にもし娘がいたら、見せたい映画だな。 (『ウェイトレス 〜おいしい人生のつくりかた』 監督・脚本:エイドリアン・シェリー/主演:ケリー・ラッセル/2007・USA) ![]() |
![]() 「電話番号をなめんなよ」 平凡で気弱なサラリーマンの宮田(中村靖日)は、同棲していたあゆみ(板谷由夏) に振られて落ち込む日々。ある日、中学時代からの親友で探偵の神田(山中聡)から 連絡が入る。「今すぐ出てきてくれよ、あゆみちゃんのことで話がある」 『アフタースクール』内田けんじ監督のデビュー作。カンヌ映画祭の批評家週間に 出品され、国内外で絶賛された作品。たった12日の撮影期間、無名の俳優たち、 一台のカメラより安い予算でも、練り上げられた脚本があればいい映画は必ず作 ることができるという見本のような映画。人探し、探偵、中学の同級生、男同士の 友情、その筋の人たち・・・。『アフタースクール』との類似点が結構ある。もちろん どちらも「すっごく面白い映画」っていうのが一番の共通点だ。 「早く地球に住みなさい!」「やだ」 ![]() 映画は東京郊外の街のある夜を、5人の登場人物の視点で時間軸をずらしながら 三部構成で描く。宮田が惚れたあゆみは、実は年齢詐称した結婚詐欺師。彼女が ヤクザの組長・浅井(山下規介)の金数千万を持ち逃げし、逃亡の手助けを神田に 依頼したところから全ては始まっていた。そこに婚約者に裏切られ、絶望した真紀 (霧島れいか)が絡んで・・・。 内田けんじ監督は、男同士の友情や義理を信じている人なんだな、と感じる。 逆に言えば、女性に過大な憧れや畏怖を抱いている人なのかも(笑)。いい加減 そうで口が上手くて世渡り上手な浮き草稼業の神田が、人間離れした人のよさと 誠実さゆえに、騙されやすい親友の宮田を真剣に心配しているのにジーーンと来る。 「30過ぎたら運命の出逢いなんてないんだよ。文化祭もクラス換えもないんだ、自分 で何とかしなきゃ」なんて、監督の人生観を激しく反映したセリフもいい(ちなみに、 私の人生観は監督とはちょっと異なる)。 同じ場所にいて同じ一日を過ごしても、人によって見える世界は全然違うんだ な。自分は身の回りのことでさえ、きっと半分も見えていないしわかっていない んだと思う。宮田のように人を疑うことを知らずに生きていけたら、ある意味、何度 裏切られようが傷つこうが幸せなのかもしれない。 しかし、こんなにも知らない役者さんばかり出ている映画を初めて観た。低予 算だからそれは必然なのだろうけれど、どうしても華やかさには欠ける。しかし ノー・スター映画でも、適材適所で面白い作品はできるのだな、と再認識。特に 宮田と真紀ちゃんは、よくあんな薄幸顔(失礼!)の役者さん、探したなぁと感心 してしまう。中村靖日さんって、『もののけ姫』に出てくる「こだま」みたい。 ![]() 運命だ、なんて思っていても、それは偶然じゃなく誰かが張り巡らせた必然な のかもしれない。この作品の予告さえ観ることなく、予備知識ゼロで鑑賞できた ことは本当に幸運だった。これってやっぱり運命、それとも必然? (『運命じゃない人』監督・脚本:内田けんじ/2004・日本/ 主演:中村靖日、霧島れいか、山中聡、山下規介、板谷由夏) テーマ:この映画がすごい!! - ジャンル:映画 ![]() |
![]() LES QUATRE CENTS COUPS フランソワ・トリュフォーの長編デビュー作。パリの街で、親に見捨てられる 少年を描いたモノクロの傑作。カンヌ映画祭において監督賞を受賞し、彼は 弱冠27歳にして「ヌーベル・ヴァーグ」の寵児となった。本作には、トリュフォー 自身の実体験が投影されているという。 ケン・ローチの『SWEET SIXTEEN』の感想記事に、「ラストシーンで『大人は 判ってくれない』を思い出した」というコメントをいただいていた。気になりつ つ、手持ちのDVDにてやっと鑑賞。コメントをいただいた方、ありがとうござい ました。確かに、ケン・ローチも意識したのではと思わせる場面でした。 ヌーベルヴァーグやトリュフォーについて、私は語る言葉を持っていない。 だからこの映画を観て、感じたことを率直に書きたいと思う。邦題は意訳ら しいけれど、名訳だと思った。 ![]() この映画に出てくる大人たちは、どうして揃いも揃ってこんなにもイラついて いるのだろう? アントワーヌ(ジャン=ピエール・レオ)の母、継父、教師、看守 たち。皆彼を邪険に扱い、厄介者として忌み嫌う。街の女たちは出産時の体験を 殊更悲惨なものとして語り、4人目の子どもを産むという話を聞いて「ぞっとする」 と言い放つアントワーヌの母。 日本は特別子どもを可愛がる慣習の国だと聞いたことがあるが、かといって 欧米の子どもが皆、アントワーヌのような成育環境ではないだろう。彼はごく 普通の、いたずら好きな少年に見えるし、お手伝いも宿題もやろうとしている、 バルザックを読む本好きだ。学校をサボって回るローターに乗るアントワーヌ が、遠心力で吹き飛ばされそうになっても無邪気に笑っている場面が物悲しい。 去り行くパリの街の灯に涙する彼に、胸がいっぱいになる。 「大人は誰でも昔は子どもだった。しかしそのことを憶えている大人は、いくら もいない」と言ったのは『星の王子さま』のサン・テグジュペリ。そういえば彼は フランス人で、ファーストネームは「アントワーヌ」だ・・・。 ![]() そしてラスト、海に向かって走りに走るアントワーヌ。あんなに見たかった 海なのに、そこは行き止まり、それ以上もう何処にも行けない。。カメラを見 据えるアントワーヌに「FIN」の文字が被さる幕引きは、忘れられない名場面だ。 自戒しよう。 忘れていないか? 子どもの頃のことを。 成っていないか? 子どもの気持ちを忘れた大人に。 (『大人は判ってくれない』監督・製作・脚本:フランソワ・トリュフォー/ 撮影:アンリ・ドカエ/主演:ジャン=ピエール・レオ/1959・仏) ![]() |
![]() NO DIRECTION HOME: BOB DYLAN 「ユダ!」 「信じないぞ、嘘つきめ」 マーティン・スコセッシ監督による、ボブ・ディランの音楽ドキュメンタリー。 生い立ちからデビュー、1966年のヨーロッパ・ツアーまで、「生ける伝説」の初期 の映像とケネディ、冷戦、公民権運動、ベトナム反戦運動に至る当時の記録映像、 そしてディラン本人と友人たちへの膨大なインタビューで構成されている。 DVDは二枚組み、3時間半を一気に見せる力を湛えた作品。元々はテレビ番組と して放映されたもので、製作にはNHKも関わっている。 私はフォーク世代でもディランのファンでもなく、『風に吹かれて』や『ライク・ア・ ローリングストーン』などの代表曲を聴いたことがある程度。実は彼がアメリカ人 であることさえ知らなかった。『アイム・ノット・ゼア』を観る前に、この世界的アー ティストに触れておきたい気持ちから鑑賞。ちなみに作品タイトルの『ノー・ディレ クション・ホーム』とは、『ライク・ア・ローリングストーン』の歌詞の一節から採られ ている。 ![]() まず、若い頃のディランの中性的な美しさに驚く。『アイム・ノット・ゼア』では 女性であるケイト・ブランシェットがディランを演じると聞いて耳を疑ったけれど、 この映像を観れば誰もがそのキャスティングに納得するだろう。60年代の ニューヨークが舞台の『ファクトリー・ガール』ではヘイデン・クリステンセンが ディランらしき人物を演じているらしく、これも謎のキャスティングだと思って いた。しかしディランの「三白眼」を見て、なんとなく納得。 「違う両親の元に生まれた」と感じ、「家を探しに」今も旅をしているようだと語る ディラン。彼の詩は「聖書の預言」だと言われ、まさしく現代の吟遊詩人であるが、 その姿は哲学者のようにも、求道者のようにも見える。声を変え、姿を変え、その 生き方は一定の姿かたちに留まることはない。まさに『アイム・ノット・ゼア』を 体現している。 「愚かでなければ恋などしない」 「やさしさが時には人を殺すこともある」 様々なディランを巡るインタビューの中で、公私共にパートナーであったジョー ン・バエズの言葉が一番印象的だった。「貧者や弱者の気持ちがわかっていて プロテストソングは作るけれど、デモや座り込みには決して行かない。中心的 存在になりたがらない複雑な人」 ![]() 60年代の記録映像では、ジェームズ・ボールドウィン(『もう一つの国』)が映し 出されて驚いた。ジョニー・キャッシュ(『ウォーク・ザ・ライン』)は映画で彼を 熱演したホアキンよりもイイ男! 一人の人物にフォーカスしたドキュメンタリー と言えば、その人物を礼賛する余り逆に真実が見えてこない、もどかしさの残る 作品もある。しかし本作は、記録映像とインタビュー、ライヴ映像の絶妙なバラ ンスにより、60年代という激動の時代に生まれるべくして生まれた稀代のアー ティストの魅力と時代性が十二分に伝わってくる。そして60年代以降のディラン の姿も見てみたいと思わせる、優れたドキュメンタリーフィルムと成り得ている のではないだろうか。 (『ボブ・ディラン ノー・ディレクション・ホーム』/2005・英、米、日本/ 監督・製作兼:マーティン・スコセッシ/出演:ボブ・ディラン) ![]() |
ゴールデン・ウィークも終わり・・・。皆さんどんな休日を過ごされましたか?
私は「こんな休日は、絶対、絶対、イヤだ〜〜〜〜!」と叫び出したくなるよう な映画を観てしまいました。。 ![]() FUNNY GAMES 夏のバカンスに、湖の畔の別荘にやってきた裕福そうな一家。しかし、突然の 訪問者が、穏やかに過ごすはずだった彼らの休日を崩壊させてゆく・・・。 人間の心のダークサイドを描き出し、その作品が持つ「底意地の悪さ」「後味の 悪さ」では他の追随を許さない映像作家、ミヒャエル・ハネケ。本作を観た後では もはや彼を「悪魔」とさえ感じてしまう。「怖い」と言うよりはあまりの不快さ、不気 味さ、不愉快さに身震いする。人間が、ここまで感情を排した残酷な映画を撮れ るものなのか。そしてタイトルを「FUNNY GAMES」としてしまうその感覚! ・・・。もう、絶句・・・。 しかし、気分が悪くなりながらも結局途中で止めることなく、最後まで観てし まった。そこがまたハネケ先生の「チカラワザ」なんだと思ったりもする。 ![]() ディンギーを牽引しながらドライヴする車を空撮の俯瞰で捉え、オペラを流す オープニングの画からして、既に不気味で「ハネケ」している。平穏で耳にやさ しいクラシック音楽とともに、カメラは徐々に登場人物に近付き、音楽は突然、 神経を逆撫でするようなパンクに変わる。長回しと対象を大きく切り取る構図の 多様、冷たくて無機質なハネケの世界がそこにある。巻戻しや、観るものへ語 りかけるセリフで「これは映画ですよ」と断りつつ、観るものをこの陰惨な「ゲーム」 に参加させようという監督の意図もまた、腹立たしさ倍増。ラストのストップモー ションは、目を逸らさずにいられない。 美しく、お高く留まってさえいたアナ(スザンヌ・ロタール)の、崩壊寸前の体当 たり演技が凄い! 最初は彼だとわからなかった、夫役の若きウルリッヒ・ミュ ーエも、理不尽な暴力と屈辱に苛まれる壮絶演技。彼らの一人息子役の少年に とって、この演技体験がトラウマになっていないか心配になるほどだ。 ![]() そして驚くべきことに、この作品、ハリウッドでハネケ自身が英語版をセルフ リメイクし、この三月から世界各地で公開されているのだ! オリジナルに忠実 に撮られた作品らしく、それならわざわざリメイクしなくても・・・、と思わないでも ないのだけれど。。 主演はナオミ・ワッツとティム・ロス。ナオミは製作総指揮も務めているようだか ら、アナ役をやる気満々だったのだろうか。謎・・・。そして悪魔の化身、ポール 役にはマイケル・ピット! う〜ん、無茶苦茶ハマッてそう(笑)。日本での公開 予定は無いのだろうか? 二度とハネケは観たくないと言いつつ、公開されたら 観に行ってしまいそうな自分が怖い・・・。 ![]() (『ファニーゲーム』監督・脚本:ミヒャエル・ハネケ/1997・オーストリア/ 主演:スザンヌ・ロタール、ウルリッヒ・ミューエ、アルノ・フリッシュ) テーマ:この映画がすごい!! - ジャンル:映画 ![]() |
![]() CRY-BABY カルト映画監督の雄、ジョン・ウォーターズが『ヘアスプレー』に続いて故郷ボル チモアを舞台に撮ったミュージカル映画。50年代のボルチモアで、山の手に住む 女の子と下町のワルが恋に落ち、周囲を巻き込んだ大騒動を巻き起こす青春活劇。 「差別」がテーマだった『ヘアスプレー』に対し、本作は「階級差」がテーマ。監督 の自伝的要素がふんだんに織り込まれた作品であり、ジョニー・デップの記念す べき映画初主演作でもある。 実は『へアスプレー』のオリジナルが観たくて、ずっと探しているのに見つから ず・・・。目に付いたのがこの作品と『ピンク・フラミンゴ』でした。 ジョニー・デップは当時『21ジャンプ・ストリート』というTVシリーズに主演、刑事 役で大人気を博し、アメリカ中のティーンのアイドルだったらしい。同じ年に主演 したティム・バートンの『シザーハンズ』が名作として誉れ高く(もちろん私も大好 き)、この作品はジョニーのフィルモグラフィーの中でもあまり重視されてない感 がある。が、しかし!若くてお肌ツルツルな美しいジョニーが歌って踊る、ファン 必見の作品!と言うか、ファンの方で観ていらっしゃらない方がいるのかどうか・・・。 ちなみに、歌は吹き替えでジョニー本人の歌声ではないそうだけれど、「ジョニー が唄っている」と言われてもおかしくないくらい、歌と踊りがマッチしている。 ![]() ジョニー演じるクライ・ベイビーは、アルファベット爆弾の実行犯だった両親を 亡くし(電気椅子で処刑された!)、祖父母に育てられた少年。復讐に燃えて いるところが、少しだけスウィーニー・トッドを連想させる(ミュージカルだし)。 クライ・ベイビーの妹は『ヘアスプレー』のトレイシーみたいに太った女の子なの だけれど、ただ太っているのではなく、なんと妊娠しているの! しかも既に 二人の子持ち!! 一体何歳で産んだんだ(爆笑)。その他、牛も逃げだす 容貌の女友達とか、もうハチャメチャ。そして映画以上に笑えるのがジョン・ ウォーターズのコメンタリだったりする。下ネタ満載、脱線しまくり。でもジョニー のことを「才能豊かな俳優」だと、ちゃんと称賛していたのが印象的だった。 ![]() ジョニーの他に、あのイギー・ポップや元ポルノ女優トレイシー・ローズなども 出演してる。特に、イギーの初登場シーンはもう、目がテンに・・・。監督も、凄い ことをやらせるものだなぁ(笑)。 こういう、監督が思い入れタップリに、好き放題自分の世界観を貫く映画って 「おバカ映画」だと思いつつ嫌いになれない。もっともっと、こういう映画が観たい くらい。ジョニーも出演したことを、決して後悔してない、と思いたい・・・。たとえ 白ブリーフ姿を晒していようと、ね。 (『クライ・ベイビー』監督・脚本:ジョン・ウォーターズ/1990・USA/ 主演:ジョニー・デップ、エイミー・ロケイン、イギー・ポップ) ![]() |
![]() Bruce Almighty ニューヨークのバッファローでローカルテレビ局のレポーターを勤めるブルース (ジム・キャリー)は、アンカーマンになる夢を持っていた。ある日、彼のポケベルに 見知らぬ番号が表示される。番号の主はなんと、神(モーガン・フリーマン)だった・・・。 なんとも奇想天外なプロットのこの作品は、ジム・キャリーが超A級コメディアン であることをつくづく思い知らせてくれる、抱腹絶倒のコメディ。文字通りお腹を 抱えて笑いました、まじで。面白かった〜。 ![]() ブルースはワガママで自己中でお子ちゃまな男なんだけど、すること成すこと 大袈裟(オーバーアクト気味なジム♪)でいちいち笑える。そんな彼が期間限定 とはいえ、神に「全知全能」を授けられたんだからさあ大変! 世界中が大騒ぎに なるのは必至でしょう。 ジム・キャリーも面白いんだけど、彼のライバルキャスター、エヴァンを演じたスティ ーヴ・カレルも超面白い! 彼がブルースに操られて壊れる場面が一番笑った。今 思い出しても笑える。真面目な顔しておかしなことするから、もう最高!に面白いん ですから・・・。彼はこの映画の続編『エヴァン・オールマイティ』(未見)では主役を 演じています。 ![]() そしてまた驚いたことに、昨年のマイベスト作のひとつ『主人公は僕だった』に ちょっと似ています、この映画。観た当時、「ジム・キャリーが主演だったらな・・・」 と思ったものだけど、こんなに似た映画に出ていたとは・・・。ストーリーは全く違う し、『主人公〜』はコメディではない。しかし神と小説家のカレン(エマ・トンプソン) の部屋の無機質っぷりはソックリだし、ラストで主人公が交通事故に遭って、見舞 いに来た彼女のセリフ「ベイビ〜!」も一緒だし(笑)。う〜ん、ちょっと無理矢理っ ぽいけど、確かに似てるんですって! まぁ考えてみれば、主人公が特殊な能力 や天使に出会って、自分の「普通の」人生がいかに素晴らしいものだったかを思い 知る、という映画はたくさんあるわけで。。 本作にチラリと出てくる『素晴らしき哉、人生!』もその一つですよね。 しかし、モーガン・フリーマンの役名「神」って凄くないですか?(笑)しかもその 正体は・・・。あなたの街にもいるかもよ。 (『ブルース・オールマイティ』監督:トム・シャドヤック(製作兼)/ 主演:ジム・キャリー(製作兼)、モーガン・フリーマン/2003・USA) ![]() |
![]() FOLLOW MY VOICE: WITH THE MUSIC OF HEDWIG 名作ロックミュージカル『ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ』のトリビュート アルバムを製作し、その売り上げをニューヨークにある性的マイノリティのため の高校「ハーヴェイ・ミルク・ハイスクール」に寄付するというプロジェクトを追っ たドキュメンタリー。製作過程と並行して、スクールに通う4人の生徒たちにも 焦点を当て、彼らのありのままの姿を映し出す。 アルバムの参加ミュージシャンは、『ヘドウィグ』の立役者ジョン・キャメロン・ ミッチェルとスティーヴン・トラスクをはじめ、ヨーコ・オノ、ルーファス・ウェイン ライト、ジョナサン・リッチマンなど多彩な面々。名曲のオンパレードである『ヘド ウィグ』のナンバーが、新しいアレンジやハーモニーで聴けること自体、感動モノ。 そしてその音楽が、ハーヴェイ・ミルク・ハイスクールに通う4人の子どもたち− 生き辛さを抱え、様々な困難に直面しながらも自分らしく生きようともがいてい る−とリンクすることで、観るものに更なる衝撃を与えている。 そのチャリティーアルバム『Wig in a Box』の記事はこちら⇒ ![]() カンボジア移民のメイはレズビアン。両親に存在を否定され、自傷行為を繰り 返していたトランスジェンダーのエンジェル。ラテン家庭の一人息子で、父親と 気まずい関係にあるゲイのラルフィ。保守的な土地に生まれ、家族や故郷から 逃げ出し、断絶しているレズビアンのテナジャ。彼らが語る自らのストーリーに、 『ヘドウィグ』のナンバーがオーバーラップする。私にとって『ヘドウィグ』は一番 好きな映画の一つだと断言できるけれど、自分は今まで一体あの映画の何を 観て、何を聴いていたのだろうと愕然としてしまった。 何故、あの映画の物語と音楽たちに、あれほど心を揺さぶられるのか。そこに は男でも女でもない「人間」として生きることの真実、全ての魂の崇高さを信じて 生きていこうというメッセージが込められているのだと初めてわかった気がして、 涙が自然に、止めどなく溢れてくる。 ドキュメンタリー撮影中に公立高校として認可された「ハーヴェイ・ミルク・ハイ スクール」は、アメリカで初めて同性愛者であることを公表してサンフランシスコ 市議に当選するも、凶弾に倒れた活動家ハーヴェイ・ミルクに因んでいる。その ハーヴェイ・ミルクにショーン・ペンが扮し、ガス・ヴァン・サントがメガホンを取る 伝記映画『Milk』も製作中。日本での公開が待たれる。 ![]() 国際的なモデルとして、ミッソーニはじめ世界で活躍しながらも、「家族や友人と 離れているのが辛い」「過去にも未来にも馴染めない」と涙を流すメイ。彼女は自分 と周囲の間に、深くて広い溝があると感じている。その溝を埋めてくれる理解者たる 家族や友人と離れることは、世界と自分との架け橋を失ったような、たった独りで 見知らぬ場所に取り残されたような気分なのだろう。 どうかこの世界が、彼女や全ての子どもたちにとって幸せを感じられる場所で あって欲しい。このドキュメンタリーを観て感じることはそれに尽きる。マイノリティ の人々が生き易いと感じられる世界は、誰にでもやさしく、温かい場所に違いな いから。 素顔のジョン・キャメロン・ミッチェルは穏やかで温和で、繊細な雰囲気。こんな にも静かな人が、エキセントリックの極みのようなヘドウィグを演じたとは信じ難い ほど。しかし、彼が生み出した映画『ヘドウィグ』は間違いなくマスターピースとして、 後世に残るだろう。そして、道にはぐれたはみ出し者や、迷子の大人たちをその 「ヴォイス」で導き続けるに違いない。 たとえ性的マイノリティであろうとなかろうと、誰もが生き辛さを感じている現代。 彼の歌声に、少し耳を傾けてみよう。そうすればきっと、「自分自身の声」も見つ けられるから。 (『ヴォイス・オブ・ヘドウィグ』監督:キャサリン・リントン/2006・USA) ![]() |
![]() My Left Foot: The Story of Christy Brown 重度の脳性小児麻痺により左足しか動かせない主人公が、強靭な意志と家族の 愛情、周囲の支えによってその才能を開花させてゆく。アイルランドの作家・芸術家、 クリスティ・ブラウン。その生涯を自伝に基づいて描いたドラマ。主人公クリスティを 演じたダニエル・デイ=ルイスはアカデミー賞主演男優賞を受賞、クリスティの母を 演じたブレンダ・フリッカーも助演女優賞を受賞している。「ダニエル・デイ=ルイスの 若き日」鑑賞シリーズ第三弾。いやこれは必見の映画だと思います。 Entertainment Weekly誌が、今までに唯一A+の評価をした作品、らしい。 脳性麻痺の主人公といえばまず、イ・チャンドン監督の『オアシス』が思い浮かぶ。 主人公コンジュを演じたムン・ソリの迫真の演技と「姫と将軍の恋」は驚きを超えて 私たちの涙腺を破壊したけれど、元祖「メソッド・アクター」ダニエル・デイ=ルイスも 負けてはいない。彼は撮影中車椅子を降りず、肋骨を二本骨折したという。 言葉を発することも、左足以外は動かすこともできなかったクリスティが、初めて 「MOTER」と書き記す場面は涙が滲む。彼を「オレの息子、天才だ」と酒場に連れ 出す父、声のトーンでこれから息子に何が起こるか察する母。しかし、この映画の 素晴らしいところは、この実話をただの「涙の感動作」として綺麗にまとめてしまわ ず、クリスティの挫折や煩悩、身勝手さゆえの人間臭さも隠さず描いているところ だと思う。だからこそ、彼の芸術的才能が花開いたのは自身の努力だけでなく、 周囲のサポートあってのものだというごく当たり前の真実が、まっすぐに伝わって くるのだ。 ![]() そして、映画全体のトーンも驚くほど明るい。太陽の恵み少ないアイルランド ・ダブリンが舞台、典型的カソリックの子沢山(22人兄弟!)家庭、ハンディキャ ップを持つ主人公とくれば、貧困と生活苦で暗いイメージの映画になりそうなも の。ところがクリスティの兄弟は皆明るく小奇麗で、ひねたところがない。彼を 手押し車に乗せてどこへでも連れ出し、草サッカーではプレースキッカーを任せ、 石炭泥棒まで共謀する。ユーモアを忘れず、時に自虐的なブラックジョークを 披露するクリスティの突き抜けた聡明さと相まって、家族の雰囲気は決して悲観 的なものではない。もちろん、現実はもっと大変だったのだろうけれど・・・。 リハビリによってより明瞭な発声を授け、クリスティの可能性を拡げてくれた 女医アイリーン(フィオナ・ショウ)への思慕と手痛い失恋。「心しか愛されない のは愛じゃない、心も体も愛してほしい」彼の魂の叫びが胸を打つ。荒れて落ち 込むクリスティに「がっかりしたよ。お前の足をおくれ」と言い放つ母。その手で ツルハシを握り、猫の額ほどの庭にクリスティの部屋を作ろうとする強さ、逞しさ。 そこには自己憐憫や甘い感傷は微塵もなく、子の可能性を信じる強い光にも似た 「祈り」だけがある。 ラストシーン、生涯の伴侶と共に丘の上で開けるドンペリ。弾けるような最高 の笑顔のクリスティに、私も思わず駆け寄りたくなる。 ![]() (『マイ・レフトフット』監督・脚本:ジム・シェリダン/1989・アイルランド、英 /主演:ダニエル・デイ=ルイス、ブレンダ・フリッカー) テーマ:この映画がすごい!! - ジャンル:映画 ![]() |
![]() MY BEAUTIFUL LAUNDRETTE パキスタン移民の青年オマール(ゴードン・ウォーネック)は、アル中で廃人同然 の父(ロシャン・セス)の世話に明け暮れる毎日。事業家の叔父(サイード・ジャフ リー)の元で働くことになったある日、幼馴染のジョニー(ダニエル・デイ=ルイス) と再会する・・・。 サッチャー政権下のサウスロンドンを舞台に、移民、人種、階級、職業など、様々 な差別の中で生き方を模索する若者と、異郷で事業を興し、一族の固い結束の 元で逞しく生きるパキスタン移民たちの姿を描く。監督はスティーヴン・フリアーズ。 「ダニエル・デイ=ルイスの若き日」鑑賞シリーズ第二弾。 英国の白人が移民たちに向かって「Paki!」という蔑称を使うことは『やさしく キスをして』などでも描かれていたが、この映画に描かれる差別は白人から移民 たちへの一方通行ではない。ジョニーが属しているような、労働者階級の中でも 下層な階級の白人は、成功した移民たちからも蔑まれることがある。オマールの 叔父の愛人は白人女性であるが、自分の愛人の娘タニアから蔑まれる。そして、 新聞記者であったオマールの父は、ランドリー経営を「アンダーパンツを洗うよう な仕事」と蔑む。知的職業に従事する者が肉体労働者を下に見る、職業差別も 存在することがはっきりと描かれている。 ジョニーとオマールは幼馴染で、オマールの父は幼いジョニーたちを可愛がっ た。しかしジョニーたちは移民排斥デモに加わり、オマールの父はそのショック からアル中となり、母は電車に飛び込む。そしてオマールは大学進学の夢を断た れてしまう。しかし、このオマールという青年が全く屈託の無いキャラクターに 描かれていることで、この映画は設定ほどには暗い印象を受けない。ポコポコと いう水の中の空気が弾けるような効果音も、不思議な浮遊感を生んでいる。 ![]() ジョニーとの久々の再会に、心躍らせるオマール。タニアの肉感的なアプローチ にも全くなびかなかった彼の心には、ジョニーだけが住んでいたのだろう。一緒に 叔父のランドリーを再建しようと持ちかけ、ジョニーの差し出す腕の中に自然に抱 かれるオマール。唐突な展開に一瞬たじろぐが、あまりにも自然な若い二人のキス に、ああ、彼らはずっと昔から愛し合っていたのだな・・・と腑に落ちた。 ランドリーの完成の日、愛し合う二人。しかしそこには「移民と白人」「同性愛」と いう二重のタブーがある。オーナーである叔父がランドリーを訪れ、愛人と愛を交 わすさらに内側に、ジョニーとオマールの姿が映し出される。「移民と白人」であり、 「不貞」の関係である叔父たち以上に、同性同士で愛し合う彼らは身を隠さねばな らない存在であるということなのだろう。 しかし、労働者階級の「ゴロツキ」を演じたダニエル・デイ=ルイスの美しさ、しな やかさはどうだ・・・!スノッブな英国貴族を演じた『眺めのいい部屋』と同年の作品 だとはにわかには信じ難いほど、屈託のある貧困層の青年を自然体で演じている。 不良仲間への絆とオマールへの愛に引き裂かれながら、恩人を裏切った罪の意識 にも苛まれ続けているジョニー。階級や人種が混じり合い、ねじれた差別を描きなが らも、全てを水に流そうとするかのような明るいラストシーンに安堵する。 そしてジョニー、いやダニエル・デイ=ルイス。彼がたまらなく、愛おしい。 (『マイ・ビューティフル・ランドレット』監督:スティーヴン・フリアーズ/ 主演:ダニエル・デイ・ルイス、ゴードン・ウォーネック/1985・UK) ![]() |
![]() A ROOM WITH A VIEW 20世紀初頭。英国中産階級の令嬢ルーシー(ヘレナ・ボナム=カーター)は、年長 の従姉シャーロット(マギー・スミス)とともにイタリアのフィレンツェを旅行中、父と 休暇を楽しむジョージ(ジュリアン・サンズ)と出逢う・・・。 マーチャント/アイヴォリーフィルム、原作は『モーリス』のE・M・フォスター。 1986年のアカデミー賞にて美術賞、衣装デザイン賞などを受賞した英国映画の 名作。恋愛映画として観ることも、上質な絵画のような美術品として観ることも できる。物語の切れ目に挿入される、紙芝居のような扉画も美しい。 ずっと観たくて、でも観逃していた本作、アカデミー賞授賞式でのダニエル・デイ =ルイスがあまりにも素敵だったので、彼の若き日のお姿が観たくて鑑賞。いつも お世話になっている、viva jijiさまのお宅の推奨記事にも惹かれた。 ![]() 中産階級に生まれた女性の英国における恋愛結婚事情は、ジェーン・オースティン の小説世界が特に有名。女子には相続権がなく、良家の子息との結婚だけが生きる 術という、封建制度バリバリの『高慢と偏見』の時代。それに比べれば、この映画では ルーシーの「来年は信託財産が入るわ」という台詞に、少しは女性も生き易い時代に なっていることが伺える。馬車と車が行きかうところにも、時代の変わり目だったことが よく現れている。 そんな時代だったからこそ、ルーシーは「無職」のセシル(ダニエル・デイ=ルイス) を振り、労働者階級のジョージの元に走れたのだろうと思う。セシルは読書と芸術に 造詣が深く、自分の価値観の範疇のものでなければ受け入れられない。しかし決して 彼の性格に問題があるわけではなく、生育環境によってそうならざるを得なかっただ けの事だ。背中に物差しでも入っているかのように伸びた姿勢や独特の笑い声、女性 にオクテな様がなんとも上流階級紳士然としていて面白い。この怪演ぶりは、ウィリー ・ウォンカ@チョコレート工場のジョニデも参考にしたのでは?と思ってしまった。 ![]() もう一つ興味を惹かれたのが女性たちの衣装。20世紀初頭、女性たちにはパンツ ルックは許されていなかった。そこで男性のスーツのボトムをマキシスカートに変え、 新進の気風ある女性たちはメンズライクな着こなしを楽しんでいたのだ。好奇心旺盛 な、ジュディ・デンチ演じる小説家の衣装に注目。この着こなしは、同時代の芸術家 ビアトリクス・ポターを描いた映画『ミス・ポター』でも観ることができた。 上の写真、『ラヴェンダーの咲く庭で』を思い出します。まさに英国が誇る二大女優 です(ヴァネッサ・レッドグレイヴを入れて三大女優ですね?)。 天然キャラ・シャーロットを演じたマギー・スミス、ルーシーの天真爛漫な弟フ レディを演じたルパート・グレイヴスなど、驚きの豪華キャストにうっとりの本作。 しかしあの、川遊びの場面のホットケーキ(@viva jiji姐さん)だけはいただけ ない。思わず笑ってしまった、残念。 (『眺めのいい部屋』監督:ジェームズ・アイヴォリー/原作:E・M・フォスター/ 製作:イスマイル・マーチャント/主演:ヘレナ・ボナム=カーター、 ジュリアン・サンズ、マギー・スミス、ダニエル・デイ=ルイス/1985・UK) ![]() |
![]() BREAKFAST AT TIFFANY'S Audrey Hepburn ニューヨーク五番街の夜明け。滑るようにやってきたイエロー・キャブから、一人 の妖精が降り立つ。黒いジバンシーのドレス、チョココルネのような髪。大きすぎる サングラスから彼女が覗くウィンドウはティファニー本店。少し首を傾げ、紙袋から コーヒーとデニッシュを取り出し、ジュエリーを眺めながら摂る朝食。短いけれど 至福の時間に、流れるのはヘンリー・マンシーニの『ムーン・リヴァー』・・・。 ♪ Moon River, wider than a mile I'm crossing you in style some day... 原作を読了後、即座に以前から録画してあったDVDを観る。初見。このオープニン グ・・・!「心震える」とはこのこと。なんと美しく洗練された、夢のようなシーンなの だろう。これは映画史上に残る名シーンではないだろうか。『ムーン・リヴァー』の 旋律がまた、幻想的なまでに美しい・・・。オープニングだけ、何回も何回も繰り返し て観てしまう。 しかし、ニューヨークの太陽が昇るとともに、映画も平凡なものになってしまって いるような気がする。冒頭と、ラストの土砂降りの中のキスシーンだけは名場面 だと思うけれど。 ![]() 村上春樹が言うように、確かに原作と映画は「違う話」になってしまっている。しかし 当初「全然イメージと違う」ことに驚いたポール役のジョージ・ペパードも、観ている うちに違和感が薄れてくる。映像のチカラって、やっぱり凄い。 同じく、輝くばかりの美しさのオードリー・ヘップバーンも、原作のホリーのイメージ ではない。少しトウが立ち過ぎているような気もするし、少し品があり過ぎる。 ・・・なんて言ったら、世界中のシネフィルから非難ゴウゴウだろうか。 ![]() しかし、原作にあったティファニーへの敬意と憧憬だけは、映画の中でも全く損な われることなく保たれている。ブルーはティファニーの色だから、ホリーは憂鬱を 「アカな気分」と表現したんだな・・。公開から50年近く経っても、色褪せない映画 ではあると思う。 (『ティファニーで朝食を』監督:ブレイク・エドワーズ/1961・USA/ 主演:オードリー・ヘップバーン、ジョージ・ペパード) ![]() |