『WANDA/ワンダ』

アメリカの炭鉱町で夫に離縁され無一文となったワンダはひとり街を彷徨う
バーバラ・ローデン(エリア・カザンの元妻)が主演・脚本・監督した唯一の映画
ヴェネツィア国際映画祭で外国語映画賞を受賞し、ヨーロッパで高く評価されながらハリウッドでは黙殺された1970年の作品です
近年再評価され、リマスター版が本邦初公開に至りました
そんな曰く付きの作品、観逃すわけにはまいりません
来月末で閉館するテアトル梅田にて鑑賞(涙)
日曜日の昼の回はほぼ満席
これは今年の必見作、最重要作品のひとつかもしれない
作品のテーマカラーなのであろうティファニーブルーが印象的
しかしそんなハイブランドとは無縁の、低予算インディペンド映画の極北のような作品です
私見ですがワンダはいわゆる 「境界知能」 な人だと思う
障がい者としてカテゴライズされることはない、ゆえに福祉に繋がれず生きづらさを抱えてしまう人
仕事が遅く飲み込みが悪い
計画性がなく行き当たりばったり
(カーラーを巻いたまま出廷するような)社会性の欠如
そんな彼女を観ながらイライラした人もいると思う
「何もかもうまくいかない」 「何もないし何もできない」 それはワンダ本人も自覚している
でもどうにもできないのです
50年以上前、バーバラ・ローデンにこの視点があったのか?
それはわかりません
ワンダと男たちとの関係は女優と映画監督の関係だという見方もある(byイザベル・ユペール)
しかし私は、日々報道される信じ難い事件の当事者である女性たちに思いを馳せずにはいられなかった
そういう女性たちが、近年 「境界知能」 なのではないかと問題提起され始めています
50年、いやもっともっと昔から存在していた 「ワンダ」 たち
この映画が黙殺されたのも、そんな彼女たちを 「見えない存在」 に貶めたままにしておきたかった 「誰か」 の力が働いたのではないかと思う
経済的に、性的に彼女たちを搾取し続けるために
幻の作品でありながら多くの映画人に影響を与えたという本作
是非多くの方に観てほしい
ワンダの 「絶望」 を
そして考えてほしい
世界が今よりほんの少し、やさしくなるためにできることを
(2022年8月10日、Instagramへの投稿より)
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少し前(今年の4月)に 『ニューヨーク 親切なロシア料理店』 という映画を観た
主人公クララはまだ幼いふたりの息子を連れ、夫のDVから逃れるためにニューヨークへ身一つでやってくる
たどり着いたロシア料理店にはやさしい人々が集い主人公の人生を変えていく、というお話
この主人公の行動がどう見ても無計画で行き当たりばったり過ぎるのだ
いくらDV夫から逃れるためとはいえ 「それはないだろう(子どもたちがかわいそう)」 と思いながら観ていた
自宅鑑賞だったので感想は残さなかったけれど、何故か心に引っ掛かりを感じていた
そしてこの 『WANDA/ワンダ』 を観たとき気づいたのだ
「クララも境界知能な人かもしれない」 と
クララを演じたのが才媛の代名詞のようなゾーイ・カザンであるため、そこに思いが至らなかったのかもしれない(ミスキャストなんじゃないだろうか、、、眉根を寄せる泣き顔がワンパターン過ぎて 「こんなに演技下手だったっけ?」 と思ったし(スミマセン)。書き手に専念するには彼女美人過ぎるのだろうか?)
原題は 『THE KINDNESS OF STRANGERS』 見知らぬ人々のやさしさ、かな
やさしさや親切心だけじゃなくて、この世界には適材適所な就労や多様性の理解が重要なんじゃないかと思う
明らかに生きづらさを抱えているケイレブ・ランドリー・ジョーンズ演じる青年にドアマンの仕事が任せられたように
すべての人が生きやすい社会であれば、きっとみんながやさしくなれるはず
視点が変われば映画の印象も180度変わる
『WANDA/ワンダ』 はそんな気づきをもたらしてくれた作品でした
( 『WANDA/ワンダ』 監督・脚本・主演:バーバラ・ローデン/1970・USA)
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『わたしの叔父さん』

デンマークの農村で叔父と酪農を営むクリスは獣医師になる夢を抱いていた
なぜか気になってどうしても観たかった
セリフも劇伴も最小限、これ以上ないと思えるほど静謐でミニマムな作品
でも、いやだからこそ忘れ難い余韻を残す
本当に観てよかった
親を亡くし、夢を諦めたクリス
側から見れば気の毒に映る境遇なのだろうけれど
彼女が受けた傷を思えば、叔父さんとの暮らしは安らぎ以外の何ものでもなかったのかもと思う
無口なふたり
繰り返す日々の暮らし
TVのニュースだけが世界との繋がりのような
そこに現れたひとりの青年とかつて抱いていた夢
鈍色だった景色は天然色となり風は歌い始める
クリスが本当にいい子で…涙が出てくる
きっと日本にもクリスのような境遇に生きる人はたくさんいるんだろうなと思う
どこで誰と生きるか
何をもって幸せとするのか
人の数だけその基準はあるだろう
彼女の選択を、私はジャッジしたくないと思った
あの唐突とも取れる幕切れ
監督自身がその先をふたりに委ねているかのようだった
デンマークにも回転寿司ってあるのですね
ちゃんと仕切りがあっていい感じ
食事の場面が多い映画だった
シンプルに、それは生きるということ
そして三匹の猫がとてもいいアクセントになっていた
小さな村の静かな世界
それが彼女の生きる場所
かけがえのない誰かと過ごす
かけがえのない人生がそこにある
(2021年2月26日、Instagramへの投稿より)
( 『わたしの叔父さん』 原題:ONKEL/UNCLE/監督・脚本・撮影・編集:フラレ・ピーダセン/
主演:イェデ・スナゴー、ペーダ・ハンセン・テューセン/2019・デンマーク)
『テルマ&ルイーズ』

大好きな映画。何年ぶりの鑑賞だろう?
少なくともここ20年は観ていなかった
個人的 「ロードムービーの金字塔」 的作品
音楽がハンス・ジマーなことを今回初めて知った
午前10時の映画祭ファイナルにて
昔、スーザン・サランドンが好きだった
今はジーナ・デイヴィスの魅力もわかる
手足が長い!細い!そして足の裏が汚い(これトリビアかも)
専業主婦のテルマと、ウェイトレスのルイーズ
夫の言いなりで人形のようなテルマと
蓮っ葉にふるまって癒えない傷を隠すルイーズ
この二人が自分の分身のような気がして、、泣きに泣いた
ハーヴェイ・カイテルのセリフじゃないけど 「古い友だち」 のような気がして
夫に抑圧されていたテルマが 「本当の自分」 へと変わっていく過程が最高
自分の意志を持った彼女は、頼る一方だったルイーズを先導さえする
あの結末へと後押ししたのもテルマだったように
30年近く前にこのような映画-女性の尊厳に関する映画-が作られていたことに改めて驚き、
(女性を取り巻く)世界が当時とあまり変わっていないことを残念にも思う
若くて軽薄なブラピの美しさは強烈で鮮明に覚えていたのだけれど、
マイケル・マドセンのことはすっかり忘れ切っていたごめん
いや、、めっちゃいい男じゃないかマイケルマドセン!惚れるわ〜〜惚れる〜。。
しかしあのトラック運転手の演技は酷かった。せんだみつおかと思った。コントかよ
ラストのカーチェイス&ヘリの見せ方がいかにもリドスコ節
アメリカ南部の風景、壮大で美しく寂しい荒野も必見
それはアメリカという国そのもの
彼女たちはそこで生き、命を散らす
ルイーズがおじいさんの隣に座って物々交換する、何気ないけれど静かでやさしいシーンが一番好き
これマジで名作と思う
午前10時の映画祭ありがとう!
(2019年11月19日 Instagram への投稿より)
( 『テルマ&ルイーズ』 監督・製作:リドリー・スコット/主演:スーザン・サランドン、ジーナ・デイヴィス/
USA・1991)
『Swallow スワロウ』

玉の輿に乗り何不自由ない生活を送るハンター(ヘイリー・ベネット)は妊娠をきっかけに「異物を飲み込む」行為に取り憑かれる
ヘイリー・ベネット主演作、どうしても観たかった
近畿圏では梅田ブルクのみの公開でしたが2月12日から出町座でも公開されました(さすが出町座さん!) ※その後シネマート心斎橋でも公開済
是非ご覧になってください
特に女性にオススメ
監督はデビュー作だそう
深読みはシネフィルの皆さまに任せますが、映画としてめちゃくちゃ面白かった
ジャンルはスリラー、しかし最後まで観ると女性をエンパワメントする作品だと気づきます
エンドロールに流れるのがまさに 「アンセム」 なんですよ
最高
ヘイリー・ベネットは製作も兼ねて気合い十分
ダークサイドのジェニファー・ローレンスという感じの風貌で注目していたけれど、これからもっともっと活躍して欲しいなぁ
しかしポスターのキャッチコピー 「欲望をのみこんでゆく」 ってミスリードもいいとこ
そんな映画じゃないですよ
ところでタイトルの 『swallow』 ですが
ツバメ、出てこなかったなぁと思ってたらなんと 「飲み込む」 という意味の動詞なんですね
知らなかった(無知、恥)
でもひとつ賢くなった!
(2021年1月16日 Instagram への投稿より)
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今年の年頭に観た本作ですが、今改めてアップしようと思ったのには理由があります
テキサス州で施行され世界中から抗議の声が止まない 「中絶禁止法」
バイデン政権の訴えで先日やっと連邦地裁により一時差し止めされましたが、予断を許さない状況であることに変わりはありません
「自分の身体のことは自分で決める」
全ての女性がそうできる世の中であってほしい
エンドロールを見つめながら私が感じていたこと
この映画にはその願いが込められていると思うのです
決して対岸の火事ではありません
本邦の女性が置かれている状況はどうでしょうか?
自宅や公園のトイレで出産し、新生児を遺棄したとして女性(だけ)が逮捕される事件が後を絶ちません
欧米では20年も前から本格的に使われている経口中絶薬の認可はいつですか?
様々な意見、立場があることは重々承知しています
それでも
もう一度言います
「自分の身体のことは自分で決める」
全ての女性、すべての人がそうできる世の中であってほしい
わたしのからだは
わたしのもの
( 『Swallow スワロウ』 監督・脚本:カーロ・ミラヴェラ=デイヴィス/主演:ヘイリー・ベネット/
2019・USA )
你保護世界、我保護你~『少年の君』

進学校に通う受験生のチェン(周冬雨チョウ・ドンユイ)はある出来事からいじめの標的となる
ひとりぼっちの彼女が出会ったのはストリートに生きる少年シャオベイ(易烊千璽イー・ヤンチェンシー)だった
「今年のベスト更新かも涙止まらん
泣きすぎて死ぬかと思ったけど生きた
みんなもこれ観て、生きて!!!」
普段映画の感想はツィートしないのだけど、これは呟かずにはいられなかった
昨年の大阪アジアン映画祭で上映されて評判は聞いていたし、何よりアカデミー賞国際長編映画賞にノミネートされたことで期待値はMAX
そしてその期待を遥かに超えてきた傑作だった
間違いなく今年のベスト作の一本
いやオールタイムベストの一本と言ってもいいかも
刺さった、、、
今まで映画の感想に 「孤独なふたつの魂が出会った」 なんて軽々しく書いてきた自分が恥ずかしい
その文言はこの映画にこそ捧げられるべきもの
こんなにも純粋で真摯な、純真な作品に出逢えたことがうれしい
「ドブの中にいても星を見上げる者がいる」
貧しさから這い上がるために心を殺し受験に突き進み
親に捨てられ悪に手を染めるしか生きる術がなかった
しかし彼等は心の何処かで、支え合い寄り添える誰かを求めていた
美しい風景を撮って美しい映画にすることはさほど難しくはないだろう
この映画の舞台は薄暗い貧民街や殺伐とした教室
いじめ、集団暴行、詐欺まがいの商法、ネットリンチ、警察の介入
ストーリー展開は悲惨で鬱々とし希望はなかなか見えない
なのにその中に本当に美しいものが映っている
135分の長尺、時間を忘れてその 「美しいもの」 に目をこらしていた
「私を守ってくれる?」
確かに岩井俊二やエドワード・ヤン作品の影響を思わないでもない
しかしそれは残酷な神が支配する場所は万国共通だという証であり、むしろ彼らのフォロワーがここまでの(アカデミー協会も認める)力作を生み出したことを寿ごうではないか
主演2人の熱演は 「この2人でなければここまでの作品にはならなかった」 と確信するレベル
周冬雨チョウ・ドンユイは実年齢を知って驚くが、小柄で童顔な彼女は中学生と言っても通りそうなほど役に同化している
そしてシャオベイ役の易烊千璽イー・ヤンチェンシー
劇中何度も言及される 「イケメン」 だけではない、繊細な感情表現に驚かされた
2人が無言で対峙する場面、繰り返される切り返しのひとつひとつに言葉にならない感情が宿っていて
バイクの二人乗り
言葉少なな二人がかけ合うセリフ
全てが忘れ難い
「必ず後ろにいるから」
彼らからこの名演を引き出した監督曾國祥デレク・ツァンの手腕に唸る
映像もキメキメのショット連発、というわけでもないのに記憶に残るカットが数多い
最初と最後のエクスキューズ(蛇足)はかの国の 「お家の事情」 なのだと私は解釈する
製作者の本意ではないと(だから目をつむることができる)
また一人新作が楽しみな監督が増えた
映画製作に対する圧力は今後ますます強まるだろうけれど、どうか負けないで撮り続けてほしい
そして久しぶりに我が心の一本 『牯嶺街少年殺人事件』 が観たくなった
(2021年7月31日、Instagramへの投稿より)
( 『少年の君』 原題:少年的你/Better Days/監督:曾國祥デレク・ツァン/
主演:周冬雨チョウ・ドンユイ、易烊千璽イー・ヤンチェンシー/2019・香港)
『スピリッツ・オブ・ジ・エア』

約30年前に公開されて以来ソフト化されず、伝説となっていた(らしい)作品のデジタルリマスター版リバイバル上映
全く知らない映画だったけれど妙に気になり、バレンタインデーの夜初日鑑賞
ちなみにシアター内は6人、全員がお一人様で5列目以前に座っていました
5列目に私ともう一人、あとの4人は最前列から一列に一人ずつ
同志たちよ!(笑)
観終わって、なんとも言えない感情が押し寄せてきて、パンフレットを買わずにはいられなかった
この映画を何らかの形で、この手に留めておきたいと思った
映画を観ればその都度さまざまに思いを巡らせるけれど、こんな風に感じることは滅多にない
この感情は何なのだろう?
「感動」 と呼ぶべきものなのだろうか
「何も言えねぇ」 が正しいような気がする
作品世界が特異すぎる
空を飛ぶことに憧れる車椅子に乗った兄
ハートの女王(ヘレナ・ボナム=カーター)のような妹
逃亡者の男
おびただしい十字架と 「INRI(ユダヤ人の王、ナザレのイエス)」 の文字
鳴り続ける不穏な音楽
終末後の世界のような荒涼とした赤い砂漠と、そこに広がる青すぎる青空
マルボロ・カントリー
姿を見せない追手の影
宮崎駿の世界観と似たものを感じた、と言ったら変かな?
(この映画を観た数ヶ月後に初めて劇場鑑賞した 『風の谷のナウシカ』 で、この作品と同じシーンを観た気がした)
彼がこの映画を観たら、きっと悔し泣きしながら怒るんじゃないかな
「その(飛行体の)設計図はおかしいじゃないか!」 とか言って
主人公の最後の選択に、何とも言えない感情が湧き上がる
それは犠牲なのか? それとも恐れだったのか
「空を飛ぶ」 ただ一つの彼の夢
人生をかけた希望と憧れ
彼はそれを手放せなかったのだ
面白いのかと問われれば、「面白く」はない、と答えるだろう
しかし映画館で映画を観ることに何かしら意義があるとすれば、こういう映画を観ることでしか得られない感情がある、ということに尽きるのではないか
言葉にできない、説明できない感情
ただ湧き上がる感情
この映画を観ずに、何を観るというの?
そしてタイトルが好きすぎる
Spirits of the Air, Gremlins of the Clouds
忘れられない映画体験になりそう
(2020年2月18日、Instagramへの投稿より)
( 『スピリッツ・オブ・ジ・エア』 原題:Spirits of the Air, Gremlins of the Clouds/監督・製作・脚本:アレックス・プロヤス/1987・豪)
『アンダーグラウンド』

「昔、ある所に国があった」
エミール・クストリッツァの代表作
やっと観た! 遂に! スクリーンで観たぞ!
そしてマイオールタイムベスト作入り
布施ラインシネマラストショーにて
数年前の 「ウンザ!ウンザ!クストリッツァ」 特集上映で時間が合わず観られなかった本作
残念がる私に 「アンダーグラウンドはまたいつか必ず映画館で観られる機会はあるから」 と言ってくださったシネマート心斎橋の支配人様、やっとその日が来ました(涙)
1941年4月6日、旧ユーゴスラビア
ナチスの侵攻とともに空爆は激しさを増し、、、と書くと悲惨な戦争映画をイメージするけれど、そこはクストリッツァ
音楽と動物たちとヘンテコな人間たちが繰り広げる、混沌とした祝祭感溢れるマジカルな悲喜劇
171分の長尺ながら、三部構成でさほど長さは感じない
それはあまりのパワーとエネルギーに圧倒されて、時間の感覚が麻痺してしまうせいかも知れないけれど
「映画の神様の化身」 ことクストリッツァも登場、若い!
彼が登場人物たちに託した祖国への思い、大国とイデオロギーに翻弄された失われた祖国への熱い思いが溢れかえり、息が苦しいほど
愚かで弱い人間
罪深く過ちを繰り返す人間
哀しいけれど、それが私たちなのです
「許そう、でも忘れない」 この言葉の重みよ。。
それでいて、クストリッツァは生きとし生けるもの全ての生命を肯定していると感じた
この感覚はホドロフスキーの 『エンドレス・ポエトリー』 を観たときと似ている
ラストシーンではわけのわからない感動で胸がいっぱい
わけがわからないのに感動させられている、いや感動以上の何かで頭が爆発しそうになる
こんな体験、滅多にできない
次元が違う傑作だと思う
「またいつか必ず映画館で観られる機会はあるから」
またいつか必ず観たい、何度でも
そして後世に、子どもたちにこの映画を残して欲しい
永遠に語り継ぐべき物語がある
真実、もしくは奇跡と言う名の
(2020年1月31日、Instagramへの投稿より)
( 『アンダーグラウンド』 原題:UNDERGROUND/監督・共同脚本:エミール・クストリッツァ/1995)
『劇場』

下北沢。大阪から上京した小劇団の座付き作家・永田(山﨑賢人)は服飾専門学校に通う沙希(松岡茉優)と出逢い、彼女の部屋に転がり込む。
又吉直樹の同名小説の映画化。原作は未読
正直、行定勲監督は苦手でほとんどの作品をスルーしてきました
しかしこの映画は予告を観るたびに涙ぐんでしまっていて
山﨑賢人がもう、ヤバくて、、、(語彙力)
初日に鑑賞
本編もやはり山﨑賢人が相当ヤバかった()
序盤、永くんはただのヒモでクズだし、沙希ちゃんはわざとらしくはしゃぐただのかわいい女の子で観ていられないほど
でもその二人が、その演技を積み重ねて小さな世界を形作っていく
この映画自体が演劇的な成り立ちと言えるのではないかと思った(台詞回しも含め)
変わろうとしない、どうしようもなく変われない永くんと
変わらざるを得なかった沙希ちゃん
若さの意味は男と女で違うから
二人は別れるしかなかった
我慢して我慢して内側から壊れた沙希ちゃんと
そんな彼女を神様だという永くん
ふたりは 「若い頃」 を誠実に、自分に嘘をつかずに生きたのだと思う
二人で芝居が作れたらよかったのに
永くんの小さな、しょーもないプライドがそれを許さなかったのだけど
そのプライドは彼の一番大切なもので
存在理由でもあるから仕方がない
でも本当は
そのもがいた日々、辛く苦しい日々が彼の芝居を形にしたのだと最後にわかる
その芝居を共に作ったような錯覚に捉われるあの仕掛け
素晴らしいエンディングだった
最後まで沙希ちゃんに甘えるどうしようもない永くんと
最後まで 「ごめんね」 と言い続けるどこまでもやさしい沙希ちゃん
全てが変わってしまったようで、何も変わらないふたり
それでも、いやだからこそ共に生きることはできないふたり
松岡茉優って 「普通」 が醸す狂気や闇を表現できる数少ない若手なのかも
カッコいいはずの山﨑賢人は又吉直樹に見える瞬間があって(似非関西弁はご愛敬)
自転車のシーンの長台詞と、「僕が大金持ちになったら」 のスピーチに涙が止まらなかった
たわいない男女の出会いと別れ
幼くて未熟で 大切にできなかった想い
「生涯忘れない」 この惹句は真実だと感じた
原作も読んでみようかな
夏の終わりに梨を見かけたら
この映画を思い出すのかもしれない
冬が来ても忘れることができなかったら
今年のベストにうっかり入れてしまいそう
そんな映画です
<< 余談 >>
この映画本当に楽しみで、早く観たかったのに公開延期となり
自粛明けてもなかなか公開日がアナウンスされない
気を揉んでいたらなんと松竹が降り、ミニシアター中心の規模を大幅に縮小しての公開になったという
いや、大手も大変なのはわかりますよ
しかしあんなに予告をバンバン流していた山﨑賢人×松岡茉優主演作から手を引くなんて、、、
ショックだったなぁ
しかし蓋を開けてみれば、シネコンの大スクリーンよりもミニシアターが似合う作品だったような気がする
大阪で手を挙げてくれたシネ・ヌーヴォさんに感謝します
アマプラでも配信されている本作、近くで上映がないという方は是非そちらで観ていただきたいです
( 『劇場』 監督:行定勲/原作:又吉直樹/主演:山﨑賢人、松岡茉優/2020)
『象は静かに座っている』

大象席地而坐
An Elephant Sitting Still
世界中の絶望を掃き溜めたら
こんな作品になるのかなと思う
人生は苦痛の連続
裏切り、憎しみ、貧困、暴力、孤独、嘘
居場所のない悲しみとやり場のない怒り
取り返しのつかない過ちと見失った出口
老人は言う
お前は何処へでも行ける
そして何処へ行っても同じだと気づくと
だから何処へも行かず、向こう側を見ながらここで生きろと
それでも若者は行こうと言う
彼は希望を探していたのか?
お前がセカイを殺したいなら
私は象の鳴き声を響かせてみせる
この非情な世界の闇に
流れるな、涙
インターミッションなしの234分
そう自分に言い聞かせながら目をこらしていた
エンドロールが上がり切っても
4時間近く経ったとは思えない
一瞬のようでもあり、永遠のようでもある
29歳で命を絶った若者が遺した
たったひとつのたからもの
この何とも形容し難く不可思議な傑作を
記憶にとどめておきたい
今年のマイベスト作の一本。
( 『象は静かに座っている』 監督・脚本・編集:胡波フー・ボー/2018・中国 )
『COLD WAR あの歌、2つの心』

ZIMNA WOJNA
COLD WAR
1949年、ポーランド。民族舞踏団を結成した音楽家ヴィクトル(トマシュ・コット)は、オーディションで歌手志望のズーラ(ヨアンナ・クーリグ)と出逢う。
第87回アカデミー賞授賞式での立ち姿とスピーチにノックアウトされて以来、我が最愛の映画監督であるパヴェウ・パヴリコフスキの最新作。前作 『イーダ』 が大好き過ぎて、傑作の誉れ高いこの映画は物凄く楽しみだった反面、観るのが怖くもあった。期待外れだったらどうしよう、と。
しかしそんな心配は全くの杞憂だった。カンヌやヨーロッパ映画賞で受賞多数、アカデミー賞も三部門ノミネートは伊達じゃなかった。肩が震え、嗚咽を堪えるほど涙・涙。「観客が映画を見て涙を流すとすれば、それはスクリーンの中に観客自身の人生を映し出しているから」 という言葉を思い出しながら。正確には 「観客自身の【そうでありたかった】人生」 だけれど。
鑑賞後、世界が変わって見えるような映画とでも言えばいいのか・・・。映像--カメラワーク、ショットの一つひとつ、光と影、モノクロ・スタンダードのスクリーンサイズ--、音楽、ストーリー、キャストの演技、クレジットの最後の献辞に至るまで。90分足らずの尺の中、15年に及ぶ男女の生き様をこれほど濃密に描き出せるなんて・・・。超絶技巧としか言いようがない。当然、無駄と思えるショットもセリフも皆無。「傑作」 という言葉では足りないし、少し違う。極私的な感情の坩堝と、イデオロギーに支配される芸術が放つ至高の光。愛と言うよりも 「情念」 と宿命に身を委ね、時に身勝手に、時に献身的に生き壁を越えようとするズーラとヴィクトル。彼らは共感も同調も拒み、唯一無二の磁石のように互いだけを求め、反発する。
ポーランド、ベルリン、パリ、ユーゴスラビアからまたパリ。セーヌ川からふたりが望むノートルダム大聖堂が夢幻のよう。そしてふたたび最果ての地ポーランドへ。舞台は円環を成し、ふたりを 「あちら側」 へと誘う。
グレゴリー・ペックに似ていたというお父様似なのか、監督は超ダンディ。ヴィクトルは一瞬、監督が演じているのかと錯覚する。レア・セドゥ(またはジェシカ・チャステイン)に安藤玉恵を足したような(?)容姿のヨアンナ・クーリグは時に下卑た眼差しで世界を挑発し、その歌声とダンスでスクリーンを支配する。
今年の(暫定)ベストワン。もう一度観たい。この映画の全てを、この目と耳に焼き付けるために。

( 『COLD WAR あの歌、2つの心』 監督・原案・共同脚本:パヴェウ・パヴリコフスキ/
主演:トマシュ・コット、ヨアンナ・クーリグ/2018・ポーランド、英、仏)
これぞアメリカ映画!~『ストリート・オブ・ファイヤー』

STREETS OF FIRE
A ROCK&ROLL FABLE
ANOTHER TIME ANOTHER PLACE...
ロックシンガー・エレン(ダイアン・レイン)は故郷での凱旋公演の最中、レイブン(ウィレム・デフォー)率いるギャング団に連れ去られる。街を離れていたエレンの元恋人・トム(マイケル・パレ)が呼び戻され、エレンを救出に向かうが・・・。
1984年公開作品を、デジタルリマスター版リバイバル上映にて鑑賞。当時も劇場鑑賞したので、30年以上ぶりの再見。この映画は自分の原点だな、と感じた。自分の原点を観た気がした。映画って、時をかける。最高。
実は私、何を隠そう 『リトル・ロマンス』 以来のダイアン・レインウォッチャーなのです。『アウトサイダー』 『ランブルフィッシュ』 で共演していたマット・ディロンのファンでもあったので、この映画の公開時は 「何でマットが相手役じゃないわけ?!」 と怒っていたと思う(笑)。彼女の出演作全てを観ているわけではないけれど、低迷期を経て 『運命の女』 で大復活したときはうれしかったなぁ。ジョシュ・ブローリンと結婚したときもうれしかった(別れたけど)。最近は、『ジャスティス・リーグ』 でのヘンリー・カヴィルの母親役があまりにも老けこんでいて、「ダイアン・レインをもっと綺麗に撮れ!」 ってザック・スナイダーに説教したかった。小一時間。
サイドを流すエレンの髪型、聖子ちゃんや明菜、アイドルはみんなやっていた。私の好きな色が赤なのも、この映画のダイアン・レインの衣装の刷り込みかもしれない(ちなみにデザインはジョルジオ・アルマーニだとか)。そして何よりも、このトムとエレンの関係性ですよ! 別れても好きな人、唯一無二の相手だとわかっているのに身を引くこと、でも何かあったらI’ll be there. 命懸け。これ! これですよ!! もう、こういう関係性が至高だと刷り込まれてしまっているところがある。全部、この映画のせいだったんだなぁ、と思う。
マイケル・パレは久々に観たらトム・ハーディみがあって驚いた。役名もトム・コーディって、そっくり(笑)。でも、今ひとつ突き抜け感がないというか、あの前髪ハラリ具合がナルを捨て切れていないところがある気がする。トムハはそういうとこ、無頓着だからな~。ウィレム・デフォーは変わらない歯並びと、素肌に黒のオーバーオールって出で立ちがインパクトあり過ぎで、見たことのない(そしてあまり見たくない)物体になっていた。強烈キャラ・女兵士マッコイ(エイミー・マディガン)のことは忘却の彼方だったけれど、ラストは結局そうなるか、という感じ。マッコイはこれからもずっと、トムに悪態つき続けるんだろうなぁ。彼と一緒にいるために。
この映画、ラストのライブシーンだけで一億点つけたいくらいなんだけど、スコアをライ・クーダーが手掛けている、っていうのも初めて知る新鮮な驚き。ライ・クーダーといえばもう、ブエナビスタでパリ・テキサスなのに。今思えばすごく贅沢。せっかくだから、ミュージカル映画として改めてデイミアン・チャゼルあたりがリメイクしませんかね? 彼が撮るならトム役はもちろん、ライアン・ゴズリングで! トムのキャラは 『ドライブ』 仕様でお願いしますね。雨の中のキスシーンは 『君に読む物語』 を思い出したし。あ、エドガー・ライトが撮ってくれてもうれしいな(妄想が止まらない)。
ある日、どこかで語られるロックンロールの寓話。それは時をかけ、いつの時代にも甦る。B級感満載で洗練とはほど遠いかもしれない映画だけれど、そこがいいのです。私にとっては 「これぞアメリカ映画」 な作品。これは映画館で観られてこその 「追体験」 だった。最高オブ最高。This is IT!!



( 『ストリート・オブ・ファイヤー』 監督・共同脚本:ウォルター・ヒル/
主演:マイケル・パレ、ダイアン・レイン、ウィレム・デフォー/1984・USA)
1分間の人生~『欲望の翼』

阿飛正傅
DAYS OF BEING WILD
1960年、香港。サッカー競技場の売り子スー(張曼玉マギー・チャン)は、コーラを買いに来たヨディ(張國榮レスリー・チャン)に声を掛けられる。「名前は?」
「1960年4月16日、3時1分前。君は僕といた。この1分間を忘れない」
2018年7月の終わり、20時40分スタートのレイトショー。平成最後の夏、火星大接近の夜に、この作品をやっとやっと、スクリーンで観ることができた。初めてDVDで観たのは一体何年前だろう? 世紀の大天才・王家衛ウォン・カーウァイの長編第二作。レスリーが亡くなり、マギーが引退状態である以外は、キャストは梁朝偉トニー・レオンはじめ劉嘉玲カリーナ・ラウ、劉徳華アンディ・ラウ、「歌神」張學友ジャッキー・チュンと、今も第一線で活躍する面々。彼らの若き姿に、胸がいっぱいになる。
キャストだけみると超豪華な青春群像劇なのだが、初めて観たときからそういう印象はない。レスリーの存在感が強烈過ぎるため、「脚のない鳥=ヨディの物語」 として記憶に刷り込まれてしまうのだ。ラテン・ミュージックをかけ、白いランニングとトランクスで踊るヨディ=レスリー。30年近く語り継がれているこの場面、芸術の神に愛された自らのナルシシズムを隠そうともせず、ただ音楽に身を任せる彼に、至高とは何か、天賦の才とは何かを感じずにはいられない。
今回、この物語はヨディの回想なのだな、と初めて気がついた。冒頭、フィリピンの熱帯雨林が車窓に流れる。ラスト近く、今際の際のヨディにタイドは問いかける。 「1960年4月16日、3時1分前を憶えているか?」 「あの女といた」。あの風景は、あの日からの記憶を 「走馬灯のように」 辿っているヨディの目に映る最後の記憶なのだ。
そして、同じ男を愛した二人の女、スーとミミ。これまで、結婚に憧れを抱く生真面目なスーに圧倒的に感情移入し、ギャーギャーと喚き散らす自己主張の塊のようなミミには嫌悪感があった。しかし、今回はつくづく、カリーナって美しいと思った。均整のとれたスタイルと、アイラインで強調させた目力、それだけじゃない。強く、逞しい女は美しい。惚れた男をどこまでも追い、国境を超える彼女は、どんな場所でも生き抜いてみせるであろう生命力に溢れていてまぶしい。
つい先日、トニー・レオンがジェット・トーン(ウォン・カーウァイが設立した映画製作会社)との契約を満了し、関係を解消したというニュースに衝撃を受けたばかり。ラストシーンは少し感傷的な気分で観てしまった。超ロマンチストなウォン・カーウァイは、役者に背中で語らせる。影帝トニーと、この涙の大天才とのコラボレーションをまだまだ観てみたかった。
字幕翻訳が、今年6月に亡くなった寺尾次郎氏だったことも記録しておきたい。合掌。

( 『欲望の翼』 監督・脚本:王家衛/1990・香港/
主演:張國榮、張曼玉、劉嘉玲、劉徳華、張學友、梁朝偉)
『レディ・バード』

LADY BIRD
2002年、カリフォルニア州サクラメント。カトリック系の私立高校に通う17歳のクリスティン(シアーシャ・ローナン)は、「文化のない」 この田舎町と、平凡な自分の名前が大嫌い。自らを 「レディ・バード」 と名乗り、東部への大学進学を夢見ていた。
楽しみで待ち遠しくて待ち切れなくて、初日に鑑賞。音楽がジョン・ブライオンってすごく久しぶりな気がする。オールタイムマイベスト作のひとつ 『エターナル・サンシャイン』 のスコアが大好きなので、スタッフロールに彼の名前を見つけてうれしかった。この原題のレディバードって、てんとう虫の事ではないのですね。シアーシャ・ローナン、赤毛も似合うけど緑色が本当に似合う。大傑作 『ブルックリン』 以来、私の御贔屓女優さん。
正直、この映画を観て一番強く思ったのは、、、「お金がない、って本当に嫌だな」 でした(夢がなくってすみません)。子どもに対して年がら年中 「うちにはお金がないの」 って言うのって、気が滅入る。しかしクリスティンの母(ローリー・メトカーフ)って医療専門職(ナース? ドクター? セラピスト?)なのに、そんなにお給料安いのだろうか。それでも、お金が無い? それが何? 奨学金とアルバイトでなんとかする、アタシは都会へ行くの!! と絶対にぶれないクリスティンのど根性が凄い。天晴れ。
オープニング、礼拝に臨む大勢の生徒たちの中でもひときわ光り輝くティモシー・シャラメにときめくも、彼が扮するカイルはヤな奴だった。美し過ぎるティミーが、またそれにドハマリしていた(笑)。そして今作ばかりはルーカス・ヘッジズくんに一票だった。クリスティンと抱き合って泣くシーン、彼の最後の舞台のシーンで涙腺がゆるんで、それからの展開はもう、涙滂沱ですよ・・・。親友との諍いと和解、母との冷戦。父が架けてくれた橋。ニューヨーク。ブルース!!
これは遂にメジャー・ヒッターとなったグレタ・ガーウィグの、故郷へのラブレターですね。故郷ってもちろんサクラメントのことだけど、両親、特に母親のことでもある。愛情があり過ぎて、反発し合う似た者母娘。ありがとうが言えない、素直になれないふたり。それを見守る父親がまた、、、深過ぎる。
しかしこういう小品と呼ぶべき映画が評価されて、オスカー候補にもなるってなかなか、アカデミー協会も捨てたもんじゃないですね。刺さる人には刺さる、そうでない人、例えば、ずーっと地元にいて実家住みの人とかには、普通の映画かもしれない。私? 刺さり過ぎて瀕死でした。

↑ ↑ ↑ 悪いほうのティミー、カイルくん ↑ ↑ ↑
(おまけ) クリスティンの初体験のシーン。彼女がブラジャー外してないのが興醒めだったのですが、あれはレイティングの関係なのかも、と思いました。相手に言われたことは全てそのまま信じるクリスティンが、自分とダブって痛かったです(泣)。
( 『レディ・バード』 監督・脚本:グレタ・ガーウィグ/
主演:シアーシャ・ローナン、ローリー・メトカーフ/2017・USA)
『海よりもまだ深く』

15年前に文学賞を受賞したきり、鳴かず飛ばずの小説家・篠田良多(阿部寛)は、妻・響子(真木よう子)にも愛想を尽かされ離婚。興信所で探偵をしながら糊口をしのいでいるものの、ギャンブル依存のために月一回の一人息子との面会日にも金策に苦心する有様。団地で独り暮らす老いた母(樹木希林)のもとへ、金の無心に赴くのだった。
『歩いても歩いても』 の姉妹編のような、是枝裕和監督の新作。樹木希林と阿部寛が演じる、親子の会話は絶品。いつまでたっても息子がかわいい母と、その母に甘えて自立できない男の哀しさ、情けなさが際立つ。「なりたかったものになれた?」 ほとんどの大人にとって、それは残酷な問いかけだろう。あの頃の未来に、僕らは立っているのかな・・・。
しかし、泣く気満々だったにも関わらず、私は泣けなかった。樹木希林が放つ名言の数々に心揺さぶられ、阿部寛ってこんなに演技巧者だったのかと驚きつつも、是枝監督の目線の 「偏り」 が気に障って仕方なかった。
正直、私はこの作品に感動し切れなかった。あまりにも身勝手で大人になり切れない良多に対して、女たち(特に母、元妻)がやさし過ぎる。虎の子の給料を競輪でスって、養育費を滞納して姉(小林聡美)の職場まで押し掛けて借金を頼む。最低。シングルマザーの響子にとって、経済は死活問題のはず。なのに新しい恋人(年収1500万!)に元夫の小説をdisられ、伏し目がちになるなんて、、、いやそれ良多の願望でしょう。
元夫の実家に泊って 「お母さん」 を連発する響子、、、あり得ませんから。それにお母さん、いくら息子が心配だからって、元嫁をハメちゃいけません。自分の息子や夫や弟がこんなだったら、めっちゃ嫌な気分になると思う、私だったら。そんなやさしくなれませんって。ていうかね、シングルで子ども育てていたら、毎日がもう、必死なんじゃない? 今日明日の生活が大事で、「自分はなりたいものになれたのか?」 なんて、自問自答している暇はないですよ。いっそ良多が息子を引き取って、育てればいいのに。
良多=監督の、母や妻や姉にはこうあって欲しい、いつまでも夢を追いかける自分をやさしく見守って欲しい、っていう甘えが根底にあって、ちょっと勘弁、だったなぁ。結局、この映画ってファンタジーなんだな、と思いました。ただ・・・。
「寝たきりと、ポックリ逝って生きたまま夢に出て来る、どっちがいい?」
「・・・寝たきり」
この会話だけは、ほんとグッときたなぁ。どんな姿でも、生きていて欲しい。母に対するその感情には、私も共感します。
( 『海よりもまだ深く』 監督・原案・脚本・編集:是枝裕和/
主演:阿部寛、真木よう子、池松壮亮、樹木希林/2016・日本)
『否定と肯定』

DENIAL
ホロコースト否定論者に名誉毀損で訴えられたユダヤ系アメリカ人大学教授デボラ(レイチェル・ワイズ)。彼女は弁護団から、一切のコメント、意見表明を禁じられる。それが法廷戦術とはいえ、人並み以上に意志的な彼女が 「良心を委ねる」 ことに耐えられるのか。
面白かった! これ超オススメです。実話の映画化。脚本がデヴィッド・ヘアなんですね。
20年前に、既にこういった 「歴史修正主義者」 による裁判が行われていたとは。常識や社会通念、史実とされていることを改めて 「証明」 することの難しさ。ホロコーストの生存者だけでなく、死者の代弁者でもあろうとする主人公の、沈黙を強いられる苦痛。いや~、考えさせられます。
ケンブリッジ卒、才媛の代名詞的な英国人女優レイチェル・ワイズ。彼女がアメリカンってキャスティングはちと気になったけれど、主人公を弁護する役どころの英国人俳優たちがもう、素敵素敵ステキ~~な面々。重鎮トム・ウィルキンソン、ツンデレ「アンソニー」アンドリュー・スコット、そして昨年のベスト台詞賞 "ミスターAfternoon" ことジャック・ロウデン!
私は瞬間湯沸かし器なので、熱い志はあれど、頭と態度は常にso coooolな彼らに学ぶこと多し。沈黙を貫くこととか、批判するときは相手の顔を見ない、とか。「私はアメリカ人よ!」 と頭を下げることを拒否していたデボラも、判決を読み上げられる時には思わずお辞儀をしている。強気で勝気な彼女も、我を忘れるほど追い詰められていたことがよくわかる。
この作品、私は昨年の12月に観たのだが、まだ上映中だったり、これから始まる地域もある。未見の方には、機会があれば是非観ていただきたい。今、この時代に生きる我々にとって必見作だと思う。
誠実で勇敢な者たち、真実のために闘う者たちに勝利を!

( 『否定と肯定』 監督:ミック・ジャクソン/2016・UK、USA/
主演:レイチェル・ワイズ、トム・ウィルキンソン、ティモシー・スポール)
『星空』

STARRY STARRY NIGHT
両親の不仲に悩む少女シンメイ謝欣美(シュー・チャオ徐嬌)は、どこか影のある転校生チョウ・ユージエ周宇傑(リン・フイミン林暉閔)に惹かれる。
版権が行方不明になっていたとかで、大阪アジアン映画祭での上映以来なんと5年ぶりに劇場公開された本作。観ている間の感情の振り幅は、さほど大きくはない。しかし駅までの帰り道、じんわりと涙が溢れる。
『銀河鉄道の夜』 を彷彿させるファンタジックな作品世界は、絵本が原作と知り納得。そして主人公があの 『ミラクル7号』 の子役だったとは! 光陰矢のごとし。
グイ・ルンメイの登場に思わず目を見張る。ラストシーン、彼女の泣き顔の先には 「ずっと探していた」 その人がいたと信じたい。
外れなしの台湾産青春映画。この作品はそれよりも少しだけ幼い、思春期の少年少女を描いた佳作。大好きな台湾映画がまた一つ増えてうれしい。しかし今年はクーリンチェに、タレンタイムに本作と、「アジアの逸品」 再発見の年ですね。

( 『星空』 監督・脚本:トム・リン林書宇/2011・台湾、中国、香港/
主演:シュー・チャオ徐嬌、リン・フイミン林暉閔、グイ・ルンメイ桂綸鎂)
テーマ : ☆.。.:*・゚中国・香港・台湾映画゚・*:.。.☆
ジャンル : 映画
『南瓜とマヨネーズ』

ライブハウスで働くツチダ(臼田あさ美)は、売れないミュージシャンで無職のせいいち(太賀)と同棲中。ある日、彼女は昔の恋人ハギオ(オダギリジョー)と再会する。
年に一度くらい、全くノーマークだったのに劇場予告で 「これ、観たい! 絶対!」 と思う映画がある。何故かいつも邦画なのだけれど、今年はこの作品だった。冨永昌敬監督の作品は初見。初日に鑑賞。スチールが川島小鳥、っていうのがいいよね。特別感がある。そして原作を読んでみたいと思う。
音楽の夢に破れかけてくすぶる男と女。陳腐で小さい話で。男も女もどうしようもないんだけど、「女は過去の恋を引きずらない、なんてウソ。」 っていう惹句には共感できる。好き、っていう感情は、たったひとつじゃない。誰でも心の中に、無自覚にだけどたくさん持っているものだと思う。
臼田あさ美は好きな女優さん。オダジョーは言わずもがな、ほとんど悪魔。そして最後に、全部持っていく太賀。音楽を生業とする話なのに、劇伴がほとんどなく、とても静かな映画だったことも憶えておきたい。音楽は静寂から始まる、ってこと、監督はわかっているんだね。
ツチダは一度も音楽を聴かない。イヤホンを耳に差しもせず、彼女はずっと待っている。音楽が生まれるその時を。待って、待って、待ち続けて・・・。結局待てずに、恋は終わる。静寂の中にあるはずの音楽のカケラを、彼女は探し当てられなかった。
ツチダは泣いた。アタシも、泣いた。泣くしかなかった。
( 『南瓜とマヨネーズ』 監督・脚本:冨永昌敬/2017・日本/
主演:臼田あさ美、太賀、オダギリジョー)
『彼女がその名を知らない鳥たち』

自堕落な生活を送る十和子(蒼井優)は、15歳年上の陣治(阿部サダヲ)を不潔で下品だと毛嫌いしながらも同居していた。十和子には、8年前に別れた黒崎(竹野内豊)という忘れられない人がいたのだ。ある日、クレームの電話をした百貨店の担当・水島(松坂桃李)と会った十和子は、彼に黒崎の面影を見る。
究極の愛を観た。これは 『あゝ、荒野』 と並んで今年の邦画のベストではないだろうか? 昨年のマイベスト映画 『湯を沸かすほどの熱い愛』 を観た後と、少し似た感覚。『凶悪』 の白石和彌監督、大傑作を撮りましたね。必見!
※以下、ややネタバレ
原作は読んでいるはずなのだが、読み進むのが苦痛なほどの嫌悪感(主に陣治への)でいっぱいだった記憶しかない。しかし、その 「忘却」 にこそ意味があったとは・・・。常識的に観れば嫌な女で、人間のクズかもしれない十和子。そんな彼女に感情移入しまくり、あんな風になるのも仕方ないと思う自分は、原作を読み終わった瞬間から十和子に憑依していたのかもしれない。十和子が記憶を取り戻した辺りから、ラストまで涙滂沱、ほぼ嗚咽でもう、顔が大変なことになってしまった。暗転してからのあのセリフ・・・決め台詞というか、殺し文句というか・・・。間違いなく私は殺られてしまった。
十和子と陣治の関係を、「反抗期の子と親みたい」 と思いながら観ていた。不貞腐れて文句ばかり垂れ流す十和子、何を言われてもどんな態度を取られても、ひたすら十和子に 「美味いもの」 を食べさせようとする陣治。そしてどんな罵詈雑言を浴びせた後でも、一緒に食卓を囲む。二人の関係に在る、理屈や損得を超えた 「繋がり」。謎めいてさえ見えるそれが、陣治の最後のセリフで腑に落ちるのだ。
売れ過ぎの松坂桃李(同じく沼田まほかる原作 『ユリゴコロ』 にも出演していた)は、よく受けたと思うくらいの嫌な役。そして黒崎、この役に説得力がないとこの作品そのものが成り立たない重要な役、演じた竹野内豊が素晴らしい! 声、声よ~あの声! 黒崎に出会ったら、迷いなく私も、十和子と同じことをするだろう。
阪堺電車、近鉄の駅、夕陽ヶ丘、あべ地下、既視感ある商店街。ロケ地が自分の生活空間とリンクしていて、少しドキドキする。
それにしても、蒼井優は凄い女優だな~。肝の据わり方が違う。ラストシーンのクローズアップは、主演女優賞に値する表情だった。
( 『彼女がその名を知らない鳥たち』
監督:白石和彌/主演:蒼井優、阿部サダヲ、松坂桃李、竹野内豊/2017・日本)
『あゝ、荒野 後篇』

(承前) 『あゝ、荒野 前篇』
「新宿新次」 「バリカン建二」 としてプロデビューした新次(菅田将暉)と建二(ヤン・
イクチュン)は、相変わらずトレーニング漬けの日々を過ごしていた。そして遂に、新次
は復讐を誓った裕二(山田裕貴)との対戦が決まる。 「新次、殺してもいいぞ」
後篇を待ちに待った二週間。初日の初回に観て来ました。前篇は157分、こちらも
147分の長尺。しかし前篇と同じく長さは感じない。
※以下、ネタバレします
ボクシング映画に外れなし、と言うけれど、ボクシングって本当に素晴らしい・・・
殴り合いなのに。「一番汚くて、一番美しい」 ものが白い四角いマットの上にある。
それはこの世界そのもの。人生そのもの。この国のかたち。
でも、そこはあくまでも 「男たちの居場所」 なんだ。新次のもとを去る芳子(木下
あかり)の疎外感が、痛いほどわかる。拳に万感の思いを込めて、新次と繋がろう
とするバリカン。父の死の真相を知ってなおバリカンを 「兄貴」 「親友」 と呼び、
その思いを受けて立つ新次。宿命が絡み合い、孤独な魂はただゴングを待つ。燃
え尽きるまで。
バリカンが恵子(今野杏南)に 「あなたとは繋がれない」 と言うシーン。あれは
やはり、そういう意味なのだろうか? バリカンを引き抜く二代目は 「いかにも」
な人物に描かれているし、高級マンションに住まわせる、というのも 「囲う」 とい
う意味だろう。新次の血がついた包帯を、後生大事に持っている、というのも意味
深だし。
キャストは皆演技賞もの。誰がどんな賞を受けても驚かない。高橋和也、本当に
いい役者になったなぁ。彼がまだ瑞々しかった 『ハッシュ!』 が懐かしい。木村
多江の 「殺せ!」 も凄い。でんでんとユースケも、味があるいいコンビ。ヤン・
イクチュンは言わずもがな、だけれど、やはりこの作品は日本の宝・菅田将暉あっ
てこそ! 演技者としてだけでなく、「いきもの」 としての彼に惹かれるのだ。
「背負う」 シーンが何度かあるのが印象的。人は皆、何かを背負って生きていく
ものだから。
しかしあの結末はモヤるなぁ。バリカ~~~~ン!!
( 『あゝ、荒野 後篇』 監督・共同脚本:岸善幸/2017・日本/
主演:菅田将暉、ヤン・イクチュン、ユースケ・サンタマリア、でんでん)
『あゝ、荒野 前篇』

東京オリンピックの翌年、震災から10年後の東京・新宿。少年院から出所したばかりの
新次(菅田将暉)は、自分を裏切った元仲間を襲い、返り討ちに遭う。そこに居合わせた
理髪師の建二(ヤン・イクチュン)とともに、新次は元ボクサーの堀口(ユースケ・サンタ
マリア)が営む歌舞伎町のボクシングジムでトレーニングを始める。
寺山修二が遺した唯一の長編小説(未読です)を、今を時めく菅田将暉×息もできない
ヤン・イクチュンで映画化、しかも前・後篇で5時間超の長尺作品! 昔寺山修二の詩集
にドハマリした元・文学少女(笑)としては、観に行かずにいられよーか! それなのに、
全国で37館でしか上映していないとは何事? 大阪市内の上映は一館のみという。。目
を疑いましたよ、なんと勿体無い! もちろんムビチケを買って劇場鑑賞。
でも、先行配信もしてるし円盤が来月1日には出るし、製作サイドは 「劇場で観て欲し
い」 などとは思ってないのですね・・・。しくしく(配信や映画の上映形態について、思う
ところは書き出すと長くなるのでまた改めて)。
で、作品はと言うと・・・最高でした。エンドロール後に後篇の予告が流れるんだけど、
もう頭抱えましたよ、 「早く観せてくれ!(絶叫)」 って。私はこれ前後篇、5時間ぶっ
通しでも全然オッケーです。いやむしろ観たい。
狂ったように饒舌で荒々しい新次と、吃音ゆえにか寡黙で引っ込み思案な建二。母
のないふたり。彼らの関係は対ではなく、友情とも呼べない。新次は建二を 「兄貴」 と
呼ぶけれど、兄弟のようでもない。同志でもない。敢えて定義はしないけれど、建二の
新次への強烈な思慕だけははっきりと感じ取れる。 『藍宇』 のオマージュ(?)かと見
まがうようなシーンもある! 多分新次は、建二にとって初めての 「ともだち」 だったの
かもしれない。
鑑賞前は菅田将暉に目が釘付け、かと思っていたが、すっかり建二=ヤン・イクチュン
に魅了されてしまった。虐待されて父を 「捨て」 ながら、給料袋すべて父の枕元に置き、
手描きのノートにだけ本当の気持ちを吐露する、心優しい建二に。彼らとは真逆に母を
捨て、捨てた母と同じく春をひさぐ芳子(木下あかり)もまた、新次に惹かれ愛し合うよう
になる。
今から数年後の近未来を描きながら、タブーに正面から斬り込んでいる脚本が潔く、作
り手の覚悟を感じる。奨学金返済という名目の経済的徴兵、原発事故と被災の問題、少子
高齢化による介護人材不足。登場人物は全て高潔とは言い難い、社会の底辺で蠢く人々
だが、彼らを決して悪者には描かない温かさも感じる。新次と建二を 「スカウト」 し、育て
ようとする堀口=ユースケ・サンタマリアの飄々とした存在感も得難い。彼が通うバー 「楕
円」 のシーンで、観ている私もほっと息がつけるようだった。あゝ、後篇が待ち遠しい!
( 『あゝ、荒野 前篇』 監督・共同脚本:岸善幸/2017・日本/
主演:菅田将暉、ヤン・イクチュン、ユースケ・サンタマリア)
『君の膵臓をたべたい』

内向的な高校生・春樹(北村匠海)は、「共病文庫」 と表書きされた日記を拾う。そこに
は、同じクラスの人気者・桜良(浜辺美波)の秘密が綴られていた。
ベストセラーになった原作は未読。予告には今ひとつ惹かれなかったけれど、劇場に行
ってきました。北村匠海と小栗旬は、応援したい俳優さんなので。両隣の高校生カップル
は涙、涙。私もうるうる。ガム、食べる。食べるよ!
私も春樹のように、人と接することなく自分自身でいたい気持ちもありつつ、桜良のよ
うに誰とでも明るく、八方美人に接してしまうところがある。だから桜良と春樹がお互い
の違う部分に惹かれ、そうなりたいと願うことが・・・私には、ごく自然に思える。私の中
では、二人のその感情がいつもせめぎ合っているから。
桜良は、もっと「辛い」って言ってもよかったのにね。しかし北川景子は・・・綺麗過ぎ
か!(笑)
( 『君の膵臓をたべたい』 監督:月川翔/2017・日本/
主演:北村匠海、小栗旬、浜辺美波、北川景子)
トムホ萌え!~『スパイダーマン:ホームカミング』

SPIDER-MAN: HOMECOMING
NYに住む15歳の高校生ピーター・パーカー(トム・ホランド)は、憧れのアイアンマン
ことトニー・スタークに目を掛けてもらって有頂天。アベンジャーズの一員となるべく、
日々街を自主パトロールする日々だったのだが・・・。
トム・ホランドかわええ・・・。ああ~~超かわいい! トムホ萌え! 新生スパイディ、
期待値高かったけど大満足!
思えば、トムホを初めて観たのはナオミ・ワッツの息子役だった 『インポッシブル』。
次の 『白鯨との闘い』 では最後まで生き抜いて 「おぬし、やるな?」 と思っていた。
この映画の公開前にはリップシンクでリアーナの 「アンブレラ」 を踊る姿がバイラル
になっていて(何回観たか、笑)、彼が舞台版 『ビリー・エリオット』 のキャストだった
と知った時にはもう・・・。期待値MAXですよ! それを軽く超えてくれました。よかった。
バードマンのセルフパロディとか、椅子男もGJだったよね~。でもやっぱりこの映画
は、何よりもトムホのフレッシュな魅力爆発! を堪能すべきですよ。まさにビッグバン。
スター誕生。
巷ではセクシー過ぎると話題だったマリサ・トメイ、こんな可愛い甥っ子とルームシェア
なんて夢じゃない? メイおばさんになりたい人生だった(笑)。

( 『スパイダーマン:ホームカミング』 監督・共同脚本:ジョン・ワッツ/
主演:トム・ホランド、マイケル・キートン、マリサ・トメイ/2017・USA)
『夜明けの祈り』

LES INNOCENTES
第二次大戦直後のポーランド。赤十字で医療活動に従事するフランス人医師マチルド
(ルー・ドゥ・ラージュ)の元へ、一人の修道女が助けを求めてやってくる。
ポーランドの修道女と言えば、数年前アカデミー賞外国語映画賞を受賞した『イーダ』。
あれは特別に好きな映画。こちらは観るのが辛い部分もある、女性性について考えさせ
られてしまう映画だった。『イーダ』 で主人公の叔母を演じていたアガタ・クレシャが、
修道院長役で出演している。彼女、ポーランドでは重鎮なのだろうか。
危険を冒して修道女たちを支えるマチルドの献身に、胸が熱くなる。医師=お金が儲
かる職業、なんて認識を恥じる。生まれて来る命って、原題の通り何の罪もない 「無垢」
なもののはず。「まず、赤ん坊の命を救わなければ」 というマチルド。対して、修道院長
の取った行動は・・・。彼女を見ていると、信仰や神に対するスタンスは 『ウィッチ』 と
変わらないと私は思ったな。
実話に基づく物語。出産しても、全てを投げ捨てて自由と人生を取り戻そうとする者を
登場させ、そしてそのことを否定しないことに好感した。マチルドの微笑みに、救われた
気分。

( 『夜明けの祈り』 監督・共同脚本:アンヌ・フォンテーヌ/2016・仏、ポーランド/
主演:ルー・ドゥ・ラージュ、アガタ・ブゼク、アガタ・クレシャ、ヴァンサン・マケーニュ)
『ウィッチ』

THE VVITCH: A NEW-ENGLAND FOLKTALE
17世紀、開拓時代のニューイングランド。共同体を追われた一家は魔女が住む
という森近くに転居する。長女トマシン(アニヤ・テイラー=ジョイ)が子守していた
末っ子の赤ん坊が突如姿を消したことを皮切りに、一家に不気味な影が差し始め
る。
原題の 「WITCH」 、WではなくVVなのが妙に気になる。
『スプリット』 のファニーフェイス、アニヤ・テイラー=ジョイの出世作。昨年末に
話題になった 『ドント・ブリーズ』 を観逃して(てか観る勇気が出ず)、結局WOW
OWで鑑賞。怖いは怖いが、「やっぱホラーは劇場で観てナンボ!」 とこちらは劇
場へ。リーブルで観るときは最前列を取るのだけど、ホラー耐性ヤバめゆえ最後
列へ。
色の無い(鈍色の)風景。音楽(効果音?)が煽る気満々で一瞬興醒めしたが、
全てが不気味としか言いようのない展開に目を逸らしたいのに引き込まれる。
あの双子! 黒ヤギ! 母の視線、父の説教、弟の性の目覚め。そして・・・。
結局誰が 「魔女」 だったのか?
開拓期という過酷な時代、辛い生活を強いられる人々の心の拠り所としての
神や信仰。それらが反転したとき 「魔女」 が生み出されるのではないかな。
最後列で観て正解でした。

( 『ウィッチ』 監督・脚本:ロバート・エガース/2015・米、英、加、ブラジル/
主演:アニヤ・テイラー=ジョイ、ラルフ・アイネソン、ハーヴィー・スクリムショウ)